唐変木のためのガイダンス年度が明けて異動が発表されれば、職場では恒例の歓送迎会が開催される。今年は、次長の本社への栄転があったので、いつもよりグレードの高い店で、送別会ということになった。閑静な住宅街の中にある割烹料理の店。俺にとっては好きな日本酒が飲めるだけで嬉しい。宴会というとビールが主流だが、俺はいつも冷酒しか口にしない。ビールなんてあんな苦いだけの炭酸ジュースみたいなもの、飲みたがる奴の気がしれない。 俺は次長にはずっと世話になっていたから、最後にいろいろと話すつもりだった。のだが。いつのまにか俺と次長は邪魔な女の子たちに囲まれていた。どうにも最近の女の子たちというのは遠慮がなくて、うるさい。次長に対しては「次長がいなくなると淋しくなります」だの「絶対遊びに来てくださいね」だのしおらしく声をかけるくせに、隣の俺に向かった途端、言いたい放題を口にしやがった。 「日野さん、こないだの旅行の写真、すっごくかっこよく写ってましたね」 女の子その一の会田が口を切る。まだ二十歳そこそこで、職場で一番年下のせいかいつもキャッキャと騒いでいる女の子だ。コンビの桜井が相槌を打つ。 「そうそう、日野さんは外見だけだと、かなりイケてるんですねえ。あの写真を見て、初めて知りました」 「どういう意味だよ?」 「だってー、日野さん、中身がキョーレツなんだもん。行動見てるとハンサムが台無し。っていうよりも行動のほうに目がいっちゃって、容姿がわからなくなっちゃうんですよお」 強烈なのは、おまえらの口のほうだ。仮にも職場の大先輩をつかまえて、中身が強烈とは、言ってくれるじゃないか。俺は大人で、常識人なんだ。若いおまえらみたいな非常識なことはできないの。集団になると傍若無人にふるまいやがって。 相手をするのも面倒なので、「アホ」とだけ返して知らん顔しようとしたが、そんなことで引き下がるような女の子たちではない。 「日野さんの理想ってお姉さんなんですよね」 「日野さんの奥さんってレズなんですって?」 姉の頼子がかなりイイ女で、妻の和美が、頼子の弟だから俺と結婚したんだと公言してるのは、事実だが、そんなことをどうしてこいつらが知っているんだ。俺はジロリと女の子たちを睨んだ。 「誰がそんなこと言ったんだよ?」 「日野さん、ご自分で言ってましたよ。私、新人歓迎会の時に聞かされました」 睨まれてびびるような可愛い女の子なんて、もはや死滅したんだろうか。平然と返してくる会田に、俺は唇をとがらせた。 「そんなの言うわけないだろ」 「言ってますよう。日野さん、飲んだ時の記憶、ほとんどないんでしょ」 飲んだ時のことなんか後日まで覚えていられるもんか。でも俺、本当にそんなこと言ってるのか。それってちょっと恥かしいかも。 「うるさいなあ」 俺はシッシと手で追い払って、グラスを飲み干した。俺は次長としみじみ語ろうと思ってるのに、金魚のフンみたいにぞろぞろ女の子たちが集まってきて、うっとうしいったらない。 その原因は、こいつだ。 俺は、次長にビールを勧めている南川を睨んだ。まだ二十代のペーペー。多少ルックスがいいもんだから、女の子たちに人気で、飲み会のたびに南川の周りだけ華やかになる。うるさいから離れた席にいてくれればありがたいのに、なぜかヒョコヒョコこっちにやってきた。今日の主役は次長だから仕方ないけど、早くどっかに行ってくれ。 「次長は、酒を飲むんだよ。ビールじゃない」 俺は脇から南川の差し出しているビール瓶の口をつかんでどかした。 「わっ、日野さん、危ないでしょ」 南川の抗議の声を無視して、「はい」と次長の手に猪口を渡し、日本酒を注ぐ。 「次長は大人だから、ビールなんてガキの飲み物は飲まないの。ね、次長」 次長が苦笑いして、猪口に口をつける。くー、渋いなあ。次長は昔の映画俳優みたいだ。俺は常々そう思っていた。もうこれからこの顔が見られないと思うと非常に淋しい。 「やっぱ次長はかっこいいから、ビールなんか似合わないですよ」 「日野くんはスタイリストだからビールは飲まないのか」 次長がからかうように片方の眉を上げて俺を見る。なんちゅうか、ほんとにかっこいい人だ。 「俺? 俺は、違いますけどー。やっぱ日本酒がうまいですよ」 なんだか照れくさくて、クシャクシャと髪を掻き混ぜると、そばで南川が「日野さん、すごい頭」と呟いた。うるさい。 「お前、もうあっちに行けよ。俺が次長とお話しすんだから」 「俺も次長と話したいです」 「なんだよ、南川なんか次長と一緒にやったの、たった一年だろ。俺なんかずーっと一緒だったんだから。積もる話があんの。邪魔すんな」 「日野さんっていじめっ子みたい」 会田が言う。 「本当、小学生みたい」 すぐに桜井が同調してくる。おまえらなんかスズメみたいだろ。 「なんだと。南川が俺と次長の邪魔すんのが悪いんだろ」 「奥さんがレズだから、日野さんはホモなんですか?」 だっから、どうして俺がこんな女の子たちにからかわれなきゃならないんだ。ブスくれて手酌でグラスを満たそうとするそばから南川が「注ぎますよ」と手の中の冷酒を取り上げようとした。 「うるさい。お前みたいなちっちゃい子は相手にしない」 俺の言葉に会田がキャハハと笑い声を上げた。 「ちっちゃい子って、南川さん?」 「ちっちゃい子だろ。俺よりずーっと、ちっちゃい子!」 ペシペシと南川の頭を叩くと、女の子たちが「あー」と声を上げた。なんだよ。だいたい十歳も年下のくせに、南川は生意気なんだ。俺のことを見下しているのが、視線や言葉の端々に表れている。感じてないと思ったら大間違いだぞ。 俺だってなー、昔はけっこうモテたんだ。勉強もできたし足も速かったから、人気があった。中学校の時は。気がつけばそれって四半世紀近く前の話だ。今じゃ一回り以上も年下の奴らに子ども扱いされている。くそ面白くもない。 結局、南川も女の子たちもその場を離れず、俺は次長とあまり話せなかった。いつの間にか南川が次長と話し込んでいて、ヤケになった俺がグラスをあおるたび、周りの女の子たちからクスクス笑われて、散々だった。 二次会は、次長が自宅に招待してくれた。最後だからみんなにワインをご馳走してくれると言う。そのために次長の家の近くを会場にしたらしい。 車で来ていた奴が女の子たちを乗せて行くことになり、歩いてもたいしたことのない距離だから、余った俺たちは徒歩で次長の家に向かった。俺は多少酔っ払っていたが、別に歩けないほどではない。時々ふらつく度に一緒に歩いている鈴木だの高橋だのが「大丈夫ですか?」とからかうように声をかけてきた。こいつらだって、南川が転任してくる前はもう少し遠慮があったと思うのだが。 確かに南川は仕事ができるよ。頭の回転が速いからシャレたことを言って場を盛り上げるのもうまいよ。だからってオレばかりネタにしやがるのが気に入らない。今では南川ではなくて、奴にくっついている金魚のフンどもがオレをからかってくるようになっていた。 「そんな酔ってないって。大丈夫、大丈夫」 言っているところに、後ろから来た車が停まった。 「日野さん、乗って行きませんか?」 南川だった。 「なんだよ、大丈夫だよ」 「足、すごくふらついてるじゃないですか」 「そんなことねえよ。シャンとしてんだろ」 第一、南川の車には女の子たちが満載で、俺の乗るスペースなんかないじゃねえか。 おざなりに手を振って奴の車から離れると、「先に行ってますからね、気をつけてくださいよ」と叫ぶ南川の声が追っかけてきた。余計なお世話だっつーの。俺は振り返らずに歩き続けた。 ふと気づくと周りに誰もいなかった。 鈴木も、高橋も、誰も。 「鈴木?」 急に心細くなって俺は小声で呼んでみた。 「高橋ー」 みんなどこに行ったんだよ。次長の家にワイン飲みに行くんだろ。 …次長の家、どっちだ? 俺は不安になって周りを見回した。 俺はもう何回も次長の家には行ってるんだ。目をつぶってたって着けるはずだ。歓送迎会の店から十分もかからない距離なんだ。社宅だから、引き払う時には引っ越しの手伝いをする約束をしてるんだ。 でも住宅街で、周りはみんな似たような家ばかりで。夜だから暗くて方角がわからなくて。 「鈴木ぃ、高橋ぃ。返事しろよ。悪い冗談やめろ」 この角を曲がるんだったか。いや、まずT字路にぶつかるはず。あ、無意識に通り過ぎたのかも。戻ったほうがいいか。 俺はあせってどんどん早足になった。 どうしてみんな同じブロック塀にしてるんだ。気づけば家は途切れがちになり、木が多くなってきた。道はいつのまにか上り坂になっていた。これは多分、住宅街の北側にある丘に向かっているんじゃないだろうか。その先は外灯さえ少なくなっている。 俺は足を止めた。もしかしてこれは完全に迷子になったということだろうか。大の大人が迷子。 「どうしよう」 戻らなくちゃ。でも住宅街に戻ったところで、そこからどう行けばいいのか、見当がつかない。風が出てきてなんだか寒くなってきた。 一体俺はどのくらいの時間歩いていたんだろう。 緩い坂道を下から車のライトが上ってきて、真っ向から照らされた俺は眩しさに顔をしかめた。これ、遠目になっているんじゃないのか。ゆっくりと近づいてきた車は、俺のそばギリギリまで来て停車した。助手席のウィンドーが下がって、車の中から男の声が俺の名を呼ぶ。 「日野さん」 「誰?」 光の中にいる俺には相手の顔が見えない。 「南川です」 「南川〜」 ほっとしたら、ひどく情けない声が出た。よかった、これで帰ることができる。いくら俺でも路上で夜を明かすのは耐えられない。春の夜風は意外と冷たい。 「もう、どうしてこんなところを歩いてるんですか」 エンジンを止めて車を降りてきた南川に叱りつけられ、俺は小さくなった。 「だって、俺、他の奴らと一緒に歩いてたんだよ。気づいたら誰もいねえんだもん。鈴木とか高橋とか名前呼んでも返事はないし」 「いいから、車に乗ってください」 長身に抱えられるようにして助手席に押し込まれた。年下のくせに南川は俺より背が高い。イマドキの奴なんだよな。俺だって学生の頃はいつも後ろのほうだったのに。 「だから声をかけた時に素直に乗ってればよかったんですよ」 運転席に戻った南川がエラそうに諭してくる。そうだ、南川が声なんかかけてきたから、話している間に鈴木と高橋を見失ったんじゃないか。 「俺、本当に鈴木たちと一緒だったんだよ。なのにあいつらがいなくなって」 「はいはい、もういいです。みんな心配してましたよ」 唇をとがらせて説明し始めたのを、呆れたというふうに遮られて、俺は恥ずかしくなった。 「なあ、コーヒーでも飲みに行こう?」 「は? …みんな次長の家で待ってるんですよ?」 南川が眉をひそめて俺を見た。 「やだ、俺。恥ずかしくって顔出せないって。なあ、帰ろう?」 今さらどんな顔をしてのこのこ次長の家に行けるだろう。 「日野さん」 「一緒にコーヒー飲んでから帰ろう」 俺は南川の肩をひっぱった。 「次長が高いワインをごちそうしてくれるそうですよ」 「俺、ワインなんか飲まねえもん。なあ、コーヒー飲みに行こう」 俺は日本酒の冷酒しか飲まないの。 やがて、南川は大げさなため息をついた。ハンドルに置いた手に額をつけて、また息を吐く。そして勢いをつけるように身体を離して俺を見た。 「日野さん、映画はいつ行くんですか?」 「はあ?」 唐突な話題転換にすっとんきょうな声が出てしまった。 「やっぱり忘れている」 あからさまな舌打ち。 「日野さん、少しお酒を控えたほうがいいですよ。酔うと記憶がなくなるんでしょ」 「なんだよ」 確かに酔った後の記憶はいつも鮮明とは言えないが、年下に説教される必要はない。 「生意気なこと言うなよな」 俺は手を伸ばして、南川の頭をこづいた。 「ちっちゃい子のくせに」 「日野さん」 南川が俺の手をつかんだ。む、やる気なのか。俺の手をつかむ南川の力はけっこう強くて、俺はちょっとひるんだ。 道路の真ん中に路駐しているというのに、丘に続く坂道にやってくる車は一台もない。 「なんだよ。痛いよ。放せ」 俺は酔っ払ってるから、力が出ないんだ。卑怯だろ。 「日野さん、本当に忘れちゃってるんですか?」 南川はヘンに真面目な目で俺を覗き込んできた。 「日野さん、俺を映画に誘ったでしょう? イングリット・バーグマンのリバイバル、もう終わっちゃいましたよ」 「あ、俺、それ観たかったんだよ。バーグマン、キレイだよな」 俺は基本的に年上が好みなのだ。頭が良さそうで、色っぽくて、バーグマンは理想の女性かもしれない。さすがにリアルタイムで観ているわけはないが、姉が古い映画にハマっていた時期があって、俺もしっかり影響を受けた。 「だから、それを一緒に観に行こうって言ったじゃないですか」 ようやく手を離した南川が前髪をかき上げてため息をついた。つられて俺はクシャクシャと髪をかき回した。 「言ったっけ? ああ、ごめんな。俺、忘れてた。あれ終わっちゃったんだ。残念だなー。またビデオでも観るか。バーグマン、キレイなんだよな」 「日野さん」 南川の声がかなり怒っているように聞こえて、俺は首をすくめた。 「怒るなよ。謝るってば。ごめんなさい。だって、飲んでた時だろ? 忘れちゃったんだもんよ。バーグマン、スクリーンで観たかったよな」 「日野さん、本当にキレイさっぱり記憶がなくなっちゃうんですか?」 しつこいまでに言われて、逆ギレしたくなった。飲んだ席での約束でそこまでマジになられても困る。 「なんだよ、俺、他にもなんかしたのか?」 「しました!」 いきなり南川がヤケクソのような声を張り上げて、俺はビクッと身を縮めた。そういうの、おまえに似合わないぞ。そんな恐い声を出すと女の子たちの評判を落とすに決まってる。「クールでかっこいい」が南川の売りなんだろうが。南川はきつい目で睨んできた。 「俺が告白したら、キスしてくれました」 「なんだって?」 俺はワケがわからなくなって頭を抱え込んだ。 「この前の飲み会の時。俺が日野さんを好きだって言ったんですよ。そしたら日野さんも好きだって言ってくれて、それで」 南川の言葉を聞きながら、俺はぼんやりと思い出してきた。 確か、前回の飲み会でも南川は車を出して、みんなを送ってくれたんだ。他の奴の家を回って、最後に俺の家に向かうときに俺は南川を喫茶店に誘ったんだった。かなり飲んでいたから、そのまま帰ると和美に叱られると思って、少し酔いを覚ますつもりだった。で、その喫茶店に「AS TIME GOES BY」が流れてて、映画の話なんかして。南川は世代が違うし、俺にとっては「ちっちゃい子」なんだけど、ちゃんと俺の好きな俳優なんかも知っていたから、それなりに話は盛り上がって、気づいたらその喫茶店でけっこう時間をつぶしていた。 駐車場で車に乗り込んだ後、南川はなかなかエンジンをかけなかった。どうかしたんだろうかと伺っていると、南川が唐突に口を開いた。 「日野さん。俺ね、日野さんが好きです」 今、思い返せば、南川はちょっと泣きそうな顔をしていたかもしれない。その時は全然気づかなかった。 「日野さんは俺のこと嫌いみたいだけど、俺は日野さんが好きです」 「俺、南川を嫌いなんて言ったことないだろ」 俺は南川の言葉に驚いて、あわてて答えた。ただいつもバカにされるから腹が立ててるだけで。 「ちっちゃい子とか、生意気だとか、よく言うじゃないですか」 南川が呟いた。「俺、好きで年下になったわけじゃないのに」悔しそうに唇を噛んでいる。 「拗ねるなって。可愛いよ、南川は可愛い」 俺は南川の頭をぽんぽんと叩いた。その瞬間南川が本当に可愛く見えたから。南川が真っ直ぐに俺を見た。 「じゃ、キスしてください」 「はあ?」 キス。キスって口と口をくっつける、アレだよな。 「俺、日野さんが好きだから、キスしたい。日野さんは俺のこと嫌いですか?」 俺の前髪をかきあげた南川の手が額からこめかみをたどって頬を包んだ。間近にすがるような南川の目。 「嫌いじゃないって言ってんだろ。もう、しょうがねえな」 俺は南川の唇に自分の唇を押し付けた。 …思い出した。そうだ、キスしたよ。っていうか、あの時はかなり酔っていたから勢いで。南川は覚えてたのか。 「覚えてない」 俺は頭を抱えたまま呟いた。あんなの、思い出したって言ったってどうにもならないだろ。 「覚えてないんだ」 南川に確認されて、顔を上げずに俺は頷いた。しばらく沈黙が続いた後、低い声で南川が言った。 「じゃあ、いいです」 頭を抱えていた俺の手を外し、顔を上げさせる。 「忘れちゃうんでしょう、全部?」 あんまり南川が悲しそうな顔しているものだから、「覚えているよ」と言ってやりたくなった。 「みな…」 言いかけた俺の顎を押さえて、南川は顔を寄せ、口の中に舌を差し込んできた。おい。あせる俺の舌を絡めとる。 「んっ…、んう、ちょ…と、み、あ…」 言葉にならない。こいつ、ちくしょう。ちっちゃい子のくせに、もしかしてうまいんじゃないか。 「どうせ忘れちゃうんでしょう」 キスの合い間、囁くように南川が言葉を吹き込んでくる。 「どうせ忘れられちゃうんだから、好きなようにさせてもらう」 ガクンと助手席が倒され、衝撃に俺は大声を上げた。 「ワッ! っと、南川…っ」 膝を座席に乗り上げて南川の上半身が圧し掛かってきた。俺の耳たぶを噛み、首筋に唇を這わせてくる。 「ちょーっと、南川!」 俺は身体の前に腕を入れて、南川を押し戻した。俺じゃなくて南川のほうが酔っ払っているんじゃないか。 「おまえ、ちょっと冷静になれ」 タガが外れたとしか思えない南川の行動。俺の酔いが冷めちまっただろう。 「冷静になんか、なれない」 泣き出す寸前のように顔を歪めた南川はさらに俺を押さえつけようとした。 パン! 軽く叩いたつもりだったが、ぽかんと俺を見返した南川の頬に赤い痕がついていた。 「あ、と、悪い。痛かったよな」 手に痺れが残って、力を入れすぎたことに気づいた俺は謝った。 「すみません」 南川は憑き物が落ちたように俺から離れ、身体を運転席に戻した。そのままうなだれる。 「わかってたんです。どうせ俺は日野さんにとって「ちっちゃい子」で。応えてもらえるわけないってわかってた」 ちっちゃい子って、そりゃそうだろ。十歳も違うんだぞ。俺が高校生の時に南川は小学生だ。って、いや、そういうことじゃなくて。 「南川ってホモなんだ」 「……」 俺の言葉を南川は肯定も否定もしない。俺は倒されたリクライニングを元に戻した。 南川がホモ。もったいない、なんて思っちゃいけないんだろうか。同性愛って、学生の時に哲学でやったような気がするな。プラトンだっけソクラテスだっけ、よく覚えてない。DNAがどうとかいう話も聞いたことがある。そうか、こんなに女にモテる奴もホモになるんだ。 俺はため息をついた。 「でもなー、どうせホモなら、もっといい相手にしろよ。おまえ、かっこいいじゃん。俺なんか相手にするより、もっといいのがいるだろ」 年上が好きなら俺なんかより次長とかのがいいじゃないか。二人ともかっこいいからサマになるぞ。どっちかっていうと、南川には年上の男より美少年のほうが似合いそうだけど。 「ひどいな、日野さん」 俺の言葉に南川はハンドルに手をつっぱって苦笑いしてみせた。叩かれて目が覚めたのか、もういつもの自分を取り戻したらしい。落ち着かれてしまうと、余裕かまされているみたいで、面白くなくなる。ちょっとだけそんなことも感じた。南川は真っ直ぐに俺を見た。 「俺、日野さんじゃないなら、ホモじゃなくていいんです。日野さんが好きなんです」 げえーっ、ちょっとそんなマジな目で見るな。見つめ合うの、恥かしいだろ。 「なんで俺なんか」 南川の視線を避けて、ボソボソ呟いた。思わず俯いてしまう。 「日野さんってほんとに子どもじゃないですか」 「てめ、バカにしてんのか」 南川は真面目に首を振った。 「ちがいます。俺、日野さんの子どもで純粋なとこが好きなんです。例えば次長のことだって、日野さんは「いい人だ、いい人だ」って言いますけど、そりゃ俺も次長は尊敬してるけど、あの人だって、出世コースに乗ってるからにはそれなりのことしてるのに、日野さんは全然わかってないみたいで。バカなのかと思ったけど、そういうんでもなくて、本当に他人のこと信じてるっていうか、いつもいいほうにだけ取るでしょ。なんかそういうとこ、参ったなって感じなんですよ」 ほめられているのか、バカにされているのか、微妙な感じがしなくもない。俺は自然と口がへの字になってしまった。 「そういうの、ホモとはちがうんじゃないか?」 誰にだって長所はある。「子ども」っていうのが俺の長所だというのはイマイチだが。男同士だって、いい奴はいいと思うのが当たり前だ。そんなこと言ってたら、俺だってホモで、次長や職場の奴らみんな、その、南川だって…「好き」ってことになっちまう。 困惑する俺の前で、南川は肩を竦め、困ったように眉をよせて笑った。 「あのね、俺、日野さんとキスしたいし、もっと、その、いろいろしたいことがあるんです。だから、まあ、そういうことです」 すごいことを言われて、クラクラした。それって南川が俺に性的な欲望を抱いているってことか。南川はホモなのか。女の子たちが泣くだろうな。職場の人気ナンバーワンなのに。その南川がホモ。俺は両手でこめかみの辺りを掻いた。こんなにかっこいい男がホモ。 「日野さん」 そのまま眉をこすっていた俺は、南川の手で奴のほうに顔を向けさせられた。 「俺の言ってること、ちゃんとわかってますか」 「南川がホモだって言うんだろ」 小さい子に確認するように訊かれたのが悔しくて、唇をとがらせて答えると、南川は首を振った。 「ちがう。俺は日野さんが好きだって言ってるんです」 あまりにも真っ直ぐな目で見られて、俺はどうしていいかわからなくなった。 「そんなに何回も言わなくたって」 「日野さんがわかってくれないからですよ」 わかるもわからないもない。年下の男に好きだなんて言われたって、俺にはどうしようもない。 何も言えず視線を泳がす俺を見て、南川は大きく息を吐いた。そして、なんだか妙にすっきりしたような顔で俺に宣戦布告してきた。 「もう、わかりました。本当に日野さんは子どもなんだ。俺、あきらめないことにします。日野さんがちゃんとわかってくれて、答えを出してくれるまで、あきらめない。だから、覚悟してください」 「か、覚悟って」 ひるむ俺に南川は断言した。 「日野さんが俺を好きになるようにしてみせます」 「何、生意気なこと言ってんだ」 自信たっぷりな台詞に急にむかついてきた。俺は南川みたいなちっちゃい子を好きになんかなるか。ちっちゃい子のくせに生意気な奴。「アホ」と毒づくと、南川は余裕で笑った。 「強引にしないと、鈍感な日野さんには通じないってことはよーくわかってますから」 そう言って南川は唇を押し付けてきた。 「また明日には「忘れた」って言ってもいいですよ。そしたら何回でもくり返すだけです」 |
guideの444番を踏んでくださったカラス様のリクエスト。本当にいつもありがとう。エロなしオヤジ話。ちょーっと私には無理でしたね。どこがオヤジなんだか。ウチの職場で本当に迷子になったオヤジをモデルにしてるんですが、外見はイメージしたくなくて。実物は本当にジャイアントベイビーみたいな感じなんだもん。いや、可愛いですよ。可愛いけど、やっぱやおいにはイヤだ。春風を書いたばかりなので、途中またもや攻めの南川がヤバくなりかけたんですが、立ち直ってよかった。…立ち直ってますよね?2001.07.30 |
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