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ハルノウタ3 -1-





 翌朝、アパートに戻る俺には日夏が一緒について来てくれた。
 目が覚めた時、俺は日夏と抱き合って眠っていたことに気づいた。ほぼ同時に目を覚ました日夏は、ぱっと顔を赤らめると「ごめん」と謝り、俺をベッドに残してトイレに行ってしまった。
 朝の生理現象。
 日夏が離れる前に、俺は腰にあたっている感触に気づいていた。
 本当のことを言うと、昨夜じゃれ合っていた時にそうなった俺は、日夏が先に風呂に入っている間に一人で処理していた。日夏とキスしただけで、反応してしまった俺には、日夏のことをどうこう思う余裕などなく、朝だから普通だろうと考えた。いや、考えようとしたんだけど、本音ではやっぱりドキドキしていた。抱き合って寝ている男の身体が反応していたことに。

 昨夜、日夏と入れ替わりで風呂に入った俺は、その後のことについて浴槽の中でしばらく悩んでいた。
 日夏に「付き合わない」と言ってはみたものの、こうして彼の部屋で風呂に入っている自分がいる。俺が風呂から出たら、続き、するのかなあ。怖さと好奇心とが半々にあった。経験で負けているってことがわかっていても、日夏に触れたい気持ちは確かにあった。けれど、やっぱり男同士でするのには心理的な抵抗がある。
 いくら悩んでも結論は出ず、悶々としながら風呂から上がっていくと、日夏は机の上に辞書を広げてドイツ語の予習をしていた。
 俺は日夏と目を合わせることができずに、そのままベッドにもぐりこんだ。
「おやすみ!」
 布団の中からそう叫んで、身体を丸めて目を瞑る。もうどうしていいかわからなかったのだ。そして、俺の意識のある間、日夏は机から動かなかった。
 朝になったら、二人で同じベッドに寝ていたというわけだ。いつ日夏がベッドに入ってきたのかさえ、俺は知らなかった。
 日夏は何を考えているんだろう。もう俺はきちんと日夏を断ったことになっているのかな。それは少し淋しい気がした。我ながらぐだぐだだ。
 トイレから出てきた日夏は少しばかり気まずそうな様子ではあったが、そのまま朝食を用意してくれ、向かい合って食べているうちに普通になった。普通に「これから一緒に三木ちゃんちの様子を見に行こうか」と言ってくれた。


 アパートに置き去りにしてきた堀口は帰っただろうか、まさか中で待ってはいないだろうと不安に思いながら、俺の部屋まで上がって行くと、ドアは施錠されていた。
「きっと昨日の彼女がかけていったんじゃないかな」
 回らないドアノブを握りしめて困惑する俺の横で、日夏が言った。
「鍵も多分そのコが持ってるんだね。合い鍵はないの? 管理人に連絡してみたら?」
 そう促されて、取り出した携帯の画面に、メールの着信が表示されていた。堀口からで、部屋の鍵をエントランスの郵便受けに入れてあるという内容だった。
 鍵は、堀口のメールの通り郵便受けの中にあって、俺たちは部屋に入ることができた。
 部屋に入るとすぐに日夏は、テーブルの上に置きっ放しのウーロン茶の入ったグラスをキッチンに持っていき、洗い始めた。
「あ、悪い」
 自分で洗おうと手を伸ばした俺に、日夏は「これだけだから」と首を振った。
 部屋の中は、昨夜俺が飛び出した時のままだった。少なくともそう見えた。
「とりあえず、よかったね」
 手早くグラスを洗い終えた日夏は、そう言って小さな笑みを見せた。俺は黙って堀口からのメールを読み返した。鍵の場所を伝えるだけの、短いメールだった。堀口は、どう思っているんだろう。自分のしたこと、そして逃げ出した俺を。
「三木ちゃん」
 日夏は俺の隣に来て、俺を床に坐らせ、自分も腰を下ろした。耳の上の髪を軽く梳いて、こめかみのあたりに唇を押し当ててくる。俺は逆らわずそのまま日夏に寄りかかった。
「なんか、疲れた」
 部屋に入ったら、昨夜のことを思い出してしまった。強引に迫ってきた堀口の着ていたピンクのワンピース。
「うん」
 日夏の手が後ろから腰に回されて、俺の身体を支えてくれる。日夏がいてくれて、よかった。
「あのさ、三木ちゃん」
「うん?」
 日夏はためらうように少し言いよどんだ。
「俺、しばらくここに泊まろうか?」
「え」
 顔を上げて日夏を見ると、日夏は「なんか、心配だからさ」と言った。
「そんなに簡単に合い鍵なんて作れないとは思うけど、なんとなく心配だし」
「ありがと、日夏」
 俺は素直にお礼を言った。
「正直言って、日夏がここにいてくれたら心強い」
 俺ってつくづく弱い人間だと思った。一人でこの部屋にいるのが嫌だという俺の不安が、日夏には伝わったのだ。
 でも、それだけじゃない。堀口のことは不安だったけれど、本当はそれだけじゃなく、日夏と一緒にいたかった。
 俺を好きだと言った日夏の気持ちは、嘘じゃないよな。
 確かめたくなって日夏の顔を見つめると、日夏はちょっと真面目な表情を作った。そのままキレイな顔が近づいてきて、唇が重なる。
 嘘じゃないんだよな。
 俺は、幸せな気分で日夏の肩に腕を回した。


 駅前のハンバーガーショップで昼食をとった後、いったん別れた。日夏は自分のアパートに戻って泊まるための荷物を持って来るという。俺は、四時限目には間に合う時間だったので、それに出ることにした。
 その日最後の講義は、萩原と一緒だった。俺が教室に入った時には萩原はもう来ていた。離れた席に着くのもおかしいので、俺はなんとなく気まずい思いで、萩原の隣に坐った。日夏とキスしたことが、萩原に対して後ろめたかった。萩原は、日夏とケンカをしていて、その理由を俺は教えてもらえないのだ。
 俺が隣に坐ると、萩原も少し困ったような顔をした。
「あのさ」
 軽く咳払いをして、萩原は言った。
「三木も北海道、一緒に行くか?」
「北海道?」
 一瞬とまどってから、思い出した。
「ああ、夏休み? いや、俺は行かないって。高校ん時の友だちだろ」
「薄田も行くからさ」
 だから余計に行きたくない、とは言えなくて、俺は無言で首を振った。男のくせに変なヤキモチを焼いてるみたいで情けないのだが、萩原と薄田と三人は、俺には居心地の悪い組み合わせなのだ。
「行けばいいのに」
 ふいに脇から声がして、俺は驚いてそちらを見た。
「金子」
 教室の後ろから現れた金子は、俺たちに席をつめるように指示して、ちゃっかり隣に腰を下ろした。
「おまえ、なんでここにいるんだよ?」
 俺の問いに、金子はしれっと答えた。
「俺が4限にとってる授業、臨時休講になっちゃって。この先生、面白いっていうから一度聴いてみたかったんだよね。ほら、俺って勉学に貪欲なんで」
「言ってろよ」
 肘で軽くこづくと、金子はへへっと笑った。
「それよりさ、俺も一緒に行きたいな、北海道。蟹食いてー」
 無責任な言葉に、俺はムッとして顎をしゃくった。
「勝手に行けばいいだろ」
「だから三木ちゃん、一緒に行こうよ。みんなで。夏の北海道、でっかいどう」
 バカなことを言いながら肩にのしかかってくる金子を、俺は押しのけた。
「うるさいなあ、バカ。萩原は、高校の友だちと行くんだから、迷惑だっつーの」
「そこで三木ちゃん、萩ちゃんの友だち、紹介してもらえばいいじゃん」
「はあ?」
「カノジョだよ。萩ちゃんの友だちなら、イイコいそう」
 金子が言った時、先生が入って来て講義が始まった。俺は金子のおしゃべりを制して、講義に集中するふりをした。
 萩原が、レポート用紙の端に書き付けたメモを、俺の前に示した。
―北海道に行くのは、男だけなんだ。紹介の役に立たなくて悪い。でも、気楽な奴らだから、一緒に行こう。
 そのメモを読んだ俺は、とりあえず萩原に笑みを返しておいた。萩原はちょっとほっとしたような顔で頷いた。
 北海道について行くつもりはなかったし、萩原に同じ高校だった女の子を紹介してもらおうとは思えなかった。
 俺に、好きだと言ってくれた日夏。まだ日夏と付き合うとか、そんなことまでは考えていなかった。できれば俺だって、ちゃんと女の子と付き合いたい。ずるいけれど、それが本音だった。だけど、日夏の気持ちが嬉しいのもまた本心だ。日夏は男だけど、でも本当にいい奴だから。俺を好きなんていうのが理解できないくらい、かっこよくて、性格もよくて、普通に女の子と付き合ったってまったく申し分のない男なんだ。俺は女じゃないけれど、日夏と一緒にいたらドキドキするし、妙に幸せな気分になる。
 握られた指先とか、キスをした唇とかに、まだ日夏の感触が残っている気がした。


 授業が終わって、俺は金子に言った。
「北海道は、男だけだってさ」
「えー、萩ちゃん! ダメだろ、それ。男子校出身の日夏じゃあるまいし…」
 うっかり日夏の名を話題に乗せた金子は「しまった」という顔をした。萩原と日夏がケンカしていることを思い出したらしい。
 お調子者め。俺は、しょうがないので助け船を出してやった。
「金子も、俺より自分のことだろ。北海道なんか行ってる場合じゃないんじゃないの。知沙乃ちゃん」
 俺の言葉に、金子はおどけた顔を作った。
「知沙乃ちゃんも北海道に誘う」
「できもしないことを言ってんじゃねえよ」
 俺たちの前では散々騒いでいても、知沙乃ちゃん本人の前では何も言えないくせに。
 俺はヘラヘラ笑っている金子の腕をつかんで引き寄せた。
「冗談じゃなくって、この夏休みに勝負かけろよ。おまえ、本気なんだろ」
 金子は驚いたように瞬きした。
「何、いきなり。三木ちゃん」
「もったいないだろ。本気で好きな子なら、ちゃんとしろって言ってんの」
 口ばっかりで行動しないと、トンビに油揚げってことになりかねないんだからな。知沙乃ちゃんはかなりかわいい女の子だ。かわいいだけじゃなくって、金子の話を聞く限り頭も性格もよさそうなイメージだった。
「ええー、なんでいきなり。ねえ、萩ちゃん」
 萩原に助けを求める金子の頭を、俺は軽くこづいた。
「すぐそうやって逃げるからダメなんだよ、もう」
 金子は本気で好きな相手がいるんだから、がんばってほしかった。知沙乃ちゃんだって、きっと金子のよさをわかってくれるはずだ。
「それより、萩ちゃんも三木ちゃんも、授業、これで最後だろ。どっか寄ってく?」
 金子が提案してきたので、俺はいそいで首を振った。
「俺、この後、ちょっと用事あるから」
「えー、何?」
「うん、ちょっと」
 問いかけるような目で俺を見る二人に愛想笑いを返して、俺は日夏との約束の場に向かった。
 バカみたいな期待感で胸がふくらんで身体を軽くしていた。地に足が着かないって、まさにこんな状態なんだろう。具体的な何かを期待するわけじゃないのに、日夏に会うというだけで、自然に口元が弛んでくる。
 だから俺は約束の場所に日夏を見つけた瞬間、子どものように大きく手を振っていた。
 少しばかり驚いたように目を見張った日夏が、すぐに頬をほころばせて手を振り返してくれた。傾いた陽射しがその顔に陰影をつけていて、まるで絵のような美しさで、そんな日夏の目が真っ直ぐに俺を見ていることに、息ができないくらい嬉しさがこみ上げてくる。
「日夏!」
 駆け寄って、目の前で息を整えている俺に、日夏は笑いながら「どうしたの?」と訊いた。
「どうしたの、三木ちゃん」
 改めて問われると、理由もなくはしゃいでいる自分が少し恥ずかしくなって、俺はかぶりを振った。
「なんでも」
 そう言いながら、日夏の荷物を受け取ろうと手を伸ばした。日夏は、着替えなどが入っているのだろう、大きなバッグを二つ肩にかけていた。
「いいよ」
 日夏は俺の手を避けるように、身体をひねった。
「ひとつ持つから、寄こせよ」
「大丈夫だよ」
 何か大切なものでも入れているのだろうか。日夏は頑なに俺にバッグを渡さなかった。


 日夏が俺の部屋に泊まっている間、堀口がやって来ることはなかった。
 鍵の場所を知らせてきたメール以降、堀口からは電話もメールもなく、俺から連絡することもできなかった。
 いくつか取っている同じ授業で見かけた堀口は、講義中一度も俺のほうを見なかった。彼女の頑なな肩の線は、堀口が俺に気づいていながら無視していることを示していた。
 週末をむかえる頃には、日夏が俺の部屋にいることがごく自然なことのようになっていた。
 俺たちは、テレビを見ながら、学校の予習をしながら、何気ないタイミングで、手を繋ぎ合って、軽いキスをくり返した。日夏に触れることも、彼に触れられることも心地よかった。
 日夏は何も言わなかったから、俺も何も言えなかった。何も言わないまま、日夏にそばにいてもらっていた。
 日夏が弟だったらよかったのに。時々俺はそんなふうに考えたりした。俺と日夏は全然似ていないけれど、血の繋がりがあればいいのに。二人の間に何か特別な関係があって、一緒にいることが当たり前で、理由なんてなくていいなら、俺はずっと日夏といられるのに。
「このまま何もなければ、俺、土曜日に自分のアパートに戻ろうかな」
 週が明けて半ばを過ぎた木曜の朝。日夏が言い出した。皿の上のレタスをフォークでつつきながら。
「家庭教師のバイトが入ってるから、その前に」
 淋しい。とっさに浮かんだその思いを振り払うように、俺は「そっか」と気の抜けた相槌を打った。
「そっか。そうだよな。長く付き合わせちゃって悪かったな」
 顔を上げた日夏が、何か言いたそうな、困ったような顔をしていたので、俺は出来る限り明るい声を作ってみせた。
「きっともう大丈夫だよ。さすがに勝手に合い鍵作ってたりはしないだろうし」
「何かあったら、すぐに連絡してよ」
 日夏が真面目な口調で言うので、俺は素直に頷いた。
「うん、ありがとう」
 何もなくても一緒にいたい。そんなの無理だ。だって俺たちは男同士で、俺はホモにはなりたくない。ちゃんとした彼女が欲しい。
 けれど、俺の想像の中にしかいない「彼女」は抽象的すぎて、目の前の日夏の魅力にかすんでしまいがちだった。
 日夏が女の子だったらよかったのに。女の子で、ずっと俺のそばにいてくれたらいいのに。兄弟なんて無理だ。日夏といると幸せだけど、切ない気持ちにもなって、それは兄弟に対するような気持ちじゃない。
 男同士だから、手を繋いでもキスをしても中途半端な気がした。俺は日夏のことをどう考えていいのか、わからなくなってきていた。日夏がそばにいることが自然で居心地がよくて、だけど胸の中にどうしたらいいのかわからない焦燥感のようなものも確かにあった。
 だから俺は、日夏が自分のアパートに戻ると言ったことに対して、淋しさを感じるとともに、ほっとした気持ちにもなっていた。
「じゃあ明日の夜は飲みに行くか。今までのお礼におごる」
 俺の言葉に日夏はニコッと笑みを返した。
「俺、別に何もしてないんだから、おごってくれなくていいよ」
 そばにいてくれたじゃないか。それは、口にはできなくて、俺はあいまいに笑ってみせた。



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