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季節の中で−1−



好きになった理由を考えるような恋を初めてした。
恋愛に理由が必要だなんて今まで考えたことはなかった。
それまでのぼくにとって恋とは、特定の誰かとよく目が合うようになって、意味もなく笑みを交わして、そのうちどちらかが誘うような、そんななんとなく始まるものだった。
相手のどこを好きになったのか、なんて疑問を感じたことなど一度もなかった。
それなのに、今、ぼくはそんな恋をしていた。
なぜ好きなのか、などという無意味な問いを自分にくり返すのは、相手が同性だからなのだろう。

* * * * * * * * * *


 四月も半ばを過ぎる頃、講義が終わって帰りかけたぼくは、中庭の噴水のところで、サークルの先輩である斉藤さんに行き合った。入ったばかりの野球サークルの中で、三年生の斉藤さんは面倒見のよい頼れる先輩として目立っていた。
 ぼくは、暗い浪人生活を経て、晴れて大学生になったばかりだった。憧れの大学。初めての一人暮らし。浪人決定と同時に振られた高校時代の彼女のことも、とうに吹っ切れていたし、新しい生活は希望に満ちていた。
 斉藤さんが友人らしい人と一緒なのを認めて、軽く頭を下げただけで通りすぎようとしたぼくを、斉藤さんは片手を上げて呼び止めた。
「あ、小島。こいつ、高井。お前と同じアパートなんだよ」
 数日前のサークルの新歓で、話題になったことだった。ぼくが一人暮らしだと知ると、斎藤さんは「これでまた一つ宿を確保できた」と笑い、アパートの名を聞いて「俺の友だちもお前と同じとこに住んでるよ」と言っていた。
 大学に近くて家賃の安いアパートだから、住人のほとんどが同じ大学の学生だと聞いていた。だからそれは特別なことではなかった。
 同じアパートだと紹介された高井さんは、ちょっと冷たいような雰囲気の人だった。見るからに人好きのする笑みを浮かべている斉藤さんの隣だから余計にそう見えたのかもしれない。だからぼくは声をかけずに通り過ぎようとしたのだった。すれ違うときには高井さんの方もちらっと視線をよこしただけだった。整った顔が、ぼくに妙な居心地の悪さを感じさせた。
 斉藤さんに呼び止められ、同じアパートと聞かされて、少し困って「小島です」と名乗った。同じ階の住人には挨拶をしてあったが、高井さんのところには行っていなかった。
「なんだか、カリフォルニアが似合いそうだな」
 高井さんは正面からぼくを見て、そう言った。
「カリフォルニアー? なんじゃそれは」
 斉藤さんが派手に吹き出した隣で、ぼくは彼の表情に見とれていた。
 眩しいように眇められた眼差し。
 印象は簡単に変わった。
「だって外国人みたいな雰囲気があるだろ」
 さっと頬を染めて、笑い転げる斉藤さんに抗議している高井さんを可愛いと思ってしまった。
 その瞬間に恋に落ちていた。
 嘘だ。それは今だから思うことで。ぼくはいつから高井さんを好きになったのだろう。考えれば考えるほどわからなくなる。初めて会った時から好きだったのだという気がしてくる。
 全てが運命なのだと思う。二人が出会ったことが。
 でもそれはぼくだけの空回りだった。いくら見つめても高井さんには伝わらない。ぼくの視線に気づいて返ってくる笑みに特別な意味はなく。わかっていてどうしてぼくは彼が好きなのか。


「小島、おまえ見掛け倒しなんだから、あんまり飲みすぎんなよ」
 新歓コンパを皮切りに、ぼくの入ったサークルでは驚くほど飲み会が多かった。ぼくはあまりアルコールに強くないのだが、最初の新歓で醜態を晒したことがかえって幸いしたようで、気のおけない付き合いができるようになっていた。
「そういえば今度合コンあるんだけど、いかねえ?」
 二年の中村さんの言葉を武井さんが遮る。
「げ、小島は誘うなよ。女の子みんな取られちゃうぞ」
「小島は彼女いるんだろ?」
 同じ一年の田中に訊かれて、首を振った。
「いないよ」
 去年予備校で仲良くなりかけていた子に、大学に入れたら連絡しようと思っていたのに、なんとなくそのままになっていた。
「嘘つけ」
「そうだ、斉藤さんはどうですか、合コン」
「失礼な奴らだな。俺は彼女いるっつってんだろ」
「えっ、まだ振られてないんですか?」
「忍耐強い彼女だなー。酒乱の斉藤さんと付き合えるなんて」
 からかってみせる二年生たちに斉藤さんがわざとらしく拳を振り上げる。黙っていればコワモテと言えなくもない斉藤さんは、いつも気さくに笑っていて後輩から慕われていた。
「そういえば高井さんには恋人いるんですか?」
 ふと思いついてぼくは斉藤さんに訊いてみた。それは特別な意味をもたない何気ない話題のはずだった。
「高井? あいつはお子様だからな。いねえよ」
 斉藤さんはあっさりと首を振った。
「そうなんですか」
 ヘンに浮かれそうになる自分にとまどって、食べたいわけでもない焼き鳥に手を伸ばしてみた。
「小島、誰か回してやれよ。つーか、あいつは鈍すぎなんだよな」
「何かあったんですか」
「特別何かあったわけじゃないけどさ。高井は結構顔がいいから、それなりにもててるのに、自分で全然気づかないから。押しも弱いし、心配なんだよ」
「高井さん、誰か好きな人いるんですか?」
「いや、今のとこは聞いてないけど。前もけっこう気に入ってるっぽい子がいたのに、グズグズしててさ。なんつーか、あいつってじれったいとこあるんだよ」
 高井さんはどんな人が好きなのだろう。彼に似合うのはどんな人か。高井さん自身キレイな顔をしているから、逆に面食いじゃなさそうな気もする。案外年上で大人っぽい人とか。
 そんなことを考えていたらなんだか胸がつまるような気持ちがした。
 今まで同性が気になったことなど一度もなかった。自分のセクシャリティに疑問を抱くことなく女の子と付き合ってきた。今さらどうして年上の同性を意識しているのか、自分でよくわからない。
 別に高井さんの外見が女性に見えるわけじゃない。しゃべり方や仕種に女性めいたところがあるわけでもない。そんな男を好きと思うなんて、ぼくはゲイになったんだろうか。
 例えば、斉藤さんの冗談にゲラゲラ笑い転げて、そのまま視線がぼくに来て、笑みを残した表情をぼくに向けたまま人差し指で目尻の涙を拭う。そんな時に、もしかして高井さんはわざとしているんじゃないかと疑った。ぼくの気を引く動作を計算しているんじゃないのか。見惚れてしまう自分が不可思議で情けなくて悔しいから、ありえないことを考えてみる。
 それとも、どこかに意地悪な神様がいて、ぼくは高井さんの魅惑的な部分ばかりを見せられているのかもしれない。惹かれるはずのない相手に惹かれるぼくは、神様の退屈しのぎのゲームの駒になった気分だった。


 梅雨明けの青空が広がっていたその日、ぼくは午後の講義に移動途中だった。夏間近の開放感に浮かれて歩いているところに声がかけられた。
「小島!」
 足を止めると、学食のオープンテラスの方から高井さんが駆け寄ってきた。
 高井さんから声をかけてくることは滅多になかった。いつもぼくが先に見つけて挨拶すると高井さんは少しだけはにかむような笑みを返した。もともとが人見知りをするような人だけにそんな笑顔を見せられると、自分が特別な関係にあるような気分になれた。
 午後の陽射しの中、それは音楽が鳴り出しそうな現われ方だった。髪や白いシャツに光を反射させながら走ってくる高井さんの姿は、ぼくの視界の中でスローモーションがかかったようだった。ぼーっと見惚れている間に、高井さんは目の前に来ていた。
「斉藤、見なかった?」
 ぼくより背の低い高井さんは、後ろにそらした頭をほんの少し傾げるようにして言った。
「斉藤さん? いいえ。どうかしたんですか?」
「うん、待ち合わせしてんだけど、なかなか来ないんだよ。ま、いつものことだけどさ」
 肩をすくめて見せた後、高井さんは不意打ちめいて真っ直ぐにぼくの目を覗き込んできた。
「小島の目って茶色いよな」
 息がかかりそうなほど近すぎる距離に、呼吸の仕方を忘れそうになった。高井さんの鼻のあたりに薄いソバカスが浮いているのが確認できた。このままキスさえできそうな。
「色素が薄いとさ、目に入ってくる光を調節する機能が弱いんじゃないの。だから小島はよく眩しそうな表情してんだろ」
 高井さんはくすくすと笑いながらからかってきた。
「高井さんこそ」
 しぼり出した声が喉に絡まった。
「うん?」
「高井さんこそ、いつも眩しそうな目で見るじゃないですか」
 眩しげに目を眇めて笑う、その表情にぼくはとらわれた。女の子はあまりしない表情だと思った。女の子と較べること自体、高井さんをそんな対象と考えている証拠かもしれない。
「ああ。それは見惚れてんだよ」
 高井さんはあっさりと返した。
「小島がかっこいいから、つい見惚れちゃうんだよな。それだけかっこいいと人生ちがうだろうな」
「何、言ってんですか」
 声が半分裏返って頬が熱くなる。一瞬舞い上がった後に、そんな言葉を屈託なく口にされたことに傷ついた。
 高井さんの「かっこいい」には何の意味もない。当たり前だ、男が男に言うんだから。
 そこに何の意味もないのなら、そんな表情で見るのは罪だ。笑いかける高井さんにそう言いたかった。ぼくは何を望んでいるんだろう。
 他愛のない会話を交わして、親しげな笑顔を向けられて、それを単純に嬉しいと思っていた。いつの間にか加速していく気持ちに自分で混乱している。
 ぼくはやっぱりゲイなんだろうか。高井さんを好きだという気持ちは恋愛感情としか言いようがない気がした。でも、今まで付き合ってきた女の子たちに対するような気持ちとはまたちがうような感じもして、よくわからない。
 高井さんから視線をそらすと学食の方からやって来る斉藤さんが目に入った。
「なんだ、小島も一緒か」
「遅いよ、斉藤」
 振り返った高井さんが文句をつける。
「そうだ、小島。高井におめでとうって言ってやれよ」
 ふと思いついた様子で斉藤さんが高井さんをからかい、真っ赤な顔になった高井さんが「余計なこと言うな」と遮った。
「なんですか?」
 ぼくは笑いながら聞き返した。この二人はいつもこんな感じでじゃれ合っている。初めて見たときには、熊のような斉藤さんと対照的に細い高井さんが不思議な組み合わせに思えたが、今ではすっかり馴染んでいた。斉藤さんにからかわれてムキになっている高井さんは子供っぽくて可愛かった。
「こいつ、ようやく彼女ができたんだよ」
「え…」
 一瞬、気温が下がったように感じた。言葉を失くしたぼくに気づきもせずに、高井さんは斉藤さんの頭を乱暴に抱え込んだ。
「バカ、小島にまで余計なこと言うなよ。恥かしいだろ」
「いいじゃねえか。すっげーラブラブなんだよな」
「うるさいって!」
「あ…それはおめでとうございます」
 どうにかからかうような口調を作った。
「…バカだと思ってるだろ?」
 斉藤さんにヘッドロックをかけたまま拗ねたような上目遣いで、高井さんが言う。少しつり上がり気味の目や薄い唇が普段は冷たい印象を作っているのに、そんな子供っぽい表情をすると誘っているようにさえ見えた。それはぼくの願望混じりの思い込みだった。
「思ってないですよ」
 胸の痛みを隠して、ぼくは笑った。
 高井さんは、年上で、男で、ぼくの想いが間違っている。わかっていたはずだった。
 だいたい高井さんを好きだなんて、年上の男相手にどうするつもりだったんだ。キレイな顔をしているとか、可愛いとか、何を不毛なことを考えていたんだろう。
 よかったじゃないか、きっかけができて。これできっぱり諦めるのだと決めた。ぼくはただのアパートの後輩だ。
 そう決意したつもりだった。


 夏休みに入る直前、ぼくはサークルのマネージャーから告白された。
 試合の打ち上げで、二次会のカラオケボックスに移動する途中、隣を歩いていたマネージャーの飯野は、横顔のままふいに「あたしね、小島のことが好きだよ」と呟いた。
 ぼくは「うん」と頷いた。なんとなくわかっていた。飯野は、小柄で愛らしい容姿と裏腹にさっぱりした性格で、男たちに人気があった。ぼくも彼女と話すのは楽しかったし、何かの折に、真っ直ぐに見つめてくる瞳に気づいていた。すでにサークル仲間の何人かにからかわれていたくらいで、ぼくと彼女が付き合うことに何の不都合もなかった。ないはずだった。
「ごめん、俺」
 気づくと謝っていた。
「俺さ、好きな人がいるんだよね。振られたんだけど、まだ、ちょっと」
「高校の時の彼女? まだ忘れられないんだ?」
 飯野がパッとぼくを振り仰いだ。キレイにカールした長い睫毛に縁取られた目。ピンクベージュに光る唇。ちゃんと可愛いと思うのに。
 ぼくは黙って、視線を空に逸らした。濡れたような夏の匂いがしていた。
「あたし、待ってちゃダメかなあ。小島がその人のこと忘れられるまで」
「すごく、すごくかかるよ、多分」
 口が勝手に言葉を吐き出していた。
「本当は、好きかどうかわかんないんだ。そんなふうに思う相手じゃないんだ。だけど、あの人に恋人ができたって聞いて。今更どうしようもないんだ。今更じゃないよ、最初っからどうしようもなかったんだ。わかってんだよ」
 なんでこんなに悔しいんだ。当たり前のことだろう。それをどうして。
 ぼくはまた飲み過ぎているらしい。涙が滲んできそうになって困ってしまった。
 飯野が手を伸ばしてきて、ぼくの手を握った。
「大丈夫。ねえ大丈夫だよ。あたし待ってるから」
 ぼくは何も応えられず、飯野の手を握り返すこともしなかった。ダメなんだ、多分。飯野じゃダメだ。他の誰でもダメで。
 ちがう。ぼくは今酔っているだけだ。大丈夫だ。すぐに忘れるんだ。冷静になれば大丈夫。こんな気持ちはただの勘違いだ。


 夏休みが明けると、高井さんは外泊が多くなった。よりによってぼくの部屋は階段の手前にあり、何度も朝帰りしてくる高井さんの足音を聞くはめになった。懲りもせず痛みを訴える胸に「諦めたんだろう?」と自嘲する。しょうがないじゃないか、ぼくは女の子じゃないんだから。高井さんと付き合うわけにはいかない。
 感情を理屈で制御しようとしてもうまくいかなかった。頭で考えたことが心には伝わらなくて、ただ胸が苦しい。どうしてぼくはこのアパートに入ってしまったんだろう。アパートが違えば高井さんに会わなくて済んだ。高井さんの生活を知らずに済んだ。
 朝、大学に行くために部屋を出た途端、帰ってきた高井さんと行き合わせたことさえあった。
「今から学校?」
 照れくさそうに訊ねてくる、はにかんだ笑顔。とっさに黙って頷くことしかできないぼくを、高井さんはなんとも思わない。
 すれ違う瞬間、高井さんの髪から甘いシャンプーの匂いが流れた。彼が普段使っているシャンプーとはちがう、女の子の匂い。
 これは錯覚なのだろうか。女の子の匂いをさせている高井さんに混乱させられただけなのか。抱きしめたいと強く思った。
 そして自分の欲望に気づかされた。明確にすることを避けて曖昧にしていた想いが、少しずつ形を成していく。気がつけば押さえ込むことが困難になっていた。


 高井さんは恋人に振り回されているらしかった。
 同じ講義を受けているときに、貧血を起こした彼を保健室に連れて行った。
 色をなくした高井さんの顔をきれいだと思った。身体の奥に疼くものがあって、誤魔化すために殊更に甲斐甲斐しさを装った。
 衿元を緩めた時、それに気づいた。鎖骨と首の境目にかすかに赤い痣。
 思わず声をあげてしまい唇を噛んだ。問いかけるように見上げてくる高井さんの視線を避けて、首を振る。
 キスマーク。彼女のつけた痕。高井さんは他人のものだという証し。
 高井さんはひどく疲れていて食欲さえないようだった。もともと細い人がさらに痩せて痛々しく見えた。
 そんな時でさえ彼女からの呼び出しに応じる高井さんを見送って、怒りがこみ上げてきた。
 気を取り直そうとサークルに出てみたが、斉藤さんの顔を見たら、不満が押さえ切れなくなった。
「斉藤さんは高井さんの彼女に会ったことあるんですか?」
「なんだよ、やぶから棒に」
 目を丸くする斉藤さんに詰め寄る。ただ八つ当たりしたかった。
「高井さん、今日授業中に倒れたんですよ」
「倒れた?」
「貧血だって。無理してんですよ、高井さん。いつも帰ってくるの、朝なんです。ラブラブだか知らないけど、体調悪くても気遣ってやれない彼女なんて」
 吐き捨てたぼくをなだめるように、斉藤さんは首を傾げた。
「うーん、悪い子じゃないと思うけど。ま、わりと可愛い子だから甘やかされている感じはあるかもな。高井も押しが弱いからなあ」
 男にキスマークつけるような女、可愛いもんか。きっと蛇みたいな本性してるんだ。心の中で毒づく自分に嫌気がさした。
 高井さんの恋人が、彼を振り回すような女だから、ぼくはいつまで経っても諦められない。ちゃんとあの人の優しさに応えられるような女の子が恋人だというのなら、ぼくは潔く身を引くのに。
 高井さんを心配しているのか、彼女に嫉妬しているのか、自分でもよくわからず、ただ二人の関係が苛立たしかった。
 苛立ちのまま、高井さんに強引に一緒に飲む約束を取り付けた。酔ったふりをしてキスをした。セックスしようと誘った。
 彼女を特別だと言う高井さんの台詞を否定したかった。
「すごいこと言うな」
 冗談として言ったはずの言葉を、軽く流されてひどく傷つく。ぼくは何をやっているのだろう。キスしても抱きしめても冗談にしかできない。
 勢いで触れた唇の感触が切なくて。



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