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通勤電車


 週末に家で法事があったので、月曜は家から直接出社することにした。快速に乗ってさえ一時間以上も電車に揺られることにうんざりしながら、駅の売店で雑誌を買う。
 いつもより早く起きなければならなかったせいもあって、電車に乗ってすぐに眠り込んだ。駅で電車が止まるたびに目を覚ます。少しずつ車内が混んで来た。ぼくは売店で買ったマンガ雑誌を読み始めた。すると上から声が降ってきた。
「おい」
 初めは自分にかけられたとは思わずに無視した。
「おい、こんなとこでマンガなんか読むなよ」
 見上げると知らない若い男が眉をひそめていた。知らない? いや、見たことがある。多分同じ会社の奴。スーツ姿のぼくに較べて、彼はポロシャツを着てラフな恰好だった。会社に行く途中ではないのだろうか? 会社で見かけたことがなければ学生だと思っただろう。男は言い募る。
「いい年して、朝からマンガなんか読むな。みっともない」
「…どうして、あなたにそんなこと言われなきゃいけないんですか?」
 いきなりの糾弾が不快というよりむしろ不思議に思えた。電車の中で面と向かって非難されたのは初めてだ。
「電車は公共の乗り物だろ。他人を不快にさせる行為は慎むべきだ」
「確かに。すみませんでした」
 正論なのは確かで、ぼくはおとなしくマンガを閉じた。次の駅でまた何人か乗り込んでくる。
「木田、立てよ」
 こいつ、ぼくの名前を知っている? けげんな顔で見上げたぼくは、そいつの陰に小柄なおばあさんを見つけ慌てて立ち上がった。
「どうぞ」
「まあ、すみません」
 男がぼくを抱えるようにして、おばあさんを通す。おばあさんよりぼくのほうが確実に体積があるので、必然的に車内が狭くなり、周りの人間が嫌そうに顔をしかめた。ぼくはいたたまれなくて隅で身を縮めた。耳元で呟きが聴こえた。
「なんだ、俺より背、低いんだ」
「な?」
 至近距離に男の顔。こういうとき、まるきり知らない人間のほうがかえって気楽だ。おまけになぜかこいつはジロジロとぼくの顔を眺めている。その視線に耐え切れなくて、訊いた。
「な、んだよ? 何かついてる?」
「いや、なんか近くで見るとイメージちがうなと思って。眼鏡かけてないんだな」
 ぼくの眼鏡は営業用の小道具だ。新人のころ教育係の先輩のアドバイスでかけ始めた。昔から生意気そうだと言われることが多かったのだが、今はそんなことは言われない。ぼくの成績の何割かは先輩のおかげかもしれないと思っている。もともと視力は悪くないから普段は不要で、だから今もかけていなかった。
「目は、悪くないから」
 ほとんど初対面の相手に説明する言葉も浮かばず、それだけを言って視線をそらした。
 都内に入ると電車はますます混んで来た。ドアの脇のスペースに押し込められて逃れるすべもなく身体がねじれる。目の前の男とまるで抱き合うような姿勢になったまま動くこともできない。
「ちょ、ちょっと。足が」
「しょうがないだろ。不可抗力だ」
 男の左足がぼくの足の間に入っている。あんまりな状態だ。ぼくはなんとかならないものかともぞもぞ動いた。
「おい。動くんじゃない」
 男が困った顔をする。え? ぼくは腰の右辺りに硬い感触を覚えて困惑した。こいつ。
「木田がヘンな動きするからだぞ」
「なんでそうなる?」
「知るか」
 なんかこいつ、あぶねえなあ。つられてこっちまでおかしな気分になりそうで、ぼくは早く降りる駅が来るようにと祈りながら身を固くしていた。
 ようやく会社近くの駅に着くと男も一緒に降りた。こいつ、こんなポロシャツなんかで出社してるのか?
「俺の名前、わかる?」
 なぜか連れ立って歩きながら、男が訊いてきた。
「…いや」
 こちらの名前を知られている相手の名前を知らないのは少し気まずかった。ぼくの答えに男は「チェッ」とつまらなそうに舌打ちした。
「開発の岡野佑一。去年の入社だよ。覚えた?」
 えらそうに言われて呆気に取られる。
「去年の入社って…。おまえ、ぼくより年下だろ。よくも呼び捨てにしてくれてるな」
「たまたま何年か先に生まれただけだろ。同じ会社だけど仕事で世話になってるわけでもないし。別に世話にならなくても尊敬に値する人間なら敬語を使うけど、電車で居眠りこいてマンガ読んだ時点でランクダウンだよ」
 ほんとに理屈が達者なやつだ。営業には向かないなとこっそり考えた。それにしても開発の奴らは二年目くらいのペーペーにまでこんなラフな恰好を許しているのか。
 会社に着いて自分の課に向かおうとすると、岡野はぼくの腕をつかんだ。
「なあ、今夜飲みに行かない?」
 突然の誘い。つくづく不可解な男だと思う。
「悪いけど、何時に帰れるかわからないから無理だよ」
 午後から外回りに出ることになっていた。
「じゃあ明日は?」
「基本的に外回りが多いからさ。約束できないんだよ」
「いいよ。じゃあ今日、終わるまで待っててやる」
 意外としつこい。たまたま同じ電車に乗り合わせただけでどうして飲みに行く必要があるのかわからなかった。岡野は自分の携帯の番号を押し付け、ぼくのも教えろと言ってきた。高校生じゃあるまいし、誰彼かまわず番号を教え合ってどうするんだ。心の中でそう毒づきながらもぼくは岡野に番号を渡した。


「木田さん、岡野くんと仲良くなったんですか?」
 課の席についてすぐ川合さんに声をかけられた。そういえば彼女は去年入社だから、岡野と同期なのか。会社のロビーでしばらくモタモタしていたから、目についたのだろう。
「前に岡野くんは、木田さんと話したこともないって言ってたのに」
「朝、電車が一緒になって。あいつ、変わってるな」
「そうですねえ。見た目はかっこいいのに、なんかヘン。でも、イイ奴なんですよ」
「川合さん、岡野と仲いいの?」
「あら、私たちの同期ってみんな仲いいんですよ。人数わりと少ないじゃないですか? その分結束が強いの」
 ニコニコと川合さんは言った。彼女は可愛いから密かに狙っている連中が多いのだが、いかんせん彼女自身はそういうことに少し鈍感な感じで、あまり気づいていないらしい。同期の仲がいいなんていうのも、現実は川合さん目当ての不純な動機も混じっていそうだなどとぼくは邪推した。
 結局その日は外回りから戻ったのは九時近くになってしまった。地方の得意先を出たの自体がひどく遅い時間だった。週明けだから余計なのだ。新規の契約が取れたわけでもなく、得意先の愚痴を聞くだけで終わってしまった。さすがに岡野は待っていないだろうと思ったが、同じ課の連中さえみんな帰ってしまった後だった。誰もいない部屋で、とりあえず報告書を書こうとパソコンを立ち上げた。そこに携帯が鳴った。
―木田?
 相変わらずの呼び捨てに一瞬むっとする。
「そう」
―今、どこ? まだ終わんねえの?
 軽く訊ねてくる声の調子で、諦めて他の奴とでも先に飲みに行っているのだろうと推測した。約束はキャンセルだなと思った。
「会社に戻ったとこ。これから報告書作るんだ」
―それって、すぐ終わるんだろ? 今から行くから
「え? ちょっと…」
 止める間もなく電話は切れた。一体どこで飲んでいるのだろう。わざわざ迎えに来てくれなくてもいいのに。そう思っていると、それからすぐにノックの音がして岡野が現れたので、ぼくはびっくりした。
「な…、お前もまだ会社にいたの?」
「待ってるって言っただろ?」
「こんな時間まで待ってるとは思わなかったんだよ」
「こんな時間まで仕事なのはそっちだろ。営業って大変なんだな」
「ぼくの要領が悪いだけだ。他の連中はもうとっくに帰ったよ」
 自嘲気味に笑うと、木田は驚いたような表情になった。
「木田ってエリートだって聞いてる。営業のナンバーワンだって」
「そんなのデマだよ」
 確かにぼくの営業成績は悪いほうではなかったが、それは得意先に信頼されているというよりは、ただ便利に使われているようなものだと思っている。ぼくは営業先で直接うちの会社の仕事でないものまで押し付けられることが多かった。他にぼくのしていることと言えば得意先の愚痴を聞くことだった。どんなにつまらない話でも、それこそ仕事にはまったく関係のない話でも熱心に聞いてやるのがぼくのやり方で、それが時々空しく感じられるのは仕方がない。
 ぼくがパソコンに入力している脇で、物珍しそうに部屋の中のものをいたずらしていた岡野は、やがてしびれを切らしたように声をかけてきた。
「なあ、報告書って今作らなきゃダメなのか? 俺、腹減ってんだけど」
「うーん。…ま、いいか。続きは明日にする」
 ぼくがそう言うと岡野はにっこりと嬉しそうに笑った。こいつの笑顔は初めてだなとふと思う。それはいかにも、思ったことがすぐ表情に出る岡野らしい、子どものような笑顔だった。
 すぐに片付けて会社を出たが、近くの店を何軒か回るとあいにく満席ばかりだった。時間が遅いので席が空くのを待つのさえ断られる始末。
「なんでだろうな。今日は月曜なのに」
「じゃあさ、俺んち来ない?」
 いきなりの提案。ぼくはかなり驚いた。くり返すが、岡野とは朝初めて言葉を交わしたばかりなのだ。
「え? また別の日にしないか?」
「だって、木田、忙しいんだろ? 別の日なんて言ってるとそれっきりになりそうじゃん」
 それでも構わないだろうという気はしたが、口にしては社交上失礼かなとも考えた。結局ぼくは朝と同じ電車に乗ることになった。朝ほどではないが、この時間もそれなりに混んでいる。さすがに今度は岡野と密着することもなく、少しは安堵した。
「木田の家もこの線なの?」
「あ、いや、ぼくは**線。今日は地元から出て来たんだ。昨日、法事があって」
「ふーん。道理で今まで見かけたことないのに、変だと思った」
 納得したように呟く岡野に苦笑が洩れた。
「見かけるって…。例え同じ電車に乗ってたとしたって、あんなに混んでいたらわかるわけないだろ」
「わかるよ、俺。多分、木田のこと」
 やけに自信たっぷりに断言されて、何と返していいのかわからない。



 駅前のコンビニで肴になりそうなものを買い込んで岡野の家に向かう。岡野はアパート暮らしだった。
「俺、ほんとは会社の寮に入りたいんだけどさ。空きがないって言うんだよな」
「ぼくは寮だよ」
 会社の寮は安いから人気があって、ぼくも入寮したのは入社から半年経ってからだった。
「あ、そうなの? どんな感じ?」
「普通のアパートを会社が借り上げてるだけだから、こことそんなに変わらないな」
「なのに家賃安いだろ? 俺なんかこんな辺鄙なとこで結構取られてんだぜ。…ところで、先に風呂使う?」
 話の途中でさらっと訊かれて驚いた。
「ええ? いくらなんでも泊まるつもりはないよ」
「何言ってんだよ? こっちからの終電早いんだよ。帰れるわけないじゃん」
 嘘だろ。
「ぼく、週末から自分の部屋、帰ってないんだぜ」
 思わず恨みがましい目で岡野を睨んだ。何もそんな無理して一緒に飲む必要なんかなかったはずだ。岡野はまるで平気な顔でぼくの視線をあっさり流した。
「そんなのどうってことないって。なんなら明日シャツとネクタイ、貸してやるよ。どうせ俺はいらないし」
 飲んでから風呂に入るよりはと岡野がまず先に使い、その後ぼくもシャワーを借りた。岡野がスウェットの上下を貸してくれた。髪をタオルで拭きながら部屋に行くと、先にビールを開けてテレビを見ていた岡野が振り向いて、隣の座布団を示したので、そこに座る。
「…やっぱ、雰囲気ちがうよな」
 妙に感心したような口調で呟く。
「何が?」
 手渡されたビールを受け取って、ぼくは訊ねる。
「木田っていかにもバリバリの営業マンだと思ってたんだよな」
 どうやら岡野は会社でのぼくを一方的に見ていたらしい。自分の知らないところで観察されていたかと思うと、あまりいい気分はしなかった。
「川合っているじゃん? 俺の同期なんだけどさ。あいつとかが木田の話、よくしてるからさ。エリートで優しいんだって? たまに見かけて俺、結構憧れてたんだぜ。いかにも『仕事できます』ってオーラ放ってて」
 そんなことを言われてもどう応えていいのかわからない。第一仕事ができそうに見えるなんて初めて言われた。表情の選択に迷っていると岡野は肩をすくめた。
「それが電車で眠りこけてて、マンガ読み出すんだもんな。最初は別人かと思った」
「悪かったな」
「いや、悪いっていうか、さ」
 岡野は微妙に口ごもった。そしてふと笑って「思っていたより背も低い」と言った。いきなり手を伸ばしてきて頭をなでられて、ぼくはムッとした。年上の男にやることじゃないだろ。
「お前がでかすぎなんだろ。何センチあるんだよ?」
 岡野の手を払って、軽く肩をなぐる真似をする。
「さあ? 一八〇は超えたかな? でもこのくらい結構いるだろ」
 テレビを見ながら、だらだらとそんな会話を交わして飲んでいるうちに最初に出しておいたビールがすべて空になった。冷蔵庫から新しいビールを出してきた岡野はぼくの隣にぴったりとくっつくように腰を下ろした。ぼくは慌てて身をよじった。
「ちょっと。なんだよ?」
「んー? なんとなく」
 言いながら肩を抱かれて、ヤバイ気がしてくる。そういえばこいつ、朝の電車で…。
「おい、ヘンなことすんなよ」
 眉をひそめて釘を差すぼくの言葉などどこ吹く風の顔で、岡野はぼくの頬に唇をつけてうそぶいた。
「なんでだろうな。木田を見てると、こういうコトしたくなる」
 耳を軽く噛まれて、さすがにゾッとした。
「バカ。お前、変態かっ?」
「なあ、一回抱かせてよ」
 かすれた低い声で、とんでもないことを耳の中に囁かれて総毛だつ。酔っ払ってふざけて言っているのかもしれないが、この状況ではとても笑えない。
「何言い出すんだよっ!」
「俺、男にこんな気持ちになったの初めてだよ。木田のこと、抱いてみたい」
「おい」
 しつこい冗談にいい加減に怒ろうとした時、岡野はぼくの上にのしかかって来た。唇を押し付けられる。
「むっ…」
 必死で避けようとする顎を捉えられ、強くつかまれて無理やり口を開けさせられる。岡野の舌が入ってきた。きつく抱きしめられ、後ろに回った腕が痛い。脚の付け根に熱いものがあたっていた。マジでヤバイ。
 それでも頭のどこかで、これはただの冗談なんじゃないかと考えていた。まさか自分が男に押し倒されるなんてことがあるはずがない。華奢な美少年ならともかく、このぼくにそんなことが起こるはずはない。けれど口の中を蹂躙する岡野の舌はいつまでも離れず、ぼくは泣きたくなった。
「…ん、は。よせよ。何考えてんだ」
 ようやく解放された口でののしっても、岡野は手を止めない。引き倒され、腹の上に馬乗りになられて身動きできなくなったぼくの腕を、頭の上で体重をかけた左腕だけで封じ、右手がまくれあがったスウェットの下に入ってくる。
「や、めろ。…アッ」
 胸の突起を押さえられて思わず声を洩らしてしまった。岡野が楽しげな表情になる。
「ここって、感じるよな?」
 岡野の手が身体中を探り始める。
「やっだっ!」
「もっといい声、聴かせてよ」
 言いながら岡野の舌が首筋を舐め上げた。
「バカッ。ふざけんじゃねえ!」
 年下の男につけ上がらせるものかと一喝したが、まるで効き目はなかった。
「じゃあ、ここ?」
 言いながら下半身を引き出されてぼくは羞恥に声もなかった。子どもの頃のふざけ合いはともかく、これまでこんな形で他人に触られたことなどない。今まで付き合ってきた恋人は、そんなことをするようなタイプではなかった。明確な目的を持った岡野の手はぼくを追いつめてくる。
「やっ。…っつ、ふっ…ぅ。やめ…」
 その手から逃げるために身をよじるはずが、快感に腰を揺らしているみたいになってしまった。右手は離さず、岡野は、ぼくの腕を押さえたままの左腕と肩でぼくの頭を抱え込むようにして顔を覗き込んできた。
「すごい表情、してるよ。木田」
「うっ…く」
 屈辱に悔し涙が溢れそうになったが身体は勝手に暴走していく。岡野が再び深く口付けてきた。洩れる声が岡野の唇に吸い取られる。岡野の胸と自分の胸が触れ合っていて、それはぼくに不快ではないものを感じさせた。
 ぼくを弄ぶ岡野の手が少しずつ移動していき、ぼくは嫌な予感に青ざめる。まさか。岡野は確かに「抱かせろ」と迫ってきた。まさか。後ろに触られた途端、びくりと身がこわばった。
「…だ、めだ」
 ひどい恐怖感に支配される。岡野、何をする気だ。指がもぐり込んできた。
「アッ」
 抱え込まれたままの身体が思わず反り返る。ゆっくりと侵入してくる岡野の指。痛みよりも異物感に身悶えすると、その動きはさらに岡野の指をぼくに実感させた。
「ダメだ。やめてくれ」
 プライドも何もなかった。ぼくは岡野に懇願した。ただひたすら怖かった。
「大丈夫だよ」
 その岡野の笑みはひどく柔らかで、こんな状況なのについ見とれてしまうくらいだった。
「こわいよ」
 知らず甘えた口調になった。
「大丈夫。木田、大丈夫だから」
 岡野はまるであやすような声音で囁きながら、徐々に指を奥まで進めてきた。
「はうっ」
 入れた指を中で動かされて、身体がはねた。
「はっ…。ああっ…」
 覚えのない快感が鳩尾のあたりに溜まっていく。自分のものではないみたいに身体が勝手に痙攣する。
「や…、だ。やだよ、岡野ぉ」
 無意識の哀願が口をつく。男のくせにこんな声を出す自分があまりに無様で恥かしかった。屈辱のせいか快感のせいかわからなくなった涙が頬を伝う。岡野の息が荒くなっていた。
「…木田、俺、もう我慢できない」
 言葉の意味を理解する間もなく指が抜き取られる。その刺激にまた声を洩らしてしまい唇を噛んだ。岡野が身を起こしたので圧迫されていた胸が楽になって安堵する片隅で、すがるもののない頼りなさも感じた。岡野は手早くゴムをつけた。ぼくの両足がすくい取られるようにして岡野の太腿の上に乗せられた。腰が浮く。反射的に逃げようとしたが遅かった。開かされた足の間に熱い塊。
「アッ、アッ…。いっ。やめっ! アウッ」
 頭の中が真っ白で何も考えられない。逃れようもなくしっかりとつかまれた腰。
「木田、んっ、力抜いて」
 押し入ってくる岡野があせるように声をかけるが、ぼくにはどうしようもない。
「やっ…アッ、あああ」
「大丈夫だよ、木田。大丈夫」
 何がどう大丈夫なんだかわからない。そんなことを言っている岡野自身、ちっとも大丈夫そうには見えない。
「木田、力、抜けっ」
 岡野はしまいにはただがむしゃらに腰を入れてきた。
「は…あっ!」
 ようやく身体が密着すると岡野は少しの間、動きをとめた。そうっとぼくの頬をなでる。
「動くよ」
 優しげな声がかえって怖い。拒否の言葉がぼくの喉にひっかかって出てこないのをいいことに、岡野は腰を使い始めた。
「やだっ! アッ、ウッ」
 岡野の動きがどういうわけか快楽を誘い出し、いつのまにかぼく自身の身体がうごめき始める。
「木田…、は…。木田、んっ」
 岡野がうわ言のようにぼくの名をくり返す。初めの頃のからかうような余裕が、今はもうなくなっているらしい。せつなげな表情をなんだか愛しいと思った。岡野の髪から汗がぼくの顔に落ちた。ぼくだけが昇りつめているわけじゃないと知り、妙な安堵が胸に広がってますます声が抑えられなくなった。
「あ…っ、んっ、んっ」
「俺、も…ダメだ」
 呟いて、岡野がぼくの中で爆発したのを感じた。抜き取られる刺激に、後れてぼくも達した。やがて顔中に岡野の口づけが落ちてくる。
「俺、かなりヤバイな」
 口をへの字にして岡野が呟く。困ったような泣きそうな表情に見えた。
「なに?」
「木田、女よりイイんだもん」
「…」
 どうしてこいつは応えようのないことばかりを言うのだろう。まじまじと見つめると岡野が赤くなった。
「俺、やっぱり木田のこと、好きなんだな」
 視線をそらして、他人事のように言う。表情は澄ましているのに頬が真っ赤で、ぼくはそんな岡野を見ているうちにだんだんおかしくなってきて笑い出した。
「な、んだよっ。人が告白してんのに、笑う奴があるか」
「そっちこそ。ぼくは一応年上の男だぜ。年上の男相手に何やって、何言ってるか、自分でわかってんのかよ?」
 途中からつい諭すような口調になった。こんなの、ただのちょっとした経験だ。ぼくは大人だから、そう思うことができる。そう思わなくてはならない。身体の痛みが消えれば、こんなことはなかったことにできる。飲みすぎてハメを外しただけだ。岡野もそう思ってくれていいと考えていた。ところが岡野はあっさりと首を振った。
「気持ちは理屈じゃないからな。しょうがねえよ」
 こいつってすごい奴だなとあらためて思う。ただの勢いで男同士でセックスしただけの話にしたほうがいい。好きだとかそんな面倒なこと言い出さないほうがいい。ぼくはそう言うべきだった。なのに何も考えてなさそうな岡野のあっけらかんとした言葉にため息をついただけだった。「それよりも」と岡野は続けた。
「俺が好きだって言ってんだから、木田の返事は?」
「は?」
 面食らって問い返すと、岡野は口をとがらせた。
「は、じゃないだろ。頭くんなあ。俺、真面目に告白してんだぜ」
「…ぼく、岡野のこと今日知ったばかりだよ」
「だから全部教えてやっただろ」
「なっ…」
 にやっと下品に笑われて、今度はぼくが赤面する番だった。
「ちゃんと感じてたよなあ?」
「うるさいっ! お前、マジで言葉遣い、なんとかしろよ。社会人失格だろ」
 腹立ち紛れに怒鳴りつけても岡野は臆するふうもなくぼくを抱きしめてきた。
「それってさあ、照れてんの?」
「バカか、おま…」
 言いかけた言葉は口づけでふさがれた。これで、本当にいいのだろうか。その疑問は頭の片隅にしつこく居座っていたが、ぼくは持って行き場のない手を、とりあえず岡野の背に回すことにした。



END





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