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季節の中で−2−



 高井さんは恋人としばらく会わないと決めたらしかった。それはぼくの望みとは逆のことを考えているから。本気で彼女と付き合っていくつもりだから。
 恋人との時間の替わりに、高井さんはぼくを誘うようになった。それは甘くて痛い時間だった。高井さんにとって彼女の代わりは誰でもよくて、たまたまぼくがそこにいるだけに過ぎない。
「明日、ヒマ?」
 顔を合わせた時についでのように訊かれることはあっても、誘いのための電話一つかかってくることはなかった。ぼくの携帯の着信履歴に高井さんの名が表示されることはない。
 なんて女々しいんだろう。くだらないことばかり気にしている自分が情けなくて悔しくなる。どうでもいいことにこだわるのは、どうでもいいことしかこだわるものがないから。
 別れ際、抱きしめたくなる。恋人同士のように口づけを交わしたくなる。
 もう冗談に触れることさえできない気がした。きっと歯止めが効かなくなる。そのままこの想いをぶつけてしまう。
 そんなぼくの気持ちなどまるで知らない高井さんはあっさり背を向ける。いつのまにかつめていた息を吐いてドアに凭れたぼくの耳に、階段を上がっていく足音がかすかに聞こえた。一度も立ち止まることなく、振り返ることなく、高井さんは帰ってゆく。


 高井さんの恋人を見たのは、二人で買い物にでかけた時だった。
 彼女は高井さんではない男と腕を組んで、平然と彼に笑いかけた。
 どうということもない女。そう思ったのに、高井さんは他の男と現われた彼女に傷ついているようだった。
 アパートに帰って高井さんと別れ自分の部屋に入ると、悔しさに泣きたくなった。あんな女に傷つけられる高井さんが許せなかった。
 頭を冷やすためにシャワーを浴びて、その時ぼくは高井さんを汚した。はっきりと高井さんを抱くことを想像しながら、自分を慰めた。
 あんな女より、ぼくのほうが高井さんを想っている。どうしてそれがわからないんだ。こんなに近くにいて、どうしてこの想いが伝わらないんだ。
 ぼくは高井さんを憎んでいるのだろうか。
 多分もう限界だった。なぜ高井さんを好きかなんて、考える余裕もなくなっていた。ただ好きだった。ただ高井さんのことが好きでたまらない。
 シャワーの後、眠ることもできずに、ぼくはぼんやりとしていた。一人相撲を取り続ける自分の滑稽さに涙も出やしない。
 そこにチャイムが鳴った。
 ドアの外に立っていたのは高井さんだった。
「ごめん。もう寝るところ?」
 どうして? はっきりとした理由もなく、心臓が脈打ち始めた。こんな時間に高井さんがぼくの部屋に来るなんて。
 伝わってしまったのだろうか? あまりに強く求めすぎて、ぼくの想いが高井さんに聞こえてしまったのか。
 緊張でうまく呼吸ができず、言葉もでない。
 だが、高井さんが口にしたのは彼女のことだった。
 瞬間、笑い出しそうになった。バカだ、ぼくは。本当にバカだ。


 どうしてそんなことをしてしまったのか、後から考えればよくわからなかった。
 気づいたら、高井さんを抱きしめていた。
「高井さん、ぼくに慰めてほしかったんでしょう?」
 怯えた表情に煽られて、冷たい台詞が次々と口をついた。ベッドに追い立てて、高井さんの服を剥いだ。始めてしまったら途中でやめられなくなった。悲鳴をあげる高井さんに自分の欲望をたたきつけた。
 すべてが終わって、高井さんは声をあげて泣き出した。
「ちょっと高井さん」
 ぼくはあせって高井さんを抱え込んだ。そのまま腕の中で子供のように泣きじゃくっている。こんなふうに泣く人を初めて見た。
 ぼくが泣かした。
 それはへんに甘い痛みだった。ぼくが高井さんを子供のように泣かした。耳元の嗚咽がまるで睦言のようだった。
 好きだとくり返し囁いた。ずっと口にできなかった言葉。どれだけ囁いてもこの想いには足りない。
 シャワーを使って出てきた高井さんに宣言した。
「謝りませんから」
 謝ったりしない。この想いは嘘じゃない。
 昂揚した気持ちのまま、好きな人と身体を繋げたという満足感で眠りについたぼくは、しかし翌朝には不安になっていた。
 ぼくの想いに高井さんは応えてくれるだろうか。あんなことをしでかした以上、潔く高井さんからの連絡を待つつもりでいたが、半日が限界だった。
 不安を抱えて、高井さんの部屋を訪ねると留守だった。どこに行ったのだろう。
 冷静になれば前夜のことはただの暴走だった。ぼくのしたことは強姦で、高井さんを永遠に失ってしまったのかもしれなかった。謝らないと決めたのに、高井さんを怒らせて二度と口も利いてもらえない可能性に思い当たったら、どうしていいかわからなくなった。
 やがて帰ってきた高井さんの表情に怒りは見られなかった。それだけでぼくはほっとしていた。普通に会話してもらえただけで泣きたいような気持ちになり、そこでようやく自分のしたことの重大さを認識した。
 なんだかんだ言って、ぼくは高井さんが男であることに甘えていたのだ。女の子相手ならすぐに自分の行為が犯罪だと気づき、多分そうなる前に自制できた。年上の男である高井さんの優しさにぼくはつけこんだのだ。けれど高井さんが男だからと言って、ぼくのしたことが変わるわけじゃない。
 それでもぼくは高井さんに謝ることはできなかった。ぼくの想いのどこにも高井さんに謝る余裕はなかった。
 もう想いをぶつけてしまったから、後は高井さんが答えを出してくれるのを待つしかない。
 みっともない真似はしたくないと思った。ここまでしても、高井さんがぼくを後輩としか見てくれないなら、それを潔く受け入れるつもりだった。
 ふとした瞬間、微妙に視線をそらされて胸が痛くなる。仕方がないんだ。ぼくはそれだけのことをした。わかっているから傷つかないフリをする。何も気づかなかったように高井さんに笑いかける。そして心のどこかで期待していた。いつか彼がぼくに応えてくれることを。あんなことをしても拒絶されなかったことが勝手な希望を生んでいた。こんなに我が儘な想いをどうして捨てることができないんだろう。


 学祭のイベントで、高井さんはカップルになった。それは五人ずつの男女が集団お見合いの真似事をするもので、高井さんの前の女の子が高井さんを見ていることに、ぼくは最初から気づいていた。そして高井さんもちゃんと気づいた。ぼくがいくら見つめても気づいてくれなかった人が、女の子の視線には気づく。
 やりきれない気持ちで、ぼくは自分の持ち場だったタコヤキ屋に戻った。留守番をしてくれていた斉藤さんにお礼を言って交替した。
「あれ? 高井は?」
「高井さんはカップルになったんで、まだ残っています」
 カップルになった二人には用意された場所があって、高井さんたちはそこに残っていた。
「へえ、高井がうまくいって小島がダメだったの? 珍しいんじゃねえ」
 ぼくが女の子だったら、高井さんはぼくを受け入れてくれるんだろうか。
 ぼくは多分ゲイなんだろう。タコヤキ屋の前にたむろする女子高生を見ながら、ぼんやりそんなことを考えてみる。どんなに痩せていてもどこか丸みを帯びた柔かい女の子たちよりも、ぼくは高井さんに惹かれていた。骨ばった身体を抱きしめたいと感じ、そして抱きしめられたかった。黙って見つめられると少し冷たい感じのする顔の造作。鼻筋や頬のラインも骨格は決して女の子らしくはないのに「キレイ」という形容が一番しっくりきた。
 少しして高井さんがやってきた。カップルになった女の子と一緒ではなかったことにほっとした。インスタントカップルはそのまま終わりだったようだ。休憩席の斉藤さんのところに行ってからかわれていた後に、ぼくのところに来た高井さんに「女の子、逃がしましたね」と言ってみた。
「どうでもいいんだけどさ」
 拗ねたように唇をとがらせて、小さな子供みたいな言い方をする。
「そう?」
 からかって覗き込むと、高井さんはとまどった表情で見返してきた。無防備な幼い顔にそのままキスしたかった。


 無理に抱いた高井さんの身体。あれからぼくは夜がくる度にくり返し頭の中に思い描いていた。
「小島」
 ぼくの名を呼ぶかすれた声。寄せられた眉。かすかな喘ぎ。開かれた唇。震える舌。全部、何度も何度も再生した。あさましいとわかっていてやめられなかった。
 夜が来るのが怖かった。昼間に笑っている分、どんどん辛くなった。ぼくはなんて情けない人間なのだろう。
 いくら待っても高井さんからの返事はなかった。ただ当たり前に会話して、あのことなんてなかったフリをしている。
 それが高井さんの優しさだとしたら、なんて残酷なんだろう。そうして全部がなかったことにされるんだろうか。ぼくの想いは、高井さんの拒絶さえ受けることなく消されてしまうのか。けれど、高井さんがいくら否定してもぼくの想いは消えはしない。消えてくれたらいいと、他ならぬぼく自身が一番強く望んでいるのに。
 いっそあの夜ですべてが終わってしまえばよかったのかもしれない。高井さんが怒って絶交してくれたらよかったんだ。もう二度とぼくに笑いかけたりしないでくれれば。そうすれば諦めるしかなくなる。こんな半端な状態で放っておかれるほどつらいことはない。


 学祭の打上げの席で斉藤さんに泣きついた。
 酔った勢いで、何も言ってくれない高井さんへの恨みを、彼の友だちである斎藤さんにぶつけていた。もちろん相手が高井さんであるとは言えるはずもなかったが。
 ぼくはどこでまちがえたんだろう。好きになるはずじゃなかった。ただの普通の男なのに。あの人はぼくを何とも思っていないのに。なんで勝手に気持ちが向いてしまうんだろう。
 その数日後、酔っ払った斎藤さんと高井さんが深夜にぼくの部屋にやってきた。
 斎藤さんがぼくの片思いの話を始めて、高井さんが困った顔をしていた。ぼくの想いは迷惑なんだろう。一方的に寄せられる好意を高井さんはどうしていいかわからないんだ。優しい人だから、ぼくを傷つけたくなくて素知らぬフリを続けるのだろう。
 ぼくは高井さんを困らせたいわけじゃなかった。ただぼく自身どうしていいかわからないんだ。
 何度も諦めると誓った。なのに現実は映画や小説みたいにはキレイに幕を引けなくて。きっぱりと諦めたはずの想いはいつまでも心に残っていて。未練たらしい自分にうんざりしていた。
 何も知らない斎藤さんは勝手に話し続けていた。
「なあ、高井。相手も小島のことを好きだと思うよな?」
 ここで返事が聞けるなら。ぼくは高井さんを食い入るように見つめていた。もう拒否されていいと思った。ぼくは自分で身を引くこともできない情けない男だから、いっそすっぱり引導を渡してほしかった。
 高井さんは少し困った顔で、でも真っ直ぐな目でぼくを見返した。ゆっくりとその唇が動いた。
「きっと相手も小島を好きだよ」
 ああ、神さま。
 その瞬間ぼくは都合のいい俄か信者になっていた。
「本当に?」
 喉にひっかかりかすれた声で確認する。
「本当だよ」
 高井さんが頷いた――頷いたんだ。


 大晦日は家族総出で温泉にでかける同級生の前田の家に集まるのが高校時代からの恒例だった。ここぞとばかりにはしゃいで大騒ぎで新年を迎えるのだ。
 夕方から飲み始めたので、お約束の歌番組が始まる頃にはすでにみんな出来上がっていた。
「小島は新しい彼女できた?」
 高校卒業の時に振られて落ち込んでいた頃よく飲みにつき合ってくれた前田に訊かれて、ぼくはとりあえず頷いた。
「うん」
 何度も諦めると誓って、結局諦めることなどできなくて、ようやく手に入れた。正確には彼女ではないけれど、誰よりも愛しい相手であることは間違いない。
「えっ、どんな人、どんな人?」
 さっそく女たちが騒ぎ立ててくる。
「大学の先輩」
「年上?! あ、でも同い年ってこともあるか」
「年上だよ。三年生だから一つ上」
「ふーん、小島が年上かー」
「えー、どんな人? 可愛い系?」
「うん、まあ、普通、かな」
 高井さんは男だから可愛いというのはちがう気がする。
「何それ、照れてんの? つか、小島って面食いだもんね。可愛いんだろうな」
「別に面食いじゃねえよ。なんかそういうのとちがうところで好きになったっていうか」
「あっははー、言ってる!」
「なんだよ、うるさいよ。優しいんだけど結構冷たいっていうか気分屋っぽいとこもあって、とにかく普通の人だよ」
 ただぼくには特別なんだ。
「小島、あんまりうるさくすると嫌われちゃうからね」
 サユリが言い出して、「あ、鈴子でしょ? ちがう?」と麻子が、今日は来ていない、ぼくが振られた相手の前につき合っていた子の名前を上げた。鈴子は可愛いけれど自分勝手なところがあったので、ケンカばかりしていて交際は長くは続かなかった。
 サユリが頷いて続けた。
「そうそう。鈴子ね、小島のこと結構説教臭いって言ってたよ」
「バカ言えよ。あいつが自分勝手すぎんだよ。知ってるだろ?」
 あまりに勝手な行動を取るのでぼくが注意すると鈴子はすぐに膨れてケンカになった。私たち合わないよねと言い出したのは鈴子が先だっただろうか。
「だから、今の彼女もワガママなんでしょ。同じじゃん。言い過ぎないように気をつけなって言ってんの。振られちゃうぞ」
「あの人は鈴子とはちがうよ。もっとなんて言うか、ちがうんだよな。やっぱ年上だし」
 同性だし。口には出せないから胸の中で呟く。
「俺、時々どうしていいかわかんなくなる」
「うっわ、小島がのろけてる!」
「本当どうしちゃったの、小島。昔は冷たいとか言われてたのにヒョウヘーン」
 点けっ放しのテレビから除夜の鐘が鳴り始めた頃、ぼくはこっそり部屋を出て廊下で携帯をかけた。
―はい
「ぼくです、小島」
―うん
 短い返事。高井さんはあまり口数が多くない。そのくせ時々突拍子もないことを言い出して斎藤さんに笑われて真っ赤になったりする。
「もうすぐ今年も終わりですね」
「そうだね」と頷いてクスクスと笑う声が耳をくすぐる。しばらくして、誰もいない廊下に、部屋の中から友人たちのカウントダウンが響いてきた。
「…3、2、1、ゼロー! ハッピーニューイヤー!!」
 部屋での騒ぎをバックグラウンドに、ぼくは今年初めてのおめでとうを一番伝えたい人に言った。
「高井さん、明けましておめでとう」
―おめでとう。今年もよろしく
 優しい声で囁かれて、他愛なく緩んでくる頬。携帯越しにキスを送りたい気分だった。
「あー、小島何やってんだよ!」
 ぼくがいないことに気づいた連中が部屋から流出してきた。あっという間に囲まれ、携帯を奪われる。
「彼女に電話してんの?」
「これ、小島の彼女?」
 口々に言われ友人たちの手からリレーされそうな携帯を慌てて奪い返す。
「バカ、返せよ。―また電話します」
 その後、散々からかわれてもぼくは幸せだった。


 翌日のお昼近く。携帯の着信音で目を覚ました。
―もしもし
 半分眠ったまま携帯に出たぼくはその声で一気に覚醒した。高井さん。
 眠っている友人たちを起こさないように気をつけながら部屋を抜け出す。隣の和室に入り込んで襖を閉めた。足の裏に畳の冷たさが伝わってきたが、そんなことは全然気にならなかった。
 なんということもない会話を交わしながら、ぼくはこの人を好きなのだと確認する。声を聴くだけで幸せで、でもすぐに顔が見たくなる。キスしたいし抱きしめたい。それがぼくだけの一方通行ではないと信じたい。
「高井さんから電話くれたの、これが初めてですよ」
 ぼくの言葉に喉の奥で笑う気配が返ってきた。きっと子供だと思われている。でもそれがなぜか嬉しい感じだった。
 休み明けの約束をして、切れた携帯を手にしたまま、こみ上げてくる幸せをかみしめた。履歴ボタンを押すとしっかり高井さんの名が表示された。こんな他愛のないことで舞い上がっている自分がひどくおかしかった。
 暖房の入っていない部屋で寒さに震えながら、ぼくは新しい年が明けたことを実感していた。



END





2001〜2002年末年始企画。取ってつけたような年越し(苦笑)。昔出したポエムを手直しして、ショートの予定だったけど意外に長くなりました。ストーリーはおんなじだもんねえ。ごめんなさい。2001.12.28
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