VDK
「チョコレートは?」
夜になってオレのアパートにやってきた小日向は、上着も脱がず開口一番そう言った。今日が何の日か一応認識していたらしい。オレは奴の連れ込んできた冷気に顔をしかめて、そっけなく言い捨てた。 「小日向の分は、軽音の部室に置いてある。けっこうあったから預かって来なかった」 気になるんだったら、今日くらいは大学に顔を出せばよかったのに。オレが朝から何人の女の子に小日向の所在を訊かれたと思っているんだ。 オレの言葉に小日向は「ちがう」と首を振った。 「臼井のチョコレートは?」 「オレがもらったのは、そっちの棚の前。小日向のより少ないよ、多分」 オレが女の子たちから渡されたプレゼントは、暖房を使っている部屋では溶ける心配もあったので、台所に置いてあった。半分くらいはチョコレートではないようだけど。 それにしても「人の分まで気にしてどうする」とオレは呆れた。今回ジラフのメンバーの中で、バレンタインデーのプレゼントを一番多くもらったのは、おそらく高見。あいつは中高生に人気があるし、だいぶ前から「くれくれ」と臆面もなく言い回っていたせいもあるだろう。チョコレートだけじゃなく、手編みのマフラーが二件バッティングして、困りつつもまんざらでない顔をしていた。 「高見に負けてるよ」と言ってやろうかと思ったら、小日向が苛立ったように叫んだ。 「そうじゃなくって! 臼井からオレには?」 「は?」 ぽかんと見上げると、小日向はみるみる唇をとがらせた。 「ないの?!」 「え、だっておまえ、それ、ちがうだろ」 バレンタインデーって女の子がチョコレートをくれる日だろう。どうしてオレが小日向にやらなきゃならないんだ。いや、正直に言えば少しは考えなくもなかったけれど、しかしこの時期に男のオレがチョコレートを買うのは相当の勇気がいるぞ。 「信じらんねえ。オレ、付き合っててチョコもらえなかったの、初めてだよ」 「それを言うなら、オレだって」 ぼそっと呟いてみたが、無視された。 「ひでー。オレ、楽しみにしてたのに。何の連絡もないから、まさかと思って来てみれば、ほんとにないの?!」 小日向ってイベントが好きなんだな。商業戦略に乗せられているみたいで嫌じゃないんだろうか。くやしげに地団駄を踏んでみせる小日向は、まるっきりだだっこだった。オレはため息をついた。 「そこのもらったやつ、好きなの食べていいから」 「臼井、サイテー! それ、マジでサイテー!」 指で差すんじゃねえ。鼻の先につきつけられて、いっそ噛みついてやろうかと思った。 「どうしろっつーんだよ」 「オレは臼井からのチョコがほしいの。他のはいらないの」 ぶつぶつ言いつつ、革ジャンを脱ぎながら小日向はオレのもらったチョコレートを漁り始めた。 「あ、これ、高いんだよな」 有名ブランドの箱をみつけて呟いているので「いいよ、食べて」と勧めた。 「これは臼井がもらったんだろ」 そう言いながら、一粒を取り出しオレの口元に押しつけてくる。どういうつもりなのかわからないまま口を開き、放りこまれたチョコレートを噛んだ途端「飲み込むなよ」とストップをかけられた。 チョコレートを口に含んだまま、とまどって小日向を見ると、小日向はオレの頭を引き寄せ唇を押しつけてきた。そのまま舌を差し入れてくる。 「んん」 オレの口の中で小日向の舌がチョコレートをまさぐる。もともと一口で食べるにはサイズが大きかったので、ひどく苦しい。そこに小日向の唾液まで混じって、窒息するかと思った。ようやく溶けたチョコレートを、吸いこむようにして小日向が持っていった。解放されたオレは肩で息をつきながら、口元を押さえて小日向を睨みつけた。 「とりあえず、これなら臼井からもらったって気になれるな」 口の端、茶色の唾液を滲ませてニンマリ笑う小日向の頭を、オレはパシンと叩いた。 「あほう!」 |
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