康平が消えた。
夕べ寝るまで一緒だった奴が、朝起きたらいなくなっていた。とはいえ、女子供じゃあるまいし、お互い忙しい身だから、俺は別に気にしていなかった。昼前に証券マンが来た時も、なんとも感じなかった。
「で、でも、お約束頂いてたんですよ。吉川さんと」
馴染みの証券マンは戸惑って、俺を悲痛な目で見つめた。
「いないんだから仕方ないでしょ。忘れてんですよ、あの男ならよくある事ですから」
「そんな――困ります。事務所の方にはいらっしゃらないんですか?」
「さぁ。俺はあいつのお守をしているわけじゃないから。携帯は?」
「繋がらないんです。あの――もしこれで吉川さんが損する事があっても、私のせいじゃないって言っておいて下さいよ?」
「大丈夫でしょう。あいつ、結構株で儲けさせてもらってるんでしょ?」
「はぁ――でも損したり売り時を逃したりするのを異常に嫌いますからねぇ」
「……」
確かに吉川は負けず嫌いなところが強いから、勝負事になるといつでも真剣だ。特に金が絡むと別人になる。組長という肩書きを持ってからはそれが顕著だった。
「まぁ、大丈夫ですよ。帰ったらきちんと言っておきますから」
吉川の金に対する恐ろしさを感じているんだろう、気弱になる証券マンをなだめて帰したが、別に連絡するほどの事でもないだろうと思った。
昼過ぎに現場に出ると、既に業者は作業を始めていた。俺の姿を見ると、みな恐縮して頭を下げる。取り付け家具の仕上がりが遅れ、工期がずれ込んでいるため、遅らせた下請けは必死なのだ。俺はプレッシャーをかける為、夕べ夜中まで付き合った。さすがに連中と同じように朝から元気に出て来る力は残っていなかったが。
おまけに夕べは帰れば帰ったで、康平がさかっていたのだ。汗を流した俺を待ってましたとばかりにベッドに引っ張り込んで、腰を振りながら何やら訳の分からない事をぐだぐだ言っていた。疲れ切っていた俺は適当に相槌を打っていたのだが。
「藤沢さん、携帯鳴ってますよ」
地下の現場の為階段の上り口に置いていた携帯の受信を、手摺りを取りつけていたタオル鉢巻の兄さんが教えてくれた。
表示を見ると、安川だった。
「吉川はどこだ?」
「知りませんけど。携帯は?」
「プルプル言ってんのに、出ねぇんだよ。事務所にもいねぇし。連絡あったら俺に電話するように言ってくれ」
電話は一方的に切れた。
首を傾げながら仕事を再開すると、再び呼ばれた。
「藤沢さーん。また電話」
今度は昼に来た証券マンだった。
「何で俺の携帯知ってるんです」
「泣く泣く事務所まで行って教えて貰ったんですよー。藤沢さん、お願いですから連絡あったら私に電話くれるよう、言っておいて下さいね?ね?」
「あぁもう、分かってますよ」
「頼みましたよ。事務所じゃあなたにお願いするのが一番だって言ってましたから」
余計な事を――。
とりあえず電話を切って、溜め息混じりに携帯を置く。途端にまた鳴った。
「藤沢さん、モテますねぇ」
タオル鉢巻がニヤリとするのを睨んでおいて、俺は出るなり不機嫌な声で言った。
「阿東、俺の携帯の番号教えたな」
「あ――はは、スイマセン。あんまり証券マンが悲愴な感じで哀れになっちまって」
「で、何。康平がどこかって、お前も知りたいわけ?」
「ええ、まぁ。それで今、ちょっとお時間頂けませんか?」
「悪いけど、俺ココから離れられないんだ。夕方ならいいけど」
「ええ。実は今、藤沢さんの現場の前まで来てるんですよ」
階段を見上げると、ひょいと阿東の顔が出て来た。その隣で、恐縮した感じの章もいた。
「あなたの居場所なんて、こいつに聞けば一発です」
そう言って阿東は章の頭を軽く叩いた。
「で、康平が消えたって?」
階段を上りきったところで立ち話をしながら、阿東は懐から一枚の紙を取り出した。
「私宛てに置手紙がありまして」
受け取った俺と章は、一緒に紙の中身を読んだ。
「阿東へ――しばらく旅に出ます。探さないで下さい。くれぐれも、兄さん達にはないしょにしておくように」
それだけだった。
「汚い字――」
章の呟きに俺は苦笑した。
「お前、言うようになったな」
笑いかけてやると、途端に顔を俯かせる。そういう様は可愛らしかった。
「で、こちらとしては非常に困っているんですよ。兄さん達に内緒にって言ったって、いつまでも隠し切れるものではないし、いつまで隠せば良いのかも分からないし。そもそも何が何やらさっぱり分からないんですよ。証券マンじゃないですけど、ここは藤沢さんにおすがりするのが一番かなと」
「そう思うのは勝手だけど、俺だって何も知らないんだ。朝起きたらいなかったんだから」
「夕べは?」
「一緒だったよ。それこそ眠りにつくまで一緒だった」
章がビクリとして俺から一歩退いた。顔を赤くしている。
「藤沢さんが先に寝たんですか?」
「ああ。帰ったの遅かったし、疲れてたからなぁ」
俺はチラリと章を見た。この男の前で夜のお話をするのは、少々気の毒だと思ったのだ。阿東もそれに気がついて、可笑しそうに笑った。
「章、お前ちょっとどこか行ってろ」
章は慌てて首を横に振った。
「いえ!大丈夫です!」
何が大丈夫なんだろう――そう思ったが、本人が良いというならそれでいいかと思い直した。
「眠りにつくまで一緒だったって――それはアレですよね。そう言う事ですよね?」
阿東が面白がって聞いてきた。
「一つのベッドでお休みになって――」
章がまた一歩退いた。
「夕べはされたんですか?」
答える義理はないんだけど、問われて俺はふと何かを思い出しかけた。
それを丁寧に追ってみる。
「夕べは――帰ったらまだ康平が起きてたんだ。で、さっさと風呂に入って汗を流して、寝ようとしたらあいつが絡んできたから適当に放っておいて――そしたら、なんかグズグズ言い始めたんだ。なんだったかな――」
「う――」
章が鼻を抑えて俯いた。血が垂れている。
「分かりやすい男だな」
阿東にからかわれた章に、俺はハンカチを取り出して鼻に詰めてやった。そのハンカチごと手で鼻を押さえている姿が、なんか変質者っぽかった。
「で――何をグズグズ言ってたんですか?ウチの組長は」
何だったろう――さかるあいつを適当にあしらっていたんだ。とにかく疲れてたし、早く寝たくて。そうしたら、ぶつぶつ文句を言い出して――。
そこまで来て、俺は突然思い出した。思い出したら、なんか可笑しくなって来た。俺は声を立てて笑い、呆然と見つめる阿東と章に言った。
「大丈夫だ。康平なら明日には帰って来るよ。俺が連れて帰るから」
なんか事情を説明するのも申し訳ないくらい、それはバカらしい事だった。
「なぁ、お前は俺がやりたいと言わないとやらせないのか?」
夕べ、疲れた俺の上にまたがりながら、康平はムッとした顔で聞いてきた。素っ裸になった康平の前はギンギンに起ち上がっていて、やりたい意欲で満たされているのは一目瞭然だった。
俺は半分目を閉じながら、呟くように言った。
「お前がやりたい時と俺がやりたい時は、必ずしも一緒じゃないだろう」
まともな答えだと思った。
俺の前を見ても、一目瞭然だろうと思った。しおしおなんだから。
が、康平にはそれが面白くなかったらしい。
「そんなのはイヤだ。俺がやりたい時にお前がやりたいのが一番いい。愛のないエッチなんて楽しくないぞ」
「だから、そう言う時もいつかあるって。今じゃないだけ」
寝ようとする俺の頭を、康平はガクガクと振った。
「そんな言葉に俺ぁ騙されないぞ。いつも俺が誘ってんじゃねぇか。一生懸命誘ってその気にさせて、ようやくお前は相手してくれるんじゃねぇか。たまに心の中で、やれやれって呟いてるのが聞こえるときがあるぞっ。そんなにイヤか?俺とするの、そんなに面白くないか?そんなにセックスが面倒か?もうそんな歳か?!」
失礼な――そう思って何か言い返そうとしたが、面倒なのでやめた。
しかし康平はまだ許してくれなかった。
「たまにはお前が誘ってくれたっていいだろうっ。おねだりしろよ。俺はお前からおねだりされるのが一番イイんだ!」
――ほほぉ。
おねだりね。
ホントにねだってイイのかよ。
俺はパチッと目を開けた。
あんまりしつこい康平に、企みの全てを隠す笑みを向けてやる。
そっと頬を撫でると、康平も少し気を良くしたようだった。
「じゃぁ、おねだりしてイイか?」
「ああ――どんな言葉でねだってくれんの?」
康平の顔に、みるみる不敵な笑みが浮かぶ。顔を引き寄せようとする俺に覆い被さって、キス寸前のところまで顔を近付けた。
お互い、すぐにでも深いキスをしそうな見つめ合いの中で、俺は静かに言った。
「じゃあ、康平の後ろ、掘らせて」
康平の顔が固まった。体も固まった。
俺はゆっくりと右手を康平の背中に這わせ、そろそろと尻へ向かって下ろしていった。
素っ裸の康平の引き締まった尻を、ムギュっと掴む。
途端に康平は、ベッドの端まで飛び退った。
「なんだよ、させてくれよ。頼むよ」
訴えるような目で、甘えたように言ってみる。
「そそそそ、そんなおねだりなんかイヤだ!そんな可愛い顔したってイヤだ!」
「何で。おねだりしろって言ったの、お前だろう?」
「イヤだっ。そんなん絶対イヤだ!」
「俺だって男なんだぞ。やらせろよ」
「いーやーだ!」
「何で」
「だって――お前、痛がるじゃないかっ」
「最初だけだって。慣れりゃどうって事ないよ」
康平は信じられない物でも見るように目を見開き、ふるふると首を横に振った。
それは、とてもとても憐れな表情だった。
奴の前も、それはそれは憐れな状態になっていた。
だから俺もしつこくは苛めなかった。
「ふん――いいさ。させてくれないんなら、寝る。じゃあな」
そして俺は、ぐっすりと寝てしまったのだ。
そして朝起きたら、康平が消えていたのだ。
八時頃、仕事を上がって康平の携帯を鳴らすと、すぐに出て来た。
それまでみんなが鳴らしても出てくれないとぼやいていたのに、俺が鳴らすとすぐ出るなんて、案外可愛い奴だ。
「おい。何みんなに心配かけてんだよ」
「うるせ」
「今どこだ?仕事終わったんだけど。一緒に飯食おう」
康平が告げる場所は、一流ホテルだった。思わず笑ってしまう。
「贅沢な逃亡者だな」
「貧乏旅行は性に合わないんだ」
「じゃあすぐ行くから」
俺は電話を切ると、タクシーに乗り込んだ。埃と汗にまみれた体をクンクンと匂ってみる。風呂に入らないとやってられそうになかった。
流れる景色を眺めながら、どんな風に康平に甘えようか、誘ってねだろうか、色々考えてみた。
あの男の機嫌を良くするのも悪くするのも自分。みんなが康平の事に関して自分に頼ってくるのも良く分かる。扱いあぐねると、すぐに俺が呼ばれる。
歯医者の時もそうだった。痛いから行かないとわめく奴を歯医者まで連れて行ったのは俺だった。子供みたいな奴だけど、そこがまた魅力でもあった。
強いばかりじゃない男。情けなかったりわがままだったり、そう言うところをたくさん持って回りの連中を振り回して、それでも何故か憎めない。むしろ組の者からは怖がられている。おかしな奴だった。
「あー今日は花火大会ですねぇ」
突然運転手が呟いた。
そういえば、遠くでドンドンと花火の音が聞こえる。俺は今から行くホテルの場所を考えて、思わず笑みをこぼした。
汚れたシャツをホテルマンに怪訝な顔で見られながら、小走りに康平の待つ部屋へと行く。ドアを開けた康平に、いきなりしがみついてキスをした。
「――やけに情熱的だな」
「ここから花火が見えるんだろう?」
「ああ。一人占めだ」
窓辺に寄ると、遮る物のない空へ、色彩豊かな花火が打ち上げられていた。
夜空に輝く、火の花。
それに見惚れていると、後ろから康平がしがみついて来た。
「なんだ?一日の家出で寂しかったのか?」
「うるさいやい。お前は寂しくなかったんかよ」
「寂しがる暇もなかった」
康平はパッと体を離して、拗ねたように傍の椅子にどっかり座った。
「ああそうかい。ふん、そんな薄情な奴に用はねぇよ。帰っとくれ」
吸おうとしていた煙草を、俺はやんわりと取り上げ、康平の上にまたがった。
「お前が欲しくて寂しがってる暇はなかった。早くおねだりしなきゃと思って」
「――後ろならお断りだ」
「もうそんな事は言わない」
覗うようにしていた康平が、ちょっと自分を取り戻してニヤリと笑った。
精悍な顔が次々と花火の色に照らされて、暗がりに凄みを増していく。
「じゃ、どうやっておねだりしてくれる?」
「風呂入ろ」
「入るだけ?」
「俺の体、隅から隅までキレイにしてくれよ」
そう言って、唇を舐めるように、静かなキスをした。
康平の下半身が、音を立てる勢いで膨らんだのが分かる。
俺たちはそのまま、なだれ込むようにバスルームへ直行した。
「あ、はぁっ――あ」
「後ろ掘らせてなんてもう言わないか?」
「言わな――ああっ、ちょっと……あっ」
泡だらけの康平の指が背後から伸びて、俺のモノを扱き上げる。
いきそうになっては止められ、また扱かれる繰り返し。
「ココ、どうして欲しいのかなー」
「……」
「黙ってちゃわかんねぇよ」
「んんっ――」
「ギンギンになっちゃったココ、どうして欲しい?」
俺は後ろに顔を向け、すっかりエロオヤジになった康平にキスを求めた。
舌が絡み付く、熱くて濃い口付け。
頭の中が痺れて、体がどうにかなってしまいそうだった。
「お前の、もう爆発しそうだぞ」
「あぁ……いかせて――気持ち良くしてくれ」
「俺の後ろには金輪際興味は持たないよな?」
しつこい――心の中でそう罵りながら、俺はガクガクと頷いた。
「ホントか?絶対だぞ?」
「ホントだから、絶対だから……だから、助けてくれっ」
「じゃあ、お願いします。いかせて下さいって言ってみな」
「――お願いします。いかせ――」
最後まで言い切る前に、康平は俺を快楽の波へと突き落としてくれた。
その甘い波に溺れながら、おねだりは素直にするもんだと、俺は学習したのだった。
END