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Ego A Go Go


 金曜日、四限の講義に向かう途中で岸谷につかまった。
「柿原、今日おまえンちに行っていいか?」
 間髪入れずに断る。
「ダメに決まってんだろ」
「なんで?」
 岸谷は真直ぐな目で俺を見て、食い下がってきた。
「なんでって、当たり前だろ!」
 おまえ、どうせヤる気なんだろ。冗談じゃないっつーの。
「何が当たり前なんだか俺にはわからない。わかるように言えよ」
 顔のいい奴は絶対に得だ。岸谷を見てるとそう思う。へんてこりんなことを言っていても、顔つきだけでそうは感じさせない。
「わかんねーんならいいよ」
 言い捨てて振り切ろうとしたら、岸谷はヨシと頷いた。
「じゃあ行っていいんだな」
 俺は講義室へと踏み出しかけた足を戻して、岸谷を睨んだ。
「どうしてそうなるんだよ?」
 自分に都合のいい方に解釈しやがって。タコのように唇をつき出した俺をなだめるように岸谷は言葉を継いだ。
「柿原が何か用事があるんなら、その後でいいから」
「用事なんかねーよ!」
 思わず勢いで言い切っていた。アホか、俺。慌てて付け足す。
「でもダメだから」
「だから何がダメなんだ?」
 岸谷はしつこく食い下がってくる。
「おまえ、うちに来てどうするつもりなんだよ?」
 俺は逆に切り返してやった。
「どうって……週末だし、いろいろ」
 岸谷は口ごもった。赤くなってんじゃねえよ。ほら見ろ。清潔そうな顔して考えてんのはやっぱりそれだ。絶対ダメだ、そんなの。
 思い切り仏頂面を作ってみせたら岸谷は肩を竦めた。
「じゃ、いいよ。メシでも食いに行く? それとも映画とか」
 間近で俺の顔を覗き込みながら提案してくる。
 そんなの、女相手にやっとけ。くっきり二重の目が近すぎて、今度はこっちが赤面しちまうだろうが。
 俺は俯いて反論した。
「……週末に男二人でそんな空しいこと、俺はしたくない」
 気の早い店がイルミネーションを飾り始めているようなこの時期、どこに行ったってカップルだらけに決まっている。
「だからビデオでも借りてっておまえンち行こうって言ってんだろ」
 岸谷は平然と言う。
 だから、待て。根本的なことがズレてんだよ。こんなに噛み合わない奴、滅多にお目にかかれない。


 岸谷に押し倒された翌朝、俺は熱を出し、勝手に泊まって行った岸谷がそのまま看病してくれた。
 一人暮らしを始めて以来、寝つくのは初めてのことで、そばに人がいてくれるのは心強かった。ほてった顔に触れてくる、冷たい掌が心地好くて、俺は何度も岸谷の手首をつかんでは頬に持ってきたりした。
 優しげな表情で見下ろされて、ひどく安心した気分で目を閉じる。
 だが、よく考えてみれば岸谷は元凶だ。
 おまけに回復した途端に再び組み敷かれるハメになった。ケダモノ。端正な見かけに騙される。聖人みたいなツラしてるくせに。
 俺の抵抗なんてどこ吹く風で、勝手に人の身体を弄びやがる。なまじ岸谷は真面目だなんて評判があるから、混乱してわけがわからなくなる。


 結局俺は岸谷のしつこさに押し切られた形で、奴をアパートに連れてきた。
 図書館で待ち合わせて一緒に帰り、途中のレンタルショップで、岸谷のオススメとやらを借りる。最初に薦めてきたのは、モノクロのいかにも小難しそうな映画だったから、即座に首を振った。次に示されたのも聞いたことさえない題名だったがコメディーっぽかったので、それにした。
 ジプシーじゃなくてロマと言うべきなのだそうだが漂泊民族を描いたその映画は、実際観てみたらかなり面白かった。全編に溢れる音楽が楽しくて、俺のボロテレビで観たのがもったいないような気持ちにさえなった。
 俺は少しだけ岸谷を見直した。一般的な感覚も持ってるんじゃねーか。それにしてもよくこんなマニアックな映画を知ってるもんだ。
「岸谷って、オタクっぽい映画が好きなんだな」
 俺の言葉に岸谷は「まあな」と苦笑した。
 俺は宅配のピザに手を伸ばした。こういうのは一人じゃ頼めないから、岸谷が来るのも少しは役に立つと言えなくもない。
「ロードショーなんて観ないんだ?」
 からかうように問う俺に、岸谷は軽く答えた。
「観るよ、別に」
「こんなの、どこで見つけてくんの?」
 同じヨーロッパでもフランスみたいにメジャーじゃない。こんな映画があったなんて俺は初めて知った。
「普通に予告とかで観るだろ」
「俺、あんま映画館行かねーもん」
「じゃあ今度行こうか」
 さりげなく誘われて、俺は黙り込んだ。黙り込んだ俺を岸谷がじっと見てる。
 岸谷の顔立ちはまるで精巧に作られた人形みたいだ。すっきり通った鼻筋。プラスティックでかたどったみたいに形のよい唇。
 アパートの下の通りを車の走り抜けて行く音が聞こえた。遠くで鳴るクラクション。
「岸谷、おまえさ、何考えてんの?」
「何って何が?」
 訊き返されて、俺は黙ってガリガリと頭を掻いた。
 うまく言葉が見つからない。俺には岸谷が全然わからない。何がどうわからないのかもわからない。
 岸谷は困った顔で少し笑い、生真面目な声を出した。
「俺は柿原が好きだよ」
「んな、男同士で好きとか言われてもさぁ」
 現実の男にそんなふうに言われても実感がなくて、まるで映画でも観ているような気分になる。俺と岸谷の間はスクリーンで隔てられていて、岸谷の視線の先にはキレイな女優でもいるんじゃないのかと疑ってしまう。
 だが岸谷は俺から目をそらさない。
「柿原は俺をどう思ってるんだ」
「どう思ってるも何も、ワケわかんないんだもん、岸谷」
「何がわからないんだよ」
 何がわからないかがわかれば、少しは岸谷を理解できるのかもしれない。
「会話も噛み合わないし」
 ボソボソ呟くと、岸谷は肩を竦めてみせた。
「俺は柿原のゴーイングマイウェイなとこも好きだけどな」
 思いがけない言葉に俺はむっとして眉をひそめた。
「ちょっと待てよ。噛み合わないのは俺のせいだって言ってんのか」
 こら、てめえ。変人は自分を知らないとは本当だよな。
「とにかく俺は柿原が好きだから、柿原にも俺を好きになってもらいたい」
「無理だよ、無理」
 俺は即座に首を振った。好きになってほしいって言われたからって簡単に男なんか好きになれるもんか。
「何が無理なんだ」
「おまえ、俺より背が高いんだもんよ」
 普段一緒にいる分にはそう意識しないのだが、鏡や写真を見ると俺たちの身長差は結構あって、時々いやーな気分にさせられた。
 動物だって虫だって身体が大きい方が優位なんだ。恐竜のように進化しすぎて滅ぶってのも嫌だけど。
「俺のオスの本能がおまえを拒絶すんだよ」
 きっぱり言い切ってやると、岸谷は恨みがましい目で俺を睨んだ。
「シンデレラのお姉さんの気持ちがよくわかる」
「はあ?」
 そうやっていきなり突拍子もないこと言い出すから、ワケわかんないってんだよ。
「シンデレラの落としたガラスの靴がお姉さんたちには小さすぎたから、履けるようにって母親が足を切り落とすんだ」
「何、グロい話してんだよ」
 聞いただけでつま先や踵が痛くなってきた気がして俺は顔をしかめた。
 岸谷はそんな俺を無視して続ける。
「俺が、例えばそういう手術受けて、背が低くなったら、柿原は俺を好きになってくれるのか?」
「おまえはバカか」
 そういう手術って何だよ。整形ってことか。わざわざマイナスにしてどうする。
「柿原がそうしてほしいって言うんなら、俺は考える」
 岸谷はやけに真摯な口調でそう言った。
 岸谷は男前だ。俳優にだってなれそうなくらいのハンサムに真剣な表情で言われると、女じゃなくてもうっとりしてしまいそうになる。
 が、よく考えれば言ってる内容がどうにも変だ。ズレている。
「バ、バカタレ」
 うっかり半瞬ほど見惚れてしまった後、俺は慌ててブンブンと首を振った。
「そうかよ。じゃあどうせなら性転換手術受けろ。岸谷が女なら、背はそのままでもいいよ」
 女の子なら別に背が高くたって俺に文句はない。スタイルはいいに越したことはないから。そういえば高校生の時に好きだったクラスメイト。モデルになったとかって噂を聞いた。俺よりちょっとばかり背の高い子だったが、カッコイイと憧れてたんだ。
 けれど同性は競争相手だと思うからこそ、優位の相手には劣等感を覚える。
「それはイヤだ」
 俺の譲歩に岸谷はあっさり首を振った。
「なんだと、このやろ」
「俺は別に女になって柿原に愛されたいわけじゃないんだ。俺がおまえを好きなんだよ」
 融通の利かないアホッタレ!
「そうかよ、そうかよ。じゃあ俺は一生おまえなんか愛さないね」
 俺は「ケッ」と毒づいてやった。
「柿原」
 ガキめいた反抗的な気分になっていた。
「俺は女が好きだもん。岸谷を好きンなるなんてありえねーよ! ……うわッ」
 言い放った途端、岸谷は俺にタックルをかけてきた。
「こ、この卑怯モン!」
 床に押し倒されてジタバタとあがく。だからやなんだ、俺よりデカイ奴。
「卑怯でもなんでもいい。俺は柿原が好きだ」
「俺は好きじゃねえ!!」
 絶叫した口を、口で塞がれる。慣れたように舌が滑りこんできた。ひとしきり口の中を蹂躙して、完全に俺の息があがったところでようやく離れた。
「どうしてそう憎まれ口ばかり叩くんだろうな」
 ぜいぜいと息をつく俺を見下ろして、しみじみと呟いた後、岸谷の手が服にかかった。
「クソッタレのアホッタレの卑怯者! 俺は岸谷なんか好きにならない!」
 悔し紛れの悪態。俺が岸谷に逆らえないのは腕力だけの問題じゃない。
「アッ」
 簡単に火を付けられる身体。こんな快楽、知りたくなかった。だからこれ以上岸谷を近づけたくない。岸谷に近づきたくない。
「あ、あ……」
 岸谷とこんなことしてて、俺、ホルモン異常とかにならないだろうか。女の子みたいに胸が大きくなったりしたらどうするんだ。
 岸谷の指が余すところなく肌を這い回る。
「おまえがどう言ったって俺は柿原が好きだ」
「俺はッ……んうっ」
 こんな一方的な陵辱みたいなセックス。それで感じている俺は何なんだ。身体の中、岸谷をくわえ込んで、気が狂いそうなくらい感じてる。
「やめ……岸谷、岸谷」
「好きだよ、柿原」
 岸谷の熱が俺を昂ぶらせる。
 頭の中が真っ白になって、何も考える必要なんかない気がしてくる。
 これで、いいんだろうか。
「は……あ、ああ」
 追い立てられて絶頂を迎えた。どうしようもない屈辱感でいっぱいになる。
「…てめえなんか、絶交だ」
 岸谷は無言で俺を抱き寄せ、頬に口づけてきた。それを引き剥がすようにしてくり返す。
「絶交だっつーの。絶交! 二度と口も利きたくねえ!!」


「柿原さー、いい加減に岸谷と仲直りしろよ」
 空き時間にロビーでお茶を飲んでいる時に、栗原が口火を切った。岸谷だけが講義に出ていてその場にいないのを見計らったつもりらしい。大川も加藤も栗原の意見に賛成とばかりに俺を見やがった。まったくしつこい奴らだ。
 俺は岸谷との絶交を周りにも宣言していた。実際は宣言なんて大げさなものじゃなく、「どうして岸谷としゃべらないんだ?」と訊かれたので、答えただけだ。
 肝心の岸谷は本気に取っていないのか、少しも堪えていないようだった。
 代わりにおせっかいな連中がつまらない仲介をしかけてくる。
「俺は岸谷と絶交したっつっただろ。別におまえらが岸谷とつるむのまで制限するつもりはねーよ。だから俺と岸谷がしゃべらなくたって気にすんな」
 シッシと追い払うように手を振ると、呆れたような三対の目に囲まれた。
「んなわけにいくかよ」
「本当に柿原ってワガママだよな」
 俺が? 俺が悪いって言うのか?
「どっからそういう発想が出てくんだよ? 原因は岸谷だからな」
 俺はブスくれて言った。そうとも、元々あいつが俺を強姦したんだ。絶交どころか警察に突き出しても文句を言われる筋合いじゃない。
 第一あいつは、俺に無視されても平然としてやがる。まったく面白くない。一人で苛々している俺がまるきりの阿呆みたいじゃないか。
「岸谷は、柿原のこと好きだってよ」
 大川の言葉に飲んでいたお茶を吹きそうになった。
「小学生みたいな意地悪してないで、仲直りしろよな」
 ゲホゲホと咳き込む俺の頭を加藤がパチンと叩いた。加藤には「坊主頭のせいか叩き易い」などと一度ほざかれた覚えがある。
「俺が小学生かよ?!」
 咳き込みすぎて涙目になって、俺は加藤に反論した。
「気に入らないから無視なんて子どものすることだろ」
 栗原が肩をすくめてみせる傍から、大川が言葉を継いだ。
「だいたい柿原は岸谷のどこが気に入らないわけ?」
 どこがって、俺は別に岸谷を気に入らないわけじゃない。
 岸谷が俺を苦手なんだと言われた時にはそれなりにショックだったりもしたくらいだ。だいたいそんなふうに言っていたのはおまえらだろうが。
 それがいきなり押し倒されるハメになった。あいつは男の俺に好きになってくれって言ってんだぞ。俺にどうしろって言うんだよ。どうしていいかわかんねーよ。同性相手の恋愛感情なんて、どうやったら理解できるっていうんだ。
「てめえら、うるっせーよ!」
 俺は言い捨てて席を立った。何も知らない阿呆どもが勝手なこと言いやがって。
 岸谷が俺を好きだなんて想像さえしたことなかったし、あいつの行動ときたら、まさに晴天の霹靂だった。
 俺は面食いじゃないけれど、顔だけなら岸谷は文句ナシのハンサムだ。どうせならあんな顔に生まれたかったと思う。すっきりと整っていて、スチール写真にして部屋に飾ってもいいくらいだと密かに考えたことさえある。
 だからってあいつのことを好きかどうかなんて俺にはわからない。


「今日の岸谷、すごかったな」
「あのロングシュート入れられちゃ、ちょっと手が出ないよ」
 午後一番の体育が終わった更衣室。先程のサッカーの試合での岸谷の活躍を興奮気味にしゃべる仲間たちから離れて、俺は一人黙々と着替えていた。
 ふいに思いついたように栗原が俺に顔を向けた。
「柿原、肱、大丈夫か?」
 岸谷のドリブルを止めようとした俺はあっさりかわされて無様に転び、肱を擦りむいていた。俺をかわした岸谷は悠々とロングシュートを決め、俺は地面に這いつくばった格好でそれを見送った。
 女の子だったら岸谷に対して「ステキ」だの「かっこいい」だのという感想も浮かぶのかもしれないが、その時俺が感じていたのは悔しさと屈辱だった。
 栗原に訊かれた俺は黙って水道まで行って傷口を洗った。そのせいか、かえって止まっていたはずの血が滲み出した。
「あーあ、保健室行ってくれば?」
「いいよ」
 そっけなく言い捨てると、脇から岸谷の手が伸びてきて俺の腕をつかんだ。
「こんなの見せびらかされてると啜りたくなるから、素直に保健室行って来いよ」
 岸谷の言葉に一瞬場がシンとした。
「うっはー、岸谷、かっけー!」
 すぐに上がった加藤の奇声をきっかけに、更衣室の中は異様に盛り上がった。
「ワッイルドな発言じゃん」
「ヴァンパイア? ヴァンパイア?」
 俺は岸谷の手を振り払った。きっちり三十秒ほど睨みつけて、クルリと踵を返し、保健室に向かった。
 岸谷の野郎、何、余裕こいてんだよ。
 俺はずっとあいつとしゃべってないのに、少しも堪えた様子がない。好きだとか言っといて、好きな奴に無視されて平然としてる奴があるか。
 かっこつけてんじゃねえ。なーにが、ヴァンパイア、だ。ちっとばかしツラがいいからって芝居がかってんだよ。
 辿りついた保健室には鍵がかかっていた。
「柿原」
 回らないノブをガチャガチャやっていたら、後ろから声がした。振り向かなくたってわかる。岸谷。
「今、カウンセリングの時間だから、先生いないんだよ。事務室で鍵借りてきたから」
 ちょうどスクールカウンセリングの時間だったらしい。実際に相談に行く奴がいるかは知らないが、心理学の先生や養護の先生が交代でやっているのだ。
 岸谷は俺の脇から手を伸ばし、鍵を差し込んだ。
 ふん、わかってたんなら、最初っから言え。俺は心の中で毒づいた。
 先に立って中に入った岸谷が、消毒剤を手に「ほら」と促すから、俺は素直に腕を出した。
 俺の手首をつかんだ岸谷は、左手に持っていた消毒剤を使わずに、俺の傷に口を寄せた。
「バッ」
 慌てて腕を引こうとしたが、ガッチリつかまれていて外せなかった。温かい舌が、ゆっくりと傷を舐め上げる。
「つ」
 痛みとともに、ゾクッと背筋を駆け抜けた感覚。岸谷の目が俺をとらえていた。
「へ、変態!」
 その視線から逃れるように目を閉じて俯いた。瞼の裏はりついた岸谷の残像がいつまでも俺を見てる。
 やがて傷にヒヤリと熱を冷ますような消毒剤がかけられ、絆創膏が貼られるのを待って、目を開けた。もともと絆創膏の二枚も貼りつければ済むような傷だった。
 視線が合うと岸谷が口を開いた。
「どうせ俺は変態だよ」
「開き直ってんじゃねえよ」
 変態なのは岸谷なのに、どうして俺が悩まなきゃならないんだ。むかつくったらない。
「開き直るしかないよ」
 岸谷は肩を竦めて苦笑いしてみせた。
「俺は柿原が好きだ」
「俺の気持ちはどうでもいいのかよ?」
 てめえが俺を好きだからって、俺の気持ちもお構いなしに押し倒すなんて、どう考えてもおかしいだろ。
 勢いよく鼻先につきつけた指を、岸谷は静かに外した。真直ぐに俺を見て口を開く。
「どうでもいいんだ、柿原」
「……なんだと?」
 我ながら地を這うような低い声がこぼれた。岸谷は訂正もせずにくり返した。
「おまえの気持ちはどうでもいいよ」
 ブチンとこめかみの切れる音が確かに聞こえた。
「こ、この、このやろう! 言ったな。言いやがったな!」
 怒りのあまりマトモな言葉が浮かんでこない。俺はただ喚きたてた。
「バカッ、なんだよ、それ! 俺は、俺だって」
 悔しくて、涙が滲んでくる。
「俺は……真面目に考えて……なんだよ、それ……俺の気持ちはどうでもいいって……そんなの」
 好きだなんて言われたから、俺だって本気で考えてたんだ。本気でどうしようって悩んで、迷って――でもそんなの無駄だったってことか。俺がどう思っていようと、岸谷にはどうでもいいんだ。要するにあれだろ、セックスできればそれでいいのか。ダッチワイフとおんなじ、穴がありゃ、心なんてなくって構わないって、そういうことだろ。
 岸谷が真面目だなんて言ってたのは誰だ? 加藤だったか、栗原か。俺はあいつらに惑わされたんだ。
 真面目に告白されたつもりになっていた俺はただのアホウだ。
 俺は肱の内側でゴシゴシと目をこすった。頭にきて、頭にきて、だから涙なんか出てくるんだ。
「……くそったれ」
 悔し紛れに口をついたのは、震えた、みっともない悪態。
「どうして泣くんだ?」
 岸谷が眉をひそめて困ったような表情になる。
「悔しいからだよ!」
「何が悔しいんだ?」
 岸谷は鈍感で変人でどうしようもないアホウだ。
「俺のこと、どうでもいいって……ひくっ…そんなの失礼だと思わないのかよ。勝手に押し倒しておいて……えっ…どうでもいいなんて……ふ…よくも言えたもんだよ」
 涙が勝手に溢れてくるから、言葉の合間に何度もしゃくり上げてしまった。まるっきりガキみたいに。
 岸谷がため息をついた。
「俺はおまえが好きなんだよ、柿原。おまえに絶対好きにならないって言われて、絶交だって言われて、よくよく考えた」
 岸谷は言葉を途切らせて俺を見つめた。
「柿原、俺はおまえが俺のことどう思っていようと、おまえが好きだ。どうしたって変えられないんだ。おまえの気持ちがどうでもいいってそういうことだよ。もう好きになってくれなんて言わない。俺は勝手におまえが好きなんだから」
 あまりの言い草に呆れて涙は止まった。
「そんなの……そんなのねえだろ。んな、勝手に自己完結してる奴なんか知らねえ。勝手にどっか行っちまえ。関係ないんなら、俺の前に現れるな。どっか行けよ」
 岸谷が好きだなんて言わなけりゃ、俺は悩むことなんかなかったんだ。予想もつかない行動をとって俺を混乱させて、それで俺の気持ちは関係ないなんてよく言える。関係ないなら、どうして掻き乱すようなことしやがった。
「てめえ、自分のしたことには責任取れよ。俺にだって感情はあるんだ。岸谷にとってはどうでもいいことかもしれねーけどな、俺だっていろいろ考えるんだ」
「いろいろ考えて、それで答えは出たのか?」
「答えって……」
 静かに突きつけられた問いに俺は絶句した。
「わからないんだろう? だから、ずっとわからないって言ってたっていいよ。俺は勝手におまえを好きでいるから」
「俺がっ、俺が悪いって言いたいんだろ!」
「柿原」
 なだめるような岸谷の口調が苛立たしい。変人のくせに一人で大人ぶりやがって。
 俺は、ダンと床を踏み鳴らした。
「俺は一生岸谷のことなんかわかんねえ!」
 俺は何をこんなに取り乱してるんだ。
 どうして伝わらないんだよ、岸谷。俺とおまえはどうやっても噛み合わないんだ。
「柿原、おまえ、俺のこと、わかりたいって思ってくれてんの?」
 岸谷はわずかに目を見開くようにして訊いてきた。
「わかんないつってんだろ! 岸谷なんかわかんねー、わかんねー、わかんねー!!」
 地団駄を踏みながらわめき散らしたら、岸谷の腕が伸びてきて、ぐっと俺を引き寄せた。
「柿原、俺のこと考えてくれてんの?」
 低い、低い声が耳元で囁くから、ふいに力が抜けていった。くそー。岸谷の奴、顔だけじゃなくて、声もいいのかよ。詐欺だ。
 抱きしめられた腕の中、微かに制汗剤の香る胸元に俺は呟きを落とした。
「おまえが、好きだっつったんだ」
 男同士で好きだの言い出して、俺を混乱させて。こっちの気持ちなんか少しも考えてくれなくて。
 悔し紛れの悪態に岸谷は頷いた。
「そうだよ。他のことはわかってくれなくていい。俺は柿原が好きだって、それだけなんだよ」
 俺は顔を上げた。至近距離で見下ろしてるハンサムなツラを見上げて言う。
「それがわかんねーつってんだよ」
「だから何回でも言うよ。俺は柿原が好きだ」
 ものすごくズレているのに、顔のいい奴はやっぱり得だ。それだけでうかつにも誤魔化されてしまう。
「アホウ!」
 そして、ゆっくりと口づけが落ちてきた。



END






homeのキリ番7777を踏んでくださったユーキさまのリクエスト。ワケがわからないのは、何よりも書いてる本人だったりします。はたしてこの続編に意味は……ないかもしれません(汗)。20020722UP




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