眠る男



 
家に着いて「ただいま」っつってドアを開けても、中はシーンとしていて臼井の応答はなかった。
「た、だ、い、まー」
玄関からもう一度声を張り上げてみる。それでも部屋の中は静かで、何の気配もない。
天気がいいからこのまま臼井を誘って散歩に出ようとか考えながら、少しばかり浮かれた足取りで帰ってきたオレは、アテが外れてしまったことに舌打ちしてスニーカーを脱いだ。
(なんだよ。オレ、すぐ戻るって言って出かけたじゃん。自分がどっか出かけるんなら、ちゃんと言っておけよな。だいたい鍵もかけないなんて、無用心にすぎるじゃねーか)
ぶちぶち文句を言いながら、喉が渇いていたので、臼井がいないなら昼間からビールでも飲んでやれと思って、キッチンに入っていった。
(オレ、お茶も飲まずに帰って来たのにさ)
臼井はキッチンのテーブルに突っ伏していた。
気づいて一瞬足を止めた後でそっと近づいていくと、臼井は眠っているようだった。
(えー、なんで?)
眠るんならこんなとこじゃなくって、ちゃんとベッドに入るか、せめてソファにすりゃいいのにと思った。
(自分ちなんだからさ。そんな恰好して、学校で居眠りしてるみたい)
近づいてよく見れば、自分の腕を枕にして眠っている臼井の唇は、かすかに開いていた。
幼い子供のような寝顔を見て、オレは小さく吹き出した。
(携帯で証拠写真でも撮っておいたら、しばらく楽しめそう)
眺めながらしばらくクスクス笑っていたが、臼井はまったく起きる気配がなかった。
オレは身体をかがめて、臼井の横に寄り添うようにテーブルに頬をつけてみた。
小さく寝息が聴こえる。
(うわ、ほんとに幼稚園児みたい。この瞬間に目を覚ましたら、かなりいやがるだろうな。ボクちゃん、おメメ覚めたの、なんつったりして)
顔を寄せたままじっと見つめていたけれど、臼井はいつまで経っても目を開く気配がなくて、オレはつまらなくなって身体を起こした。
テーブルに片手をついて、もう一方の手で臼井の髪を軽くひっぱってみる。
(起きろ、こら。天気いいぞー。どっか出かけようってば)
スヤスヤとあんまり気持ちよさそうに寝てるから、はっきり起こしてしまうのも可哀そうな気がして、テレパシーが通じないものかと心の中で話しかけてみた。
下になってる頬には腕の跡がついていそうだから、ちょっと触ってみたりした。
(なー、起きないの?)
次に、小さく開いた唇の真ん中あたりを小指の先でちょいちょいとつついていたら、臼井は無意識のまま、いきなりチュッと吸い付いてきた。
(うわ、マジ?)
とっさに驚いて手を引っこめてしまったが、その感触にオレはかなりゾクッときた。
ゴクンと唾を飲み込んで、再びそろそろと指を近づけてみる。
息をのむようにして臼井の唇に触れたけれど、今度は吸い付いてはこなかった。
(ちぇー)
オレはそのまま臼井の口の中に指を差し入れて、前歯に触ってみた。
「ん」
臼井はかすかに身じろぎしたが、まだ目を覚まさない。
指の腹で上下の前歯を交互にさすっていたら、わずかな隙間ができたので、こじ開けるようにしてさらに中に侵入させた。
(あったかくてやわらかくてゾクゾクする)
と思った途端──。
「イテ、イテ…痛いっ、ちょっ、臼井っ、イタッ」
オレの指を挟んだ臼井の顎に徐々に力が入ってきて、痛みに耐え切れなくなったオレは、臼井の顔を押しのけるようにして指を引き抜いた。
「んっ」
その衝撃でようやく目を覚ましたらしい臼井は、ゲホゲホと咳き込みながら「な、何?」と声を上げた。
「…オニ」
噛まれた指にフーフーと息を吹きかけながらオレは涙目で呟いた。
「は?」
わけがわからないという表情で臼井が訊き返してくる。
まるで食虫植物の罠にかけられた気分だった。
オレはきょとんとしている臼井に聞こえないように口の中で悪態をつく。
(まったくひでえ。指が千切れるかと思った)



END

20040501

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