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冬物語



 寒さを感じて目が覚めた。窓の外は明るくなりかけていたが、顔に触れる空気が冷たい。左半身が外に出ていることに気づいて布団を引き寄せようとしたら、布団の端が隣に寝ている小島に押さえられていて引っぱれなかった。寒さに震えながら身を寄せると、小島は眠ったままぼくの身体に腕を回してきた。その動きで布団がぼくの上にかかった。ふっと小島の匂いに包まれる。
 シングルベッドで男二人が寝るというのはかなり無理があって、うっかりするとどちらかが下に落ちてしまいそうだ。狭すぎて少し身体が痛かった。通販で購入した安物のパイプベッドが重さに耐えられるかも心配だった。壊れる前になんとかしなければ。もう一度眠るには窮屈さが邪魔をして、ぼくはぼんやりと至近距離の小島の顔を眺めた。
 きれいだなと素直に思う。まばらに髭の見える顎も乾いて皮が剥けかかった唇もちっともマイナスにはなっていない。長いけれど多くはない睫毛。女の子みたいにカールはしていなくて真っ直ぐに突き出している。あれは何と言うんだったか、昔の家にある軒に陰を作るやつ、スダレ、そう簾に似ている。そんなことを考えながら眺めていると、ぱっと瞼が開いて、茶色の瞳が現れた。そこに小さくぼくの顔が映っている。一瞬お互いに不思議そうに見つめ合ってから、ふっと笑みがこぼれた。小島が顔を寄せてきて、頬にあたった鼻先が冷たかった。
「何見てたんですか?」
「小島の顔。小島ってキレイな顔してるよな」
 ぼくが答えると、小島はクスッと笑って軽くキスしてきた。
「高井さんって返事に困ること、言いますよね」
 囁いて真っ直ぐにぼくを見つめる茶色の瞳。きっと小島には外国人の血が入ってる。何世代も前にどこかで。小島を見ているとそんなことを考えてしまう。前にぼくがその考えを口にした時、小島はおかしそうに否定した。
「純粋な日本人の家系ですよ」
「わからないくらい遠い昔にさ。そういうことってあるかもしれないだろ」
「そうかなあ。それよりもぼくは、前世でも高井さんと恋人同士だったような気がするな」
 小島はぼくのどこが好きなのだろう。当たり前のように同じベッドで眠って違和感のないことが、とても不思議だった。



 三限目、演習の授業に現れた斎藤は、開口一番「高井、小島とケンカでもしてるのか?」と訊いてきた。演習は発表者の準備があるので始まるのが遅れがちで、教授が来るのも遅かった。思いがけない言葉にぼくは「はあ?」と間抜けな声を上げてしまった。隣の席に座りDバッグをごそごそと漁りながら、斎藤は気のない声で自分の言葉に頷いた。
「してないよなあ。最近おまえらよく一緒にいるもんな」
「なんだよ、いきなり」
 思わず頬が赤らみそうになって、ぼくはあせってぶっきらぼうに問いかけた。
「いや、なんとなく小島の奴がこの頃高井の話をしないなと思ってさ」
 斎藤にとっては、単なる挨拶がわりのどうでもいい話題だったようで、上の空のまま返してくる。ぼくはどぎまぎと言葉を探した。
「ぼくの話ってなんだよ?」
「あ? 別に大したことじゃないんだけど、前は小島が何かと高井の話題を出してたんだなって気づいたんだ。この頃あいつと高井の話をしなくなったからさ」
 ぼくの微妙な表情を見て、斎藤はへらっと笑ってみせた。
「悪口なんか言ってねえよ。ただの世間話っつーか、ま、小島と俺の共通の知人つったら、高井だからよ。なのに最近高井の話が出ないんだよな。俺が言っても小島は口つぐんじゃうしよ。だからケンカでもしてんのかと思った」
「ケンカなんかしてないよ」
 ぼくはもごもごと口ごもった。まさか付き合っているとも言えない。
「昨日なんか、この前の飲み会の話したら、ブスーっとした顔しやがったぞ」
「飲み会って?」
「俺と高井がアヤしいって話」
「バカ」
 昨夜ぼくの部屋にやってきた小島が不機嫌だった理由がわかって、ぼくはため息をついた。先週、クラスの親睦会という名目の飲み会があったのだが、その席で斎藤の彼女の話題が出た。
「うそー、斎藤、彼女いるの?」
 アルコールが入っていたせいか、女の子の中には、かなり無遠慮な台詞をのたまう子がいた。斎藤は気にするふうもなく、にやにやと答えた。
「いるさあ。あ、もしかしてショック? がっかりさせちゃった?」
「あははー。誰に言ってんの?」
「高井くんじゃないの?」
 いきなりそんなことを言われて、ぼくは危うくビールを喉につまらせるところだった。
「いっつも二人、一緒にいるじゃない? アヤシイよねって言ってたんだよ」
「おいおい。残念でした、俺はちゃんと彼女いますー。あ、高井は募集中だよな?」
 ぼくは返事のしようがなくて黙ってしまったが、女の子たちはまるで気に止める様子もなかった。
「ほんとにー? じゃあ、今度合コンしようよ」
 そんな話を斎藤はよりによって小島にしたというのか。道理で昨日小島が部屋に押しかけてきたわけだ。暗くなってそろそろ夕食でもと思い始めた頃チャイムを鳴らされ、ドアを開けたぼくは、小島の姿を見て少し驚いた。
「あれ? 今日はサークルの活動日だろ。斎藤につかまらなかったんだ?」
 斎藤と小島は大学の野球同好会に入っていて、練習の後はよく飲みに行くのを知っているので、そう問いかけると、小島はムスッとした顔で遮った。
「斎藤さん? 高井さん、どうして斎藤さんのこと気にするの?」
 スニーカーを脱ぎながら、不機嫌に言う。
「いきなりどうしたんだよ?」
 部屋に入ろうとする小島の顔を覗き込んだら、しがみつくように抱きしめられたので、反射的にもがいてしまった。
「ちょっと、小島」
「年下のぼくは、頼りないですか?」
「バカ、男同士で頼りないも何もないだろ」
 言いかけた言葉をキスがふさぐ。角度を変えて何度も口付けられた。
「ぼくは誰よりも高井さんにふさわしくなりたい」
 耳元で囁きながら小島はセーターの中に手を入れてきた。
「あっ」
 思わず声が洩れた。小島はそのままぼくをベッドに追い立てた。仰向けに押し倒され、背中でパイプベッドがギシリと軋んだ。ジーンズに手をかけられて身をよじる。
「や、小島」
「いやなんですか?」
 なじるように訊かれて、困って首を振った。
「高井さんをぼくだけのものにしたい」
 一瞬びっくりしたものの、すがるようにキスをくり返す小島が子供のように愛しくて、ぼくは腕を伸ばして彼の頭を抱え込んだ。身体をずらして、掛布団をベッドの下に落とす。服を脱ぎ捨てて抱き合うと小島の熱を感じた。
 一しきり抱き合った後、ぼくはそっと訊いてみた。
「何かあったのか?」
「何も。というかあんまりつまらないことで恥かしい。ぼく、自分がこんなに嫉妬深いなんて初めて知りました。かっこ悪いよなー」
 ふてくされたように呟く小島に笑いそうになった。ふとした拍子に見せる小島の切羽詰ったような行動は、ぼくに不思議な余裕と愛しさとを感じさせた。手で小島の輪郭をなぞる。
「小島はいつでもかっこいいよ」
「ちぇー、なんだよ。そうやって余裕見せられると悔しいんだけど」
 そのまま小島は昨夜ぼくの部屋に泊まった。



「そういえばあいつさ、前言ってた彼女とうまくいったらしいのに、絶対しゃべんないんだぜ」
 なかなか演習は始まらず、斎藤は何気ない調子で小島の話題を続けた。ぼくは打つべき相槌も見つからなくて、手の中のボールペンをカチカチと鳴らしていた。
「わざとらしく指輪なんかしちゃってよ。あれ、絶対ペアリングだぞ。水向けたって知らん顔して余裕かましてやがんの。ガキのくせに」
 実はそのペアリングの片方はぼくが持っている。成人式を迎えた小島にネクタイをプレゼントしたら、お返しにと小島がくれたのが、その指輪だった。


刧刧刧刧



 年末年始はお互いに地元に帰省していて会えなかった。年越しのカウントダウンが始まる頃、小島は携帯に電話をかけてきた。時報に合わせて「おめでとう」と言い合っていると、携帯の向こうが騒がしくなった。
『あっ、小島! 誰に電話してんだよ?』
『あー、彼女だろう?』
―うるさい、バカ。あっち行けよ
『うそー、小島くん彼女に電話してんの?』
 ふいに携帯から小島以外の声が聴こえてきた。
―もしもーし。初めまして。小島の友だちでーす
 とっさに声も出ないところに、『バカッ! 返せよっ』と怒鳴る小島の声が聴こえた。
―ごめん、また明日かけ直すから
 いきなり切れた携帯に呆気にとられて、急におかしさがこみ上げてきた。バカだ、小島の奴、友だちと一緒にいて、わざわざ電話かけてきたのかよ。
 翌日、昼近くなってぼくから小島の携帯にかけた。かすれた、少し不機嫌にも聴こえる寝惚け声で出た小島は、ぼくが名乗るとなぜか慌てたように「うわ」と叫んだ。
―昨日はごめん。高校の時の友だちなんです。今も実は友だちの家で
 そう言いながら、小島が部屋を移動している気配がした。高校時代の仲間たちで年越しのパーティーをしたのだと言う。
―みんな、まだ寝てるから邪魔されないと思うけど
「みんなでいる時にわざわざ電話くれなくてもよかったのに」
 ぼくの言葉に小島が「だって」と反論してくる。唇をとがらせるのが見えるようだった。一番に「おめでとう」と伝えたかったと言う小島を、ロマンティストだなと感じた。
―それより高井さん、わかってます? 高井さんから電話くれたの、これが初めてですよ
 ただアパートの後輩だった頃、小島のことを年下ではあってもぼくより大人でしっかりした奴だと思っていた。こんな関係になって、意外な子供っぽさに気づかされた。
―高井さん、いつアパートに帰るの?
「そうだなあ、七日かな。小島は成人式に出てから来るんだろ?」
―うーん、どうしようかな。そんなのより早く高井さんに会いたくなった
「はは。せっかくなんだから出てくればいいじゃん。友だちにも会えるだろ」
―ねえ、高井さん。成人式のプレゼント、くれる?
「え、何かほしいものがあるのか?」
―なんでもいいんだけど。クリスマスの分
 小島の言葉に笑いそうになった。
「なんだよ、まだ根に持ってんの」



 クリスマスイブ、ぼくと小島は、斎藤を含めて男ばかり数人で鍋をやって過ごした。それが小島には気に入らなかったらしい。
 イブの朝。
「今日、どこか行きますか?」
「あっと、ぼく夕方から斎藤たちと約束してんだ」
 ぼくの部屋で朝食を取りながら、前日に泊まった小島が切り出した言葉を「ごめん」と遮ると、小島は大仰に唇をとがらせた。
「高井さん、それマジで言ってんの?」
 クリスマスは恋人たちのイベントとしては一年で最大だろう。だからこそ相手のいない人間はとりあえず集まって空しさを紛らすのだ。
「だって前から約束してて。斎藤の彼女、クリスマスに仕事なんだって」
 それに斎藤は彼女と別れたぼくに気を使ってくれたにちがいないのだ。気分が落ち込まないように集まって騒ごうと計画してくれたのだと思う。まさかぼくと小島がこんなことになっているとは想像できるはずもない。
「普通さ、普通、付き合い始めたばっかで、クリスマスを別に過ごすっていうのは、ないんじゃない?」
 子供っぽい口調に笑いそうになった。お互いの気持ちを確認してまだ十日も経っていない頃で、二日と空けずにお互いの部屋に泊まり合っていた。
「付き合うって、女の子じゃないんだから」
 ぼくの言葉に小島はひどく傷ついたような顔をした。
「じゃあ高井さん、ぼくとどういうつもりなんですか?」
「どういうって」
 眉を下げた情けない表情をしてみせても小島はかっこよかった。それがぼくにだけ見せる特別な表情のようで嬉しくもあった。
「恋人のつもりでいるのは、ぼくだけ?」
 ぼくはあまりに直球な小島の言葉にちょっと呆れた。もちろんぼくは小島を好きだ。好きだからこそ男同士で抱き合うなんてことをしている。でも恋人と宣言するにはためらいがあった。
「そんなにストレートに言っちゃっていいのか」
 小島の相手がぼくである必然というのはないんじゃないか。クリスマスを一緒に過ごすとかそういうことがしたいんだったら、普通に女の子と付き合うべきだ。ゲイが後ろめたいとかそういうんじゃなくて、わざわざ他人から好奇の目で見られる率の高いことを選ばなくても、小島なら性格がよくて可愛い、ちゃんとした女の子と付き合えるだろう。
 複雑な気持ちになって見つめるぼくの前で、小島は少し笑ってみせた。
「高井さんが想像つかないくらい、ぼくはちゃんと悩んだし、もうやめたんです、そういうの。しょうがないでしょ、気持ちは理屈じゃないんだから。それとも、高井さんはそこまでぼくを好きになってくれたわけじゃないんですか?」
 小島はいつも真っ直ぐな視線をぼくに向ける。だからぼくは小島には嘘がつけない。
「それはぼくも小島を好きだよ」
「じゃあ斎藤さんたちは断ろうよ。高井さん一人抜けたっていいじゃない」
 パッと笑顔になった小島につられて笑いながらぼくは諭した。
「モテない同士慰め合おうって約束したのに、それを断ったら友情の危機だ。それに会場、この部屋なんだよな」
「あああ、もう」
 うめく小島が可愛くなって、ぼくは思わず「よしよし」と頭をなで、宥めるように言葉を継いだ。
「クリスマスは明日だよ。斎藤たちと飲むのは今日だからさ、明日は映画でも行こう?」
「イブにぼく独りですか?」
「じゃ小島も一緒に飲もう」
「そんなの意味ない」
 そんなふうに拗ねてみせる小島は意外で、やけに可愛くて思わず抱きしめた。
「好きだ」
 小島はびっくりしたようにぼくを見て、それからキスを返し、額をつけてぼくの目を覗き込んだ。
「ずるいよなー、高井さん」


 成人の日の翌日、夕方になってぼくの部屋にやって来た小島はスーツ姿だった。
「似合うでしょ」
「うん。かっこいいな。モデルみたいだ」
 ぼくは頷いた。濃紺のスーツにミカン色のシャツ。二週間ぶりに会う長身の小島が、ひどく大人びて見えた。わざわざスーツ姿を披露しに来たらしい小島は、ぼくの言葉に満足げだった。へへへと嬉しそうに歯を見せた小島に、買っておいたネクタイの包みを差し出す。
「約束のプレゼント」
 包みを開けた小島は「わお」と声をあげて、していたネクタイを外して取り替えた。正直なところぼくのあげたネクタイはミカン色のシャツには少し不似合いだったのだけど、小島は気にするふうもなく、にっこりと「ありがとう」と言って、上着のポケットから小さな包みを取り出し、無造作に「お返し」と差し出してきた。
「何?」
 開けてみるとそれは、シルバーの指輪だった。シンプルなデザインが返って高価そうに見えた。
「サイズ、合わなきゃ変えてくれるらしいんだけど、どう?」
 覗き込む小島のネクタイの先がぼくの手に触れる冷たさと、頬を掠める息の暖かさがコントラストになって、ぼくをドキドキさせる。いくつかの指で試してみて、左手の中指がぴったりだった。手をかざして見せると、小島はちょっと顎を引いて呟いた。
「ああ中指か。ぼくとしては薬指狙ったのにな。変えてもらう?」
「小島、これ嬉しくないわけじゃないけど、でも」
 とまどい気味に小島を見た。まさか自分が男から指輪をもらうとは。ぼく自身、女の子に指輪をプレゼントしたいとか、そういうことを考えたことがないわけじゃない。考えたことがあるからこそ、自分がもらう側であることに違和感を覚えた。小島はぼくを女の子の代わりにしてるのだろうか。
「あ、やっぱり引く? 引くよね、いきなりこういうことすると。しかも、これペアなんですよ」
 小島はもう一つのリングを持ち出して、自分の右手の薬指に嵌めた。ぼくの手首を掴んで二つを並べてみせ、への字の口で見上げてきた。
「本当はクリスマスに渡したかったんです。こういうことすんの、みっともないって自覚はしてますよ。だけど、今、舞い上がっちゃってる状態だから。絶対だめだと思ってたのに、ホームラン入っちゃった気分で」
 指先に唇を押し付けられた。「迷惑ですか?」と囁かれて、首を振るのが精一杯だった。小島を愛しいと思うこの感情は、一体どこから溢れてくるのだろう。


刧刧刧刧



 ようやく演習が始まり、当番の発表を聴きながら、ぼくは無意識に衿に手をいれて、首にかかった鎖をなでていた。小島が当然のように指輪をしているので、ぼくはもらった指輪に鎖を通してペンダントにしていた。斎藤にさえ目をつけられるくらいだから、隠しておいて正解だったとあらためて思う。小島といると、恋人同士ということが当たり前のような錯覚に陥るが、男同士というのは一般的ではないし、不必要に好奇の視線を向けられたくはなかった。
「高井、小島と飲んだことある?」
 演習が終わって、筆記用具を片付けながら、斎藤が思いついたように言い出した。
「あるよ」
「あいつ、めちゃくちゃ酒弱いよな」
「え? そうか?」
 一緒に飲むといっても缶ビールを二、三本程度がせいぜいだったので、ぼくは小島の酔った姿など見たことはなかった。
「なんだよ、知らないの? 弱い弱い。すーぐ酔っ払っちゃって面白いぞ」
 そういえば初めてキスされた時、あれはやっぱり酔っていたのだろうか。
「あ、クリスマスの鍋ん時はあいつ全然飲んでなかったよな。よし、今度飲ませて、彼女の話、吐かせよう」
「斎藤、単に飲む口実作ってるだろう?」
 ぼくが指摘すると、斎藤は「バレたか」と舌を出してみせた。斎藤は本当に酒が好きだ。半端じゃなく飲んで、すぐにへべれけになってしまうから、小島のことが言えた義理ではない。
「なあ、今日はヒマ?」
 講義室を出て廊下を並んで歩きながら、斎藤はそう訊いてきた。
「ええ? いきなり今日かよ」
 ぼくは呆れて斎藤を見返した。アルコールの話をした途端、すぐにでも飲みたくなるらしい。ほとんどアル中じゃないか。
「だってよ、ほんとは昨日飲みに行こうと思ったら、小島の奴がさっさと帰っちまうんだもん」
 それは、斎藤が余計なことを言ったからだ。ぼくは心の中で呟いた。
「小島に鍋でも作らせよう。あいつ、料理うまいから」
 止める間もあらばこそ、斎藤はさっさと小島に携帯で連絡をつけてしまった。結局小島の部屋で鍋をすることになったが、小島は次の時間も授業があるというので、ぼくと斎藤で材料を買い出しながら小島を待つことにした。スーパーで斎藤はビールを一箱買った。「三人だぞ」と念を押したが「もちろん」と当然のように頷く。斎藤が基準なら、大抵の奴は酒が弱いことになるだろう。
 キムチ鍋にすることにして、小島がだしを作っている間に、ぼくが野菜や肉を刻んだ。鍋だから多少形や大きさが不揃いでもかまわない。部屋のほうにグラスやコンロをセットしている斎藤がウロウロしている隙を見計らって、小島がじゃれかかってきて、ぼくの頬や髪に軽いキスをくり返した。
「バカ。斎藤にバレるだろ」
 小声で叱ると、小島は小さく肩をすくめた。
「別にぼくは知られたって平気です」
 ぼくはどうだろう。小島とのことを誰に知られても平気だと胸を張れるだろうか。
 黙ってしまったぼくを小島が下から覗き込む。
「もちろん吹聴するつもりはないです。もともとあんまり付き合ってるコの話とかするの好きじゃないし。それに高井さんが絶対に秘密だって言うんなら、ぼくも何も言わない」
「うん」とぼくは頷いた。なんだか小島といることが当たり前すぎて、一般的な感覚が麻痺してしまいそうだった。
 キムチ鍋は小島の味付けした最初のうちはすごくおいしかったのだが、途中で斎藤が辛さが足りないと言い出して、むやみにキムチを足した結果、とんでもないことになってしまった。
「斎藤さん、これ辛すぎて食べられませんよ」
 早々にギブアップした小島が舌を出してみせても、斎藤は平気で嘯いた。
「そのためにビールがあるんだろ。小島、今日はいっぱい飲めよ。高井が、小島の酔ったところ見てみたいんだって」
「あほか。そんなこと言ってないだろ」
「まーまー、今日は小島の恋愛成就のお祝いだから。優しい先輩たちのアドバイスのおかげだろ?」
 斎藤は恩着せがましく言いながら、小島のグラスにビールを注いだ。小島は仕方なさそうに笑ってグラスに口をつける。
「で? その指輪の相手はどんなコだ?」
「どんなって、別に普通です」
「普通ってどんなふうに普通なんだよ?」
 しつこい斎藤に涼しい顔でビールを飲みながら、小島は切り返した。
「じゃあ、斎藤さんの彼女はどんな人なんですか?」
「俺の? バカタレ、俺の話じゃないだろ」
「ずるいよな、自分だって内緒のくせにぼくにだけ訊くの」
「そんなこれ見よがしに指輪なんかつけてるからだろ」
 斎藤の言葉に、小島は自分の指を見、ぼくに視線を移してにっこりと笑った。あ、酔ってるなとわかった。
「何、余裕で笑ってんだよ。俺、本当は見当ついてるんだぞ。マネージャーの飯野だろ?」
「ブー、ハズレ」
「嘘つけ」
「違いますよ。だって年上だもん」
「お、年上? 年上のお姉さま?」
「お姉さま、ねえ」
 小島はビールに口をつけ、グラス越しにぼくの顔を伺って、クスクスと笑った。ぼくはかなり複雑な心境だ。
「どんな感じよ?」
「うーん、高井さんに似てる、かな」
「ふざけろ、小島。高井に似てる女なんか想像つくか」
 斎藤に小突かれた小島は「あはは」と声をあげた。すっかり酔っているらしく、身体がぐらぐら揺れている。
「むかつく、こいつ。幸せいっぱいっつー顔しやがって」
 小島はグラスを置き、後ろに両手をついて身体を支えて、いたずらっぽく眉を上げた。
「そうですね、高井さんみたいに優しくて、高井さんみたいにちょっと捉え所がない感じで、高井さんみたいに時々突飛なこと言うんです」
「あー、はいはい。わかったよ」
 斎藤が心底呆れたという表情で首を振る。小島はふいに困ったような顔つきになった。
「や、ぼく、もうね、本当に好きで。なんかわけわかんなくなっちゃうくらい好きなんです。どうしてくれんですか、高井さん」
 肩先にしがみつかれ、頬に小島の髪が触れてドキドキした。
「高井に言われたって困るよなァ」
 斎藤がのんびりとした声で言う。小島はそのままズルズルと倒れかかってきて、ぼくの膝を枕にするようにして横になってしまった。
「小島?」
 肩に手をやっても「ムー」とか何とか呟いているだけで、そのうち寝息を立て始めた。
「あーあ、つぶれちまったか」
「ほんとに弱いんだな」
「ふふん、幸せに酔ってんじゃないのか」
 斎藤はグラスをあおって、また新しい缶に手を伸ばした。先にぼくのグラスに注いでくれながら、何気ない調子で訊いてきた。
「小島の相手って、もしかして高井?」
「な」
 初めは「またバカなことを」と誤魔化そうかと思った。けれど酔っ払って赤く染まった斎藤の熊みたいな風貌を眺めたら、ふと「こいつにだったら言ってもいいかな」という気になった。
「うん。そうだよ」
 ぼくが頷くと斎藤は一瞬目を丸くした。
「ああ、マジなのか?!」
 叫んで、べちゃっとテーブルに突っ伏す。
「そうじゃねえかなーとは思ったけどよ」
「男同士で気持ち悪いと思う?」
 たとえ斎藤に軽蔑されたとしても小島を好きな気持ちは変えようがなかった。テーブルの上でくしゃくしゃと髪をかき回している斎藤におそるおそる訊ねると、斎藤は顔をあげて頬杖をつき、ぼくを見た。そしてちょっと考えるふうをしてから口を開いた。
「ん? んんー、俺は高井を好きだし、小島のことは気に入ってるから、ま、いいんじゃないの。本音を言えば、他人事だから別にどっちでもかまわないな、高井の相手が男でも女でも」
 あけすけな台詞に気持ちが軽くなって、ぼくは少し笑った。つられたのか斎藤もすうっと目を細めるようにして笑い、言葉を続けた。
「それに、こんなこと言ったら悪いかもしれないけど、前の彼女といるより、小島のほうが高井には合ってるような気がするよ」
 そういうことなんだろう。カオリと付き合っていたとき、ぼくは彼女を特別だと思っていた。初めての恋人。恋人という肩書きが先で、素直に彼女のことを見ることができなかった。恋人だからキスをしてセックスをして、好きなのだと信じていた。
 ぼくと小島の関係は世間の常識からは不自然なのだろう。男同士で恋人ということがおかしいのなら、そんな肩書きはいらない。ただ小島といることがぼくにとっては自然なのだ。ぼくの膝にもたれて眠る小島を見下ろす。何の気負いもなく好きだと思えた。



END






書いている本人が「もう勝手にしてくれ」と思っていました(涙)。なんかさー、甘々って言うにも微妙だし「何これ?」って感じですね。一応キリリクのつもりだったんですよ。うわーん、くのさま、ごめんなさい。
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