三日月のボート-2-
それからのオレは新しい曲を作るより、臼井という楽器を鳴らすことに夢中だった。
ベッドに仰向けにした臼井の足を開かせる。 「これはやめない? あんまり好きになれないんだ。痛いし」 抱こうとすると臼井はいつも抵抗する。それが少し気にいらない。オレだけが臼井を好きなような気がしてくる。泣かしてやりたくなる。 「オレのこと好きじゃないわけ?」 言いながら、臼井のものに手を伸ばした。 「あっ…つ!」 声を洩らして、慌てて唇を噛んで耐えようとする臼井がかわいくて、オレはいじめっ子になった。後ろに指を入れると、臼井はぐっと反り返って逃げようとした。 「よせ。痛いって」 その腰をしっかり抱え込んで、オレのものを押し付ける。 「はうっ、やっ…。小日向ぁっ」 少しずつ腰を進めると、臼井はしがみつこうとするようにオレの肩に手をかけた。オレの上半身を引き寄せようとした腕をとらえて、逆にそのままシーツに押し付けた。臼井が「え?」という顔で見上げてくる。 「臼井のこと、見ていたい」 囁くと、臼井の顔がみるみる赤く染まった。 「ちょっと、いやだっ。放せよ」 暴れるのを無視して、腰を動かした。 「うっ! あっ…や、やだ。小日向っ!」 泣き声で訴えてくる。正直なところ却ってそそられた。陸揚げされた魚のように脈打つ臼井の身体。女とは違う。オレにとって臼井は不思議な生き物だった。 「気持ちいい?」 「小日向っ! んっ…も、もう、よせって…。あっ、あっ」 臼井の目から涙が溢れ出す。キレイだと見とれる。臼井のこんな表情、多分オレ以外の誰も知らない。キスしたいところだけど、征服欲を刺激されて、臼井を追いつめてしまう。 「うっくっ…。いやだってば…、んっ。あっ…あっ、も、もう…あああっ、やだあっ!」 一際大きくのけぞって、臼井が放った。恥かしいのか、目をきつく閉じる。オレは額にかかった髪を払ってやった。 「もう、放せ」 臼井が涙に濡れた目を開けて睨んだ。唇を噛んで、鼻で息をしている。小さな子どもみたいでかわいい。 「オレ、まだだもん」 意地悪く言って、再びゆっくり動き出す。 「こ、小日向っ。バカ、こんなのっ…。うっ、あっ、あっ」 臼井の甘い声が部屋中を満たして、オレはうっとりする。思いのままに声をあげさせて、満足したオレは、ぐったりした臼井を抱きしめて眠った。 翌朝、目を覚ますと臼井はまだきちんと腕の中にいた。臼井は低血圧だ。オレも朝には弱いけど、高見などに「小日向のはただの怠け病だ」と言われている。臼井の寝顔を見られる確率から言って、多分高見の言葉は正しい。寝顔にキスしたりして幸福感に浸って二度寝すると、いつのまにか臼井が抜け出しているのが、いつものパターンだ。 オレはしみじみ腕の中の臼井を見つめた。白い顔。まつげがまだ濡れているみたいだ。そっと触れてみる。軽く身じろぎして、臼井はぼんやりと目を覚ました。すぐにはっとした顔になる。 「今、何時?」 「さあ、九時くらいじゃないの?」 「やばい。遅刻する」 「え? 学校行くの?」 「行くに決まってる」 抱きしめようとした腕を抜け出して、臼井は風呂場に消えた。「ザァー」と水音がし始める。ドアを開けると嫌な顔をして睨んだ。朝の光の中で臼井の身体は石膏像のように見えた。お湯が染みるらしく時々顔をしかめながらシャワーを浴びている臼井に、声をかける。 「洗ってやろうか?」 「ふざけるな、バカ。遅刻してんだよ」 シャワーを止めて出てきたので、手伝ってやろうと出したオレの手を、うっとうしそうに振り払って、臼井はさっさと服を着てしまった。濡れた髪のままバッグを肩にしてあたふたと出て行こうとする。スニーカーを履きながら、振り返った。 「鍵! ちゃんと閉めて帰れよな」 「帰らないよーだ。なあ、行くのやめようぜ? ほとんど寝てないのに授業受けたって、頭に入るわけないよ」 そう言うと、ぎろっとすごい目で睨まれた。 夕方遅く、ようやく帰ってきた臼井はドアを開けるなり、露骨に嫌そうな顔になった。 「まだ、いたのか」 ずっと待っていたのに、その言い方はない。 「なあ、しようぜ」 「夕飯は?」 「いいよ、そんなの。オレ、臼井が食いたい」 「今日はやめよう。マジで身体が痛い」 うんざりしたように言われてカチンときた。 「なんだよ。そんなの。オレのこと好きじゃないの?」 その言葉は臼井を怒らせたようだ。 「いいよ。わかった、しよう。後ろ向けよ。四つん這いになれ」 「臼井?」 「するんだろ? たまにはオレがやってやるよ」 怒っている臼井は、目の淵が赤く染まってキレイだった。 「それ、ちがうだろ」 「何がちがうんだよ? 同じだろ。あいにくオレも男だからね。小日向のこと、抱けるよ」 うわ、やばい。マジで切れてる。 拒否するのも何だし、どうしようかなと迷っていて、結局しっかり突っ込まれた。自分でさんざんやっといて何だけど、やっぱりこれって不自然な行為なんだろうな。快楽にたどり着くまでが長くて、オレは本当に嫌になった。 「イタイッ! 臼井っ。ンッ…ちょっと! もっ…とっ優しくしろっ」 オレが文句を言うと臼井は「うるさい」と怒った。 「てめえっ、へたくそ。アッ…、アッ」 どうにか終わることができたが、臼井もすっかり疲れたようだった。臼井は優しすぎるんだと思う。嫌がるのを無理やりってオレにとってはかなりそそるシチュエーションなんだけど、臼井には向いてないみたいだ。それでも臼井がオレに欲情したってことだけは単純に嬉しかったりもして、オレはかなり臼井に参っている。 朝も夜も臼井に触れていたかった。思いもかけない臼井の反撃にさすがに反省して、無理に抱くことは控えようとしたが、実際に始めてしまうと途中でコントロールが利かなくなってしまう。臼井の手を縛って、アパートを叩き出されたりもした。我ながらやりすぎかもしれない。絶交を言い渡されたオレは、臼井の部屋の外で一晩を過ごした。上弦の月というのか、西の空にボートみたいな形の三日月が沈んでいくのを眺めていた。翌朝、ドアを開けた臼井は、オレの姿を見て唖然としていた。謝ると苦笑して「バカだな」と呟く。オレはその瞬間が好きだった。やりすぎて怒らせた臼井が「バカ」と言って許してくれる瞬間。そんな時オレは臼井に嫌われていないという確信が持てた。オレは臼井の愛情を計るために無茶をしているのかもしれない。 いつものように臼井が学校に行っている間、一人で留守番をしていると、お昼すぎにドアがノックされた。臼井、もう帰って来たのかな。うきうきしながらドアを開けると立っていたのは、高見と奥田だった。 「いい加減にしろよ、小日向」 そう言って、二人は勝手に部屋に上がってきた。ここは臼井の部屋だぞ。二人がオレを吊るし上げに来たことがわかった。このところバンドの活動を全然していない負い目がある。それとも臼井が何か言ったんだろうか。少しショックだった。 「臼井はどこだよ?」 「臼井は授業だよ。ねえ、小日向。ちょっとやり過ぎだよ。臼井、すごく疲れてるみたいだよ」 「あいつは昼間に眠ってるどっかの誰かさんと違って、真面目に講義にも出るしな。睡眠不足にもなるよ」 嫌味ったらしい高見の言葉にムッとした。 「オレと臼井のことになんで高見が口出すんだよ?」 「高見は責任感じてるんだよ。臼井の背中押したの、自分だと思ってるから」 そんなことを言う奥田にますます頭に来た。 「なんだとお? 高見に言われたから臼井はオレと付き合ってるって言うのか?」 「そうじゃないだろう?」 奥田は困った奴だと言う顔で首を振った。 「うるさいよ! おまえらに何がわかる? オレだって臼井のこと気遣ってるさ! 女とちがって、痛いから嫌だって言われて、二回に一回は入れないで我慢してんだぞっ」 「こ、このバカ! なんてこと言うんだ」 高見が真っ赤になって怒鳴る脇で、奥田が口を開いた。 「じゃあ女と付き合いなよ。それで臼井とはバンドの仲間としてだけ付き合うんだな」 低い声で静かに言われて、オレは内心ひきつった。やばい。怒らせると高見よりも奥田のほうが怖い。ふだん愛想がいい分、しつこいのだ。中学時代にケンカして丸一ヶ月間、口をきかなかったことがあった。高見がなだめるように口を挟んだ。 「小日向が臼井のことを好きなのはわかるけど、オレたちにとっても臼井は大切なメンバーだからよ。このままじゃバンドの練習もまともにできなくなる」 高見の言っていることがわからないわけじゃない。だけど理屈じゃない反発が湧く。オレが臼井にとって加害者で、高見と奥田は庇護者? 冗談じゃない。 「うるさい。臼井はオレのものだ」 「臼井は、小日向の所有物じゃないよ」 奥田の目が据わってる。オレは追いつめられて叫んだ。 「オレのものだよ! おまえらそんなこと言うんなら、もう一緒にやらねえ。オレと臼井だけでやる」 「言ったな! もう知らねえぞ。言っとくけどな、オレたちが心配してるのは小日向のほうでもあるんだからな。おまえそんなことしてると、臼井だって愛想をつかすよ」 「うるさいよ! 臼井はオレのこと好きだね。おまえらなんかより何倍もね!」 そう怒鳴ると、高見は立ち上がった。仁王立ちでオレを見下ろした。 「こんなバカだとは思わなかった。おい奥田、行こうぜ。相手にしてられねえ」 「頭、冷やしなよ」 部屋を出て行きながら奥田も冷たい捨て台詞を吐く。 その日いつも通り、夕方になって帰ってきた臼井は、開口一番、 「高見たちとケンカした?」 と訊いてきた。オレは答えるのが嫌でモゴモゴと口ごもった。 「なんかあいつら、すごく怒ってたよ」 「理由、聞いてないの?」 「聞いてない。…もしかして、オレが原因?」 「うーん? ちがうな、バンドのこと」 オレだって冷静になれば少しはわかる。でもよ。 「小日向、最近、曲作ってないよね?」 臼井の静かな口調に落ち着かない気分になる。なんだか雲行きがあやしい。 「スランプなんだよ。そんなことより、しようぜ」 「小日向、ちゃんと話そうよ」 「いいんだよ。ほら」 後ろから抱えるようにして、頬にキスした。 「小日向!」 なじるような視線になって身をよじるのを、そのままこちらを向かせて、唇を吸う。味はないはずなのに、甘い。左手で肩を抱きしめながら、右手でジーンズのファスナーを降ろそうとしたら、ボタンフライだった。 「ちぇ、めんどくせー」 呟いて、両手を使おうとしたら、突き飛ばされた。 「こんなんじゃ、ダメだよ!」 真っ赤な顔で臼井は怒鳴った。立ち上がって、泣きそうな表情でオレを見下ろす。 「小日向、こんなんじゃダメだ。高見にだって、奥田にだって、悪い。オレ、ジラフに入んなきゃよかった!」 叫んで、臼井は部屋を出て行った。外の階段を駆け下りていく足音。ここは臼井の部屋なのに。開け放たれたままのドア。オレはのろのろと玄関に下りて、外を眺めた。臼井の姿はなかった。 翌日になっても臼井は帰って来なかった。夕闇が近づくと子どもの頃の留守番を連想して落ち着かなくなった。部屋が完全に真っ暗になっても臼井は来ない。どうしよう。腹も減りすぎるくらいに減っているのに、臼井の部屋にはまともな食料もない。空腹を紛らわすために水ばかり飲んで臼井を待っていた。 自分で気づかないうちに眠って、夜が明ける前に目が覚めた。それでも臼井の気配はない。オレは臼井に捨てられたのか? 嘘だろう。オレはどうしたらいいんだろう。臼井のいない臼井の部屋で髪をくしゃくしゃとかきむしる。 カーテンをひかなかった窓の外が少し明るんできた。立っていって外の通りを見下ろしても、外灯が弱々しい光を投げかけているだけだ。臼井、本当にもう帰って来ないのかよ。東の空にひっかかった三日月。二人乗りのボートの形。少しずつ色をなくしていく。ダメだ、そんなの。 オレは何をしてるんだろう。臼井に伝えるべき想いが膨らんでくる。オレがどんなに臼井を好きか、あいつに何も伝えてなかったような気がしてきた。 言葉。言葉なんか何の力もない。そう思って臼井を抱きしめることで全てが伝わると信じていた。でも。それは多分違う。オレが抱えている想いが臼井にはわからないんじゃないか。それでもオレは臼井が好きだ。それだけはどうしようもない。オレは臼井に伝えなければ。 臼井が出て行った翌々日は土曜日だった。土日は奥田の家でバンドの練習が暗黙の了解だった。その練習にもしばらく顔を出してない。お昼過ぎに奥田の家が見える角まで来て、しばらくうろうろした。奥田と高見はいるだろうか? そして臼井は。おずおずと覗くと奥田の家のガレージに三人ともいた。黙ってオレの顔を見る。気まずさに入り口でもぞもぞしていると、高見が声をかけてきた。 「反省したか?」 素直にこくんと首を折った。 「うん。した」 「臼井、どうする?」 「オレ?」 高見にふられた臼井は見覚えのある奥田のシャツを着ている。やばい、嫉妬しそうだ。ちょっとだけ顔が歪んだ。下を向いてこらえる。 「そう。小日向のこと許す?」 「ごめんなさい」 ぺこりと頭を下げると、臼井がクスッと笑ったので、つられてへらっと笑ってしまった。奥田が渋い顔をしている。 「本当に反省してるの?」 「してる。ちゃんと曲作ってきた」 午前中に速攻で書き上げた。まだ完全には出来上がってない歌詞だけど、そこは鼻歌でごまかす。 「よし。聴かせろよ」 高見の許可をもらってオレはギターを弾き出す。甘いラブソング。臼井、オレがどんなに君を好きか、伝えたい。歌い始めると、聴いている三人が「うん」と嬉しそうに頷き交わすのが見えた。新しい曲は気に入ってもらえたようだ。許してもらえたのだと思った。 「♪臼井、君が好きだ。そばにいたい」 サビに入った途端、臼井の顔が真っ赤になった。「わあ!」と叫び声を上げて、オレの口を押さえる。 「なん、なん、なんだっ、その歌詞!」 「え?」 オレはきょとんと臼井を見返した。普通、愛の歌を捧げられたら喜ぶもんじゃない? 「そんな歌、ダメだ!」 真っ赤になってわめく臼井を高見が「まあまあ」となだめる。 「確かにいい曲だからさ、その『臼井』ってとこだけを変えよう。『エリー』とか『リンダ』とか」 「だっせー」 オレが横を向くと、臼井がきっと睨んできた。 「なんだよ? 嬉しくないの? オレ、臼井のために作ったんだよ」 オレが拗ねて唇を尖らすと、臼井は信じられないものを見るような表情で呟く。 「そういう問題じゃない」 高見と奥田が苦笑いしていた。 「まあまあ、臼井。いい曲だよ、これ。ね?」 「うん」 しぶしぶといった感じだったが、臼井が頷いたので、オレは嬉しくなった。再びギターを弾き出す。 「♪臼井、きみが好きだ。キスをしたい」 「わあああ!」 |
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