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オセロ



 ナミオは変人だ。だいたいナミキナオミなんて名前からして変だ。漢字で書けば並木直実。男でナオミは珍しいと思う。しかも姓がナミキだというのにナオミと名づけられた。呼びづらいし、仮名で書かれたらたいていの人は読み間違えるはずだ。おそらく親もナミオと同じく変人にちがいない。
 ナミオというあだ名は小学三年の時につけられたという。それからずっと、呼ぶ人間は変わっても、ナミオは変わらずナミオと呼ばれ続けた。その前はナオちゃんだった、と初めて会った時にナミオはへんに真面目くさった顔で言った。そして、淳敬(じゅんけい)という俺の名前について「中国の皇帝みたいだね」と感想を述べた。
 俺とナミオは同じ大学だった。同じ大学、同じ学部、同じクラス。それでもなぜあんな奴と友だち付き合いしているのか、自分でもちょっとわからない。卒業後も時折連絡を取り合っている数少ない友人の一人がナミオだなんて、俺も変人に近いのかもしれないと少々不安を覚えたりもする。
「もう少し服装を考えてこいよ」
 開場待ちのロビーで俺はナミオに文句をつけた。悪目立ちもいいところだ。ただでさえ男の二人連れなんて場違いにしか見えない場所なのに。ナミオの恰好ときたらどこぞの高校生かと聞きたくなるようなシロモノだった。
「だって俺、オペラなんて初めてだもん」
 ひょろひょろの縦長男は「へろへろ」とでも形容するしかないような言い方をした。ナミオは蝶ネクタイに燕尾服が似合いそうな体型だ。せっかく背が高いのだから、むしろ時代がかった服装でもしてしゃっきり背筋を伸ばしていれば見栄えがするだろうに。高校生もどきの恰好でふらふらしていては貧弱さだけが強調されている。
 俺はナミオの頼りない姿を横目で確認して、軽く舌打ちしてから返した。
「俺だって初めてだよ」
 一度ホンモノのオペラを観てみたいと言い出したのは、俺の「元」彼女。連れて行ってくれという意思表示だと思ったから、ボーナスまで視野に入れつつ大奮発したのに、せっかく手配したチケットが役立つ前に訪れた、あっけない破局。結果、俺はナミオと二人、不似合いなホールできらびやかな人々に囲まれて居心地の悪い思いをしていた。
 オペラのチケットの処理に困って呼び出したのがよりにもよってナミオだなんて、我ながらどうかしている。しかしながら年末間近のこの時期にヒマなのはナミオくらいのものだった。金券ショップやネットオークションで売り払うのはシャクに障るからと、半分以上意地になっていた。
「急で悪かったな」
 俺が謝るとナミオはヘラッと笑って首を振った。ナミオの場合は表情がマズイ。造作はそれなりなのに、いつも情けないような顔をしているから、三割くらい下に見える気がする。大学時代には年上の女にモテているという噂もあったが、俺は半分以上ガセじゃないかと踏んでいた。ナミオにそんな甲斐性があるとは思えない。
 約束の時間より早く着いた会場の前、ナミオはすでに待っていた。日が落ちたばかりの街では、冷たい風が吹き始めていて、イルミネーションの下に佇む、大学時代とまったく変わりないナミオのシルエットがやけに懐かしく感じられた。恋人と別れたばかりで人恋しくなっているせいかもしれない。ごまかすように「ずいぶん早いな」と声をかけた俺に、ナミオは「遅れたくないから今日は休んだ」と答えた。
「こんな時期によく仕事休めたな」
 俺の言葉にナミオは小首を傾げて俺を見た。
「別にいつでも休めるよ。俺、淳敬に誘われればいつでも来るよ」
 ナミオは変人だから男相手でも女に対するような口を利く。そして変人のナミオの科白は男だけでなく女を相手にしたところで可哀そうなくらい効果はないのだ。だからこそ誰彼かまわず甘えるような口を利いて平気でいられるのだろうけれど。
「バカ。そんな簡単に仕事休むなよ。信用失くすぞ」
「大丈夫だよ」
 ナミオの感覚では、仕事を休むことが大丈夫なのか、信用を失くしてもかまわないのか、ちょっと判断がつかない。
「いつまでも学生気分でいるなよな」
 ナミオは院卒だから、会社ではまだペーペーの新人のはずだ。本当に休んでも平気な職場なのかもしれないが、ナミオが鈍感で職場の空気を読めていないだけなんじゃないかと心配だった。


 携帯の買い替えを諦めさせるくらいの豪華なチケット代だけあって、生まれて初めて体験する生のオペラは素晴らしかった。目にも豪華。耳にも豪華。ストーリーは無茶苦茶だし、ソプラノのキンキン声には多少鳥肌が立ちもしたが、観るチャンスを逃した彼女にお気の毒様と言ってやりたいから、とにかく素晴らしかったと思っておく。
 十月の合コンで出会った男とあっさりフォーリンラブ。クリスマスの直前にきて、それまで付き合っていた男──つまり俺、に別れ話を切り出すなんて、可愛らしい顔の割にまったくもって容赦がない。俺と彼女との出会いも合コンを兼ねたようなキャンプだったから、あまり強いことも言えないんだが。
「それにしたって、俺と付き合ってて、ちゃっかり合コンなんか参加してんじゃねえよなあ」
 せっかくのオペラの後だというのに習性というのは情けない、俺たちは馴染み深い名前のチェーン展開の居酒屋に引き寄せられてしまった。ここでならナミオの恰好もまったく浮いてない。むしろ俺の服が汚れないか、多少気になっていた。
「クリスマスプレゼントに何が欲しいって聞いたらさ、いきなり沈黙しやがるわけよ。んで『あのね』ってさ。アノネじゃないんだよ、アノネじゃ」
 今の俺はばっちり飲む理由を抱えていたから、立て続けにビールをあおってやった。ナミオ相手なら遠慮する必要もない。飲みながら、別れた──というより振られた彼女の話をグチグチしていたら、ナミオはおもむろに口を開いた。
「淳敬、エッチが下手なんじゃないの?」
「はあ?」
 流し込んだビールを飲み込む前に声をあげてしまい、むせて咳き込んだ。
「てめ、てめえ、いきなり失礼なこと言ってんじゃねーぞ」
 ナミオのくせに生意気な。俺はビールで濡れた口の端を手の甲でぬぐってナミオを睨みつけた。てめえはおとなしく聞いてればいいんだよ。
 店に入って大分経つというのにナミオのジョッキはようやく半分空いたかどうかというところだが、顔だけはしっかりきっちり酔っ払いになっていた。可哀そうにナミオの酒量ときたら下戸に毛の生えた程度なんだ。
「だって、淳敬はかっこいいし優しいし頭もいいのに」
 イヤミか、それは。ストレートすぎてツッコミもできんわ。俺は無言になって、目の縁を赤く染めたナミオを見た。ナミオの目は奥二重で、酔ったりして赤くなってると妙に可愛らしくも見えて、俺はそこだけちょっと気に入っている。そういう時は俺の話を黙って聞いててほしい。そうすれば変人には見えないんだから。
「それでも長続きしないっていうのはエッチが原因なんじゃない?」
 何を言ってるんだ、こいつは。
「確かめてみよう」
 ナミオは自分に勢いをつけるように「うん」と頷いて、俺の肘をつかんで立ち上がった。つられて立ち上がれば、俺もかなり酔っ払っていることに気づいた。店の床が妙に柔らかい。
「俺んちでいい? 淳敬んとこより近いから」
 店を出て駅に向かって歩き出しながら、ナミオが確認してきたから、なんだかよくわからないまま頷いた。俺のアパートに帰るには終電の時間がすでにあやしい。
「俺の彼女の名前さあ」
 冷たい風に首を竦めナミオを風除けにしながら歩いているうちに、ふいに俺は思い出した。
「奈緒美っつーんだよ。ナミオと同じじゃん。つかそれで仲良くなったんだよな。俺の友だちに変な奴がいるんだよっつって。友だちと恋人の名前が一緒っていうのも微妙だよな」
「その人、もう淳敬の恋人じゃないだろ」
「うわ、このやろ。いちいち余計な訂正してんじゃねえぞ。ナミオってそういうとこむかつくよ」
 俺はナミオの腕にしがみついたまま肩でこづいてやった。


 ナミオの部屋は、いつも妙にだだっ広く感じられる。きれいに整頓されているって言えばいいんだろうけれど、部屋の主がナミオだと思うと「間が抜けた部屋」などと形容してみたくなるから不思議だ。だいたいナミオは引っ越しを趣味にしているフシがある。学生の頃から更新時期が来る度にアパートを変えていた。そのくせ新しい部屋も前の部屋もたいして変わり映えはしないのだ。
「最初はキス?」
 何もない床に向かい合うように俺を坐らせて、ナミオは言った。まだそのネタを引っ張るつもりらしい。
 それより何より俺はもう横になりたかった。無意識のうちに限界ギリギリまで飲んでしまったらしい。ラグの上にペタンと坐らされて上半身が揺れていた。このまま後ろにひっくり返りたい。フェイクファーのラグの毛足が俺を誘惑する。
「キスしてよ」
 ナミオはうなだれた俺の顔を下から覗き込んできた。
「うん?」
「淳敬、俺にキスしてみて」
 前髪の隙間からのぞく奥二重は女の子めいていた。ナミオは猫毛のクセ毛で、しかもいつも伸ばしっ放し。昔、俺が短くしたほうが似合うんじゃないかと言ったら、翌日ナミオは坊主になっていた。貧弱な首筋が強調されてひどく情けない姿になっていて、俺はナミオの極端さにうんざりしたものだった。
「淳敬が下手だったら、俺が教えてあげるよ」
「言ってろ、バカ」
 俺はナミオにしなだれかかるようにして唇を合わせた。寸止めでかわすつもりだったが、酔っていて目測を誤り、確かに触れた感触があった。ごまかすようにナミオの肩を突き飛ばして身体を離す。
「どーだ」
「今の、キス?」
 ナミオは口元を押さえてバカっぽく小首を傾げてみせた。
「決まってんだろ!」
 俺は叫んで、後ろに倒れこみラグの上に大の字になった。ついでにナミオの足を蹴っ飛ばしておく。
「もー、いつまでもめんどくさいこと言ってんなよ。俺、寝る」
 ナミオはのそのそと手を使って這ってきて俺の上から覗き込んできた。
「あんなのキスって言わないよ。てゆーかあれじゃ下手かどうかわかんない」
「うるせー。俺が下手かどうかなんてナミオには関係ないだろ」
「俺には関係ないけどさー」
 もそもそと呟いたナミオはそのまま唇を重ねてきた。しつこい奴だ。面倒だから放っておこうとしたら、勢いづいたのか舌まで入れてきやがる。俺はナミオを押しのけた。
「調子こいてんじゃねえ。しつけーんだよ」
「淳敬、ちゃんとしたキスもしたことないの? それで振られちゃうんだろ」
 ナミオの言い草に俺はむくっと起き上がり、ナミオの肩を引き寄せた。再び口付けようとすると、唇が触れるより先にナミオの口はあっさり開いたのでそのまま舌を差し入れてやった。
 ああ、なんか俺、もしかしてナミオの変人が移ってないか。
 いったんは俺の舌を受け入れたナミオは、いつのまにかまた俺の口に舌を入り込ませていた。
「淳敬」
 ようやく唇を離したナミオは、やけに湿った声で俺の名前を呼んだ。
「淳敬、キスは上手だね」
 …いや、今のはおまえのキスだと思うぞ。
 ナミオは俺の服に手をかけた。そうだ、俺の一張羅。もう皺だらけになっている気がする。ナミオが上着を脱がしてくれたので、俺は緩んでいたネクタイを勢いよく引き抜いた。
「てっ」
 ネクタイの端が顔を打ったらしく、ナミオが声をあげた。
「ごめん」
 俺はナミオの顔に手をかけて謝った。当たったところに痕でもついたかとしげしげと眺めてみる。
「淳敬」
 何を思ったか、ナミオはギュッと俺にしがみついてきた。
 そうだ。変人だと思いながら、俺が何かとナミオに構ってしまう理由がひとつ浮かんだ。ナミオは動物っぽい。アフリカにいるような野生動物じゃなくって愛玩動物、つまりペット。子供の頃に買っていた犬を連想させるんだ。俺が学校から帰るのをいつも待っていた。芸を覚えさせようとするといつも、最初はおとなしく聞いてるような顔をしてるのに、最後までまともに覚えたものはなかった。ナミオはあの犬に似ている。
 俺は諦めまじりの気持ちで、しがみついているナミオの頭を撫でてみた。ナミオの髪は犬よりも柔らかい。
 ナミオは俺のシャツのボタンに手をかけて、勝手にはずし始めた。部屋の中はエアコンが効き始めていたからそう寒くはなかったが、俺の服を脱がすより先に着替えを出してくれるべきではないのか。ナミオの感覚はどうしてこんなにズレているのだろう。
 俺の前をはだけたナミオは、胸に手を当ててきた。一瞬ゾクッとした。
「淳敬、何か運動してる? きれいに筋肉がついてる」
「…たまにクラブに行ってる」
 何もしないでいると二十五過ぎたらどんどん太るばかりだぞと脅かす先輩がいるので、週に一、二度は会社が法人会員になっているスポーツクラブに行くようにしていた。
 それよりもナミオの手の動きが不穏だった。
「うわっ」
 ナミオに圧し掛かられるようにしてラグの上に倒されて、俺は声を上げた。
「何しやがんだよ」
 ナミオは仰向けになった俺の胸から腹にかけて、すーっと手を滑らせた。
「こんなにきれいな身体してるなら、少しくらい下手でも許されると思うけど」
「いいかげんにしろ。しつけーよ。マジしつけー。本気で怒るからな」
 ナミオの肩を押しのけようとつっぱった俺の手を押さえて、ナミオは俺の上に覆いかぶさってきた。
「でも気になる」
 呟いたナミオは俺のズボンを緩めて下着の中にまで手を入れてきた。おい、そこまでしたらシャレになんねーよ。
 とっさのことに言葉もなく身体を強張らせるだけの俺に頓着せず、ナミオは俺の下半身を刺激し始めた。空いている手で俺の額の髪をかき上げ、観察するように顔を寄せてくる。
 近すぎる瞳が気まずくて俺は目を瞑ってしまった。
「ん」
 唇を噛みしめて、煽られる刺激をやり過ごそうとすれば、鼻から荒い息が漏れてくる。いったん手を離したナミオは俺の腰を抱えるようにしてズボンと下着を一緒に引き下ろした。
「淳敬」
 俺の名前をくり返すナミオの声が熱っぽく感じられる。その声に絡めとられそうな錯覚に、逃れようと俺は必死で首を振った。太腿に押しつけられたナミオの下半身も熱を帯びているようだった。
 ナミオは俺の口を吸いながら、再び性器を弄りだした。強弱をつけて揉みしだいていた指は、先端から汁が溢れ出すと、さらに促すように上下に滑った。
「ナミオ、も…いいかげんにし…」
 ナミオのやり方というのは、玩具に夢中の幼児のごとき熱心さだった。自分でも同じものを持っているだろうに、他人のなんかそんな熱心に触ってんじゃねえよ。
「うわ」
 その瞬間、声を上げたのはナミオのほうだった。俺は喉を擦るかすれた音を立てて息を飲んだ。俺の性器を弄って濡れていたらしいナミオの指が、勢い余ったのか後ろの穴に潜り込んだのだ。
「バ、バカタレ」
 俺は一拍遅れて、どうにか罵りの言葉を発した。
「ごめ…」
 謝るくせにナミオは指を抜かなかった。それどころかさらに奥に進んでこようとする。
「ち、ちょっと! やめろよ、バカ」
「ごめん、淳敬、ごめん」
 ナミオの台詞と行動がまったく一致していない。じわじわと侵食されて、俺はどうしていいかわからなくなった。
「や…めろって言、言…ってんだよ。う……。な…んでやめないんだ、よ」
「ごめん」
 謝りながらナミオは俺の中の指を動かし始めた。
「や、やめ……」
 あまりのことに俺は背を仰け反らせて叫んだ──いや、叫ぼうとしてもまともな声は出なかった。
「あ……、あ」
 ナミオは片方の手で俺の前をつかみ、中に入れた指と連動させるように刺激してきた。
「やだって!」
 無理に声をふりしぼったら、やたら甲高い声が俺の喉を飛び出した。ナミオは手を放さないまま、俺の胸の下あたりに唇を押し当て、上に這わせた。乳首に触れて舌を出して舐め上げる。その行動は犬じゃなく猫に近い。俺が無意味な連想をしているうちに、ナミオは中の指を二本に、さらに三本に増やしていった。
「あ……あ……」
 いっそ怒鳴りつけてやりたいのに、口を開けば漏れるのは喘ぎ声ばかり。俺は陸上げされた魚さながら、閉じられない顎をがくがくと動かしていた。
「淳敬、ごめん」
 生まれてこのかた、こんなに実の伴わない謝罪を聞かされたことはない。いつのまにか溢れた涙でいっぱいの目で睨みつけると、ナミオはようやく指を引き抜いた。前を弄んでいた手も放して、自分のズボンの前を開くと、ナミオは両手で俺の膝の裏側を持ち上げた。
「俺、淳敬が好きだよ」
 泣き出す寸前のようなヘンな顔つきでナミオは俺を見つめた。
「ナミオ」
 そこに押し当てられた熱の意味を考えて怯える隙もなかった。
「あ、あ、あ」
 強引に侵入してくる熱に俺の喉からは阿呆のような細い声が切れ切れに漏れた。
「好きだ」
 やめろ。ナミオ、やめろよ。ナミオ、ナミオ。
 制止の言葉をくり返しているのは俺の頭の中だけで、実際には荒い息が静かな部屋を満たしていた。
「アアッ」
 最後に打ちつけられた腰に、シャックリのような無様な声をあげた俺を、ナミオはうっとりと見つめた。
「淳敬、すごい」
 言いながら、繋がっている部分を確認するように縁に沿って指を回す。
「全部入ってる」
 入ってるんじゃねえ。てめえが入れたんだ、バカ野郎。
 俺は苦しくてナミオを罵ることさえできない。そのまま揺すられて「ひっ」と細い悲鳴を上げた。あろうことかナミオは腰を使い始めた。
「ば……ナミ……あっ、あっ、や……」
 バカ、ナミオ。やめろってば。てめえの頭ときたら、発情期に俺の脚に腰を擦りつけてた犬と同じなんだろ。しかしこっちの負担はあんなのの比じゃねえんだぞ。身体ん中に熱した棒を突っ込まれて、かき回されているようなもんだ。本気でやめてくれと懇願したかった。溶けてしまう。
「ん、ん……」
 いつの間にか俺とナミオの息使いがシンクロして増幅している。なんで俺とナミオがこんなこと。俺はどうしようもなくなってナミオの背中にしがみついた。
「淳敬」
 甘えるように語尾を伸ばしてナミオが俺の名を呼ぶ。
「いい? ねえ、いい?」
 繋がったまま片腕で肩の下から抱え込まれて、骨張った指に前を触られる。ああ、もう本当に何がどうなっているのか、俺にはまったくわからない。
 ナミオの動きが単調になってきて、俺の頭の中には靄がかかってきて、だんだん視界が薄れてきて、そして──……。


 目を覚ました俺は、間近にナミオの寝顔を認めて、その顔の真ん中をバチンと平手で叩いた。
「てっ」
 小さくうめいたナミオの目蓋がぼんやり上がりかけたところで、蹴り飛ばす。
「てめえ、俺に何をしやがった」
「何ってナニ……」
 寝惚けた声でアホなことを言いかけたナミオを慌てて遮る。
「答えなくていい!」
「淳敬」
 何か勘違いしているのか、ナミオはガバッと抱きついてきた。眠っている間に穿かせられたらしいスウェットパンツの上から、ナミオの手が尻を撫で回しやがったので、俺はナミオの背中を拳骨で手加減なしに殴りつけた。
「うっ」とうめいて、それでもナミオは俺から離れなかった。
「これで終わりでもいいんだ。だから、これで終わりなら、もうちょっとだけ抱かせて」
 くぐもった声が耳の後ろで聞こえた。
「何言ってやがんだよっ」
 俺はナミオとの間に手を入れて突っ張り、強引に身体を引き離した。そのままサッと立ち上がろうとしてベッドの上にいたことに気づく。勢いのまま飛び降りた。
「淳敬」
 ベッドの脇から見返せば、半身を起こしたナミオが情けない顔で見上げていた。こいつが俺をベッドに寝かせたのか。
「アホウ」
 俺は振り上げた足でナミオの肩を軽く蹴って洗面所に向かった。白い洗面台が目に入ったとたん、反射的に吐いていた。蛇口をひねって水音でごまかしながらゲーゲーやっていると、ナミオがやってきて背中をさすり始めた。
「てめえのせいだ」
 合間に言ってやったら、ナミオは「うん」とやたら神妙な声で頷いた。バカタレ。そういう態度じゃ変人の資格がなくなるだろ。てめえはナミオなんだから、ヘラッと笑って「ごめーん」とでも言っときゃいいんだよ。そうしたら俺は遠慮なく罵ってやる。
 ひとしきり吐いた後で、俺はそのまま顔を洗った。後ろに突っ立ったままのナミオに「タオル」と命じる。差し出されたタオルをひったくって、顔を拭きながら部屋に戻れば、ナミオはのそのそと後をついてきた。
 部屋の中央に敷いてあったはずのラグは丸めて隅に押しやられていた。それがどんな状態になっているのか、想像するのもうんざりだ。俺たちが眠っていたのは窓際に置かれた狭いシングルベッド。俺はそのベッドを背に、何も敷いていない床に坐り込んだ。動き回るには腰がもう限界にきていた。
 ナミオはそんな俺の前に正座してうなだれた。
「昨日の淳敬、めちゃめちゃ可愛かった」
 ボソッと呟かれて俺は「バカヤロー」と返した。
「俺は淳敬が好きだよ。ずっと好きだった」
 ナミオはまるで今までいつも口にしていたことのように、いとも簡単に俺に告白しやがった。俺にしてみれば晴天の霹靂だ。
「チャンスだと思ったら自制できなかった。本当はあんなことするつもりじゃなかったのに」
 不意打ちを食らった俺には、ナミオにかける言葉が見つからない。
「本当は淳敬に誘ってもらえるだけでいいと思ってた。俺、ずっと淳敬は優しいって感じてたよ。俺が淳敬のこと好きだから、淳敬は俺を誘ってくれるんだろ」
「…ナミオが何言ってんのか、俺にはさっぱり理解できねーよ」
 俺がナミオを誘うのに理由なんかあるか。
「だって、淳敬ってそうじゃん」
 ナミオは俺の疑問を無視して自分だけで頷いている。
「だから何が?」
「淳敬は、淳敬のこと好きそうな女の子には、いつも優しかった。絶対誘ってあげてたじゃん」
「……」
 俺は無言で頭を抱えた。そんなふうに節操なしみたいに言われるのは心外だが、確かに俺は俺に気がありそうな素振りの子には、つい声をかけてしまう。魚心あれば水心って、自分でも多少セコイと思っていたが、それをナミオにまで見抜かれていたとは情けない。
「卒業した後も淳敬からの連絡が来るの、俺はすごく嬉しかったよ。もう俺からは淳敬に連絡しないって決めてたから」
「なんで?」
 言われるまで気づかずにいたけれど、思い返してみれば俺がナミオから誘われたことは一度もない。ナミオが下を向いたままきゅっと口を結ぶのが見えた。
「俺は淳敬が好きだから。学生のころ淳敬を好きだって自覚した時に、俺からは絶対に誘わないって決めたんだ」
 ガキみたいなこと言ってんじゃねえよ。俺はむかついて、そして少しだけ悲しい気持ちになった。そういえば昔、仲間内で出かけたスキーにナミオが参加しなかったことがあった。
──淳敬、ナミオとケンカした? ナミオに声かけたら、淳敬が参加するかどうか気にしてたぞ
 仲間の一人にそう訊かれ、ケンカの心当たりなどなかった俺は、ナミオが俺を敬遠しやがったと思って、しばらく腹を立てていた。あの時、俺がナミオを誘わなかったから、ナミオは来なかったっていうのか。
「院生の時、初めて女の子を部屋に泊めた日に、コンビニに行ってさ、レジのとこでおじいさんを見たんだ」
 ナミオはうつむいたままで言葉を紡ぐ。ナミオの声は外見同様頼りない。いつだったか、同級生だった女から「優しい声してるよね」なんて適当なこと言われて、ヘラッと笑いやがったナミオの顔。まさしくバカの見本だと俺は思ったものだ。
「それがかなり年取ったおじいさんで、手が震えて財布からお金を出すのに苦労してた。俺、後ろに並んでそれを見ていたらさ、なんかひどい考え方かもしれないけど、この人あとどのくらい生きるんだろうって考えが浮かんだ。そんで、俺はあとどのくらい生きてるのかなって。そしたら淳敬に会いたくてたまらなくなった。いきなりどうしようもないくらい切羽つまった気持ちになって、その場で彼女とサヨナラした。俺は淳敬の連絡を待っていたかったんだ。淳敬が俺を忘れても、俺は淳敬を待ってるって、それが俺のしたいことなんだってわかった」
 そう言ってナミオは顔を上げた。
「俺、一生この部屋に住むよ」
 ああ、またナミオのやつ、訳のわかんないこと言い出し始めた。俺は顔をしかめてナミオを見ていた。
「俺の気持ち全部バラしちゃったから、淳敬はもう俺に連絡くれる気なくなっただろ。でも俺はずっとここにいるから、何年経ってもいい、いつか淳敬の気が向いたらまた会ってほしいんだ。約束はいらない。俺がここにいること、淳敬が忘れてもいい。俺は淳敬が思い出してくれるの待ってる」
 静かな声でナミオは俺にそう告げた。うつむいていたせいで頬にかかった猫っ毛が張り付いてしまっているのに、それも払わずに俺を見ていやがる。そんな顔を向けられているこっちのほうがうっとうしく感じるだろ。俺は自分の頬を無意識に撫でた。
「おまえはアホか。『何年経っても』とか『いつか』とか勝手に決めてんじゃねえよ」
 俺はナミオを睨みつけた。
「俺が返事する前に先に結論出してんなよ、ずうずうしい野郎だな」
 ナミオは変人だから。俺に向けられるナミオの視線には、言葉には、態度には、何の意味もないと思っていたかった。俺がナミオを誘うのに理由なんていらないと信じていた。俺がナミオに何をしても、ナミオが俺に何をしても、それはナミオが変人だからで、とりたてて動機や言い訳なんか探す必要なかった。
 それをナミオはいきなり全部ひっくり返して、突き放そうとする。
 俺は手を伸ばして、ナミオの頬にかかっていた髪を払いのけた。
「うっとうしいだろ」
 この先俺はもう気軽にナミオを誘えない。何も知らないふりをしていられなくなった。
 俺は、ナミオとの間にあるものを、はっきりさせたくなかった。それがあるかどうかさえ、曖昧にしておきたかった。男同士の俺たちの関係は、言葉にしなければ知らないふりをしたまま続けていけるはずだった。俺の気持ちやナミオの気持ちをはっきりさせる必要などなかった。はっきりさせたところで、俺もナミオも男だから、どうにもならないものだと思っていた。
 大体どうして俺がナミオに押し倒されなければならないのか。要するにナミオは、発情した犬並みに無神経なのだ。自分の欲望が最優先で、俺の気持ちなんかまるで考えていない。
 俺は本気でナミオが憎たらしかった。殴りつけてボコボコにしてやりたい。顔を見ていたらマジで実行してしまうかもしれないので、俺はナミオから目をそらした。
「とにかく俺は今、二日酔いだしケツが痛くってとても帰れる状態じゃない。今は何も考えられない」
 言いながら、俺はナミオのベッドに這い上がって毛布を引き被った。このまま眠ってしまえ。俺は結論を出さなければならない。それもこれもナミオのせいだ、バカヤロウ。変人は変人らしくしているべきなのに。ナミオのくせに。
 目を閉じて心の中で悪態をついていると、ナミオの手が伸びてきて、俺の頭をそっと撫でた。


END

20031224




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