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ロマンス -1-



「今度の実習生にすっごくかっこいいコがいるんだよ」
 ゴールデンウィーク明けにその情報を持ち込んできたのは、同じ講師仲間の二ノ宮だった。空き時間が、苦手な教師とバッティングしていて職員室にいられないとかで、俺の城である美術準備室に逃げ込んできたのだ。
 窓の外に広がる、明るく晴れた五月の空を眺めて、いくぶん感傷的な気分に浸っていた俺は、それを吹き飛ばす騒々しい闖入者に顔をしかめた。
「職員室に挨拶に来てるところ見ちゃった。友部クンもさあ、空いている時間にはなるべく職員室に顔出してたほうがいいんじゃないの。梶原先生のほうが職員室にいること多いでしょ」
 自分の行動を棚に上げて、二ノ宮は俺に説教した。確かに正式な美術教師である梶原先生より講師の俺のほうが美術室を自由に使っていた。梶原先生のなかでは、絵の具の匂いよりも同僚との懇親が優先されているらしい。
「あのコが来たら、友部クンの人気ナンバーワンの座も危ういかもね」
 二ノ宮のクン付けには抵抗があるが、一度抗議したところ「講師のくせに「先生」って呼ばれたいんだ?」と笑われ、諦めた。大学を卒業したてでいまだに学生気分の抜けきらない二ノ宮は、生徒たちとも仲がよく、友だち同士のように接することをためらわない。彼女の言動はたびたび古参の教師の眉をしかめさせたが、本人は気にも止めなかった。
「もっともすでに人気は落ち目かな。友部クン愛想なさすぎなのよ」
 愛想がないと言われても、俺は中学生相手にどんな態度を取るべきか、いまだによくわかっていない。すでに講師生活も三年目だというのに。
 今年も俺は教員の採用試験に受からなかった。教師という職に魅力を感じているわけではなく、ただ好きな絵を描き続けるためだという俺の打算は見え透いているのだろうか。
――いいじゃない。お兄ちゃん一人くらい、いざとなったら私が食べさせてあげる
 去年のうちに、それなりの企業から内定を取り付けた大学四年の妹、恵理は、そう言って俺をなぐさめる。
――潤も納得済みだから、安心してよ
 すっかり結婚するつもりでいるらしい恋人の名前まで引き合いに出され、俺はため息をついた。俺はそんなに頼りなく思われているのだろうか。
 今年は地元の中学校に雇用されたので、大学に入って以来六年ぶりに家に戻っていた。三歳違いの妹は家から大学に通っていて、しばらくぶりに同居することになった俺が物珍しいらしい。何かとまとわりついてきた。
 そんなことを考えていてろくに返事もしない俺に頓着せず二ノ宮はしゃべり続けた。
「その実習生が岩井クンっていうんだけど、友部クン知ってるんじゃない? 地元だもん、後輩でしょ」
 覚えのある名前に心臓がドキンと一つ大きく脈打った。そしてそのことに更に驚く。俺はまだその名前を覚えていたんだ。
「…妹の同級生かもしれない」
「へー、そうなんだ。ロンゲで日焼けしてて「いかにも」って感じだったわよ」
 二ノ宮の言葉に、俺はいつの間にかつめていた息をそっと吐き出した。それは俺の知っている岩井ではない。妹の同級生だった岩井は、少女のような美少年だった。中学生のときに一度見ただけの岩井に俺は恋をした。岩井はそのとき小学生だった。何の進展もしなかった一方通行の想い。それでも初恋の相手が同性だったことは少なからず俺のコンプレックスになっていた。
「実習始まったら新見先生あたりに「髪を切りなさい」とか言われちゃうかもね」
 着任早々、新見先生にスカートの丈で苦言を呈されたことのある二ノ宮は、そう言って鼻の頭にしわを寄せた。
「今は生徒のスカートのほうがよっぽど短いじゃない。生徒には注意できないで教師に言うのっておかしくない?」
「君には教師としての資質がないんだと思うよ」
 俺は二ノ宮にそう返した。そしてその資質は俺にもないのだった。
「何それ。教師としての資質ってどういうのよ? そんなの持ってる奴のが気持ち悪い。私だったらそんな教師、絶対やだ」
 教え子の中学生と変わりなく工作机の上に坐り、足をブラブラさせてみせる二ノ宮に、俺は「やれやれ」とため息をついた。


 俺が妹の恵理の同級生である岩井に会ったのは、中学二年の初夏のことだった。
「たっだいまー!」
 声とともにバタバタと階段を駆け上がってくる気配がして、ベッドに寝転がってマンガを読んでいた俺は、慌てて起き上がり机の前に座った。
 定期試験中なので、小学生の恵理より俺のほうが帰宅が早かったのだ。家に誰もいないのをいいことにダラダラしていたのだが、妹に見つかっては兄としての威厳に関わる。
「お兄ちゃん」
 ノックもなしに部屋のドアが開けられ、恵理の顔がのぞいた。
「お兄ちゃん、新しいゲーム貸して」
「勝手に開けるなよ。俺、勉強で忙しいんだから」
「ほんとにー?」
 疑わしそうな声を出した恵理は、俺の言葉に頓着せず、自分の要求を口にした。
「友だち連れてきたんだもん。私はお菓子を用意するから、お兄ちゃん、ゲームの準備して」
 そのまま返事も待たずに階段を今度は駆け下りていく。
「ったく、俺は試験期間中なんだからな」
 俺は文句を言いながらも階下に降りた。おやつに何か作るつもりになっているらしい恵理のいるキッチンをチラリと覗いて、居間に入った。
 恵理の連れて来た友だちは一人だけらしく、かしこまってソファに坐っていた。俺の開けたドアの音に気づいてその子はこちらに顔を向けた。
 振り返った顔を見て、俺は固まった。
 すっげー可愛い!
 クセ毛が顔の周りを柔らかく縁取っていて、目はきれいな二重、柔らかそうな唇をしていた。まるでグラビアのアイドルのような容貌だった。
 俺はしばらくその子の顔をぽかんと眺めてしまった。
 恵理は俺の友人たちの間でそれなりに人気があったが、俺自身は小学生を相手に騒ぐ奴らの気が知れなかった。
 それまでは。
「お邪魔しています」
 はにかむように笑みを見せて頭を下げた小学生に、俺は完全に一目惚れだった。とても恵理の同級生とは思えない。可愛らしい顔立ちの上に、優しげで賢そうな印象があった。
「あ…いらっしゃい」
 慌てて声を出した俺に、相手はニコッと笑顔を作った。
「あの、俺、恵理ちゃんと同じクラスの岩井です」
 俺……?
 名乗られて、その自称の意外さに俺は一瞬言葉を失くした。男の子なのか。
「あ、ああ、うん、岩井くんね。よろしく」
 男の子、男か。そう言われれば男に見えなくもない。っていうか男なんだよな。
 俺は麻痺したような頭で、男、男とくり返した。一目惚れの相手が男だったなんてシャレにならない。
「岩井くん、ゲームやる?」
 こくんと頷く仕種が、やっぱり美少女に見えた。
 俺はサッカーゲームをセットして岩井と始めた。恵理は何を作っているのか、なかなかキッチンから出て来なかった。
 ゲームに夢中になってディスプレイを見つめている岩井の横顔を俺はこっそり盗み見た。横から見ると睫毛の長さや鼻の形がよくわかって、その顔はますます美少女めいていた。
 ゲームで得点した岩井がふいにこちらに笑顔を向けて、俺はあせりながらも笑みを返した。
 1ゲームが終わるころ、キッチンからバターの匂いが漂ってきたが、恵理はまだ何かやっているようだった。
「友部くんは、部活、何?」
 岩井は無邪気な顔で問いかけてきた。
「美術部」
「運動じゃないんだ。恵理ちゃんが『サッカー上手だよ』って言ってたのに」
 意外そうに目を見張る岩井に俺は笑った。
「そんな上手じゃないよ。小学生の時にチームに入ってただけ」
「友部くん、なんでサッカーやめちゃったの?」
「やめてないよ。ただ絵を描くのも好きだから」
「描いた絵、見せてくれる?」
 甘えるような言い方をされると、確かに年下の少年らしく感じた。
 俺は岩井を二階の自室に案内した。階段を上がる前にキッチンの恵理に声をかける。
「恵理、何作ってんだ? ずいぶん時間かかるんだな」
「もうできるよ。どこに行くの?」
「俺の部屋。本当に何作ってんだよ。岩井くんにいいとこ見せようと思ってがんばってんだろ」
「もー、お兄ちゃん、うるさい。お兄ちゃんにはあげないからね」
 真っ赤になった恵理に、俺は笑い声をあげて階段を上った。岩井がクスクス笑いながらついてくる。
 自室に入り、俺はこれまでに描いた絵を出した。美術の授業や部活の時間以外にあらためて他人に作品を見せるのは初めてだった。岩井はひどく感心した様子で、クロッキー帳まで熱心に見てくれた。
「友部くん、画家になるの?」
 俺が自分でも気に入っている静物画をしばらく眺めていた後、岩井は俺に問いかけてきた。
 真直ぐな目で見つめられて、俺は頷いていた。
「なりたい。なりたいんじゃなくって……俺には、絵を描くしかないんだ」
 それを俺は誰にも言ったことがなかった。それどころか自分でも意識してはいなかったことだ。それは、岩井の目に見つめられて、ふいにはっきりと浮かんだ考えだった。趣味だとか憧れだとかそんなんじゃなく俺は絵を描き続けていくだろうと、岩井の視線に導かれた啓示のようなものを感じていた。
「俺はね」
 啓示だなんて大げさなほどの俺の気持ちを受け止めるみたいに、岩井は秘密を打ち明けるようにして囁いた。
「俺は、トレジャーハンターになりたいんだ」
 今にして思い返せばとても子どもらしい夢のように感じる。けれど生意気盛りだったはずの中学生の俺は、その時そんなふうには思わなかった。それは語った岩井の表情のせいだったかもしれない。岩井はひどく真剣な顔で俺を見つめた。
「俺、友部くんのために宝物を捜すよ」
 岩井の言葉は、まるで告白のように俺に届いた。
 甘い顔立ちと真剣な表情との対比のせいか、一度だけの会話が俺の中に強い印象をもって刻まれた。



 教育実習生たちがやって来た日、俺たち職員は職員室に集められ、彼らの挨拶を聞いた。ずらりと並んだ二十人程度の実習生たちの中で、ひどく上背のある、一番の長身をこっそり指差しながら二ノ宮が俺に囁いた。
「あのコが岩井クン。めちゃめちゃハンサムじゃない?」
 二ノ宮に示された実習生を見て、俺は「あ」と思わず声を洩らしていた。
「どうしたの? 友部クン」
「多分、妹の同級生だ」
 印象はひどく変わっていたが、彼の顔には、恵理の同級生だった岩井の面影が残っていた。
「社会科でお世話になります、岩井です。よろしくお願いします」
 そう挨拶した彼は、二ノ宮の言ったようなロン毛ではなくなっていたけれど、きちんと整えられてはいても茶色がかった髪で、夏前だというのに見事に日焼けした、遊び慣れた風の外見をしていた。
 それでも挨拶の口調や表情が生真面目そうに感じられるのは、俺が昔の彼の印象を引きずっているだけなのだろうか。


 昔の彼の印象などと言っても、俺が岩井に会ったのは、たった一度きりだ。
「恵理、彼氏どうしてる? なんていったっけ…岩井くん? あれっきり連れて来ないな」
 あの日岩井が帰っていった後で恵理は、彼が転校生でとてもモテるのだと話した。「遊びに来て」と誘うのにとても勇気が要ったとはしゃいでいた。岩井を一人だけ家に呼べたのが嬉しかったらしい。
 けれどあれ以来岩井が家に来ることはなく、もう一度彼の顔を見たいと思っていた俺は、ひそかに気にかけていた。
「岩井クンは恵理の彼氏じゃないよ」
 夕食後、居間で一緒にテレビを観ている時に、さりげなさを装って訊いた俺に、照れているわけでもないらしい、沈んだ声で恵理は答えた。
「私、振られちゃったんだ。岩井くんは他に好きな子ができたんだって」
「そっか。残念だな」
 何日か前、確かに恵理は落ち込んでいる様子を見せていた。そうか、振られたのか。あんなに可愛らしい顔立ちの岩井が好きになる子はどんな子なんだろう。
 恵理を可哀そうに思う気持ちの他に、俺は、自分がもう岩井に会えないのを残念に感じていることを自覚していた。
 恵理は立ち上がって、番組の途中なのに自分の部屋にこもってしまい、俺は妹を傷つけるような話題を出してしまったことを後悔した。


 岩井の担当になった大谷先生は、野球部の監督をしていて、普段から授業よりも部活動の指導に熱心だった。夏の大会が近づく時期のせいもあって、彼が実習生を受け持つことなどありえなかったが、今年は社会科の実習生が多かったので、岩井が大谷先生に回されることになっていた。
 実習の初日だというのに、職員会議が終わった早々に大谷先生は野球部のコーチと話を始めてしまい、手持ち無沙汰に立ち尽くす岩井に、俺は近づいて行った。
「岩井くん。俺、わかる?」
 ぽんと肩を叩くと、振り返った岩井は動揺しているように見えた。いきなり馴れ馴れしいと思われたかもしれない。俺は自分に苦笑した。
「わかんないよな。友部恵理の兄なんだけど。友部って、小学校の同級生、覚えてない? 一度だけ家に来たことあるだろ」
「あ」
 岩井はきゅっと唇を噛むようにして答えた。
「ええ。覚えてます。お兄さんのことも、ちゃんと」
「ほんとに? ずいぶん雰囲気変わったな。ま、小学生の頃とじゃ当たり前か」
 間近に立つと、岩井と俺とは頭一つ分くらいの差があった。成長した美少年は、見事に男前になっていた。
 岩井はふっと息をついた。
「友部さんは全然変わりませんね。すぐにわかった」
 岩井がチラリと歯を見せたので、俺は妙に浮かれた気分になった。
「はは、嘘つけ」
 あの頃の岩井に対するようなドキドキする気持ちはなかったけれど、自分とはまるで違う、かっこいい男に親しげな態度を示されれば悪い気はしなかった。
 やがて話を終えたらしい大谷先生がやってきて、岩井を連れて行った。


 家に帰ると珍しく母親も恵理も先に帰宅していた。
「おかえり。潤平くんが来てるわよ」
「はいはい」
 かけられた母親の言葉に俺は生返事をし、潤平のいる居間に顔を出さずに二階に上がった。潤平は俺の友だちだが、この家に来るのは恵理の彼氏だからだ。
 潤平と俺は、高校と大学が一緒だった。高校時代はクラスがちがったので特に付き合いはなかったけれど、同じ大学に進学したのをきっかけに友だちになった。飄々としていながら、決めるところは決めるといった雰囲気の潤平に、俺は憧れに似た気持ちを覚えることがあった。潤平のように肩肘を張らず自然に男らしく在ることが、俺の理想だった。
 恵理と潤平がいつからそんな関係になったのか、くわしくは知らないけれど、気づいた時には二人は当たり前のように付き合っていた。
 服を着替えてから居間に降りて行くと、潤平と恵理は仲良くテレビを観ていた。俺に気づいた潤平は、「よ」と軽く手を上げた。カウチに坐った恵理の足元に寝そべって、まるで自分の家のようにくつろいでいる。実際この四月に俺が戻ってくるまで、実の息子の俺よりも潤平のほうがこの家に入り浸っていたらしい。
 俺は新聞を手にして一人掛けのソファに腰を下ろした。
「恵理、岩井くん、覚えてるだろ? お前の小学校の時のボーイフレンド」
 俺の言葉に恵理より先に潤平が反応した。
「ああ、岩井くんって、あの?」
 途端に恵理が遮るように潤平の名を呼んだ。
「潤!」
「なんだよ、潤平にまで話してるんだ」
 本当にこいつらは仲が良い。恵理が小学校の時の彼氏まで潤平に申告してるとは思わなかった。
 恵理は潤平を睨んだ。なんだか複雑そうな表情だった。潤平が笑って身体を起こし恵理の膝の脇を軽くこづいた。「バカ」と呟き、恵理は俺に向き直った。
「岩井くんがどうかした?」
「教育実習生でウチの中学に来てるんだよ。ずいぶん雰囲気変わったぞ」
「ふーん。岩井くん、先生になるの?」
「そうみたいだな」
 俺にトレジャーハンターになりたいと言ったことを、岩井は覚えているだろうか。ガキっぽい夢がなぜか俺をドキドキさせたことなど、本人は少しも知らないにちがいない。


 翌日、午後の空き時間、俺のいる美術室の廊下に面したドアの窓に長い影が映り、コンコンとノックの音が聞こえた。
「こんにちは」
 長身を屈めるようにして入って来たのは岩井だった。
「友部さん、忙しいですか?」
 描きかけの油絵を前にしてはいたが、まだ気分が乗らず適当に色を置いている段階だった。
「ん、いや。どうかした?」
「俺、この時間空いてるんで、他の科目の見学と思って」
「残念。俺も空きなんだ」
 両手に持った筆とパレットを示すように広げてみせた俺の返事に、岩井はイタズラっぽい笑みを浮かべた。
「そうだったらいいなと思って来ました」
「なんだ、息抜きを狙ってきたな」
「息抜きっていうより、友部さんと話したかったんですよ」
「お、うまいこと言うな」
 岩井は「本当です」と笑った。子どものころとはまるで雰囲気が変わってしまっている岩井なのに、一緒にいて俺は少しも気がおけなかった。むしろ少女めいた雰囲気が消えた分、気安さが増したかもしれない。
「友部さん、今でも絵を描いてるんですね」
 描きかけのキャンバスを覗いて、岩井は言った。
「俺が絵を描いてたこと、覚えてたんだ」
「覚えてますよ。俺、友部さんが美術の先生って知って、すごく嬉しかったんです」
「どうして?」
「どうしてかな。理由はわからないけど」
 笑って首を傾げてみせた岩井は、すぐに気を変えたようにわずかに笑いを収め、俺を真直ぐに見た。
「理由は、そうですね、なんだか約束を守ってもらったような気分なんです」
 その言葉に俺の心臓はドキンと大きく脈打った。
「じゃ、トレジャーハンターは?」
 俺は言ってみた。あの日交わした会話を約束のように思っていたのは、俺だけではなかった。勝手に浮き立ってくる気持ちを抑えようとしたら、囁くような低い声になってしまった。
「覚えてる? トレジャーハンター。なりたいって言っただろ」
「俺ね、友部さんにしか言ってないんですよ、それ」
 あの日と同じ真直ぐな目で見つめる岩井は、今はもうどう見ても少女には見えなかった。
「冗談だったのか?」
「逆です。本気だから誰にも言えなかった」
 恐る恐る訊ねた俺に、岩井はしっかりと首を振った。
「俺、今、大学で考古学やってんですよ。ゼミで発掘調査やったり。ちょっと違うけど、でもやっぱり宝捜し」
「そっか」
 俺は嬉しくなった。浮かれて笑みを抑えられない俺につられたように、岩井が笑いかけてくる。
「発掘調査のせいで一年中日焼けしてて。髪まで焼けちゃうから、参りますね」
「脱色してるのかと思った」
 十年以上前に一度会っただけの岩井を、どうしてこんなに近しく感じるのだろう。
「ああ、ねえ? ヤバイ人みたいですよね。体質なんでしょうけど」
 岩井はふいに手を伸ばしてきて、俺の髪に触れた。
「友部さんは、髪染めたりしないんですか?」
「一応教師だから」
 俺は平静なフリをして答えた。男同士で髪を触られて動揺するなんておかしい。同性だからこそ見せたにちがいない岩井の親しさを、変に意識している自分が情けなかった。
「染めてる先生、いるじゃないですか」
 岩井の指先が髪を掻き分け、その微かな熱が肌に伝わる。
「じゃあ今度金髪にしてみようか」
 息苦しさを振り払うように口にした俺の冗談に、岩井は明るい笑い声を立てた。


 教育実習が一週目を終える週末、実習生たちと若手の教師の何人かで飲みに行くことになり、俺も二ノ宮に連れ出された。結構な大人数で、居酒屋のテーブル席だけでなくカウンターの一角も占領することになった。
 岩井の着いたテーブルはしっかり実習生の女の子たちで囲まれてしまったから、俺は二ノ宮と並んでカウンターの隅に坐った。
「友部クンってさあ、彼女いるの?」
 唐突に切り出された二ノ宮の言葉に、俺は呆気に取られて彼女を見返した。
「なんだよ、いきなり」
「だって友部クン全然やる気ないよね」
「はあ?」
「女子大生に接する貴重な機会でしょ。少しは頑張ろうって気にならない?」
 バカバカしいので相手にせずにビールを飲んでいたが、二ノ宮はしつこく食い下がってきた。
「友部クン、体温20℃くらい?」
「二ノ宮、酒弱いよな」
 酔っ払いに絡まれるのはいい迷惑だ。俺が言外に含ませた意味をものともせず、二ノ宮は噛みついてきた。
「言ったわね。勝負しようっていうの? 気をつけなさいよ。友部クンなんかつぶれたら襲われちゃうんだから」
「アホか」
 二ノ宮は勝手に俺のグラスにビールを注ぎ始めた。
「ほら、ほらほら、ちゃんと飲んでよ。こぼしたら友部クンの負けだからね」
「何の勝負ですか?」
 頭の上で声がして、岩井が隣に坐ってきた。目が合った途端ニコッと笑われ、俺はへラッと笑みを返した。やっぱり岩井はかっこよかった。
「あれー、岩井クン、どうしたの? 女の子たちはいいの?」
「トイレに立ったら席がなくなっちゃったんですよ」
 岩井のいたテーブルの方を見ると、独身の男性教師たちが女子実習生に群がっていて、そこだけ密集地帯となっていた。
「なんだかアフリカンな光景だな」
 俺の呟きに岩井はクスッと声を洩らした。
「グラスもらおうか」
 俺は言って、岩井のために新しいグラスを出してもらった。ビールを注ぐと岩井は「ありがとうございます」と言って、素直に呷った。俺の目の前できれいな喉が上下する。
「気持ちのいい飲みっぷりだなー」
 言いながらもう一度岩井のグラスにビールを注ぐ俺の脇で、二ノ宮が口を開いた。
「なんか友部クン、岩井クンには態度が違う」
「え? そんなことないよ」
 俺は否定して、二ノ宮のグラスにもビールを注いでやった。二ノ宮はグラスを押さえたままジトっと俺を睨んだ。
「違うわよ。すごく楽しそうだもん。私にはいつも冷たいくせに」
「友部さん、二ノ宮さんに冷たいんですか?」
 岩井がからかうように訊いてきた。
「そうよお。すーぐチロッて冷たい視線が来るんだから」
 二ノ宮は「こんな目」と言って、横を向いて斜めから見下ろすような表情をしてみせた。俺の真似をしているつもりらしい。岩井がぶっと吹き出した。
「でも友部クンが冷たいのは私にだけじゃないもんね。岩井クンが特別なんでしょ」
「俺、冷たいか?」
「冷たいよー。って生徒も言ってたよん。友部先生、超クールなんだもん。お話したいのに、声かけらんないの、だってさ」
 生徒と友だち同士のようなスタンスを築いている二ノ宮らしい言い方だった。
「お話ってなんだ、お話って。俺は中学生とお話する趣味はない」
 俺が断言してみせると、二ノ宮はケラケラと笑い転げた。
「あっはー、友部クン、酔ってるでしょ」
「それは二ノ宮だろ、酔っ払い」
「二人、仲いいですね」
 岩井がからかうと二ノ宮は悪ノリしてみせた。
「そうよ。私、友部クン好きだもん。私たち付き合ってるの、知ってた?」
「え?」
 一瞬固まった岩井を横目で見て、俺は即座に否定した。
「寒い冗談はよせ」
「冗談じゃないもん。友部クン、他の先生たちと全然交流しないから、唯一仲の良い私と付き合ってることになっちゃってるんだぞ」
「うわ、サイアクだ、それ」
「何よー、光栄でしょ」
「悪いけど、俺、面食いなんだ」
「何それ、むかつく。じゃあどんな人が好みなのよ? 言ってごらん」
 二ノ宮は俺を肘でつついてきた。
「昔の岩井」
 考える間もなく口からこぼれていた。俺は多分どこかで告白する機会を探していたのだ。自分の気持ちにけりをつけるきっかけがほしかった。岩井は初恋の相手だから今でもおかしなふうに意識してしまうのだ。
「えええっ!」
 二ノ宮は大げさな歓声を上げた。
「初めて会った時に、女の子だと思ったんだよ。いや、マジで可愛かったんだ。そこらへんのアイドルなんか目じゃないくらいで。な、岩井?」
「…ほんとに?」
 岩井は低い声を出した。
「なんだよ、自分のことだろ」
「そうじゃなくって、その、友部さん、俺のこと好みだったってほんと?」
 うかがうような視線で確認されて、俺は狼狽した。
「はい、ごめんなさい。気持ち悪いだろ。でも、昔のことだから、許せよ。そんなでかくなると思わなかったもんな」
 俺は早口でまくし立てた。冗談に紛らせてしまおうと思った。言ってしまえば楽になる。
 岩井はうまく笑えないような微妙な表情をしていた。その瞳が泣きそうに見えて、俺はバカな告白をしたと後悔した。



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