ゴールデンクロス -2-「緒川さん、どうして毎回セミナーに参加してくれるんですか?」 俺の久保田と旭の頼んだウーロン茶、そして一通りの料理が揃ったところで、旭が口を開いた。 俺はいきなりの質問に固まってしまった。 「緒川さんは、今さらセミナーなんか受ける必要がないくらい、トレードに慣れてますよね。それなのにどうして、いつもうちのセミナーに参加するんですか?」 「……」 別に株取引に慣れているわけではないけれど、セミナーで得た知識で積極的に株の売買をするつもりもなかった。 「セミナーの内容も重なっているものもありますよね。理解できなかったからもう一度というわけでもないでしょう。なんでセミナーに来てくれるのかな」 旭はまっすぐに俺を見て問いつめた。 「それは……」 自分でも今さら習うようなことでもないと思いながら受講していた俺は、急にはどんな言い逃れも頭に浮かばず、ただ俺の受講動機である旭の顔を凝視してしまった。 見つめ合うような恰好になって、旭はちょっと困ったように笑ってみせた。 「俺、うぬぼれてもいいのかなと思って」 旭は言った。 「緒川さんが、俺に会いに来てくれてるって、考えてもいいのかな」 「…なななな何言ってんの」 ストライクゾーンに直球を投げ込まれて、俺はごまかしようもなくうろたえた。意志の力では制御できない血が一気に顔に集まる。瞬間的に上がった熱で目の前の旭の顔がブレた。 「そそ、そんな、そんなわけないだろッ」 俺はテーブルに額をつけるくらいに俯いて、必死で否定した。 「この前のセミナー、俺、わざと先輩に代わってもらったんです」 頭の上で旭の声がする。 「緒川さん、来たけど、すぐ帰っちゃったって」 俺は驚きのあまり顔を上げた。 わざといなかった? 旭はどうしてそんな罠を仕掛けたんだ。俺の目的が旭だと疑ったから? なんでバレたんだ。いつバレたんだ。 俺は目を見開いて旭を見つめてしまった。旭の顔は笑っていたけれど、少しこわばっているようにも見えた。 「だから、俺、自分から行動に出ることにしました」 「は?」 旭は椅子の上で軽く居住まいを正した。 「俺、緒川さんが好きです。付き合いたいと思っています」 「アハ…ハ」 思わず気の抜けた笑いが漏れた。 「アハハ。……なんだ、そうか」 そっか、旭が“そう”なんだ。ゲイなのは、俺じゃなくて、旭だったんだ。それで、そういう男を誘うようなフェロモンが出ていて、俺はそれに引っかかったのか。 俺はまじまじと旭の顔を見た。 男でも、こいつならいい。そう思った。 「俺も。俺もおまえが好きだ」 俺の告白に、旭は軽くため息をついて「よかった」と笑った。 俺は、あまりに簡単にことが進んだことに呆然としていた。勝手に好ましく思っていた同性とまさか付き合うなんて事態になるとは夢想だにできなかったものを。 「緒川さんの家を教えてください」 食事を終えて、車に乗り込むと、旭は言った。 「すみません。俺、緒川さんの個人情報、勝手に調べました」 「だから、駅にいたんだな」 ストーカーまがいの旭の行動に怒りを覚えることはなかった。好意を抱いている相手だから、むしろ嬉しいくらいの気持ちだった。 「はい。俺の大学、この近くだったんです。緒川さんの住所見て、もしかしたらあの駅を使うんじゃないかと思って」 「え、本当に? 大学どこ?」 俺は驚いて訊ねた。 「**大学です」 「同じ」 「え?」 「俺も**大学だったんだよ。だから、学生の時からずっと同じとこに住んでんの」 学生向けで本来は二年契約のアパートだが、引っ越すのが面倒で、ずっと更新を続けている。 旭が同窓の後輩だったなんて思いも寄らなかった。「奇遇だな」と盛り上がる俺の前で、旭は生真面目な顔を作った。 「俺が勝手に住所を調べたこと、本当はルール違反だと思います。だから、ちゃんと緒川さんの口から教えてください」 「ああ、うん」 俺は少し困惑して頷いた。そんな神経質になることないのに。旭なりの倫理感なのだろうか。むしろこちらこそがストーカーみたいな気持ちでセミナーに参加していたというのに。 俺の誘導に従ってアパートの脇で車を停めると、旭はシートベルトを外した俺の手を軽く押さえた。そのまま周りを窺い、身を寄せてきた。旭の右手が頬にかかって、あっと思った瞬間には唇が触れていた。 旭は男とキスすることに慣れているのだろうか。ためらいのない行動をとった旭とは対照的に、俺は緊張で身体を動かすことができなかった。心臓の音が旭に伝わってしまうのではないかと思うくらいドキドキしていた。 「緒川さん」 唇を離して、顔は近づいたままで旭は俺を呼んだ。 「うん」 応えると、旭は少し笑って目を閉じ、もう一度唇をつけた。旭の手が俺を抱え込むように背中に回って、俺は焦るような切ないような気持ちになった。 一方的に見ているだけだったワンコが、今腕の中にいる。 俺はぎこちなく手を伸ばして、旭の髪に触れた。合わせた唇がさらに深くなって、鼻から息が漏れた。 土曜日にデートをした。車で迎えに来た旭の提案で、海までのドライブ。改装されたばかりという大きな水族館に入った。 途中の展示室の中央に丸太のようなものが置いてあって、なにげなく覗き込んだ俺は、上げかけた悲鳴をかろうじて飲み込んだ。それは丸太を模した展示ケースになっていて、その中には、真っ白くて大きな蛇がとぐろを巻いていたのだ。 俺は、中央の水槽にへばりついて回遊する魚を眺めていた旭を呼んで、丸太の中を見てみろと指示した。 「うわっ!」 警戒心もなくひょいと覗き、見事にひっかかった旭は、叫び声を上げて、俺の腕にしがみついた。 「あははは」 期待以上の反応に俺が大受けすると、旭は「信じられない」と口を尖らせた。 「もうヒドイな。心臓が止まるかと思ったよ」 旭は俺の手首を握ったまま、もう一度近づいてその中を覗いた。 「なんでこんなの置いてあるんだろ。気持ち悪い」 「だけど、白い蛇って確か縁起がいいんじゃなかったか」 「ほんとに?」 旭は一瞬疑わしそうな顔をした後で、両手を合わせて祈るような恰好をした。ようやく開放された俺の手首にはしばらく旭の感触が残っていた。 「何やってんだ?」 「縁起がいいって言うから」 「だからって普通拝むか?」 俺がからかうと、旭はいたずらっぽく笑って返した。 「俺と緒川さんが末永く幸せになれますようにって。とりあえず祈れるものには祈っておこうと思って」 「バカ」 俺は不覚にも赤面して旭の腕をこづいた。 旭のことは、見ているだけの不毛な恋だと思っていた。それが恋愛感情かどうかの自覚さえ曖昧なまま、ただ旭に会えることが嬉しくてセミナーに通っていた。こんなふうに二人ででかけることなんて、想像でさえ浮かばなかった。 帰り道の高速を下りる頃には、すっかり日が落ちて、あたりは暗くなっていた。 「飯、どうしますか?」 旭に訊かれて、俺は「うーん」と曖昧に答えた。 「まだそんなに空いてないな」 水族館の後で近くの港にある回転寿司に入ったので、まだそれほど空腹を感じていなかった。 「じゃあ……」 と言った後で、旭はしばらく言いよどんだ。 「…ホテル、行ってもいいですか」 「えっ」 正直なところ、そこまでの覚悟はしていなかったので、即答はできなかった。けれど、俺が答えないために訪れた沈黙の気まずさにも耐えられなかった。 「えっと……うん」 俺が頷くと、旭は横顔のまま軽く息を吐いて笑った。 「よかった」 俺は、息苦しくなってきて、シートベルトを何度も引っ張りながら俯いた。 今まで同性にそういう種類の欲望を感じたことがなく、はたして旭とそういうことができるのか、不安だった。 脇道に入って少し行ったところにあったホテルに、旭は車を乗り入れた。 「ここでいいですか?」 「どこでもいいよ」 俺は恥ずかしくなってぶっきらぼうに返した。 部屋を選ぶパネルの前で、旭が再び「どの部屋がいい?」と訊いてきた。俺はろくに見もせずに適当なボタンを押して、ひったくるように鍵を取り、旭の手を引いてエレベーターに乗り込んだ。 足が地に着いていないとはまさにこんな感覚を言うのだろう。心臓が脈を打って口から出てしまいそうだ。 男である旭を相手に、自分がちゃんとできるのか、まったく自信がなくて、それでもこれからの時間に、不安だけでなく期待もあって、俺はまるで空気の中で溺れそうな状態だった。 部屋に入ってドアを閉めるとすぐにキスをした。 もうどうしていいかわからなくて、もどかしいような気持ちで、ギュッと旭を抱きしめた。 何度か唇を合わせて抱きしめ、頬をつけてお互いの髪を撫で合っていると、少しだけ落ち着いた。 「緒川さん、何か、飲みます?」 冷蔵庫を開けた旭に、俺は「ビール」と答えて、ソファに坐った。旭が前のテーブルに缶ビールを置いて、隣に腰を下ろした。 初めての相手と入るラブホテルの部屋はひどく居心地の悪い空間で、俺はそわそわして照明のリモコンをいじっていた。部屋の灯りを赤や青に何度も変えた挙句、普通の照明にして、ただ照度を落とした。 リモコンを放した俺の手を旭が握った。暖かくやや骨張った感触を、心地よく感じた。 「旭は、俺のどこがいいわけ?」 「ぶっきらぼうなところが、なんとなく」 旭のほうを見ずに訊ねた俺に、旭は指を絡めながら答えた。 「変わってるな」 俺は少しだけ笑った。女の子ならばそんなふうには言わないだろう。 旭はつられたように笑いながら、俺の顔を覗きこんだ。 「不器用そうで、いいなと思ったんです」 (タカクラケン?) ふと脳裏に浮かんだ俳優の名前は、旭のキスに封じられた。 不器用な男、タカクラケンは確かにゲイに人気がありそうな気はするけれど、いったいどんなフィルターを通せば、俺がタカクラケンのようなタイプに見えるんだろう。 |