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天体の回転-2-



「待てよ。そんなに怒らなくっても」
 後ろからかけた俺の言葉に足を止めた戸田はますます激昂した様子で、勢いよく振り返り往来ということも念頭にないように声を荒げて叫んだ。
「本当に無神経な人だよな! 俺はなんでこんな人を好きなのか自分で自分がわからねえよ」
「そんな言い方することないだろう」
 仮にも俺は先輩だ。それも戸田より四歳も上で。ああ、そうだよ。こいつはまだ未成年なんだ。子供なんだ。
「クソッタレ!」
 戸田はひどく不似合いな言葉を吐き捨てて逃げようとする。まだ宵の口で、表通りとは一本隔てている路地に人影はほとんどなかった。
「ちょっと待てってば」
 腕を掴んで引き止めると、振り返った戸田の目が潤んでいて、俺を非常にあせらせた。
「あ…」
 見たいと思っていた瞳が涙の膜に包まれている。俺はこんなふうに光るのを見たいと思ったわけじゃない。
「外山さんは!」
 俺の手を振り払って怒鳴った瞬間、戸田の目から涙が零れ落ちて頬を伝った。ぎゅっと絞られたように胸が痛んだ。
「外山さんは、そうやって寛容な自分に酔ってんだろ。俺はあなたを好きだって言ってんの。自分の性的嗜好に悩んでるわけじゃねえんだよ」
 俺は言葉をなくして戸田を見上げていた。何を、どう言ったらいいのかわからない。自分を好きだと告白してきた目の前の後輩に、何をしてやればいいのかわからない。
 明るく照らされた表通りを行くグループの歓声が、見つめ合ったまま動けずにいた俺たちの間を抜けていった。
 ふいに戸田は強い力で俺の手首をつかんだ。
「来てください」
 そのまま俺を引きずるようにして路地を歩き出す。その行く手にホテルが見えた時、俺はあせって叫んだ。
「戸田、戸田!」
 必死で呼びかける俺の言葉は無視されて。
 ああ、俺は戸田をこんなに怒らせた。壊れかけた物を補修しようとしてさらにひどく壊した気分だ。最低だ。俺は戸田につかまれた手を振り払うことができなかった。
 無人のフロントで手当たり次第に選んだ部屋のドアを開け、戸田は俺を中に突き飛ばした。どうにか転ばずに踏み止まり、俺は戸田を振り返った。
「どうするんだよ?」
 まだ話し合う余地があると信じたかった。俺がここで逃げたら戸田が壊れる。追いつめたらダメだって、俺は知っていたはずなのに。戸田は答えず俺を中央のベッドに押し倒した。
「戸田!」
 とっさに悲鳴に近い声が出た。痩せた身体が絡みついてくる。
「こんなことするなよ、戸田。ちゃんと話し合おうよ」
 本気で蹴り飛ばせば逃げられるはずだった。けれど俺には覆い被さった戸田を蹴り飛ばす踏ん切りがつかず、押しとどめようとそのシャツをつかむのが精一杯だった。
「話すことなんかない!」
「なんで。俺、戸田が悩んでるなら力になってやりたいって本気で思ってんだ。だからちゃんと話そう」
 戸田のシャツの肩あたりをつかんだまま俺はなんとか言い聞かせようとした。
「アンタなんか嫌いだ」
 わずかに身体を起こした戸田は真上から俺を見下ろし、冷たい声で告げた。
「憎らしくてめちゃくちゃにしてやりたくなる」


 傷ついちゃいけないと思った。俺が傷ついたら戸田が傷つく。
 抗うことはできなかった。
 ああ、俺が女だったらよかったのに。強引に押し込まれた戸田の欲望。その気になりさえすれば受け入れられる器官が俺に備わっていたらよかった。そうしたら傷つかずに済んだかもしれない。俺も戸田も。
 閉じようとする唇の端から意志に逆らって漏れてしまう呻き声が戸田の耳に届かなければいい。勝手に溢れ出した涙は戸田に気づかれる前に乾いてくれと願った。
 俺は傷ついたりしない。だから戸田、おまえも傷つくんじゃない。


 戸田は学校に来なくなった。
 週明け。戸田への態度に迷いながら顔を出した天文研究会のミーティングに、戸田の姿はなかった。
「戸田は?」
 ミーティングの終了後に戸田と同じ二年生の石倉をつかまえて確認すれば、あの日から学校に来ていないようだった。
「あいつ、講義にも全然出て来ないんです」
 俺が戸田を傷つけた。あいつの力になってやりたかったのに。他ならぬ俺こそが戸田の悩みの原因だなんて考えもしなかった。俺の存在が戸田を悩ませているなんて考えたくなかった。俺は戸田に笑っていてほしかった。笑いかけてほしかった。なのに。
「電話してもはっきりしなくって。別に病気とか怪我とかしてるわけでもなさそうですけど」
 あやふやに語尾を濁した石倉の脇から同じく二年生の女の子が声をかけてきた。
「五月病じゃないの? 戸田くん、最近なんか思いつめてるっぽかったよ」
「チエちゃん、何か知ってるの?」
 石倉に訊かれて、チエちゃんは肩を竦めた。
「私は知らないけど。でもかなり痩せてない? 戸田くんて真面目だからさ、いろいろ思いつめちゃってんじゃないの」
 そんなふうに言って、俺に視線を移して軽くニコッと笑みを浮かべた。
「そうだよな。そう言われると気になるし、俺、今日これから様子を見に行ってこようかな」
 呟いた石倉に「外山さんも一緒に行きます?」と誘われた俺は、しばしの逡巡の後で頷いた。
「じゃあ私も一緒に行く」
 そう言ったチエちゃんが近くにいた自分と仲の良い名村さんまで誘ってしまい、四人で戸田のアパートを訪ねることになった。
 四人で押しかけて行くことに俺は気後れを感じていたが、ドアを開けた戸田は、俺たちの姿を見てもとりたてて戸惑いも見せず普通の顔で部屋に迎え入れた。
「見舞いに来たぞ」
 おどけて言った石倉に「なんで俺に見舞い?」と笑みを返して、チエちゃん、名村さんへと移った戸田の視線は、俺の元に来る直前にすっと外され、戸田は石倉に向けて「入れば?」と部屋の奥を示して促した。まるでそれが故意だと感じさせないほどのさりげなさだった。
「元気?」
 コンビニで買ってきたお菓子の袋を手渡しながら、チエちゃんは戸田の顔を覗き込んだ。
「元気だよ」
「じゃあ今日はサボりだ?」
 からかうように言われ、少し困った顔で笑う。同級生たちに囲まれた様子を見れば、戸田だけが特に幼く見えるわけではなかった。
「ミーティングの後で、夏のお泊り観測会の打ち合わせしようって言ってたのに」
「ごめん」
 素直に謝った戸田の後から、石倉が「どうせN県になるだろ」と口を添える。
「あ、かばってる。早めに決めて先輩に連絡先の確認とっておこうって言ったの、石倉じゃん」
 気安い言葉の飛び交う二年生たちの間で、俺は何をしているんだろう。俺を見ない戸田の前で、透明人間にされた気分だった。
「外山さんは?」
「え」
 ふいに石倉に名前を呼ばれて、ぼんやりしていた俺は、はっと顔を上げた。
「外山さんも戸田に用があったんじゃないんですか」
「ああ、うん。別に急ぎじゃなかったんだけど。その、北沢サンが計画してるソフトに戸田もどうかなって話が出てたから」
 北沢研究室では少し前から惑星探査のシミュレーションソフトを作る計画が持ち上がっていて、俺も含めて院生の何人かが去年のうちから準備に参加していたが、新しくメンバー候補として戸田の名前が挙がったところだった。
「えー、北沢先生のご指名ですか。すごーい」
「戸田はプログラミング得意だろ。そっち手伝ってほしいんだって」
 北沢先生が最初に引き込むつもりでいた講師の野宮さんに多忙を理由に断られて、去年の授業での成績から戸田を推薦されたのだ。
 戸田は一瞬だけ俺の顔を見て「そうですか」と呟いた。


 アルバイトに行く時間だと言い出したチエちゃんをきっかけに、俺たちは揃って戸田の部屋を辞去した。
「外山さん!」
 表通りに差しかかったところで、背後から戸田の声がした。足を止めて振り返った俺たちの元に駆け寄ってきた戸田は歩を緩め、俺の正面に立った。
「すみません。俺、ちょっと……話があります」
 目を伏せて戸田は言った。不審そうに顔を見合わせる二年生たちと別れて、俺は再び戸田の部屋に戻った。すでに夕闇のせまり始めた時刻で、戸田は部屋に入るなり天井の蛍光灯を点けた。人工的な明るさに二人きりで晒されて落ち着かない気分になる。先刻まで満ちていたみんなの声の名残が、現在の静けさを引き立てていた。
「この前のこと、すみませんでした」
 戸田は正座した膝に手を当てて勢いよく頭を下げた。
「俺、本当に申し訳ありません」
「戸田」
 呼びかける俺に戸田は俯いたまま顔を上げなかった。
「俺、あんなことしたのに、外山さん今日わざわざ来てくれて」
 真面目な戸田は俺の行動をそんなふうに受け止めたのか。とっさにかける言葉はみつからなかった。頭を下げたままの戸田のつむじを黙って眺めているうちに俺の口元は無意識に歪み始めていた。
 戸田は途切れがちに言葉を紡いだ。
「普通にします。ちゃんと諦めます。それが、正しいと思うから」
「戸田は、どうして俺のこと好きなんて」
 戸田の言葉を遮って訊くと、戸田は再び頭を下げた。
「すみません」
「そんな、俺は別に謝ってほしいわけじゃないんだけど」
「夢を見て…」
 視線をそらしてしゃべる戸田に苛々する。「ちゃんとこっちを見ろ」と怒鳴りたくなった。
「俺、外山さんの夢を見て。それで外山さんのこと好きだと気づかされました」
 夢。昔の人は、自分の好きな相手を夢に見るのではなく、逆に自分を想う人が夢に現れると考えたと聞いている。もしそうなら、俺の夢を見た戸田が俺を好きなわけじゃなく──。
「でも思い込みかもしれないです。俺が勝手に思い込んで、外山さんにひどいこと。…だから」
 戸田は最後まで俺の顔を見ないままで「諦めます」と告げた。


 自分のアパートに帰り着いた俺は、何をする気力もなく敷きっ放しの布団に倒れ込んだ。仰向けになって両腕で目の辺りを覆う。
「諦めるってなんだよ」
 無意識に唇からこぼれた呟き。
「正しいってなんだよ。勝手に一人で決めて。弱いくせに強がってんじゃねーよ」
 俺は戸田にそんな決意をしてほしいわけじゃなかった。そんなこと期待してなかった。
 俺の目に映る戸田はいつも純粋でまっすぐで、どこか危なっかしくも感じていた。戸田に何かあったら俺が支えになってやりたかった。俺より四歳も下の戸田はきっといつまでも大人にならないんじゃないかなんてバカな考えが浮かんだことさえあった。
 俺の気持ちも知らないで、戸田は自分だけで勝手な結論を出してしまった。まだ未成年の子供のくせに。
─じゃあ、俺は戸田にどうしてほしいんだ?
 ふいに浮かんだ疑問に、俺は半身を起こした。薄暗い部屋のまん中であぐらをかいて、足を抱えた自分の手首のあたりを見つめて自問する。
 俺は戸田をどう思っていたんだ?
 もうずっと長い間、俺は戸田のことを考え続けていたような気がする。本橋さんに「相談に乗ってあげたら」なんて言われる前から、俺は戸田を気にしていた。でも俺が考えなきゃいけないのは自分の気持ちだった。去年の忘年会で得意げに梶野に説教した俺は、口先だけで本当のことなんか何もわかってなかった。
「自分の気持ちくらいきっちり把握しとけ」
 誰よりも俺自身に向けられるべき言葉。俺は戸田をどう思っているんだろう。


 俺は携帯を開いて、戸田の番号を探した。長いコールにめげずに待ち続けてようやく反応があった。
「戸田。俺、外山」
─はい
 短い返事。俺はそれにひるむことなく続けた。
「これからおまえんちに行っていいか?」
 問いかけに答えはなかった。
「会いたいんだ」
 携帯の向こうの沈黙に構わず俺は言い募った。
「俺、戸田に会いたいんだよ」
 俺は戸田が好きなんだ。あいつを守ってやりたい。あいつを受け止めるためなら女になりたいと願うほどに。この想いを恋と言わずして何と言う。
 戸田の夢に現れたのは、俺の想いだ。夢を見た戸田が俺を好きなわけじゃなく、俺こそが戸田を好きなのだ。


「俺、わかったんだ」
 再び訪れた戸田の部屋。ドアが開かれるより先に押し入って俺は戸田に告げた。
「おまえのことさ、あの時、俺が振ったらおまえがヤバイとこいっちゃいそうだ、とか確かに考えたよ。俺はずっと自分でもおまえのこと心配してるつもりだったから。そういう同情を戸田が嫌がった気持ちもわかる。だけどさ、ちがうんだ」
 俺よりも高い位置にある戸田の顔を下から覗き込むようにして言う。こっちを向いてくれという俺の願いが届いたようにゆっくりと戸田は顔を上げた。
「ちがうんだよ、戸田」
 顔を上げた戸田を正面から見つめる。俺は戸田をつかまえたい。
「俺はおまえの悩みの原因が自分にあるなんて考えたくなかったんだ。だから無意識に話をすり替えて、戸田の悩みはゲイだってことにしたかったんだと思う。それだけじゃなくって、一番肝心なのはさ──俺は、おまえだから心配してたんだよ。他の奴のこと、こんなふうに考えたりしない。俺が心配なのは戸田だけ」
 口元のあたりにかすかに幼さを残した戸田が、戸惑うような表情で見返している。その目を見つめて俺は軽く息を吸い、吐いた。
「俺は戸田が好きだよ。おまえは俺の太陽なんだ」
「え」
 戸田は小さく声を漏らして目を見開いた。見る見るうちに真っ赤に染まっていく戸田の顔が愛しくて、俺は手を伸ばしてその頬に触れた。
「コペルニクス並みの大転換だよ。戸田が悩んでるんじゃないかなんて心配は、太陽が地球に落ちてくるのを危ぶんでいたようなもんだった」
 俺は、戸田を俺の周りにある風景の一つにすぎないと勘違いしていた。戸田に健やかで真っ直ぐにいてほしいという俺の願いは、ただの後輩への気遣いだと自分で思っていた。俺の立つ地球が世界の中心で、その周りに天体があると信じ込んでいた。
「本当は俺こそが戸田の周りを回ってたんだ」
 俺こそが戸田に惹かれていた。自分の気持ちさえ見えていなかった。
 自分より背の高い後輩の首の後ろに手をかけて引き寄せ、俺は戸田に口づけた。軽く押しつけた後で、柔らかな感触が不思議で、舌を出してつついてみる。
「外山さ……」
 引き込むように戸田の唇が開かれて、俺はそのまま戸田の口をむさぼった。途中で戸田の膝がくずれ、俺を抱えるような恰好で床に腰を落とした。
「…外山さん、なんで?」
 唇が離れた時、戸田は戸惑いの表情を残したまま問いかけてきた。
「バカ」
 思わず口をついた。戸田は子供並みに鈍感だ。
「バカ。好きだって言ってんだよ。さっさと理解しろ。遅いよ、おまえ」
 痩せた肩に腕を回して抱きしめると、「そんな」とかなんとか言う戸田を無視して床に押し倒した。
「戸田は、俺の太陽なの。わかる?」
 形だけ問いかけて返事も待たずに口付ければ、戸田が漏らした「むちゃくちゃだな」という呟きは俺の唇で遮られた。
 無茶でもいい。俺にとっては人生最大の大発見だ。


「どうして戸田は俺のことニャンコセンセイなんて言ったんだ?」
 俺はあのまま戸田の部屋に泊まった。窓の外から朝の陽射しがダイレクトに届いて、カーテンを閉じ忘れていたことを教えてくれる。夢中だった夜が暴かれたようで気恥ずかしくなる。人生最大の大発見に興奮していた俺は我を忘れて戸田に溺れた。
 夜が明けて、光の中、白く輪郭を浮き上がらせた戸田を間近に眺めていると不思議な気持ちになった。いくつもの他愛ない疑問が頭をよぎって、そのうちの一つを口にしてみた。戸田にとっての『ニャンコセンセイ』とはどんなイメージなのだろう。
「それ、俺じゃないです」
 俺の問いに戸田は首を振った。
「もともと最初はチエちゃんや名村さんが外山さんのことこっそり『センセイ』って呼んでたんですよ。彼女たち、外山さんのことが好きなんです。天文研究会に入ったのだって外山さんが目当てらしいです」
「初めて聞いた」
 俺はあの子たちとそんなに言葉を交わした覚えすらないぞ。
「その鈍いところがいいそうです」
 戸田は俺の顎を持ち上げて軽くキスをしてきた。ずいぶん余裕な態度だ。
「アホか」
「学祭にも塾の教え子だっていう中学生がいっぱい来てたそうじゃないですか。チエちゃんたちなんて女の子たちに睨まれたって」
「まさか」
 俺は驚いて声をあげた。俺の教えているクラスの女子なんて、最高学年の中学三年生でさえ、まだまだ幼い雰囲気を漂わせた子ばかりで、色気のイの字も知らないと感じていた。
「ええ。『外山センセイはぜんぜん気づいてないよね』って話で盛り上がってました」
 クスクスと楽しげに笑われて、俺は答えようもなく唇を曲げた。だいたいそんなふうに話題にされるのは、チエちゃんたちの気持ちにもさほどの真剣味がない証拠で、結局は俺がオモチャにされているだけということなのだろう。
 戸田は俺の表情など気にもとめず話を続けた。
「去年、俺たち一年だけでH市の文化センターの天体観測会に行ったことありますよね。あの時、やたら混んでて望遠鏡の順番なんてなかなか回って来なくて、すごい手持ち無沙汰だったんで、チエちゃんたちが『外山センセイがいればなー』って言い出したんです」


『見て、すっごい星の数。あそこにあるの、あれ、カシオペアでしょ。カシオペアって何だっけ』
 なかなか回って来ない望遠鏡の順番を待つのにも飽きて、戸田たちは施設の屋上に出て裸眼で星空を眺めていた。天体観測施設が設置されているだけあって、辺りには照明も少なく空一面に輝く星がよく見えた。誰かの声に誰かが答える。
『カシオペアはどっかの王妃様じゃなかった?』
『え、どんな話?』
『忘れちゃった』
 屋上の柵を握ってストレッチの真似事を始めながらチエちゃんが小さく『センセイがいればなー』と呟いた。
『センセイの薀蓄聞きたいよう』
『あ、聞きたーい』
 すぐに名村さんが同調して、二人で『ねー』と声を合わせる。
『なんで外山さんがセンセイなの』
 近くにいた戸田は以前からの疑問を口にしてみた。
『センセイだから』
 答えにならないチエちゃんの台詞を名村さんが補足する。
『外山さん、塾の先生のバイトしてるんだよ』
『だから』
 安易な。うっかりそう思った戸田の内心を察したようにチエちゃんが口を尖らせた。
『だって、センセイっぽいじゃん、外山さん、すごく』
『先生っぽいかなあ』
チエちゃんの感覚的すぎる物言いに得心できず曖昧に呟いた戸田に名村さんが問いかける。
『えー、じゃあ戸田くんは外山さんは何っぽいと思う?』
『うーん。猫?』
 首を傾げながら答えた戸田の言葉に、チエちゃんと名村さんは勝手に盛り上がった。
『あ、猫かー。それもいいねえ。確かに外山さんは「ニャー」って感じ』
『ニャンコセンセイ?』
『あははー、いいかも!』



「だから外山さんのことニャンコセンセイって言ってるのはチエちゃんたちです。そのくせ誰かに聞かれるとあの子たちは俺のせいにするんですよ」
 そんな話を聞いているうちに、俺はあらためて戸田との年齢差を再確認させられてしまった。そうか、学部の二年生たちの間ではそんな話がされてたんだ。まったく知らなかった。
「俺、猫っぽい?」
 真っ黒な瞳を鏡代わりにするために戸田を見上げる。戸田は軽く顎を引いて俺から距離を取った。
「うん。なんか、つかみどころのない人だなって思ってたんです」
 逃げられたみたいで、ついむきになって迫って額をつけてみた。戸田の目元が緩んで、最初に息が、次に唇が俺の唇に触れた。
「妙に人懐っこいような、なのに手を出すとサッと逃げられちゃいそうな。なんだろ、やっぱり俺、最初からあなたのこと好きだったんだなって、今考えるとそう思います」
 両手で頬を挟まれていて、俯くこともできずに視線だけをそらした。
「戸田ってこっちが返事に窮するようなこと簡単に口にするね」
「きっと外山さんの影響です」
 戸田はあっさりと返す。こいつってこんな奴だったかな。もっとずっと子供っぽくて、純情で。俺は戸田をそんなふうに見ていたのに。こんなしれっとした態度を取られるなんて。
「俺、そんなこと言ってる?」
「時々すごいなって思う台詞を口にしますよ。昨夜だって──外山さんは俺を太陽なんて言ってくれたけど、そうじゃないと思う。どっちかがどっちかの衛星なんかじゃなくて、きっと外山さんと俺は、お互いがお互いを回る連星なんですよ」
 …うわ、すっげえキメ台詞。
 一昔前のアイドルみたいな顔で少女趣味な台詞を吐く戸田に呆れ、それでもしっかり乗せられて俺は囁いた。
「知ってるか? 連星は半永久的に離れられないんだ」
 俺の好きな笑顔が真直ぐに俺を見つめて頷く。
「そう。互いの引力にとらわれてるから」



END



2003/11/17




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