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ハルノウタ1





「それでは、三木ちゃんの失恋を祝し……じゃなくって、えーっと、失恋を記念して? ちょっとちがうか、よくわかんないけど、とりあえずカンパーイ」
 声高らかに生ビールのジョッキをかざした、お調子者の金子遼太(かねこりょうた)に向かって、俺はおしぼりを投げつけた。それは狙い通り、隙だらけの奴の顔面を直撃し、その衝撃で料理の上にビールを振り撒いた金子は皆から非難を浴びた。
「うわっ、ひでえ、三木ちゃん! 暴力反対」
「うるっせーよ、バカ」
 騒ぎ立てる金子はテーブルの末席。一方の俺は情けなくも今日の主賓だから、一番奥に坐っている。離れた席といってもたかだか居酒屋の一テーブル。囲んでいるのは俺を含めてたったの五人で、その気になればいつだって手を伸ばして頭を叩くこともできるんだぞ、と俺は金子に向かって威嚇のための拳を上げてみせた。
「バカって言ったら、言ったほうがバカなんだよ」
 金子が小賢しく返してくるから、俺はぴしゃりと言ってやった。
「うるさいっての。俺はこれから毎晩寝る前には必ず、金子が知沙乃ちゃんに振られますようにって天に祈りを捧げるからな」
 金子はアルバイト先の女子高生に惚れている。一度見かけただけだが、なかなか可愛くて性格が良さそうな女の子だった。今の今までちゃんと応援してやるつもりでいたが、気持ちが変わった。
「またまたー、三木ちゃんはー。冗談きついんだから。俺が本気なの知ってるくせに」
 金子は慌てたようにテーブルの上に身を乗り出してきた。どうやら金子自身、「知沙乃ちゃんと付き合えますように」と本気で神頼みでもしているのかもしれない。
「知るか。そんな本気で好きな相手がいたら、人の失恋をサカナにできるわけないんだよ。人の気持ちのわかんない金子なんか振られて当然だ」
「きっつー」
 俺は知らん振りでジョッキを口に運んだ。一年生の金子は、悪い奴じゃないんだがどうにも軽すぎる。おまけに仮にも先輩の俺をからかってばかりいて、たまに癪に障る。
 だいたい本当なら今日は、同級生で親友の萩原怜(はぎわらさとる)と二人だけでしみじみ飲むはずだったんだ。女の子に振られた話なんか、一年坊主にまで吹聴する気はさらさらなかった。たまたま振られた相手というのが、金子経由で紹介された子だったせいで、結局こいつらにまで知られるはめになった。俺はため息混じりに、居酒屋のテーブルにいつも通り揃ってしまったメンバーを眺めた。
 萩原はいいんだ。一年の時から一年以上に渡る付き合いだし気心も知れている。萩原は、俺が今まで知り合った友人の中で一番“出来た”奴だ。顔よしスタイルよし頭よし、おまけに肝心の性格がいい。男同士だから一番重要なのはそこだ。もっとも萩原の顔は、同性の俺でさえうっかり見惚れてしまうくらいのオトコマエだけど。半端じゃなくもてているようだが、一年の時からずっと同じ彼女と付き合っている。
 その萩原と一年の薄田耿介(すすきだこうすけ)が仲がいいってのが、俺にはいまいち納得できないんだよな。たとえ高校のクラスメートだったとしても。確かに二人とも背が高いから一緒にいると見栄えのするオトコマエ二人組って感じで、サマにはなってるんだけど。萩原に比べて薄田はクセがありすぎるんだ。いや、クセがあるというよりむしろ得体の知れない雰囲気を漂わせている。そしてこいつも金子と同様俺をネタに遊ぶのが好きだ。今も──。
「まあまあ三木ちゃん。俺らは今回も無事に三木ちゃんの貞操が守られたことに感謝してるわけだよ」
 テーブルの向かい側からかけられた、不意打ちの薄田の言葉に、俺は口に含んだばかりのビールを噴き出した。
「薄田、てめえ!」
 地を這うような低い声を出して睨みつける先で、薄田はヘラヘラと笑っていた。
「やっぱ三木ちゃんは俺たちの希望だから。このまま清く正しい人生を送ってほしいんだよ。てか、もうアイドル、三木ちゃんはボクたちのアイドルなんだ。アイドルはそんなエッチなんかしちゃいけないんだよ」
 わざとらしく子供っぽい作り声で言う薄田の襟元を掴みテーブル越しに強引に引き寄せて、俺は奴の頭を引っぱたいた。
「誰がアイドルだ。俺はなー、こん中で一番年上だっつーの!」
 自慢じゃないが俺は大学受験に一度失敗して一浪してるから同じ二年生でも萩原より年上なのだ。身長は萩原や薄田より多少は低いかもしれないけど金子には余裕で勝ってるし、日夏(ひなつ)にだって……日夏との身長差は微妙なところか。
 そう、アイドルというなら日夏こそまさにそれだ。俺は薄田と金子に挟まれておとなしく飲んでいる日夏の顔に目を向けた。
 薄田と金子と同じく一年生の日夏は、よくテレビで見かける人気の女性タレントに少し似ている甘めの顔立ちで、男にしておくのがもったいないような長いまつげに縁取られた二重の目が印象的だった。日夏央輝(ひなつひろき)なんて、名前からして輝きを放っていると思う。
 俺の名前なんて、三木一(みきはじめ)だよ? 俺が生まれた時にまだ健在だった曾祖父さんが、選挙に立候補した時に投票する人が書き易いようにと名付けてくれたらしい。その深謀遠慮には頭が下がるが、曾祖父さんにはきっと人を見る目はなかっただろうと思う。フルネームでたった八画という、この簡単すぎる名前は、せいぜい試験を受ける時に数秒程度得をするくらいのもので、失敬な奴には冗談みたいな名だと笑われることさえあるのだ。
 俺と目が合った日夏は、唇の端をつり上げて、見惚れてしまうようなきれいな笑みを浮かべた。
「俺もなー、日夏みたいに可愛い顔してたら、もっともてたのに」
 真偽のほどは不明であるが、金子からの情報によると、日夏の初体験は、小学生の時で、家庭教師の女子大生が相手だという噂があった。いまだに女の子と体験できていない俺とは雲泥の差だ。
 思わずため息をついてしまった俺に、金子がアハハと声をあげた。
「だいじょーぶ、三木ちゃんも十分可愛い顔してるって!」
「おまえに言われたかない」
 俺は、ジョッキに三分の一ほど残っていたビールを一気に空けて、もう一杯頼んだ。
 金子は、日夏みたいに美少年とは言えないが、愛嬌のある童顔だから、女の子たちの間でもそれなりに人気があるらしい。お調子者だけど素直だし、人懐っこくて憎めない性格をしてるのは確かだった。
 ただし、年上の俺に対しては敬意を払って少しは遠慮してもらいたい。
 今日だって、俺の失恋を耳ざとく聞きつけたらしい金子は、わざわざ講義が始まる前の俺たちの教室にやってきたのだ。
「かわいそー、三木ちゃん、また駄目になっちゃったの?」
 応用の講義だから二年生以上しかいない教室で、臆することなく手加減なしの大声を張り上げやがった金子を、俺はジロリと睨みつけた。
「また?」
「あ……いや、アハハ……だって三木ちゃんサイクル早すぎじゃん」
 俺が失恋記録を着々と更新中なのは事実だが、それを金子なんぞに言われたくはない。
「余計な口を叩くな」
「イテ、イテテ」
 金子の頬をつねり上げた俺の手を、脇から萩原がやんわりとつかむ。
「三木」
「だって、萩原。金子の奴、生意気なんだもん」
 訴える俺を、萩原が困ったような表情で見た。あ、なんか同情されてるかも。萩原は察しがいいから、俺の気分なんか簡単に見抜かれてしまう。今度こそと思って付き合い始めた女の子に、一ヶ月そこそこで振られてしまった俺は、さすがに落ち込んでいた。
 微妙な空気が流れていることに気づきもせず、金子は能天気な声をあげた。
「三木ちゃん、ひでー。俺、心配してんだよ」
「うるせ」
 俺は短く返してそっぽを向いた。
「あれ? あれれ、もしかして本気で落ち込んでんの?」
「……」
 いくら俺が振られ続けているからといって、それに慣れることなんかできそうになかった。俺には、何か自分では気づけない欠陥があるから、女の子と長く付き合えないのかもしれない。失恋の回数が増えれば増えるだけ落ち込みも深くなってきた。
 黙り込んだ俺の肩に、金子はずうずうしく腕を回してきた。
「そんな気にすることないって。じゃあ、今日みんなで飲みに行こうよ」
「いい」
 むっつり首を振ると、金子はすっかり保護者のような雰囲気で肩を抱えたまま、俺の顔を覗き込んだ。
「三木ちゃんが落ち込んでんのなんか似合わないからさ。飲めば忘れちゃうって」
「いい。おまえとじゃヤダ。もう萩原と飲みに行く約束してるもん」
「えー、萩ちゃんだけじゃなくって、みんなで行ったほうがいいって。薄田と日夏にも声かけるからさ」
 俺と萩原は二年で、金子、薄田、日夏は一年生なのだが、萩原と薄田とが高校時代の同級生だったせいで、こいつらが入学してきた春からいつのまにか何かと五人でつるむようになっていた。
 だが実を言うと、俺は薄田が苦手だった。初対面から印象が悪かったせいかもしれない。
「ハギワラセンパイ」
 四月新学期の初め、学生課の前を連れ立って歩いていた時、かけられた声に振り向いた萩原は、後ろから近づいてきた声の主を認めて、軽く殴る真似をした。
「バーカ、気色悪い呼び方するなよ」
「だって、先輩だろ?」
 イヤミなくらい長身のその男は、ふざけた口調で言いながら萩原の顔を覗き込んだ。それが薄田だった。
「アホ」
 萩原は笑って薄田の肩を叩いた。大学に入ってからずっと萩原の一番親しい友人のつもりでいた俺は、自分の知らない相手に対する、萩原の気安げな態度に、少しばかり嫉妬めいた感情を覚えた。
「とりあえず、入学おめでとう。薄田が同じ大学に入って俺も嬉しいよ」
 萩原の言葉に、薄田はフフンと軽く鼻で笑った。そして、ずいぶん仲が良さそうだなとぼんやり眺めていた俺に気づいた薄田は、萩原に「誰?」と聞いてきた。
(今、顎で示されたような)
 思わずむっとした表情をしてしまった俺を見て萩原は「友だち」と薄田に答え、俺に向き直って奴を紹介してくれた。
「高校の時同じクラスだった薄田だよ。薄田耿介。薄田、こっちは同じクラスの三木一」
 薄田が俺を見てニッと笑ったので、俺もとりあえず笑みを返したが、正直なところ初対面から薄田には少々胡散臭い印象を禁じえなかった。
 その印象は、その夜なぜか三人で飲みに行くことになっても覆らず、むしろ強まった。
 ビールの注文を済ませた後で、薄田は、向かいに坐った俺の顔をじっと見つめてきた。
「三木って酒飲めんの?」
 いきなり聞かれて、俺はむっとして答えた。
「おまえ、少しは口の利き方気をつけろよ。萩原の友だちだからって、俺は先輩だろ?」
「年は同じだろ」
「同じじゃねーよ。俺も浪人してんの。おまえらより年上なの!」
 萩原はともかく、会ったばかりの薄田にタメ口きかれる覚えはない。きっちり釘を刺すと、薄田は大げさに驚いた声をあげた。
「うっそ。飛び級してて本当は中学生かと思った」
 ぬけぬけと言って、ヘラヘラ笑っている薄田のあまりの無礼さに俺は一瞬言葉を失くした。初対面の、年上の、大学の先輩を、中学生扱いしやがるなんて。自分が少しばかり背が高いと思っていい気になってるんじゃないか。
「薄田」
 俺の隣に坐っていた萩原がたしなめても、薄田は平気で俺に笑いかけてくる。
「三木ってなんか構いたくなる雰囲気があるんだよな」
「呼び捨てはやめろ」
 俺は露骨に不機嫌な顔をしてみせたが、薄田はまったく気にする様子がなかった。
「じゃあ、ミキちゃん」
「気持ち悪いんだよ」
「何、名字じゃなくて名前で呼んでほしいとか言う?」
「もう知らねえ」
 俺は薄田を無視することにして、タイミングよく運ばれて来たビールと料理に向かった。そうしたら薄田はあっさり俺を構うのをやめて、萩原と昔話を始めやがった。二人の口から出てくるのは、俺の知らない名前、俺の知らない出来事ばかりで、俺はその脇で黙って箸を動かして食べるほうに専念していた。
「萩原って、今付き合ってる子いんの?」
 しばらくして思いついたように訊ねた薄田に、萩原は頷いた。
「いるよ」
「やっぱりいるか。俺、頼まれてた子いるんだけど。それじゃダメだよな」
 薄田の念押しに、萩原は黙って笑みを浮かべた。
「ダメか、やっぱ。付き合ってるのって、同じガッコの子?」
「いや、学校は別」
「三木ちゃんは、会ったことあるの? 萩原の彼女に」
 ふいに薄田が俺のほうを見て問いかけてきた。
「あるよ」
 萩原が今の彼女と付き合い始めるきっかけとなった合コンに、俺も参加していた。
 それは一年の時に初めて行った合コンで、その時は俺も萩原の彼女の友だちと付き合うことになったのだ。俺と萩原は、最初は互いの彼女が友人同士だから親しくなったようなものだった。そして俺は一ヶ月も経たないうちにその彼女とは別れてしまったが、萩原のほうはちゃんと続いている。
「ふーん」
 薄田は、そっけなく答えた俺の顔に視線を据えてなかなか外そうとしなかった。
「なんだよ?」
 あんまりじっと見つめてくるから、いささか居心地が悪くなって問いかけると、薄田はおもむろに口を開いた。
「♪ドングリマナコにヘの字口~」
「な……」
 目の前で歌い出されて、俺は絶句した。
「♪クルクルほっぺに覆面姿~」
 薄田は俺を見つめたまま表情を変えずに歌い続ける。
「てっめー、どういう意味だよ?」
 ドングリマナコって、人の顔を見ながら歌うような歌詞か。人の顔をなんだと思ってやがる。
「まあまあ、三木。薄田は酔ってるんだよ」
 なだめにかかる萩原を振り返って俺は言った。
「こいつ、信じらんねーよ」
 出来ることなら俺は薄田と一切関わりたくないと思ったのだが、どういうわけか薄田と萩原は気が合うらしい。一緒にいる俺がどんなに嫌な顔をしてみせても、薄田は萩原にまとわりついてくるから、俺が萩原と付き合っている限り結果的に薄田とも行動をともにするはめに陥るのだった。薄田が嫌だからと言って萩原まで一緒に切り捨ててしまうことなど俺にはできなかったのだ。
 その薄田に付属してついてきたのが、金子と日夏で、いつのまにか五人組が出来上がっていた。


「じゃあさ、今度は萩ちゃんが誰か三木ちゃんに紹介してあげなよ」
 すでに自分でも何杯飲んだのかわからなくなってきた頃、届いたビールのジョッキを俺に渡しながら金子が、無神経な言葉を吐いた。俺は金子を睨んでジョッキをひったくり、隣に坐っている萩原は、俺の表情を見て、軽く笑って金子の言葉を流そうとした。もちろん金子には萩原の気遣いなど通用しなかった。
「萩ちゃんが一番三木ちゃんのこと知ってるんだから、ぴったりの子を紹介できると思うよ。ほら、彼女の友だちとかさ」
 他でもない萩原の彼女の友だちともうまくいかなかった俺は、しっかり古傷をえぐられて、ジョッキをおろして手を伸ばすと金子の頭をバチンと叩いた。 
「余計なお世話だよ!」
「いったー。だって、三木ちゃん、彼女欲しいんだろ?」
 彼女が欲しいと騒いで、金子に女の子を紹介してもらったのは事実だ。でもうまくいかなかった。
「も、その話はやめ! 王様ゲームやる!」
「えー、男しかいないのに?」
「いいんだよ。俺が王様になるんだから!」
 王様になって、おまえらに何でも言うこと聞かせちゃる。俺は新しいビールを喉に流し込み、俺たちのやりとりをにやにや笑って聞いていた薄田に命じて、割り箸で番号札を作らせた。
「王様だーれだ?」
 ほら見ろ、俺が王様だ。こんなところで運を使ってるから、肝心の時にダメなんだ。さっそく王様を引き当てた俺は、少しばかりやけになって、立ち上がって命令を下した。
「萩原と日夏とキスしろ」
「はあ?」
 他の四人は唖然とした顔で、一人仁王立ちしている俺を見上げた。
「三木ちゃん、それルールちがうから。番号で命令するんだよ」
 金子が言うのを、俺は「うるせー」とさえぎった。
「うるせー。俺はな、美的センスを持ってるの。萩原と日夏は絵になる! おまえら二人ならホモになっても大丈夫! いや、むしろホモになったほうがいい。もうおまえらは女には飽きただろ?」
 決まった恋人がいることが知られていてさえ告白してくる女が後を絶たない萩原や、小学生で初体験を済ませてしまった日夏のような輩がいるから、俺にまで相手が回って来ないんだ。俺がもてない元凶は、きっとこいつらだ。
 萩原と日夏に交互に指を突きつける俺を見て、薄田がアハハと上半身をのけぞらせて笑った。
「おまえらがホモになれば、世の中が平和になるんだっ」
 少しは俺にも女の子を回せ。
「三木ちゃん、ちょっと飲みすぎだよ」
 金子が立ち上がり、テーブルを回って萩原の反対側、俺の右隣に来て、下から俺の腕を引っぱって坐らせた。俺はそれを邪魔だとばかりに振り払った。
「うるさい、金子。俺はなー、日夏みたいな美少年だったら喜んでホモになる」
 茶髪が似合う色白で、唇はピンクで、睫毛が長くて、目は二重で。完璧じゃないか。きっと女装したって違和感がないにちがいない。
「そんで萩原と付き合う!」
 年下だけど、萩原みたいにいい男はめったにいない。ストイックで余計なことは口にしないけれど、頼りがいがあって、男らしい。俺は、浪人したおかげで萩原と友だちになれたことを幸運だと思っているくらいだ。それに、萩原に彼女がいてもこうして付き合えるんだから、競争率の高い女に生まれなくて本当によかった。
 宣言した俺を見返す萩原の表情は、やや引きつっているようにも見えたが、俺は気づかないふりで言い募った。
「も、俺、女はやだ。わけわかんねー。萩原のがいい。かっこいいし優しいし」
 背が高くって肩幅広くて包容力ありそうだし。このままぎゅっと抱きしめられたい。
「三木ちゃん、怖いって」
 萩原の肩にしがみついたところを、金子に無理やり引き剥がされて、俺は今度は日夏に目を向けた。
「日夏だってそう思うだろ?」
 いつのまにかアルコールが回ってきたらしくグラグラし始めた身体を、テーブルについた腕でどうにか支えると、テーブルの向かいにいる日夏の顔がやけに近くなった。
「思わない」
 至近距離、少女漫画に出てくる王子様みたいな美少年は、頭を振ってきっぱりはっきり否定しやがった。俺は唇を尖らせてさらに日夏に顔を近づけた。
「なんだよー。おまえなんか、女はヨリドリミドリで今さらつまんないじゃん。萩原にしとけよ。絶対オススメ」
 近くで見ても日夏はキレイな顔をしている。こんなにキレイな顔をしていたら、女なんかいらないじゃないかと思う。鏡見てればいいじゃん。こいつ、本当に小学生で女子大生とやっちゃったのかな。日夏みたいな可愛い顔してる奴と付き合っていた女子大生は、どんな美人なんだろう。
 日夏は俺から目をそらさずに言った。
「俺は三木ちゃんがいい」
「……なんだ、そりゃ。いいよ、そんな慰めなんかいらないよ」
 脈絡なく名前を出されて、ふてくされて呟いた瞬間、視界がふさがり何も見えなくなった。
──え?
「日夏!」
 耳の脇で叫んだのは多分金子。
 日夏の両手が俺の顔をはさんでいて、唇に触れているのは、日夏のソレらしかった。俺は日夏にキスされているのだった。
「信じらんねーっ! この酔っ払い!」
 すぐに解放されて、俺は唇を拭いつつ叫んだ。
「酔ってるのは三木ちゃんだよ」
 冷静に言い返す日夏が、やたら小憎たらしくなった。ちょっとばかり顔がいいからって、いい気になるな。俺は女の子とだって、あんまりキスしたことないのに。こんな冗談で俺を相手にするのは遠慮してもらいたい。
「俺が王様なのに! なんで俺にチューしてんだよ!」
 相手がちがうだろうが。俺は女の子に飽きてなんかいない。
「三木ちゃんが好きだから」
 日夏が白々しい顔で言う。
「酔っ払い!」
 あ、なんか急に涙が出てきた。
「どうせ俺なんか、女にもてないよ。失恋記録更新中だよ。ちくしょー」
 やけになって叫んでいたら、本気で泣きたくなってしまった。俺だってできることなら日夏のような美少年に生まれて女にもてたかったんだ。
「三木」
 隣から萩原の声が俺の名を呼んで、俺は萩原にしがみついた。否、しがみつこうとしたら日夏に阻まれた。日夏が腕を伸ばしてきて、俺の肩をつかんだのだ。
「俺は、三木ちゃんが好きだよ」
「うるさい、バカ」
 いっくら日夏が美少年だって、そこらへんの女の子より可愛い顔をしてたって、女の子の代わりにはなるもんか。俺を好きになってくれる女の子はいないんだ。
「俺のどこが悪いってゆーんだよッ」
 どうして俺はいつも振られてしまうんだ。
「ちょっと、三木ちゃん、飲みすぎじゃない?」
 金子の声をきっかけに、俺はよろよろと立ち上がった。
「三木?」
 心配そうに問いかける萩原に「トイレ」と短く答えて、席を離れる。スニーカーを引っ掛けてトイレに向かいかけた俺を、後ろから支える手。振り返ったら日夏だった。
 本格的に泣いてしまいそうな気分だったから、日夏なんかについて来てほしくはなかったが、その手を振り払うには足元がおぼつかなくて、俺は日夏に抱えられるようにしてトイレに行った。日夏の腕から身をよじり個室に逃げ込んで、蓋をしたままの便器に腰かけた。
 ようやく一人になれたと思ったら、気が緩んだせいか、かえって涙は引っ込んでしまった。すぐに出ていくのも気恥ずかしくて、俺は両手に顔をうずめていた。
「三木ちゃん」
 ドアの外で日夏の呼びかける声がしたが、俺は返事をしなかった。
「三木ちゃん。俺、本気だよ」
 あ、なんかもう俺、眠くなってきたかも。限界以上に飲んでしまったらしい。トイレに坐り込んでいたら眠気が襲ってきた。
「冗談なんかじゃないから、ちゃんと話聞いて」
 日夏の声は聞こえるが、酔った頭では言ってることが理解できない。
 このままここに坐っていたら眠ってしまうと判断して、俺はドアを開けた。外で待っていた日夏が俺の顔を見て口を開きかけたのをさえぎって、言った。
「俺、飲みすぎたみたい。眠い」
 ぐらっと身体が揺れて半分日夏にすがりつくような恰好になった俺の背に、日夏の手が回る。
「三木ちゃん。帰る?」
 耳元で問いかけられて、俺は「うん」と頷いた。
 途切れがちの意識で、俺は日夏に誘導されるまま歩いた。ふと気づけば信号待ちだったり、プラットホームのベンチだったり、電車の中だったりした。
「降りるよ」
 日夏の声に目を覚まして電車を降りたのは、馴染みのない駅だった。
 自分の状況がわからず「こっち」と手を引かれるまま日夏について行くしかなかった。
 たどり着いた見知らぬアパートのエントランス、日夏がこともなくセキュリティーロックを外すのを見ていて、「ああ、日夏の家に来たんだな」と見当がつく。何階でエレベーターを降りたのかすら定かではなかったけれど、最終的に俺は日夏の部屋のソファに身を横たえていた。
 寝ているのに、身体には揺れているような感覚があって、俺は横向きになって目を開けたままぼんやりしていた。日夏は、部屋の中央に突っ立って、こちらに背を向けていた。後ろ姿も細くて、女の子とそんなにちがわないような気がする。
 そういえば萩原たちはどうしたのだろう。日夏が連絡してくれたのだろうか。
「据え膳食わぬは男の恥」
 日夏はぶつぶつと独り言を言っているらしかった。独り言の内容は意味も意図も不明だが、追及する気力もなく俺はソファの上で潰れていた。
 横になった視界の中で、日夏はぶんぶんと頭を振って、俺のほうを振り向いた。
「いや、やっぱり武士は食わねど高楊枝──ってね、三木ちゃん」
「うん?」
 ぼんやり訊き返した俺に、日夏はにっこりと笑みを浮かべた。そのまま額に入れて飾っておきたいような笑顔だった。ちょっともったいないと思った。日夏のこんな顔、今、見ているのは酔っ払いの俺だけなんだ。
「三木ちゃん。俺、かなり本気だから、正攻法でいくことにする」
「んー、何?」
 半分眠りに落ちかけた意識では、日夏の言葉を理解するのが難しい。セーホーコウって数学だよな? 座標軸の正方向。酔った頭で考える問題じゃない気がする。
 タイミングよく日夏が相槌めいて「酔っ払った三木ちゃんを……」と口にしたので、俺は「うん」と頷いた。酔ってなくても俺は数学があまり得意ではない。x軸y軸なんて、受験が終わっておさらばしたのだ。
 日夏は続けた。
「酔っ払った三木ちゃんをどさくさでくどくよりも、ちゃんと俺の気持ちを伝えてわかってもらわなくちゃいけないと思うんだ。そんで、ちゃんと三木ちゃんと付き合いたい。だから俺、がんばるからね」
 日夏の言ってることが俺には抽象的すぎて、半分も頭に入ってこなかったが、最後の「がんばる」という単語だけはどうにか聞き取れたので、俺は「おう!」と拳を上げて応えた。
「がんばれ、日夏」
 そうだ、金子もだ。金子が知沙乃ちゃんに振られるなんて、悪いことを言ってしまった。もしかして気にしているかもしれない。すぐに訂正しておくんだった。俺は振られたばかりだけど、金子の恋はうまくいくように願っているし、ちゃんと応援してやるんだ。金子のことだって、日夏のことだって、俺は応援してやる。
「がんばれ、日夏! 俺も応援しちゃるから」
 金子に言えなかった分、日夏にはしっかりエールを送って、満足した俺は、そのまま眠りに落ちた。



end





20060329up
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