雨が降りそうな日に


 唇を指でなぞられる感覚で目が覚めた。
 ぼんやり目を開けると、オレの顔を覗き込んでいたらしい小日向がパッと離れた。そのまま何も言わずにバスルームに消える。
 まだ拗ねていやがる。
 半身を起こしたベッドの上で、オレも多少不機嫌になっていた。身体中が痺れている。ちくしょう、こんなにしやがって、怒るのはこっちだろ。
 オレたちは佐竹のライブのサポートメンバーとして、大阪に来ていた。
 ライブは昨夜無事に終わり、このホテルに泊まった。ツインルームは、高見と奥田、オレと小日向に割り振られていた。
 デビューをはたした佐竹は大学を休学して音楽活動に専念していた。彼のルックスを利用した会社の宣伝方法に皮肉を洩らしながら、佐竹はそれ以上の手応えを確信しているようだった。実際ライブの客は半数が男性で、佐竹の人気が外見によるものばかりではないことを裏付けていた。
 オレは久々に佐竹の支配する音楽に身を置いた。ギターの爆音と叩きつけるような歌い方。佐竹のオリジナル曲を演奏するのは初めてだったが、それでも懐かしさを覚えていた。

 バスルームから出てきた小日向は、やっぱり無言のままで自分のベッドに潜り込んだ。
 ああ、そうかよ。
 オレは低血圧気味だから、朝はどうしても気分がのらない。そこにオレが悪いわけでもないことで無視されれば、頭に来るのは当然だ。こっちも黙ったままシャワーを使うためにバスルームに入った。
 洗面台の大きな鏡は、曇り止めが施されているらしく、小日向がシャワーを使ったばかりだというのに、しっかりとオレの身体を映し出した。無数につけられた小日向の痕に、ますますむかついた。
 シャワーを終え、オレが身支度をする間も、小日向はベッドに潜ったままだった。いい根性だ。
「朝メシ、どうすんだよ?」
 こちらに向けられた背中に声をかけたが、返事はなかった。
「オレ、食べに行くけど?」
 ゆっくり十数える間待って、諦めた。
「鍵、持って行くからな」
 廊下に出たオレの背後でオートロックのドアがカチリと閉まった。
 向かいの部屋の高見たちに声をかけようか迷って、結局やめた。まさかとは思うが、昨夜の声を聞かれていたとしたら、とてもじゃないが平静でいられない。
 あンのくそバカ小日向。
 朝食用にビュッフェが用意されたレストランに行くと、奥田が先に来ていた。手招きされて同じテーブルに着く。
「高見は?」
「食べないって。というより食べられないってよ。二日酔い。小日向はどうした?」
 奥田はいたずらっぽい顔で訊いてきた。
「知らねえ。口、利いてないもん」
 オレは仏頂面で答え、ビュッフェに向かった。



 小日向は昨夜オレが佐竹とキスしたことを怒っているのだ。でも、そのもともとの原因は小日向にある。
 それにあれはただのゲームじゃないか。
 ライブの後、小さな店を借り切っての打ち上げがあった。
 大成功だったライブの余韻を引きずって、みんなハイテンションだった。もちろん小日向も例外ではなく、初めのうちはオレの隣で例のごとくオレをおもちゃにしながら、他の奴としゃべっていたが、すぐに声をかけられて、あっちこっちのテーブルを回り出した。
「ねえ、今日はお店のステージが小さく見えなかった?」
 ライブハウスの女の子の一人がそう切り出すと周りのコたちが一斉に頷いた。
「思ったー。まず佐竹くんが背、高いでしょ。で、サポートもみんな背が高いもんね」
「佐竹くん、身長いくつ? 一八〇あるよねえ」
「ねえ、ジラフってやっぱりみんな背が高いからそういうバンド名なの?」
 訊かれたオレが「うん多分」と曖昧に答えると、向かいの高見が「ちがうよ」と言った。
「中学のときの先生のアダ名だよ。キリン先生って女の先生がいて、オレらのこと応援してくれてたんだ。バンド始めた頃なんて奥田は背、低かったし」
 今では奥田が一番の長身なので、女の子たちは「ウソー」と声をあげた。注目を浴びた奥田はちょっと肩をすくめた。
「ぼくら臼井にこの話、してなかったっけ?」
「うん。知らなかった」
「え、臼井くんて後から入ったの? 私てっきり臼井くんと小日向くんで作ったバンドなんだと思ってた」
 女の子の言葉にオレは慌てて首を振った。
「ちがうよ。オレは最初サポーターみたいなもんだったし」
「でも今は臼井の曲があってバランス取れてるんだよ」
 奥田がさりげなくフォローを入れてくれる。
「私も臼井くんの声、好き。CDも期待してるね」
 このツアーで佐竹はオレたちの曲を演奏する機会を与えてくれ、おかげでジラフにもCDデビューの話が持ち上がっていた。
 本当のところオレたちはプロでやっていくつもりなのかどうかを話し合ったことなどなかった。
 どちらにしても小日向は音楽でしか生きていけないような気がする。
 でも法学部の奥田には司法試験を受けるつもりがあるらしい。そして高見やオレはまだ具体的な将来像が見えていなかった。
 ライブの熱狂の中に身を置いていると、そここそが自分の居場所のような気持ちになれた。小日向の作り出す曲を聴く度、そして新しい曲を作る度に、それ以上のことは何も想像できないと思った。
 だからと言ってオレには小日向のように音楽が全てと言い切るだけの才能はないのだ。
 このツアーが終わったら、オレたちはとにかくCDを一枚作ってみようということになっていた。甘いと言われようとオレたちにとって音楽はただ楽しみのためにあった。だから自由な学生のうちに挑戦する機会を与えられたのは幸運と言えた。
「CDが出たら、絶対買うわよ」
 同じテーブルについた女の子たちに口々に言われ、すっかり出来上がっている高見が気をよくして頷いた。
「ゼヒゼヒお願いシマース。一人十枚ノルマでヨロシク! チャート狙うからさ」
「あはは。十枚じゃ無理でしょー」
「え、じゃ百枚お願いできる?」
「でっきませーん」
「なんだよー。いないの、三十万くらいポンと出してくれるパパとかさ」
「きゃー、ヤダ。高見くん、それセクハラ」
 そのうち誰が言い出したのか、比較的若い連中で固められていたオレたちのテーブルでは、お決まりの王様ゲームが始まった。
 小日向が途中で戻ってきて、ゲームに参加した途端、王様になった。テーブルを回っている間に相当飲まされていたらしい小日向は上機嫌だった。
「4番と5番、ベロチュー」
 調子に乗って命令を下した瞬間、オレの隣に坐っていた佐竹が、オレの肩越しに「それ、臼井だったら、どうする?」なんぞと囁いたせいで、小日向は青くなった。
 このツアー中に、高見はオレにこっそり「佐竹と奥田って似てるよな」と耳打ちしてきていた。確かに顔のいい奴同士で似ているかもしれないと思って頷くと、さらに高見は二人がオレには優しく小日向をいじめるところが同じだと言った。
 別にオレは二人に優しくしてもらっている覚えはないのだが。小日向のこともいじめるというよりは、からかって遊んでいるのだと思う。
 その時も、動揺して「やっぱ、ちがうのにする」と言い出した小日向を見て、佐竹は面白そうにクスクスと笑っていた。
 小日向の命令の変更は、「そんなのダメだ」と周りから却下されたが、幸いそれはオレではなく、高見だった。相手はスタッフの女の子で、真っ赤になってしまったので、高見は気を使って「やめよう」と言ったのに、オレではないとわかっていい気になった小日向は許さなかった。
「ダ、メー。王様の命令は絶対です」
「てめ、小日向、覚えてろよ」
 小日向を一睨みした高見が、女の子に出させた舌に、サッと触れるか触れないかで舌をつけた。
「ブー。それはキスとは言いません。やり直し」
「小日向!」
 怒鳴る高見に小日向はしれっと同じ言葉をくり返した。
「王様の命令は絶対でっす」
「ぜってー許さねえからな」
 その後はどんどん過激化していく命令に、女の子たちがリタイアして傍観者を決め込み、男だけになってしまった。オレも途中で抜けたくなったが、男の脱退は認められなかった。ちゃっかりしている奥田だけは、女の子たちより先にさっさと他のテーブルに移っていた。
 そして何度目かにようやく高見に王様が回ってきた。どういうわけか小日向は王様になると高見の番号を当てるので、とんでもないオリジナルカクテルまで飲まされた高見は、据わった目で小日向を睨んだ。
「おーし、覚悟しろ、小日向。カタキとってやる。1番と4番、三分間キスしろ」
 意気揚揚と高見が宣言した途端、小日向は舌を出した。
「はっはーん、バッカ。残念でした、オレ2番だよん」
 4番はオレだった。そして1番は…。
「オレだ」
 少し困惑した表情で右手をあげたのは、佐竹だった。「きゃあ」と周りの女の子たちが嬉しそうな声をあげた。
「すっごい絵になるかもー」
「三分あるなら写真取っちゃおうか」
 ルックスの良い佐竹は、女の子たちからの人気が抜群で、すでに頼まれてそれぞれとツーショットの写真を撮っていた。
 はしゃぎ声の中、小日向が真っ赤な顔で立ち上がった。
「そんなのダメだッ!!」
 まさに絶叫。みんなが唖然と小日向を見た。関係のないテーブルの奴まで。遠くから「うるさいぞ、酔っ払い」と野次が飛ぶ。
「絶対許さない」
 口元をへの字に曲げて、小日向が言うと、女の子たちからブーイングが起こった。
「えー、何よう、小日向くん」
「そうよ、小日向くんは関係ないじゃない」
「あー、えっとー、オレ、違う命令に変えようかな」
 小日向の剣幕に高見が変更を申し出たが、先に高見とベロチューをさせられた女の子を中心に文句が出た。
「なあに、高見くんまで」
「そんなのダメだよねえ」
「臼井はオレのだ」
 ほとんど泣きそうな小日向の言葉に、みんなは笑い転げた。ジョークと取ったらしい。ステージで演奏の合間にオレの頬を舐めたりして見せる小日向の行動は、パフォーマンスとして受け取られていた。その続きだと思われたのだろう。
「きゃは、やだー小日向くん、やきもち?」
「じゃあさ、小日向くんと臼井くんがディープキスしたら、佐竹くんとはキスしなくっていいことにしようか」
「そうそう、ちゃんと三分間、舌からませてくれたらね」
 きゃっきゃと楽しそうな女の子たちを、オレはあせって遮った。
「冗談。オレやだよ、そんなの。佐竹となら舌はナシでいいんだろ?」
 衆人環視の中、小日向とキスなんかできるか。普段は何をやらせても不器用なくせに、悔しいが小日向はキスがうまい。もしも感じてしまったりしたら立ち直れない。
 小日向はオレをギッと睨んでわめいた。
「臼井、てめえ、浮気する気か?」
「あは、小日向くん振られちゃったの、可哀そう」
 うるさい外野を無視してオレはすぐ隣に座っている佐竹の頬に手をかけた。こんなゲーム、さっさと終わらせてやる。
 佐竹はキレイな顔だし、嫌悪感はなかった。そういえば一度、オレは佐竹にキスさせろと言われたことあるんだよな。なんだか今さらの気がして苦笑すると、佐竹も困ったように少し笑った。
 目を閉じて顔を近づけ、軽く唇が触れた途端、背後で派手な音が響いた。女の子たちの悲鳴。
 小日向が高見に殴りかかったのだ。
「高見、ぶっ殺す!」
「オレのせいかよ?!」
 椅子に押し付けられた高見がジタバタと抵抗している。
 一瞬呆然として固まっていたオレたちは、慌てて二人を引き離しにかかった。
 その後はもうめちゃくちゃだった。グラスは割れるし、椅子までひっくり返った。
 気がついたら、高見の喉元を締め上げていたはずの小日向は、高見にしがみついて泣いていた。
「なんだよォ、オレ、そんなの絶対許さないからな」
 ウッウッと子供のように嗚咽を洩らしている。高見はその背を撫でながら「わかった。オレが悪かったよ」と宥めていた。
「えー、何がどうなってんの?」
「小日向くん、本当は高見くんが好きだったんだ」
「てゆーか、飲み過ぎなんじゃ」
 その場の誰もが酔っ払いなので、わけがわからなくなっていた。
「しょうがないなあ。ほら、小日向」
 別のテーブルに坐っていた奥田が近づいてきた。手を貸して、高見と二人で小日向を抱える。
「悪いけど、ぼくたちお先に失礼します。臼井も帰ろう」
 促されて、四人で店を出た。ひとかたまりになって歩く三人の後ろをオレは黙ってついて行った。
 オレは悪くないと思う。どう考えてもあんなところで小日向相手にキスなんかできない。
 高見と奥田に両脇から抱えられて歩きながら、何度もくり返し「ちくしょう」と呟いている小日向の背中をオレは睨んだ。
 ゲームの結果が気に入らなくて泣き出すなんて、まるっきりガキじゃないか。


 ホテルに戻りオレたちの部屋に小日向を運び込んで、奥田と高見はあっさり出て行った。二人きりになって、オレはベッドに突っ伏している小日向に近づいた。
「小日向?」
 そっと肩に手を触れた途端、小日向はガバッと跳ね起きてきた。反対にオレがベッドの上に引き倒される。
「てめえ、臼井、どういうつもりだ?」
 仰向けに押さえつけられたオレの真上で、涙の残る目がキラキラと光っていた。
「なんだよ、ただのゲームだろ」
 服を脱がしにかかる小日向に抵抗しながら、オレは反論した。
「どうしてオレじゃなく佐竹とキスしたんだよっ」
 なじられてオレは視線をそらした。
「…言いたくねえ。あっ!」
 強引な手が足の間に入ってきた。慌てて押さえる。
「やめろ。小日向、こういうのは嫌だ」
「うるさい。臼井こそオレの気持ち無視しやがって」
 小日向の必死の形相を見たら、なんだか可哀そうになって、オレは抗うのをやめた。
 オレがあの場で小日向とキスできなかった理由。
 それはオレにとって小日向が特別な奴だからだ。オレにとって小日向は人前で何気なくキスを交わせるような相手ではない。
 どうしてこいつにはそれがわからないんだろう。
 頬に小日向の涙がポタッと落ちて、思わず力を抜いてしまったオレの中に、小日向はいきなり押し入ってきた。
「…ッ! ああああ!」
 思わず迸るような声が出た。
「バ、バカ…、いッ! ん…っ、あああ」
 まるで動物のような叫びを続けざまにあげさせられ、赤面する隙もなかった。
 結局オレは小日向の勢いにもみくちゃにされたのだった。
 オレを翻弄しながら「臼井はオレのものだ」とくり返す小日向に、否定の言葉を口にする余裕もなく何度も首を振った。
 そんなのはオレの考えと違う。
 小日向はオレにとって特別だけれど、それでもオレは小日向に従属するわけじゃない。身体中につけられた痕を、所有の印だとは認めない。



「臼井は新幹線の時間までどうするの?」
 たいして感じもしない食欲に、形だけ卵やパンをみつくろったトレイを手にテーブルに戻ると、先に食べ終えていた奥田がコーヒーを飲みながら訊いてきた。
 今日は夕方の新幹線で東京に戻ることになっていて、それまでは自由時間だった。
「観光するなら佐竹がガイドしてくれるって言ってたけど」
「佐竹はもう朝食済んだんだ?」
 オレはやたら喉が渇いていてジュースばかり口に運んだ。小日向のせいに決まっている。あんなに好き勝手しやがって。
 かすれた声が奥田に悟られそうで恥かしかった。
「ぼくと入れ違いくらいだったよ。早起きだよな」
 佐竹は昨夜はそんなに飲んでいなかったのだろうか。
「さすがにちょっと沈んでいるみたいだった」
「え、誰が?」
 話の脈絡が見えなくて、きょとんと問い返したオレを、奥田はじっと見つめ一言で答えた。
「佐竹」
 佐竹が沈むようなことが何かあっただろうか。首を傾げるオレを見て、奥田は苦笑した。
「あゆみちゃんの時も思ったけど、臼井って結構残酷だよね」
「残酷って…」
「佐竹は、臼井のことが好きだったんでしょ。なのに臼井は平気で佐竹にキスできるんだもんな」
「だって、それは」
 佐竹は、オレを好きだったような気がすると言っただけだ。その話は片がついているはずだろう。佐竹が小日向にキスした時、奥田も一緒にいたじゃないか。
「小日向には負けたって笑ってたけど、臼井にまで簡単にキスされちゃショックだったんじゃない」
 オレは佐竹とキスすることを何とも思っていなかった。佐竹は友だちで、人前でキスしてもちゃんとジョークにできる。それが佐竹や奥田にも正確に伝わっていたというわけだ。
 なのにどうして小日向にはわからないんだ。アホウ! 考えれば腹が立ってその鈍感さを罵りたくなった。
 オレはまた一口ジュースを飲んだ。
「佐竹は勘違いしてるんだよ」
 佐竹はオレが小日向と付き合っているから、オレをそんな対象と勘違いしているんだと思う。オレたちはもともと友だちなんだから。
「それにあれは佐竹とキスすることがどうこうっていうんじゃなくってさ、やっぱ…その、小日向とするのが…嫌っていうか、うん、小日向とじゃやっぱり嫌だっただけで」
「それが残酷だっていうんだよ」
 オレがもごもごと言い訳のように呟いていると、奥田は肩をすくめた。
「だから臼井の曲ってキレイなんだよな」
「え?」
「小日向の歌詞は、結局は自分が傷ついちゃってる感じだけど、臼井の歌詞はうっかり触らせないようなとこがあるよ。バリヤー張られてるっていうか。そこがいいんだけどね」
 奥田は時々オレの曲を好きだと口にする。それはおそらく小日向に対して感じてしまうオレのコンプレックスを払拭しようという心遣いだった。
「案外臼井のほうが小日向以外はどうでもいいってことなんじゃないの。ま、これで佐竹も吹っ切れたかもしれないよね」
 オレには言うべき言葉がなかった。黙り込んでしまったオレを奥田は少し困ったように眺めて、笑顔を見せた。
「じゃあ、今日は小日向と二人でどこかに行けば?」
 オレは情けない顔で奥田を見た。
 だからオレは小日向と口利いてないんだって。
「小日向、かなりヘコんでいるみたいじゃん。なぐさめてやんなよ」
 奥田は、普段小日向とはあまり反りが合わない感じなのに、小日向が落ち込んでいるときだけは妙に優しくしてやる。「甘やかすからつけあがるんだ」なんてしょっちゅう口にしているくせに、小日向が落ち込むときに手を差し伸べているのは、いつも奥田のような気がする。
 高見は奥田がオレには優しいと言ったけれど、本当は根本的に優しい男なんだと思う。頭がいいから何かとすぐに皮肉を口にしてしまうだけで。
「小日向はガキだからさ、臼井が大人になってやるしかないよ」
 オレは、そう言って諭してくる奥田の顔を見つめた。顔の造りだけを見たら可愛いという感じなのに、なんとなく頼れるような雰囲気がある。身長があるからだろうか。
「奥田は司法試験受けるんだよね」
「うん、まあ一応はそのつもりでいるよ」
 突然話題を変えたオレに面食らったように奥田が答えた。
「弁護士になりなよ」
 オレはそう勧めてみた。いつも親身に話を聞いてくれる奥田に、オレは救われているのだ。本音を言えばあゆみや佐竹では距離が近すぎもした。
「奥田には検事とか裁判官よりも弁護士が合ってるような気がする」
 オレが言うと、奥田はハハと笑った。
「そう言ってくれるのは臼井くらいのもんだろ。高見なんか絶対裁判官だって言いやがった」


 部屋に戻ると小日向はまだフテ寝していた。布団を全身に引き被り繭を作るように丸くなっている。
 小日向をガキだと思うからこそ、そのガキにいいように振り回されることにプライドが傷つけられた。
 乱暴にされれば腹が立つし、優しくされれば癪に障る。同性なのに小日向を受け入れて喘ぐ自分が情けなかった。
 どうしてオレが体格差のない小日向に抱かれなくてはならないのか。そう言えば、簡単に「どっちでもいいよ」と返されて、オレは黙るしかなくなる。こんなデカイ奴、抱いたって全然気持ちよくない。小日向の気持ちは全然わからない。
 オレも矛盾している。一対一で向き合うのが恋愛だと言っているくせに、抱くとか抱かれるとか役割を作りたがっている。抱くならオレより華奢な奴がいいなんて、保護・被保護の関係を望むみたいじゃないか。
 小日向との関係はオレに余計なことばかり考えさせる。
 オレはため息をついた。ベッドに近づき、布団ごと抱きしめた。
「小日向」
 シャワーを使って髪も乾かさないで布団にもぐっているから、頭の辺りが湿っていた。ホテルの人に嫌がられるぞ。
「小日向。なあ、帰る前に二人でどこか行こうぜ」
「……」
「せっかく来たのに、どこも見ないで帰るの、もったいないじゃん。小日向の行きたいとこに付き合うから。なあ?」
 返事がないのにめげず何度も耳元で「なあ、なあ」と囁いていたら、ようやく小日向が唸るような声を出した。
「…み」
「ん? 何?」
「海に行く」
 布団からやっと覗かせた顔は、まだ拗ねたように唇をとがらせていた。
 ガキだなと思ったら、おかしくなってクシャクシャと小日向の髪を掻き混ぜた。やっぱりこんなガキに簡単に翻弄されてしまう自分にはプライドが傷つく気がする。
「海って大阪港?」
 小日向が言う海は、どこかの浜辺でも想像しているんじゃないのか。海と聞くとベイエリアよりも海水浴場のようなものを思い浮かべてしまうのは、オレだけなのだろうか。
「どこでもいいから、海に行こうぜ」と小日向はくり返した。
 念のため、フロントに寄って近場の海水浴場を聞いてみると、電車で一時間弱かかるとのことだった。オフシーズンのせいかホテルマンにも怪訝な表情をされたので、結局大阪港に行ってみることに決めた。

 あいにく天気の悪い肌寒い日だった。どんよりと低く垂れこめた雲から今にも雨が落ちてきそうだった。
 その周辺はレジャーゾーンになっているらしく博物館や公園もあったが、小日向はとにかく海を見たいの一点張りで、寒さにこごえながらベイサイドを目指した。
 平日のせいもあって整備されたウォーターフロントに人影はまばらで、オレたちは当てもないまま歩き続けた。
 あまりの寒さに自然寄り添うようになり、いつのまにか手をつないでいた。
 雨が降りそうなこんな日に、海に来るような酔狂な奴は、オレたちくらいで、だから多分それはいいことだった。
 少しずつ風も強くなってきているようだった。
 突風にバランスを崩されたフリをして、小日向に肩をぶつけた。一瞬緩んだ手をもう一度ぎゅっと握りしめる。
 つないだ手から温かさが伝わってきて、横顔のまま小日向がクスクスと笑った。
「なんだよ?」
 訊きながら、オレも笑っていた。
 寒さで感覚が麻痺してナチュラルハイに陥ったみたいだった。それがお互いに伝染して増幅した。
「何笑ってんの?」
「そっちこそ」
「こんな日に海に来ようなんて、よく考えついたよな」
 手を離さずに肘だけで小突き合った。
「オレは外、見てなかったもん。臼井こそ雨が降りそうだからやめようって言えばよかったのに」
 カラフルな建物を横目に足を運ぶ。
 すれ違った犬連れの熟年夫婦がちょっと驚いたようにこちらを見たが、そんなのは全然気にならないくらい気分が高揚していた。
「寒い」
「風邪ひいたらどうすんだよ」
「誰のせいだ」
「マジで雨降るかもよ」
「どうすんだよ、傘ないだろ。早く引き返さないと濡れちゃうよ」
 言いながら、どんどん歩いていた。じゃれ合いながら、手をつないだまま。二人でどこまでも行けるような気がしていた。
 髪をなぶる風に潮の匂いがした。
 オレは小日向とだったらどこへでも行ける。でもそれは小日向に連れて行ってもらうんじゃない。オレたちは手をつないで行くんだ。そうだろう、小日向。
 それがこいつにはわかんないんだよな。
 そう考えたらおかしくなって、つないだ手に力をこめた。
「イテッ」
 小日向の悲鳴に声をあげて笑う。こんなちぐはぐな恋、生まれて初めてだった。
 似合わないと言われてもオレたちは出会ってしまったから。手をつないでどこまでも行こう。雨が降りそうなこんな日でも。



END






homeのカウンタ3000を踏んでくださったひょうさまのリクエストは「小日向が有頂天になるような話」だったんですが…有頂天どころか、どちらかというとどん底ですね。えへ。リクエストにまともに応えられないのはいつものことなので。開き直り。←オイ。
今回思ったこと。臼井は意外とお外が好きらしい。アウトドア派(笑)。20010408
fantasia
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