─SKYFISH─


 小学四年生の時、柾之(まさゆき)が夏休みの課題で提出した自由研究の工作が県のコンクールに入選した。絵画や書道の入選作品は県内で指定されたいくつかの会場を巡回することになっていたが、自由研究の展示は県の文化センターに限られていたから、柾之の家族は総出ではるばる見に行くことになった。その年は偶然、柾之の運動会の振替休日が姉の中学校の創立記念日と重なっていたため、県の支所に勤めている父親が有給休暇を取ったのだ。
 自分の作品は今さら見るまでもなかったが、同じ会場内に展示されている作品の中には感心するくらい精巧なものがあって、柾之は熱心に見て回った。中学生の姉の真奈美はもともと興味のない分野のせいかすぐに飽きて、一人で別の部屋に展示されていた絵画や書道作品を見に行ってしまった。
「ユキちゃん、この後お父さんの用事もあるんだから、絵のほうも見るんだったらあんまり時間がないわよ」
 いつまでも見飽きる様子のなかった柾之は、最終的に両親にせかされて、真奈美がいるはずの絵画の部屋に向かった。


「ユキベエ! こっちにおいでよ。これ見て」
 会場に足を踏み入れた途端、傍若無人な真奈美の大声に呼びつけられ、柾之は赤面して小走りで彼女のそばに近づいた。こんなところで大声で叫ばれた名前が恥ずかしかった。中学校にあがった頃から真奈美は勝手に柾之を「ユキベエ」と呼ぶようになっていた。両親は展示されている作品を端から順番に見て行くことにしたらしかったが、気の強い真奈美に較べておとなしいと言われている柾之には姉に逆らうことなどできず、呼びつけられるまま真奈美の示す絵の前に立った。
「すごくなーい? 三年生だって。ユキベエより年下なんだよ」
 真奈美が示したのは、特選の金リボンがついた作品だった。嘘みたいに細かく描写された建物が並んだ街の風景。それらしい額に入れて飾られていたら、誰も小学生の作品だとは思わないだろう。
「それ、ぼくの弟なの」
 後ろから掛けられた声に、柾之と真奈美がそろって振り返ると、フードつきの赤いカバーオールにショートパンツの少年が立っていた。髪と瞳の色が普通より茶色がかっていて、くっきり二重を刻んだ顔立ちがかすかに外国人めいている。柾之と目が合うと少年はニッコリと人懐こい笑みを浮かべた。知らない奴にそんなふうに笑顔を向けられて柾之は少しびっくりした。柾之の隣では真奈美が「カワイー」と声を上げた。確かにその少年は柾之たちの住んでいる地域ではめったに見かけないようなおしゃれな恰好をしている。生意気そうに見えて、柾之は好きじゃないと感じた。ジーンズに真奈美のお下がりのトレーナーを着せられている自分を考えればなおさらだった。
「弟くん、絵、上手ね」
 真奈美が話しかけると少年は嬉しそうに「うん」と頷いた。その警戒心の欠片もない様子に、一見利発そうな顔立ちをしているくせにもしかしたらこの少年は少し足りないんじゃないかと柾之は疑った。
「ユキは、弟なのにぼくより上手なんだ」
「君の絵はないの?」
「うん。ぼくの絵は何描いてあるかわかんないんだって」
 呆れるような内容を少年はニコニコと邪気なく応えるので、柾之の疑いは確信に変わりつつあった。関わらずに行こうと促すつもりで姉の上着の裾を掴んだが、真奈美は柾之を無視してそいつに話しかける。
「何年生?」
「ぼくは四年生」
「ユキベエと同じだね」と姉は無意識に後ろに下がりかけていた柾之をわざわざ振り返った。
「君もユキちゃんなんだね」
 日本人離れした茶色の目が柾之をとらえて、柾之はとっさに姉の後ろに隠れてしまった。少年はすぐに柾之から視線を外し真奈美のほうを見上げた。
「あのね、サオリおばちゃんは時々ぼくをナオベエ、ユキのことをユキベエって呼ぶの。だからさっきお姉ちゃんが『ユキベエ』って言った時、あれーって思ったんだ」
「ナオべエくん、今日はサオリおばちゃんと一緒なの?」
「ちがうよ。一人で来たんだ。ユキを誘ったのに『もう何回も見たから行かない』って言うからさ。そいでー、ナオベエじゃなくって尚人だよ」
「尚人くんちはここの近くなんだ?」
「えっとね、バス使う。でも近い。学校からなら歩いて来られるの。ユキちゃんの学校はどこ?」
 再び視線が柾之に来た。真直ぐに見つめてくる飴玉みたいな目が少し怖かった。
「ユ、ユキは」
 どもった柾之はうっかり幼い頃の自称を口にしてしまった。姉の真奈美を「マーちゃん」と呼んでいたので柾之はユキと自称していたのだ。小学生になってからは笑われるので家の中でしか使っていなかったのに。逆に家では「オレ」と言うたびに真奈美から「かっこつけてる」「似合わない」と笑われてしまう。
 尚人は柾之がどもっても全然笑わず、促すようにニコッと頷いた。柾之はちょっと安心した。
「ユキの学校はS小学校」
「S小?」
 不思議そうな尚人に真奈美が「遠いから知らなくて当然よ」と言った。
「遠いの?」
 見つめられて、柾之は黙って頷いた。尚人の茶色の目にも少しずつ慣れてきた気がした。
「どうして遠くから来たの?」
「自由研究」
 小さく答えた柾之に、理解できなかったらしい尚人は問い返すように首を傾げてみせた。
「ユキベエは、あっちの部屋に自由研究の工作が飾ってあるんだよ」
 と、真奈美が付け加えた。
「えー、すごいね」
 手放しに感嘆の声をあげられて、柾之はなんだか嬉しくなった。気取った服装をしているのに、同じ年の尚人が自分より小さな子みたいに感じられてきた。
 そこに母親が真奈美と柾之を呼びに来た。
「そろそろ行きましょう」
 三人の会話が聞こえていたらしい母親は、尚人に向かって「ごめんね」と微笑んだ。
「あのね、ぼくね、ユキちゃんの作ったやつ見せてほしいの」
 尚人は柾之の母親に対しても、ためらいもなく甘えた口調で話しかけた。その人懐こさに母親の頬が緩む。
「ごめんね。これから、おじちゃんの会社にも行かなきゃいけないから」
 柾之の父親は県の支所に勤めているので、ついでに県の庁舎に顔を出すつもりでいたのだ。
「おじちゃんの会社ってどこ?」
「ケンチョウってわかる?」
 母親の言葉に尚人は顔を輝かせた。
「県庁ぼく知ってるよ! すぐ近くじゃん。ねえ、ユキちゃんだけここでぼくと一緒に待ってちゃダメ?」
「ユキ、どうする?」
 母親に訊かれて、柾之は少しだけためらった。今会ったばかりのよく知らない尚人と一緒に残されるのは嫌だったが、自由研究の展示作品をもっと見ていたい気持ちもあった。
「いいよね。ぼくにユキちゃんの工作、教えてくれるでしょ?」
 尚人はいきなり手を伸ばしてきて柾之の手をつかんだ。柾之はびっくりしたが、尚人はニッコリ笑うと柾之の返事も待たずに「自由研究はあっちの部屋だよね」と手を引いた。
 母親はその様子に小さく吹き出し、今度は真奈美に向かって「じゃあマーちゃんも一緒にここで待ってる?」と訊ねた。真奈美は「私、もう全部見たもん。飽きちゃった。それより県庁にも行ってみたい」と首を振った。柾之は姉に一緒にいてほしかったのだが、そんなふうに言い出した真奈美に、県庁を諦めて無理に残ってもらったところで、その後は意地悪な態度をとられてしまうだろうことは想像に難くなかった。
「じゃあユキちゃん、お母さんたちは県庁に行ってくるから自由研究の部屋で待っててね」
 母親の言葉を背に、柾之は尚人に手を引かれて再び自由研究の会場に向かった。


 会ったばかりの尚人相手の会話は最初のうちはぎこちなかったが、自分の工作を解説しているうちに柾之の口調は自然と滑らかになっていった。
「ここの翼が回って、それでこっちが動くようになってて」
 熱心に説明を続ける柾之に反比例するように、隣にぴったり寄り添っている尚人からの相槌は少なくなっていった。気づいた柾之が横目でちらっと確認すれば尚人の茶色の目は作品ではなく柾之の頬のあたりに向けられていた。
「聞いてる?」
 振り返った柾之に、尚人は慌てたように瞬きして「うん。すごいね」と頷いてみせた。
「全然聞いてなかったくせに」
 柾之が思わず唇をとがらせると、尚人はなぜか嬉しそうな顔になった。
「ううん。本当にすごいと思うよ」
 ニコニコと邪気のない笑顔で返されて、柾之は肩すかしされた気分で「もういいよ」と言った。
「もういいよ。あのさ、もっとすごいのがこっちにあるんだよ」
 柾之は気を変えて、尚人を中学生のコーナーに引っ張って行った。そこに展示されていた優秀作品の一つをまるで自作のように「ほら」と得意気に示す。
「これさ、動かしちゃダメだよね、きっと」
 残念そうな柾之の様子に、尚人は会場の中をきょろきょろと見回した。
「誰もいないから平気だよ」
 頬をつけるようにして耳打ちする。
「こっそり動かしちゃおうよ」
 そそのかしてくる尚人に柾之は首を振った。
「ダメなんだよ。これ、水を使うんだもん。このケースんとこに水を入れるはずなのに入ってないんだ」
 それでも柾之は動かない作品を飽かずに眺めていた。
「すっごいよね。ズレてるとこ一ヶ所もないんだよ。全部ぴったりくっついてんの。キレーなんだ」
 目を輝かせていつまでも作品の周りをグルグル回り続ける柾之に、先刻の姉や両親と同じように、尚人はとうとうしびれを切らしたらしい。
「ねえ、ユキちゃん。のど渇かない?」
 いきなり後ろから抱きつくように肩をつかまれて、柾之は驚いて目を見張った。
「えっ」
「二階に自動販売機があるからジュース飲みに行こうよ」
 尚人に誘われて、柾之は困った顔で首を振った。
「ごめん。ユキはお金持ってない」
「ぼくがユキちゃんにおごってあげる」
 二階の休憩コーナーで尚人は柾之の好みを確認することなく同じジュースを二つ買った。
「これね、すっごいおいしいよ」
「ありがとう」
 渡された柾之がお礼を言うと尚人はにっこりと嬉しそうに笑い「あっちに坐ろう」と広いテラス窓に面しているベンチを指差した。子供が二人で坐るには十分すぎるほど広いベンチなのにわざわざ膝が触れ合うほどにくっついて坐り、尚人は柾之が口をつけるのを待ってすかさず「おいしいでしょ?」と確認してきた。
 尚人の薦めてくれたジュースは、正直なところ柾之の苦手な炭酸入りでおまけに甘すぎたが、おいしいと疑いもしない尚人の顔を見ていては言い出せなくて、柾之はただ「うん」と頷いて飲んだ。尚人は「ね?」と満足げに言って自分もジュースを飲み始める。
「ユキちゃんは好きな子いる?」
 唐突な尚人の質問に柾之は「うん」と頷いた。
「いるの?! どんな子?」
「えー」
 食いつくように訊かれて、柾之は照れた。頭には一学期に隣の席だった女の子が浮かんでいた。
「すごく頭いい。いつもクラスで一番。二学期になってすぐに学年テストがあったんだけど、その時も一番だった。だから学年でも一番」
「ぼくも頭いいよ。いつもじゃないけど、クラスで一番になることもある」
 照れながら言った柾之に、尚人は下唇を突き出して負けん気な表情で返した。
「その子は、頭がいいだけじゃなくって、優しい。ユキが風邪で休んだ時に電話くれたんだ」
 それは柾之の自慢だった。おっとりしているせいかクラスでもあまり目立つタイプではない柾之にわざわざ見舞いの電話をくれたということは、もしかしたら彼女も自分を好きなのかもしれないと期待が持てた。
 短くなった秋の一日はもう終わりに近づき、いつの間にか窓の外は夕闇に沈み始めていた。だが点り出した街灯はまだ弱く力ない光を景色の中に飾りのように添えているだけだった。
「尚人は好きな子いる?」
 柾之が問い返すと尚人は「うーん」とうなった。
「うーん。いた。いたけど、ちがう子を好きになったかもしんない」
「何それ。尚人って浮気者なんじゃない?」
 呆れて思わず口にした言葉に尚人が傷ついたような顔をしたので、柾之は少し可哀そうになった。柾之は年上ぶって尚人を諭した。
「そんな簡単にちがう子好きになっちゃダメだよ。どっちにも悪いと思うじゃん」
「そうなの?」
 顎を引いて上目遣いにうかがう尚人に、柾之はきっぱり頷いてやった。
「そうだよ」
 同い年のはずなのに自分よりも幼く感じられる尚人が、いつも姉の真奈美からミソッカス扱いを受けている柾之には嬉しかった。人懐っこい尚人は、同じ学校のクラスメイトたちよりも気が置けなく思えた。
「いたー!」
 突然の大声に驚いて振り向くと、階段の踊り場から真奈美がすごい勢いで駆け寄ってくるところだった。
「もう、ユキベエは! 自由研究のとこにいる約束でしょ。こんなとこにいたら見つかんないじゃない。お父さんたち車で待ってるんだからね。早くしてよ」
 まくし立てる真奈美の勢いに圧倒されて柾之は慌てて立ち上がった。手にしていたジュースに真奈美が目ざとく気づいた。
「何ジュースなんか飲んでんのよ? ユキベエお金持ってないじゃん」
「あ……あの、尚人におごってもらった」
「えー、そうなの。尚人くん、ありがとね。もう暗くなっちゃったから尚人くんもそろそろおうちに帰ったほうがいいんじゃない?」
「あ、うん」
 真奈美に促された尚人は、夕闇のせまる窓の外に目をやって素直に頷いた。真奈美はにっこりと笑みを浮かべて尚人にバイバイと手を振った。
「気をつけてね。じゃあね、尚人くんバイバイ。ほらユキベエ急いでよ。ゴハン食べて帰るんだって」
 途切れなく言って急き立てる真奈美に、柾之自身は尚人とろくな挨拶を交わす間もなくその場を去らざるをえなかった。
「バイバイ、ユキちゃん!」
 背中にかけられた尚人の声にも、柾之は階段を駆け下りていく姉の後を追うのに精一杯で振り返る余裕がなかった。



END





わかりますでしょうか? とりあえずパラレルのような、そうじゃないような。ってことでタイトルはスカイフィッシュ。存在を信じるも信じないもアナタ次第(我ながら意味不明のコメント…苦笑)。20030727

fantasia



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