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ロマンス -2-



 日曜日、俺は恵理と潤平に連れ出され、釣りに付き合う羽目になった。日が高くなってくると、まともな日陰のない小さな釣堀は、耐えられないくらい暑くなって、俺は早々にリタイアを決め込んだ。
「意気地ないなあ、友部」
 潤平がやってきて、日傘の下の椅子に坐ってお茶を飲んでいる俺を見下ろした。持ってきたペットボトルのお茶はすっかりぬるくなってしまい、ただ惰性で口に運んでいるだけだ。
「おまえは少しくらい日に焼けたほうがいいのに」
「いいんだよ。どうせ俺には似合わないから」
 俺はブスくれて返した。日焼けしてかっこいいのは、潤平や岩井のようなハンサムだけだ。
「そういえば、潤平は岩井のこと知ってるんだよな?」
「うん? ああ、恵理に聞いたことあるから。少しだけな。もちろん会ったことはないけど」
「ちょっと見ないくらいのオトコマエだよ」
 俺は言ってみた。恵理は岩井の話題を出すとなんとなく不機嫌な様子を見せるから、俺には岩井の話をする相手がいなかった。小学生のころの話でも、振られた想い出は嫌なものなのだろう。
「見た目が日焼けしてて茶髪だから「いかにも」って感じなんだけど、あれ、実は発掘調査のせいなんだって。考古学やってんだよ。和製インディ・ジョーンズなんて言っててさ。うん、真面目でいい奴だよ」
 ふと気づくと、日傘の陰で潤平が微妙な表情を作っていて、俺は「なんだよ?」と訊いた。
「なんだよって何が?」
 潤平は、はぐらかすように訊き返した。俺は少し困って「なんか、ヘンな顔してんじゃん」と言った。
「いや…」
 潤平はチラリと一人で釣りを続けている恵理のほうを見た。潤平らしくない曖昧な態度だった。
「友部さあ、その…岩井のことが好きなのか?」
「えっ」
 いきなりの指摘に俺は絶句した。俺が岩井を好き? 好きってそれはどういう意味なんだ?
「…それ、ホモってこと?」
「うん、まあ……いや、よくわかんないけど」
 潤平から見て、俺はそんな態度を示しているのだろうか。
 確かに俺は小学生の岩井に一目惚れした。でも今の岩井には女の子っぽさの欠片もない。それどころか俺なんかよりよっぽど男らしくなってしまった。そんな相手に恋愛感情など持てるだろうか。
「俺、そんなこと考えたこともなかったよ」
 それが否定でも肯定でもないことを俺は自分でわかっていたが、潤平はそれ以上追及せずに「そっか」と頷いてくれた。


 週明け、廊下で岩井と三年生の女子生徒たちが談笑しているところに行き合った。
 美術室に向かおうと職員室から出たら、実習生たちに割り当てられた部屋の前ではしゃぐ彼らの声が廊下中に響いていたのだ。
 俺は反射的に回れ右して職員室に戻っていた。自分の机まで行って、忘れ物をしたような振りで、引き出しの中をかき回した。
 面白くない。
 あの場にいた女子生徒のうちの一人は俺の家に電話をかけてきたことがあるんだぞ。俺が何の用だと問い質しても受話器の向こうでクスクスと笑い続けるだけで、非常に不快な気分にさせられたんだ。
 ムカムカしながら、机に積まれた書類を意味もなく持ち上げ、下ろす。
 そんな奴の相手をしている岩井も岩井だ。廊下で女子生徒と騒いでいるなんて査定評価を不利にするってわからないのか。
「何をお探しですか?」
 隣の席の先生から見かねたように声をかけられて、はっとした。「あ、いえ」と首を振り、俺は椅子を引いて腰を下ろした。
 胃が痛くなるほど苛立っている自分は異常だと、我に返った。
 子どもの頃の岩井とはちがう。どこから見ても普通の男を相手にどうしてこんな気持ちになるんだ。
 いくら考えても答えはでない。
 無意識に噛んでいた指が痛かった。
 俺は答えを探しているんじゃないんだ。答えを出したくなくて逃げている。
 俺が岩井を気にする理由。ありえないって笑いたい。


「昨夜、悲しい夢を見たんです」
 岩井が言った。昼休みの美術室。弁当を持ってやって来る岩井を待って、一緒に食べるのが日課になっていた。俺はそれを楽しみにしている自分を自覚していた。
「うん?」
「夢の中で、友部さんの作品は抽象画で」
 俺が実際に描いているのは具象だ。
「友部さんはそれを俺につきつけて解釈しろって言うんですよ。その絵の意味をちゃんと間違えずに捉えられたら……」
 岩井は日焼けした顔をサッと赤く染めて、一瞬言葉を途切らせた。訝しく見つめる俺の視線を避けるように上げた左手の甲で自分の頬をこすった。
「いえ、あの……できなかったり間違えたら、それでサヨナラだって冷たい顔で宣言されたんです。それで俺は必死で考えるんだけど、全然わからなくて。あせる俺の脇で友部さんが「わかるはずだよな?」って何度も言うから、余計にあせって」
 言葉を切った岩井は自販機で買ってきたパックの牛乳を飲み、「すごく嫌な夢だった」と呟いた。
 もしかして俺は岩井に嫌われているんじゃないのか。
 岩井の夢の話は、俺にそんな不安を与えた。
 岩井は、俺の岩井への気持ちを無意識に感じ取っていて、だからそんな夢を見たんじゃないのか。
 岩井には理解できない抽象画は、まさに俺の岩井への気持ちを象徴しているように思えた。俺は自分でその想いの質をわからないくせに、岩井に解いてもらいたいなどと虫のいい考えを抱いていたのかもしれない。
 考え込んだ俺に気づくことなく、岩井は笑いかけてきた。
「今日、友部さんの顔を見るまで不安だった。夢だけど、夢じゃないような気がしていたから」
 夢じゃないんだ。俺の想いが、岩井、おまえに伝わったんだろう? 俺にもわからない想い。そしておまえもそれをわかりたくないんだ。
「夢でよかった」
 岩井が見せた安堵の笑みは、残酷に俺の胸を刺した。


 夜、いつものように潤平がやって来たが、恵理は家にいなかった。
「恵理はまだだよ」
「知ってる。なんかバイトで呼び出しかかったらしい。すぐ帰ってくるよ」
 潤平は俺の言葉に平然と答えて、勝手知ったる様子で居間に上がってきた。
「潤平ってほんとココんちの子みたいだな」
 からかう俺に「まーな」と頷く。
 テレビを点けようとしてリモコンを手に取った潤平は、ふいに「どうした?」と訊いてきた。
「どうしたって、何が?」
 のほほんとしているように見えるけれど、潤平は結構鋭い。余計な軽口を叩いてみせたのが、かえってわざとらしかったんだろうか。潤平は俺の顔を覗き込んできた。
「ん、なんか、落ち込んでる?」
 そんなふうに指摘されてしまうと、本当に自分が落ち込んでいるような気分になった。
 俺はソファに腰掛けて、潤平を見た。
「潤平、俺、やばいみたい」
 言ってしまって、それを理由にもしも恵理が潤平に振られることになったらどうしようとか考える余裕もなかった。
「俺、なんか男のこと好きになっちゃったみたい」
 俺は卑怯な奴だ。自分の想いさえ自分で抱えていることができない。潤平に話して楽になるつもりなんだ。
 潤平の手からリモコンを取って、俺はテレビを点けた。
「岩井だよ。あいつのこと、俺、多分好きなんだ」
 観たい番組などあるはずもなく、意味もなくチャンネルを変えていく。
 自分で答えを出せない問題を、そのまま潤平に押しつけて、俺はどうしたいというのだろう。
「気持ち悪いよな。洒落になんねーよ。俺、まともに就職もできなくて、ホモで、本当、どうすんの? 恵理にだっておまえにだって悪いよ。なんかもー、生きててごめんなさいって気分だ」
 視線をテレビの画面に向けたまま、俺は早口で呟いた。潤平はため息をついた。
「そんなふうに言うなよ」
 俺は潤平の表情を確認する勇気もなく、そのまま俯いた。言葉にしたことで、はっきりと気づかされた自分の欲望。俺は指先を見つめて口を開いた。
「最悪なのはさ、それでもあいつが欲しいってことなんだよ。どうにかだまくらかしてあいつをホモにできねーかな、なんて考えてんだよ、俺は。最低。マジで最低」
 潤平の気配が俺の隣に移動してきて、肩に腕を回された。
「おまえは最低なんかじゃないよ」
 誰かに保証してほしかった。潤平、おまえならそう言ってくれるって心のどこかで期待していた。
 俺は弱虫で、尋常じゃない気持ちに気づいてしまったら、「大丈夫だよ」と言ってもらう必要があった。どこまでも甘えた考え。
 なんで男なんか好きになってしまったんだろう。自分自身さえ持て余しているのに、それでも岩井が欲しいなんて。俺はなんて欲張りなんだ。
 潤平が励ますように俺の肩に回した手にギュッと力をこめた。
 潤平は俺の伸ばした手を間違えずにつかんでくれた。俺がどんなに最低な奴でも、おまえは友だちでいてくれる。潤平が恵理の恋人で、本当によかった。


「何してるの?」
 ふいに鋭い声がかかった。とっさにそれが妹の声だと認識できないような鋭さだった。恵理が帰ってきたことに、俺も潤平も気づいていなかった。
 居間の入り口に立つ恵理は刺すような目で俺たちを見ていた。
「恵理」
 潤平が立ち上がった。
「何してんのよ、気持ち悪い。男同士で抱き合って、何してんの?!」
 近づく潤平からわずかに後退りして恵理は叫んだ。
 俺は突然のことに呆然としていた。恵理がそんなふうに大声をあげて取り乱している原因がわからなかった。
 俺と潤平が抱き合ってるなんて、どこからそんな発想が出てきたのだろう。
「恵理、勘違いするな」
 潤平に腕をつかまれた恵理は、振り払おうとして暴れた。
「嫌い! 潤なんか大嫌い。お兄ちゃんひどいよ」
 ヒステリックな、悲鳴に似た叫び。まるで子どもに戻ったような恵理の態度。振り回した両手が潤平の腕や胸にぶつかった。
「恵理!」
 パンと潤平が恵理の頬を叩いた。恵理の目が丸く見開かれる。潤平はゆっくりと恵理を抱きしめた。
「落ち着け。俺は恵理が好きだよ。友部は関係ない。わかってんだろ?」
 恵理の背中を撫でながら、その耳元に潤平が囁いた。恵理はわあっと声を上げて泣き出した。
 俺はただの傍観者だった。
 泣きじゃくる恵理を抱えたまま、潤平は俺を見た。
「友部」
 潤平の言葉に頷いて、俺はそっと居間を出て二階の自室に上がった。
 一人になると、妹の力になれない自分の無力さを情けなく感じた。恵理には潤平がいる。俺には唐突にしか思えなかった恵理の行動を、潤平はちゃんと理解してやっている。敗北感と淋しさ。恵理と俺の繋がりも潤平と俺の繋がりも、恵理と潤平の繋がりほど強くはないのかもしれない。質のちがうものをわざわざ較べるのは無意味だった。
 岩井。今ならはっきりわかる。俺がおまえに感じているのは友情じゃない。俺は潤平をすごい奴だと思うし男として憧れている。そして潤平に憧れる気持ちと岩井に憧れる気持ちとには厳然とした違いがあった。


 しばらくして、部屋のドアがノックされた。
「お兄ちゃん」
 開いたドアの向こうには恵理が一人で立っていた。俺は恵理を部屋に入れた。
「あのね、私、お兄ちゃんに言わなきゃいけないことがあるの」
 ベッドに腰掛けた恵理は、俯いてカバーを撫でていた。睫毛は濡れて泣いた跡がしっかり残っていたが、今は落ち着いた様子だった。潤平が恵理を宥めたのだろう。
「私、小学校の時、岩井くんに振られたでしょ。他に好きな人がいるって。……それってお兄ちゃんだったんだよ」
 俺は息を飲んで恵理を見つめた。
 岩井が俺を好きだった? それはあの時のことなのだろうか。俺が岩井に惹かれたように、岩井も俺を好きになってくれたのか。
 岩井に振られたと言って落ち込んでいた恵理。その相手が俺だったというのか。
「潤に、ちゃんとお兄ちゃんと話しなって言われたの。じゃないと、私がずっと引きずることになるからって。私もそう思う。潤が好きなのに、岩井くんのこと、ずっと気にしてる」
 俺が考えていた以上に恵理は岩井のことを気にしていた。俺は自分の想いだけにとらわれていて、そんな妹の気持ちに少しも気づいてやれなかった。
「本当は岩井くんと私、高校も同じだったの」
 恵理は、高校で同じクラスになった岩井とまた仲良くなったのだと話した。ちょうど大学に進学して家を出ていた俺はそんなことすら知らなかった。
「一年の夏休みにね、また岩井くんに言われたの。どうしても諦められない、お兄ちゃんに会いたいって。すっごい残酷。私、まだ岩井くんのこと好きだった。それ言われたの、告白するつもりで誘った日だったんだよ。だから、家に帰ってから電話したの。お兄ちゃんはホモじゃないし、そんなの気持ち悪いから二度と会いたくないって言ってるって」
「ごめん、お兄ちゃん、ごめん」呟いた恵理の目に涙が滲んできた。
「私、ずっとお兄ちゃんにコンプレックス持ってた。潤にも、ホモなんでしょうって言ったことあるんだ。お兄ちゃんのことが好きなんでしょって」
 恵理の泣き顔は俺に子どもの頃のことを思い出させた。泣き虫で意地っ張りで、いじらしい妹。
 俺は恵理を抱きしめた。
「恵理、ごめんな。俺、いっつも自分のことしか考えてなくて。おまえの気持ち、少しも考えてやれなかった。本当に情けない兄貴で、ごめん」
 俺は自分のことだけで手一杯で、恵理の気持ちなど考えたことがなかった。岩井の気持ちすら考えず、ただ俺自身の想いを持て余すだけだった。
 その陰で恵理がどんなに傷ついていたか。
「恵理、俺……」
 なぐさめる言葉も謝る言葉も浮かばない俺に、恵理は顔を上げて笑った。
「情けなくってもいいよ。私、お兄ちゃんが好きだよ。だから、ごめん。イジワルしててごめん」
 俺は黙って恵理の頭を撫でた。おまえが謝るようなこと、何一つない。
「私ねえ、潤のこと、すごい好きだよ」
 恵理は首を傾げて、照れ臭そうに言った。
「潤がいたから、お兄ちゃんに謝れたんだ。お兄ちゃんと潤が友だちで本当よかったと思ってる」
「バカ。俺にのろけるより本人に言ってこいよ」
 恵理は「うん」と頷いて部屋を出て行った。
 情けない兄貴の代わりに立派な恋人がいるってわけだ。俺は少しだけ淋しい気持ちを味わったが、潤平に感謝しなくてはいけないのは、恵理よりも俺の気がした。


「お兄ちゃん」
 再び恵理に呼ばれて、俺はドアを開けた。恵理は俺に電話の子機を押しつけた。
「岩井くん」
「えっ?」
 思わず裏返った声が出た。
「私、岩井くんにも謝ろうと思って電話かけたの。そしたらお兄ちゃんとも話したいんだって。電話に出て」
 恵理はそう言って俺に子機を押し付けて行ってしまった。
 俺は保留になっていたボタンを押した。
「もしもし?」
 緊張で声が震えた。何も考える余裕がない。
――友部さん?
 岩井の声も囁くようだった。
「うん」
――俺……
「うん」
 岩井はなかなかしゃべらなかった。俺は息苦しさの中でじっと待った。耳の中に心臓の音が響いている。この音は岩井まで聴こえてしまうだろうか。
 やがて岩井は大きく息をついた。
――あの、今から会えませんか? 俺、友部さんに会いたい。会いたいんです。家に来てもらえませんか?
「わかった」
 俺は頷いて、岩井の家に向かった。
 きちんと岩井の顔を見て伝えるべきことが俺にもあった。


「夢の話」
 岩井は言った。
 俺が岩井の家に着いた時、家には岩井が一人でいた。転勤の多い岩井の親は今は四国にいて、岩井も大学の寮に入っているから、この家はしばらく空いていたらしい。教育実習の期間だけ岩井が一人で戻っているということだった。
 家に上がって、出されたコーヒーを一口飲み、俺はゴホンと咳払いした。
「岩井」
 整った顔を正面から見る。
「俺は、岩井のことが好きだよ」
 決心が鈍る前に、勢いのまま口にした。今さら冗談のふりで誤魔化すこともできないほど真剣な目で俺は岩井を見つめていた。
 昔、好きだったからといって、今も岩井が俺を好きでいてくれるなんて、都合のいい期待はしていない。俺は自分を変えたかった。好きな奴に告白さえできないような、そんな意気地のなさに決別したかった。曖昧なままに過ごした時間が、恵理を傷つけたのだと思う。自分の気持ちがわからないなんて、そんなのはごまかしだった。わからないんじゃない。わかりたくなかったんだ。
 俺は、こんなにこの男が好きなのに。一度見つめてしまえば、目をそらすことが困難なほど、俺は岩井を好きなのだ。
 岩井は困った顔になって俯いた。腿の上で組んだ指先に視線を置き、そうして口を開いた岩井は「夢の話」と言ったのだ。
「俺、あの時、正確には話してないんです。本当は、あの絵をちゃんと解釈できたら、友部さんのこと好きにしていいって、夢の中で友部さんはそんなふうに言ったんです」
 その意味が最初わからなかった俺を岩井はうかがうように見た。
「軽蔑しますか?」
 言われて、そこで気がついた。好きにするって、つまり……。
「軽蔑なんかしないよ」
 俺は首を振った。
「俺だって、岩井のこと好きにしたいって思ってる。おまえと――セックスしたいって思ってんだ」
 言って、俺は岩井の手をつかんだ。岩井の指は素直にほどけたので、その腕を引いて立ち上がらせた。長身を屈ませ、近づいた唇に唇を合わせる。間のテーブルに足が当たって、コーヒーカップがカチャンと音を立てた。
 岩井への気持ちは友情じゃない。性愛を伴う恋愛感情なんだ。


「本当にいいんですか?」
 二人で岩井の部屋に入った後も、岩井は何度も確認してきた。
「いいんですかって、岩井こそいいのかよ?」
 俺の言葉に岩井は少し困った顔になる。
「あの、友部さん、その、男同士でどうやるか、わかってます?」
「……」
 あらためて訊かれて、俺は岩井を見上げた。目が合ったとたん岩井は真っ赤な顔になって早口に訂正した。
「すみません。どうやるかじゃなくって、その、俺、俺が…友部さんのこと、抱きたい、抱きたいんです」
「あ」
 俺は間抜けな声を出してしまった。そうなのか。男同士でも役割ってあるのか。
「岩井、男としたことあるんだ」
 俺の言葉に岩井は情けない表情になった。
「あるっていうか、ないっていうか」
 曖昧な台詞に俺は首を傾げた。
 真っ赤な顔で視線をそらしていた岩井は、やがて覚悟を決めたように口を開いた。
「正直に言います。高校の時にネットでそういう相手を探したことがあるんです。俺、ずっと友部さんのこと好きで、どうしていいかわかんなくて。それでそういうサイトに行ったんです。そこで知り合った人と会って、でもいざとなったら、その、できなくて……」
 できないってつまり岩井は勃たなかったということらしい。俺は思わず苦笑を洩らした。
「岩井、本当はホモじゃないんじゃないの。できないんなら無理したって仕方ないだろ。俺は正直に言って自分がホモかどうかよくわからない。それでも岩井が好きだよ。そういうことしなくたって、岩井が俺を好きでいてくれたら嬉しい」
 同性相手に欲情しないのなら、無理にそういう行為に及ぶ必要などない。俺が岩井を好きで、岩井が俺を好きだというんだから、それだけでも十分な気がした。
「ちがう」
 岩井は俺を引き寄せ、腰を押し付けてきた。硬い感触があった。
「俺、ごめん、友部さんに……こういう気持ちになる」
 ドキンと心臓が鳴った。心臓を鷲づかみにした感情が、ゆっくりと全身に回っていく。それは、愛しさだという気がした。
 俺は岩井の頭を抱え込み、その唇を吸った。角度を変えながら、何度も吸い上げる。岩井の鼻から抜けた息が俺の頬をくすぐる。
「俺は、おまえが好きだよ」
 俺はそう言って服を脱ぎ捨てた。抱き合うようにしてベッドに倒れ込む。


 お互いの身体をまさぐり、同じように愛撫し合っていたはずなのに、いつのまにか俺は岩井の長い腕の中に抱き込まれていた。
「俺はずっとこんなこと考えてたんです」
 岩井の熱っぽい囁きが耳に吹き込まれる。
「恵理ちゃんに、気持ち悪いって言われた時ショックだったのは、自分が本当にこういうこと考えてたからですよ。見透かされてるってショックだった」
 岩井は、俺の下半身を包み込んだ手で容赦なく刺激してきた。
「あ……あ、あ、岩井」
「俺はずっと友部さんにこうしたかった」
 顎の線をなぞるようにした岩井の唇が俺の口にたどり着く。舌が俺の唇の線を舐め、挿し入れられた。
「ふ……」
 舌を絡めながら、岩井の手が下半身の奥を探り出し、俺は反射的にもがいた。完全に受け身を取らされるのは抵抗があった。俺も男だし、まして岩井は年下なのだ。
「ダメです」
 岩井が俺を押さえ付ける。
「今さら逃がさない。俺、そんな余裕ないですから」
 こめかみ脇の髪を口に含んで、さらに地肌を唇で擦る。俺から思考を奪うように岩井が触れてくる。
「岩……あ…」
 丹念に解すようにしながら埋め込まれてくる指。
 どうしていいかわからず、俺は短い息を吐きながら、岩井にしがみついていた。
「は……岩井ッ……」
 身体の中を探っていた岩井の指にある一点を押されて、俺は跳ねた。
「友部さん」
「んッ! あ、あ」
 そこばかりを刺激されて、わけのわからない熱が鳩尾のあたりに溜まっていく。
「岩井、岩井」
 身悶える俺を押さえつけて、岩井が額の髪をかきあげた。
「顔、見せてください」
「やめ…、岩……」
 俺の泣き声などものともせず、岩井はうっとりと言葉を紡ぐ。
「俺、ずっとあなたにこういうことしたかった」
 岩井の声が俺を追い上げる。すべてを確かめるように俺の肌を這っていく岩井の手。高められるだけ高められて、俺は息も絶え絶えだった。
「俺、も…ダメだよ」
 ようやく岩井は指を抜き取り、俺の腰を抱え上げた。覚悟を決める隙さえ与えず、身体を進めてきた。
「あああ」
 堪え切れない声が喉をついて溢れる。内側に侵入してくる熱の塊。
「友部さん」
 岩井は「ごめん」と声にならない言葉を落として、腰を使い出した。
「や、岩井ぃ……」
 喉から漏れる細い音が、自分のものとは思えない。
「ふ……、あ、あ、あ」
 岩井の刻む律動に合わせて、俺はいつしか湿った息を吐いていた。岩井は身体を繋げたまま、俺の前に手を伸ばした。
「ダメ、ダメだ」
 あせって押さえる俺の手など気にも止めず、そのまま動かしてくる。
「あっ」
 刺激に仰け反れば、そのまま岩井をくわえ込んでいる後ろに伝わった。信じられないような快感に思考が真っ白になっていく。
「あ……あ……」
「俺、このまま死んでもいいかもしれない」
 岩井の目から零れた涙が、俺の胸元に落ちた。つうっと肌を滑った雫が最終的な起爆となって、俺は精を吐き出した。


 俺はベッドに半身を起こして、眠る岩井を見下ろしていた。
 満足げな表情で規則正しい寝息を立てている。
 こっちはちょっと眠れそうにない感じなんだけど。感覚をなくした下半身に少し不安になる。
 ぱさついた茶髪の下の、真直ぐに通った鼻筋を指先で辿った。瞼が少しぴくついて、でも目は覚まさない。
 こいつは俺のものだという気がした。
 ずっと俺のものだったのに、気づいてやれなかった。こんなに愛しい存在を、今まで気づかずにいた。愛しいと思う自分の気持ちにさえ蓋をしていた。
 俺はこれから岩井と陳腐なロマンスを紡いでいくだろう。他の多くの恋人たちと同じ。少しも特別ではないストーリー。それは、相手役が岩井だということに意味があるのだ。



END





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