HappySongs番外─行彦─


夏季休暇に帰省してしばらくの間、兄の顔を見なかった。
「尚人は?」
三日目の朝食の時に訊いてみたら、母親は平然と「バンドのお友だちのところでしょ」と答えた。
兄の尚人は中学生の頃からロックバンドを組んでいる。それなりに人気があるらしい。女の子から「紹介して」と頼まれたことが何度かあった。もちろん丁重にお断りしたオレは「スカした奴」との評判を立てられることになった。昔から尚人関連ではロクな目に遭ったことがない。

「ねえねえ、ユキちゃん」
親たちが仕事に出かけてしまうと、妹の朋美が話しかけてきた。
「なんかねー、ナオちゃん、今、男の人とつき合ってるみたいなんだよね」
「はあ?」
とんでもない話題に素っ頓狂な声が出た。
尚人がホモ? それはないだろう。あいつは中学生で家に女を連れ込んでいた奴だ。
朋美は小首を傾げてみせた。
「うーん、よくわかんないんだけど、多分そうみたいなの。バンドの人とつき合ってるみたい」
「…それって、奥田さん?」
オレは何気なく聴こえるようにと祈りながら、その名前を出した。
尚人のバンドでドラムをやっている奥田さんは、本当にきれいな人で、初めて見た時には女の子だと思って、オレはすごくドキドキした。
「ちがう、ちがう。ユキちゃんは会ったことない人。大学で新しくメンバーに入った人なんだけど」
朋美は言いながら、ゴソゴソと居間のキャビネットを漁り出した。
「写真、あったと思うんだけど。…あ、これ。この人、臼井さん」
オレは朋美の示した人よりも、奥田さんに目を奪われていた。これ、遠近狂ってないよな?
「奥田さん、こんなにデカくなっちゃったのか?」
「あれー、ユキちゃん、知らないの? 奥田さん、すっごい背、高いよ。かっこいいよね」
なんだかショックだ。写真で較べると、オレと同じ背丈の尚人よりずっとでかい。「かっこいい」どころか、ショックだ。
「もー、ユキちゃん、ちゃんと臼井さん、見た」
朋美がふくれっつらを作ったので、オレはあらためて写真を見直した。
でもその人には特に何の印象も受けなかった。尚人の隣で普通に笑ってる。こいつらがホモって言われても全然実感できない。
「本当かよ?」
 疑わしい気持ちをあらわに写真を返すと朋美は歌うように言った。
「わっかんないけどー、でもナオちゃんは臼井さんのこと好きみたいよ」
「マジ?」
だってこの人、普通の人だよ。高校の頃の奥田さんみたいに女の子よりも可愛いってわけでもない。
「朋美が勝手に思ってるだけじゃないの」
「勝手じゃないですー。ナオちゃんってそういうの全然隠すつもりないみたいなんだもん」
それは確かだ。尚人の奔放さには時々イライラさせられる。長男のくせに少しもしっかりしていない。すごく自分勝手なんだ。


その日、夕方からこっちの友人たちと飲みに出たので、家に戻ったのは午前一時を過ぎていた。玄関に男物のスニーカーが二人分あって、尚人が友人を連れて来ているらしかった。

翌日、九時頃に起き出したオレはトイレに向かった。二階のトイレには、手前に洗面所があるので、タイミング悪く尚人とその友人が使っている気配がしていた。オレは小さく舌打ちして、そのままドアの外で待った。二度寝するつもりだから、わざわざ階下に降りて行くのが面倒だったのだ。
「朋美ちゃんが」
声が聞こえた。
「朋美だってもうとっくに出かけたよ。ドタドタ階段降りてったの、聞こえなかった?」
からかうような尚人の声。返事は聞こえなかった。
いつまで経っても彼らは出てくる様子がなく、オレはしびれを切らして奥のトイレだけ使わせてもらうつもりで洗面所のドアを開けた。
一瞬自分が何を見ているのか、わからなかった。
キス、してた。
こちらに背を向けた尚人が、同じ背格好の男を抱え込んで、唇を合わせていた。
ドアの音に気づいたらしい男は、目を開けて、オレを見た。その目が丸く見開かれる。
次の瞬間、尚人がオレにぶつかってきた。男に突き飛ばされたのだ。
「イッテー! …あっれー、行彦、どうしたの?」
わめいた尚人は、背後のオレに気づいて能天気に声をかけてきた。
「ユキヒコ…?」
真っ赤な顔になった男が呟く。
Tシャツにトランクス。「無防備だな」なんて、普通なら浮かぶはずもない感想が頭に湧いてしまった。とりたてて華奢とも言えない、それどころかデカイくらいの男なのに。
尚人はオレに寄りかかった体勢のまま、顔を上向けてオレを見上げて問いかけた。
「なんで行彦がいんの?」
「夏季休暇だから」
答えて、尚人の肩を押して立たせた。
「邪魔して悪かったな」
オレは言い捨ててドアを閉めた。

「小日向、てっめえ!」
最初から素直に下のトイレを使うべきだったと後悔しながら、階段を降りかけたオレの後ろで叫び声が上がった。
「わー、臼井、ごめん!」
やっぱり、あの人が臼井さんなんだ。
確信を得たオレの背後、階段の上で尚人の言い訳が続いていた。
「オレ、だって知らなかったもん、行彦が帰ってきてるなんて。大丈夫だよ、あいつ、全然気にしてないみたいじゃん」
十分気にしてるよ。実の兄が男とキスしてたんだぞ。びっくりした、びっくりした。
当たり前みたいに、男とキスしてる兄を見て、オレに何が言えるというのだ。

尚人が奔放すぎるから、オレは昔から感情を表すのが苦手だった。オレが反応するより早く尚人はワアワア騒いでしまうから。ずるい奴だっていつも思っていた。

下のトイレを使って自分の部屋に戻ったオレは再びベッドにもぐり込んだ。
奥田さんを好きだった時、オレはそれを恥ずかしいことだと感じていた。誰にも、自分自身にすらその気持ちを隠していた。恋とはちがうと思いたかった。だからあれが恋だったのか、よくわからない。そしてオレの憧れていた人は、今はもうどこにもいない。それは少し淋しいだけの、よくある失恋だと思っていた。

オレは結局尚人には敵わない。
尚人のキスシーンは、オレに自分の臆病さをつきつけてきた。
同性を相手にするのさえあまりにも自然体の尚人に、オレはどうしようもない敗北感を覚えていた。


二度寝から目覚めると、家には誰もいなかった。
階下に下りて居間の窓を開け放つと、蝉の声とともにわずかな風が入り込んできて、寝起きの身体に心地よかった。
オレは朋美に見せられた尚人たちの写真をもう一度持ち出してみた。
尚人の相手は、オレにはやっぱり普通の人に見える。尚人はこの人のどこが好きなんだろうか。

オレは写真の中の背の高い奥田さんに目を移した。いつの日か彼に「好きだった」と伝えたいような気持ちになっていた。
そして今度好きになった相手には、素直に好きだと伝えよう。そう決めた。




END





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