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出口-1-



 家に戻って、一週間もしないうちに、高林郁也から連絡があり、その夜、柚木恭介は彼と飲むことになった。
 高林は、地元では割合有名な大きな旅館の一人息子で、東京の大学を卒業した後、そのまま向こうで就職したが、過日父親が亡くなり、跡を継ぐために呼び戻されたということだった。
 柚木はといえば、一年の留年を経て、大学に休学届けを出して実家に戻ってきたばかりだった。日課としてはひまつぶしに図書館に通う程度で、何もしない日々を送っていた。大学の方は、あとは卒業論文さえ提出すれば、卒業するだけの単位は取得してあり、実はその卒論もすでに一年前に書き上げてはあるのだが、なんとなく提出する気が起きず今に至っている。
 高林と柚木とは、小学校から高校までを同じ学校に通ったが、その当時、特に親しい友人というわけではなかった。お互い別々のグループにいながら、なんとなく気になる存在といったところだった。
 高林からの突然の電話に柚木は驚いたが、「帰ってきていると聞いたから」という誘いに、なぜか素直に応じる気になった。
 約束の店に高林は先に来ていて、カウンターの女性と談笑していた。入っていった柚木に気づくと、屈託のない笑顔を見せた。
「久しぶりだなあ。でもあんまり印象は変わらないな」
「いくらなんでも、高校生には見えないけどね」
 まるで、旧来の友人のようだと思いながら、柚木も笑顔で応え、隣に座った。ジンライムを頼んだ柚木を高林が「女の子みたいだな」とからかう。
「悪かったな」
 しかめ面を返す。それだけでひどく親しいような錯覚が生じた。
 カウンターの女性が、柚木の前にグラスを置き「ご兄弟?」と声をかけた。隣から高林が答える。
「まさか。同級生ですよ」
「あら、そう? だって、どことなく似てらっしゃるわ」
「光栄と言っておこうかな。柚木は、高校の頃とてもモテてね。こんなおとなしそうな顔してるけど、実は悪い奴なんです」
 高林の言葉に、柚木は顔を赤らめて抗議した。
「嘘ですよ。モテていたのは高林のほうだ」
 そんな二人の様子に、女性は笑い声をあげた。
「二人ともモテたんでしょう。そんな感じだわ」
 やがて彼女が別の客の相手を始めると、高林は柚木を気遣うように見た。
「家の居心地はどうだ?」
「まあね。ぼくは不肖の息子だから。親も諦めているのさ。それに今のところは一人息子気分で、気ままなものだよ」
 柚木の五歳違いの兄はとうに働いており、一つ下の弟も昨年大学を卒業して就職したば
かりだった。2人とも地元ではなく東京の企業に入り、家にはいなかった。
「それより、そっちはどうなの? 忙しいんだろ。何しろ社長だものね」
「おあいにく。おふくろは健在だからね。あの人がバリバリやってて、ぼくの出る幕はないんだ」
 高林はそう言って、肩を竦めた。
「それに佐和子がいるから。おふくろの片腕になりきってて、ぼくは将来的にもヒマを持て余すことになりそうだ」
 倉橋佐和子は、高林の従妹で、地元の短大を出て、高林の旅館で働いていた。彼女がゆくゆくは高林と結婚するのだということは、この辺りでは当然の成り行きと認められていた。
「だからぼくは道楽に生きることにする。絵をやろうと思うんだ。柚木、モデルにならないか」
 高林は、大学の頃から趣味として始めた油彩画で、何度か入選もはたしているという話だった。
「なんだか、似合わないな。絵筆を持つ人って、もっと線が細いイメージがあるのに」
 高林は、高校時代から明朗活発な好青年というタイプだったので、テニスやスキーなどのスポーツを趣味にしているほうがしっくりした。
「イメージで絵が描けるか。それより、ほんとにモデルになれよ。どうせヒマなんだろう?」
 一年前、柚木が卒論を提出せず、留年が決まったとき、ほとんど完成していたことを知っていた担当の教授を、ひどく怒らせた。彼は、柚木の大学院進学さえ、確信していたようだったので、よけいに腹立たしかったらしい。大勢のゼミ生の前で罵倒された。柚木は神妙に俯いてみせた。
――申し訳ありません。少し納得のいかないところが出てきて、手をいれていたら、どうしてもまとまらなくなり、期限に間に合わなかったのです
 柚木はどちらかといえば、真面目で優秀な生徒という評価を得ていたので、割と単純なところのある教授は、その程度の釈明であっさり機嫌を直した。
 その後の一年は、大学に顔を出すこともせず、後輩にあたる一つ下の女子学生と半同棲のような形で付き合っていた。その関係も、彼女の就職が決まると自然消滅した。二度目の卒論提出期限が過ぎて、柚木は休学届を出した。
 ほかにすることもないまま、結局柚木は高林の絵のモデルを引き受けた。高林の家には、
たいてい誰もおらず、通いの家政婦がお茶を運んでくるだけだった。絵のモデルは毎日というわけではなく、その都度次の約束をする程度だった。


 図書館に勤める川島亜矢が、弟の宏伊と付き合っていることを、柚木は川島自身から知らされた。
「恭介さんて、宏伊くんのお兄さんですか?」
 時間つぶしに通っていた図書館で、本を借りようとすると、係の女性にそう声をかけられた。
「私、宏伊くんの同級生なんです。あのう、聞いてませんか、私のこと?」
 二人は高校時代からの付き合いということだった。柚木は図書館に行く度、川島と短い言葉を交わすようになった。
「恭介さんは、あんまり宏伊くんと似てませんね」
 川島は柚木の顔をしげしげと見つめて言った。


――宏伊、紘市兄さんが帰ってくるよ。入学式の時には、夏まで帰れないって言ってたのに。きっとホームシックだ
 柚木が中学生の時、五歳違いの兄の紘市は、大学進学のため家を出ていた。その紘市から初めての手紙に、近く帰省するとあって、恭介ははずんだ声をあげた。宿題をしていた宏伊は、そんな恭介をちらりと一瞥すると、すぐに机に視線を戻した。
――別に。恭介に会いに来るんだろ。ぼくには関係ない
 宏伊は、小学校高学年になったころから、柚木を呼び捨てにするようになっていた。長男の紘市は、彼にとって初めての弟である柚木には、兄らしい関心を示したが、宏伊には、あまり構わなかった。柚木が一歳にならないうちに宏伊が生まれたので、母親が宏伊にかかりきりだった分、柚木は、紘市に面倒を見てもらっていたようなものだった。
 顔立ちはむしろ紘市と宏伊とのほうが似ていた。
――恭ちゃんが妹だったらよかったな
 小学生の紘市はしばしばそんなことを言っていた。そのころ彼の一番仲のよかった友人に妹がいたせいもあっただろう。
――Nちゃんより、恭ちゃんのほうがずっと可愛いのに
 母親の化粧道具をこっそり持ち出してきて、柚木の顔に化粧を施したこともあった。加減を知らない子供のした化粧は、濃く派手なものになり、柚木は、中国の京劇役者のようにされた。
――恭ちゃんの顔、めちゃめちゃコワイよ
 自分でやったくせに、紘市はけらけらと笑い転げた。そして、ふいに笑いを収めると、真剣な声で言った。
――コワイけど、神さまみたいにキレイだ


 高林の絵はなかなかうまくいかないようで、ラフスケッチに何日も費やしていた。
「モデルを使って人物を描くのは、初めてなんだ。頼まれて肖像画を描いたことはあるけれど、似てないって怒られてしまった」
「女の子だろう?」
 高林の言葉に柚木は笑って訊ねた。モデルとはいってもポーズを決められるわけでもなく、好きなようにしていていいと言われて、すっかりくつろいでいた。
「大学の同級生。ぼくが賞を取ったと聞いてきたミーハー女だよ。自分で頼んだくせに、十五分で仕上げたって怒ってさ」
 高林の絵の多くには、半分幻想のなかにあるような風景が描かれてあった。中に小さく少年らしい人影が見えるものもあったが、ほとんど人物は描かれなかった。
「人物は難しいよ」
 半日スケッチに費やした後で、さすがに嫌になったらしく、高林は筆を置いてタメ息をついてみせた。「今日はもうやめた」と拗ねるように言うのがおかしくて、柚木は笑った。
「風景や静物の方が簡単?」
「ぼくの絵は趣味で描いてるものだから、自分の中にあるものを描くだけなんだ。だけど人物は、相手にも感情があるだろ」
「じゃあ、どうして描く気になったの?」
「少し成長しなくちゃと思ってさ」
 高林の言葉の意味がわからず、柚木は曖昧に頷いてみせた。


「図書館はお休みが月曜日でしょう。なかなか一緒に遊んでくれる友だちが見つからないんですよ」
 そう言った川島亜矢を、柚木はハイキングに誘った。山と呼ぶのもためらわれるような隣町にある山に登ろうというのだ。
「恭介さんに野外は似合わないわ」
 川島はくすくすと笑いながらも嬉しそうだった。
 その日、朝のうちは好天気だったが、川島の作ってきた弁当を拡げたあたりから、雲行きがあやしくなってきた。予定を切り上げて早目に山を下りたのだが、途中で雨雲に追いつかれてしまった。雨足は強く、川島はきゃーきゃーと声をあげながら走った。
 屋根のないバス停でバスを待ち、川島の家に着いたときには、すでに二人ともずぶぬれの状態だった。川島の家には誰もいなかった。シャワーを借りた柚木は、雨が止むまで待つことになった。
「宏伊も薄情なやつだ。きみを置いて、東京に就職決めちゃうなんて」
「平気です。宏伊くんが大学に行っている間、ずっと離れていたんですから、待つのは慣れているんです」
 川島亜矢と宏伊は、すでに将来を約束し合っているようだった。川島は地元の短大から図書館に就職したので、東京の私大に進学した宏伊とは、高校卒業後ずっと遠距離恋愛だと言った。
「不安にはならない?」
 柚木がからかうと、川島は生真面目に答えた。
「宏伊くんは信じられます。きっと嘘はつかない。他に好きな人ができたら、正直に打ち明けてくれると思う。心変わりされたら、とても悲しいけれど、でもそれは仕方のないことだから。そばにいても、離れていても同じことだと思うんです」
 どちらが誘ったのか、わからない。
 居間で、窓の外を伺いながら、話しているときに、バランスは崩れた。柚木が引き寄せたのか、川島が身を投げかけたのか。
 耳元に唇を寄せると、川島は一瞬身を竦めるようにしたが、顔を上げて目を閉じた。
 川島の身体は、表面がひんやりと冷たくて気持ちがいいと、抱きしめた柚木は思った。


 高校時代の同級生の相沢から柚木に電話があったのは、その日の夜だった。すでに相当酔っているような声で、今から出てこいと言う。
「高林と会っているそうじゃないか?」
 自分には帰郷していることを知らせもせず、ひどい仕打ちだとしつこくからまれて、柚木はしぶしぶ相沢のいる店に出向いた。
「昔っから薄情な奴だってのは、わかってたけど」
 相沢は一人でその店にいて、柚木の顔を見るとさっそくからんできた。
「それにしたってヒドイよな。高校の時一番仲のよかった俺には何の連絡も寄越さないくせに、高林とはずいぶん会ってるって聞いたぞ」
 一番仲がよかったと言われても、愛想のいい相沢は、誰とも打ち解けるのが得意で、人当たりのよくない柚木にも臆せず接してくれたという程度の認識しか、柚木にはなかった。現に今も、何年も会ってなかったことなど意に介すふうもなく、気のおけない口ぶりで好きなことを言っていると思った。
「会っていると言ったって、絵のモデルを頼まれただけだよ。高林が絵を描くって話は聞いてるだろ? それに、帰ってきた理由が理由だったからね、誰にも言わなかったんだ。高林にだって、こっちが教えたわけじゃないよ。どこかで聞いたんだろ」
「ふん、それでさっそく連絡してきたってわけか」
 相沢はますます気に入らないようだった。なぜそんなに高林にこだわるのかと、柚木は呆れた。高林も相沢も常に中心にいたタイプだったので、柚木にはわからない反目があるのかもしれない。
「高林もヒマなんだよ。名ばかりの社長らしいから」
「俺が気に入らないのは、相手が高林ってことだよ」
「どうして? 高林って結構人望あったような気がしたけど。相沢は嫌いだったのか」
「高林は、柚木のことが好きだっただろ」
 いきなり言われて、柚木はぽかんと相沢を見返した。
「俺は気づいてたよ。あの頃、高林がいっつも柚木を見てたこと」
 グラスに視線を落として、相沢はいくぶん真面目な声になって言った。柚木にはとっさに言葉が見つからなかった。
「そんなの…。だって、高林には、あの頃から婚約者がいただろ」
「関係ないだろ、それは。だから柚木が帰ってきたって知ってすぐに連絡したんだ」
 断定する相沢に、柚木はやや腹立ちを覚えて反論した。
「それは相沢が勝手に考えたことだろ。そんな話、したこともないよ」
「高林の気持ちに柚木だって気づいてたはずだ。まんざらでもないんじゃないか。モデルなんて言われてのこのこ会ってるんだから」
「いい加減にしてくれないか」
 どうしてそこまで言われなければならないのかという気持ちになって、柚木はきっぱりと言った。
「でっちあげた話で、からまれたんじゃ、やりきれないよ」
 相沢は呆れたように首を振って、グラスに残っていたウィスキーをあおった。それで再び酔いが回ってきたようだった。
「でっちあげじゃない。まだくどかれてないのか」
「今、付き合っているコがいるから」
 相沢のしつこさに辟易して柚木は言った。
「また適当なことを言う。誰だよ? 名前言ってみろ」
「川島。川島亜矢っていうんだ、知らないだろうけど」
 思わず川島の名が口をついた。同じ高校だったとはいえ下級生の名前など相沢は知るまいと思った。
「川島亜矢だぁ? おっまえ、冗談にしてもマズイだろ、それは」
 川島の名前を聞いて、相沢は大仰な声をあげた。
「川島は、柚木の弟のGFだったろう、高校のときの」
「知ってたのか」
 柚木が驚くと、相沢は頭を抱えて見せた。
「知ってたのか、じゃないだろう。川島は、サッカー部のマネージャーやってて、人気あっただろ。斎藤とか山田が狙ってたのに、柚木の弟とくっついちゃって」
 確かに川島には、ものおじしないところがあって、それなりにモテただろうと想像はできた。けれど、当時、彼女を巡って、そんなさや当てが演じられていたことなど、柚木はまるで知らなかった。
「しかも柚木は柚木で、ちょうどクラス委員の江美子と別れて、N短付属のコと付き合い始めたばかりだったもんだから、結構もめただろ、斎藤たちと。『兄弟そろって』とかなんとか言われて」
「そうだったか」
 すっかり忘れていたというより、本当に記憶にないのだから仕方がない。
「これだもんよー。そんとき、間に入って仲裁してやったのが、この俺でしょうが。ほんと恩知らずだよ、お前は」
 相沢はブツブツと恨みがましく呟いた。
「でも、川島と柚木の弟はかなり長く続いたんじゃないか? 別れたって話聞かなかったもん。柚木の弟にしては上出来だって噂してたくらいだ」
「悪かったな」
「やれやれ、話がズレた気がするぞ。柚木がめちゃくちゃなこと言い出すからだ」
 相沢の言ってたことの方がめちゃくちゃだよと、柚木は心の中で毒づいた。



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