誤算-2-
ところが駐車場に向かうぼくに、杉本さんはくっついてきた。
「ほんとに送ってあげるよ」 背後からかけられる声が、頭ごしに上から降ってくるのがむかつく。 「誰が。あんた何考えてんの? ぼくにあんなことして、謝りもしない」 自分の車の前で足を止め、ぼくが罵ると、杉本さんは心外そうに肩をすくめた。 「謝る? イイ思いさせてあげたんだから、お礼言われるかと思ったのに」 「バ、バカか!」 ぼくは真っ赤になって怒鳴った。杉本さんはあっさり前言を撤回した。 「じゃ、謝るよ。お詫びに食事おごるから」 「いらねえ」 仏頂面で拒否するぼくを、真面目な表情で覗き込んでくる。 「ほんとにごめん。俺、どうかしてたんだよ。離婚したばっかりだし。その原因の数パーセントくらいは、おたくの副館長さんにもあると思ったら、むしゃくしゃしてさ」 誠実そうな口調で言われて困惑した。 「そんなの、ぼくに言われても」 もごもごと口ごもると、杉本さんはきちっと腰を折って深々と頭を下げた。 「だからごめん。八つ当たりしたんだ。お詫びにおごらせてよ」 そんなふうに謝られて怒りつづけることもできなかった。どちらにしろ仕事の付き合いは続くのだ。彼が反省しているならしこりを残したくはない。夕食をおごらせた程度でなかったことにするのは癪に障る気もしたが仕方ない。ただし、せいぜい高いものにしようと考えた。 「…じゃ、寿司」 ぼくは杉本さんの車で**市に向かった。公立大学を中心として、企業の研究機関も多く設置されている**市は、車で四十分くらいの距離にあり、このあたりでは一番栄えていて、杉本さんの会社もそこにあった。 いかにも高級そうな寿司屋で、ぼくたちはカウンターに座った。あんなことされたんだ、目一杯高いものを頼んでやる。そう思っても、ウニとかイクラとかありがちなものしか浮かばない。地酒を頼んだが、杉本さんは「車だから」と飲まなかった。送迎つきで寿司なんて、こんな豪華な夕食の機会は滅多にないのは確かだった。 「君島くんはB型でしょ」 「は?」 口に入れたウニがとろけそうにうまかったので思わずニンマリした途端、杉本さんに言われて、喉につかえそうになった。嫌なタイミングでこちらを見る人だ。 「ワガママそうだから」 さらに腹の立つことを口にする。自慢じゃないがワガママなんて生まれてこのかた言われたことがない。第一よく知りもしない杉本さんに言われる筋合いじゃない。 「ぼくのどこがワガママですか?」 「思ってることが全部表情に出るでしょ」 表情に出てるか? そんなの自分じゃわからない。 「…あいにくぼくはBじゃないです。気配りのA。杉本さんはAB型でしょ、二重人格っぽい」 嫌味たっぷりに切り返してやったのに、杉本さんは嬉しそうに笑った。 「ははは。ほら、そういうふうに負けず嫌いだし」 悔しいけれど、こういう杉本さんは悪くない。余裕があってかっこよく見える。ついそう思ってしまい、地酒を飲んだのは失敗かもしれないと考えた。アルコールは判断力を低下させる。昼間にされたことを忘れたわけじゃない。 寿司屋を出ると、車はさらに**市の中心地のほうに向かった。 「どこ行くんだよ?」 少しだけ警戒心が働いた。杉本さんは運転しながら、ちらりとこちらを見た。 「これ、会社の車なんだ。あんまり乗り回すわけには行かないから取り替えたいんだけど」 仕方がないので頷いた。会社に着くと、杉本さんの車の中で何分か待たされた。ぼくの車よりずいぶん格が上らしい杉本さんの車のシートは座り心地がよくて、アルコールの入っているぼくは少し眠くなってしまった。 しばらく経って車に乗り込んできた杉本さんは「俺の家に寄らせて」と言った。また四十分かけてぼくの家まで送ってもらうのだから、そのくらい我慢するべきなのだろう。ぼくは渋々頷く。 杉本さんは住宅地の一角にあるアパートに住んでいた。いかにも新婚夫婦向けらしく、広いダイニングとそれに続く居間。隣には少し狭い部屋がありパソコンが置いてあるのが見えた。奥には寝室もあるらしかった。居間に座らされ、ワインを出される。なんだか高そうだと思った。 「俺、もともとワインはあんまり飲まないから、どうぞ」 「すみません。でも、すぐ帰るから」 ぼくの言葉を無視して、杉本さんはワインの栓を抜いてしまった。形だけグラスに口をつけるぼくに、杉本さんは言う。 「悪いんだけど、着替えてもいいかな」 頷いて、ワインを飲みながら待った。ぼく、何してんだろ。やがて風呂場のほうから水音がしてきた。杉本さん、まさか風呂使ってんのか。ただ着替えるだけじゃないのかよ。清潔好きなのかもしれないけどさ、こっちのほうがシャワー浴びたいよ。そう考えて自分で赤面した。 すでに日本酒が入っているからそんなに飲めるわけもなく、出されたワインは次第にぬるくなって渋味を感じた。 やがて杉本さんは缶ビールを片手に部屋に入ってきた。なんで飲んでんだ? しかも着替えって、それ、どう見てもパジャマ、せいぜい部屋着にしか見えない。眉をひそめて見上げるぼくに頓着せず杉本さんは小さな壜を見せた。 「これ、奥さんの忘れ物」 何かの化粧品らしい。 「なんかすごく高いらしいよ。だからって冷蔵庫に保管しといて忘れてったの。バカだよな。せっかくだから使っちゃおうと思って」 うわ、杉本さん、男のくせに顔の手入れとかするのか。ちょっと呆気に取られて眺めると、杉本さんはにっこりと笑顔を向けた。 「さて、どうしようか。ここでする? ベッドを使う?」 おい、何を言い出した? 「…何をするんだって?」 知らず声が低くなる。先刻灯りかけた警戒信号が、今度は急ピッチで点滅している。 「ここまで来て何言ってんの?」 杉本さんは本当に不思議そうな表情を作った。こいつ、マジで怖い。ぼくは恐怖でいくぶん裏返りそうになる声を張り上げた。 「ふざけんな! あんたが連れて来たんだろう」 「そして君島くんはついて来た」 いやだ。本気で泣きたい気分だった。ぼくはバカだ。なんでこいつを信用したんだろう。いや、信用なんかしてなかった筈だ。なのにどうしてこんなところにいるんだ? ぼくは悪あがきと知りつつ言葉を続けた。 「お詫びだって言っただろう。悪いと思ってないのかよ?」 「あれだけおごったじゃん。あんなに金使わせたら、女の子だってちゃんとやらせてくれるよ」 なんて台詞。頭が沸騰しそうになった。 「バッ、バカ! ぼくは女じゃない」 「だから、わかるでしょ? 普通、その気もない相手におごらない」 「お詫びだって言ったくせに!」 言い捨てて逃げ出そうとした。どうせマトモな話が通じる相手ではない。ぼくが立ち上がるより早く、杉本さんはのしかかって来た。濡れた髪からシャンプーの匂い。押し付けられた下半身の熱い塊。 「なあ、オレ、たまってンだよ。離婚する前からご無沙汰なんだから」 「いやだっ!」 慌てて突き飛ばす。うまく立ち上がることができずに這って逃げようとするぼくの足を杉本さんがつかむ。怖い。身体が強張っているのがわかって、あせるばかりで何もできない。後ろから左腕を背中にねじり上げられ悲鳴を上げた。 「おとなしくしないと怪我するよ。女の子相手じゃないし手加減できないと思う」 背中越しに杉本さんの穏やかとも形容できる声。体格差だけじゃなくアルコールの入った今の状態を考えて敵わないと感じた。どうしよう。空回りする思考。生涯最大の危機に思えた。今までこんなピンチに陥ったことのないぼくには、たいした考えも浮かばなかった。 「大丈夫。うまくやってあげるから」 耳元で囁かれて涙が溢れた。自分の手に余る事態に、なす術のなさから泣き出す子どもと同じだ。誰か助けて。 救いはなかった。結局寝室に引きずられ、いかにもなダブルベッドの掛布団を剥いだところに投げ出される。わずかばかりの抵抗の後あっさり裸にされた。 「無理やり突っ込むなんて乱暴なコトはしないから安心しなよ。君島くん、感じ易いみたいだから、大丈夫でしょ」 何をされるのかわからない恐怖に震えるぼくを、杉本さんは執拗に愛撫した。 「そんなに緊張してたら感じないでしょ」 「ぼくが、何したんだよ。なんでっこんなコト…されなきゃなんないんだ」 悔し涙で言葉も途切れがちだった。 「なんでだろうね。俺にもわからない。どうしてこんな気になったのかな」 「ふざけるなっ…アッ」 身体に熱い舌が這う。一度火がつくと後は一気だった。 「やだ、やだっ」 涙声は喘ぎと区別がつかない。 「やっぱり感じ易い」 感心したように言われて羞恥で消えてしまいたいと思った。肩の下に手を入れられ、うつ伏せにされ、そのまま腰を高く掲げた恰好になった。 「いやだっ、何、何すんだよ」 暴れようとしたところを、足の間から手を入れられ下半身を握られた。 「あっ。や、あ」 その時、腰に冷たいものを落とされてビクッと身体がはねた。それが狭間を伝う感触に液体だと悟る。ひきつったまま訊ねた。 「何?」 「さっきのローション。いい使い道だと思わない?」 液体を塗りつけるようにして、ぼくの後ろをまさぐっていた杉本さんの指が、ぐっと突き入れられた。 「アッ! …あ、あ、やめて。お願いっ、お願いします、杉本さん、やめてくださいっ」 どうしたらいいのかわからなかった。哀願するぼくの耳に杉本さんの息がかかる。 「そういうの、すごくそそる」 「いやだよお」 泣き喚いても効果はない。杉本さんの指はぐいぐいとぼくの中に入り込んできた。 「…ンッ」 逃げようと身をよじればそれがまた刺激になった。 「は、…っ、…っ! やっ」 今まで感じたことのない感覚がぼくを突き上げる。 「いいんでしょ?」 熱っぽい囁きに必死で首を振る。もどかしいようなあせりのような感覚がみぞおちにたまる。誰でもいいから助けてほしい。指がようやく引き抜かれた。 「あう」 唾液混じりのため息が洩れた。再び仰向けにされ口づけられた。 「んっ」 気が狂うほどにぼくを追いつめる指がなくなったのはありがたいけれど、焚きつけられたこの熱をどうしたらいいのか。口の中に入り込んできた杉本さんの舌に自分の舌を嬲られるのも辛かった。 唇を離した杉本さんは、ぼくの膝裏に手を入れて足を持ち上げた。膝が肩につくくらいに折り曲げられた信じたくない恥かしい態勢。無防備に足を開かされたぼくに杉本さんのものが押しつけられた。 「や…だ」 震え声は何の効果もないどころか逆効果らしい。無理に押し込まれる杉本さんの身体。ぼくは悲鳴を放ってのけぞった。 「ああああっ。や、痛いっ! やだっ、助けて、許して」 意味がないとわかっている言葉が次々と口をつく。杉本さんはぼくの足を押さえていた手を離し顔を挟んで口づけた。押さえのなくなった足は元に戻ろうとしたので、その分だけ杉本さんが深く入ってきて、ぼくは呻いた。すべての感覚がそこに集中しているみたいだった。杉本さんが腰をつかい始める。 「苦しッ。あ…、や、やッ」 息ができない。もう杉本さんを引き離すとかそういう段階ではなくて、ただひたすらすがるものがほしくて、ぼくは杉本さんの肩や首筋にしがみついた。 「助けてっ」 ぼくを苦しめている張本人に助けを求めるなんてずいぶん間抜けな話だと思った。杉本さんはふっと笑って顔を覗き込んできた。 「かわいいな、すごく。ちょっとたまらない感じだ」 そう言ってさらに乱暴に揺さぶってくる。 「あっ、あっ」 何がなんだかわからない。荒々しい波に翻弄され続け、直に声も出なくなった。ようやく杉本さんが達したときには、本当にほっとして深い息をついた。きつく抱きしめられても抵抗する力など残っていなかった。ぼくの耳に口づけながら杉本さんが呟いた。 「俺、本当は営業なんか向いてないんだ」 ぼくはぼんやりと杉本さんを見上げた。 「他人の話なんか聞きたくもないし。なんで営業なんかやってんだろっていつも思ってる」 愚痴っぽい話を始めてもサマになる男がうらやましい、などと状況に相応しくないのんきな感想が浮かんだ。余韻のように杉本さんの手がぼくの身体をなでる。それはへんに心地好くてヤバイ気がした。 「でもまあ、やっぱり嫌な思いをしてれば、こういうご褒美もあるってことなんだな」 「ちょっと待て。ご褒美ってなんだよ?」 杉本さんはしみじみした口調で語っているが、ぼくはかなりひっかかった。 「俺がしんどい思いするのわかってて、何のためにしょっちゅうおたくの図書館に顔出してたと思う? 君島の顔が見たかったからだよ」 額に口づけられた。これって告白なのか。ぼくは複雑な気分になった。杉本さんのような男に顔を見に通っていたなんてことを言われたら、きっと女だったら有頂天になってしまう気がした。黙り込んだぼくの耳元に杉本さんは囁く。 「これからは俺が飽きるまで時々こうやって抱かせてもらう。俺の離婚の原因は、俺の中では百パーセント君島だからな。どうせ彼女とは遠距離なんだろ? 代わりに処理してやる」 「な、なんだって?」 これは告白なんかじゃない。ぼくは唖然とした。なんて自分勝手な主張。 「そんな勝手が通ると思ってるのかよ? 冗談じゃない。お断りだ」 慌てて身を起こすぼくの腕をつかんで、杉本さんは再びベッドに押し戻してきた。 「諦めたほうがいいよ。俺、ほしいものは我慢できない性分なんだ。大丈夫、自慢じゃないが俺は飽きっぽいから」 「あんた、それ本気で言ってんの?」 ぼくは呆れて首を振った。どう考えてもこいつは性格異常者だ。誰も彼も外見に騙されていたわけで、ぼくがその筆頭だったってことだ。 「まあ、でも、顔見るだけでいいって状態が二年も続いたのは俺らしくないし、いつ飽きるか、ちょっと保証できないなあ。一生飽きないなんてことになったりして。そしたら君島が諦めるしかないからな」 当然のことのように杉本さんはうそぶき、口づけてきた。その口づけはひどく優しかったが、ぼくは自分がとんでもない状況に置かれていることを悟らないわけにはいかなかった。こんな異常者に見込まれたぼくの未来は、かなり悲惨なことになりそうだった。 |
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