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恋はボディーブロー



 お昼前に須坂くんから携帯が入った。
―史郎、今、どこ?
「自分の部屋ですけど」
―OK。じゃ、俺はどこだと思う?
 クスクスと楽しげな声が問いかけてくる。
「えっ」
―えっ、じゃないだろ。ほら、早く早く、答えて
 どうやら須坂くんは歩きながらしゃべっているようだった。「早く早く」とせかす声がリズムを刻んでいる。また何かゲームのつもりなんだろうか。
―ブー、タイムリミット!
 携帯の中の声と同時に玄関のチャイムが鳴らされ、俺は苦笑してドアを開けた。
「にっぶいよな、史郎」
 いたずらっ子の表情で立っている須坂くんは、ピザの箱を抱えていた。ヘアスタイルが新しくなっている。ほとんどストレートになってワイン系のカラーリング。陽射しに透けて赤毛に見える。
「一緒にランチしよー」
 須坂くんは俺の手にピザを渡して、スニーカーを脱ぎ始めた。
「う、ごめん。俺、もう食べました」
「えー、なんだよ、それ。まだ十二時になってないじゃん」
 スニーカーを脱ぎかけた途中で、俺を見上げて唇をとがらせる須坂くんの顔は、パーマを落とした前髪越しのせいか、女の子みたいで可愛かった。
「今日、午前中休講だったんですよ。だから朝が遅くて。その髪型、いいですね」
「あっ、史郎、うまいなー。くそー」
 勝手知ったる様子で俺の部屋に上がりこむけど、須坂くんがこの部屋に入ったのは、初めてだった。ウーロン茶を持っていくと、物珍しそうにあちこち見回していた。
「な、この髪型、いい?」
 ピザをほおばりながら須坂くんがもう一度確認してきたので、俺は笑ってしまった。
「うん。似合ってると思うよ」
 頷いてみせると「へへー」と満足そうに笑う。
「朝イチで行ってきたんだよ。で、ピザ屋見つけたから、史郎と食べようと思ったのに」
 須坂くんは先輩なんだけれど、時々とても子どもっぽい態度を取る。それを可愛いと思ってしまう俺も俺なんだけど。「くん」付けも、一度呼び始めてしまえばいつの間にか慣れていた。
 俺と須坂くんは付き合い始めたばかりだ。男同士で付き合うっていうのもおかしな話だけど、なんとなくそんな感じ。でも取り立てて変わったことをするわけでもなく、友だちと言っても通じると思う。たまにキスなんかしちゃうと少し迷うけれど、須坂くんはキレイな顔立ちだから、俺に嫌悪感はなかった。


「史郎は部屋で絵、描かないんだな」
 三限目は一緒のゼミなので、須坂くんの車に同乗して学校に着いた。研究室に向かって歩きながら、ふと思いついたように須坂くんが言い出した。俺の部屋に絵の道具がないことが気になったらしい。
「狭いからね。油だと臭くなるし」
 画材はほとんど美術部の部室に置いてある。
「今度、俺のこと描いてよ」
「うーん、俺、人物はあんまり」
 俺は絵を専門にやっているわけじゃないから、人物画はほとんど描いたことがない。
「人物画は描かないの?」
「ほとんど描かない。モデルいないし」
 石膏デッサン程度で、実物を描く機会にはあまり恵まれていない。時折部員同士が交替でスケッチのモデルをつとめることはあったが、専門のモデルを頼めるほどの予算は美術部にはなかった。
「だから、俺がなってやるって。…なんだよ、俺のことは描けないってわけ?」
 言葉の途中で、俺の表情に気づいた須坂くんは唇を尖らせた。須坂くんに絵のモデルは無理だと考えたのが顔に出ていたらしい。俺は苦笑する。
「いや、だって、モデルって動いちゃダメなんだよ」
 イタズラを仕掛けるのが趣味みたいな須坂くんに務まるとは思えなかった。外見だけなら文句ナシの逸材かもしれないけど。
「呼吸も心臓も止めろ、とか言うの?」
 俺は吹き出した。
「まさか」
 熱心に言う須坂くんに根負けした形で、とりあえずスケッチモデルを頼むことになった。


 研究室には富田さんが先に来ていて、俺が「こんにちは」と挨拶すると驚いたような声をあげた。
「おお、市野、笑ってんじゃん」
 須坂くんとの会話の途中だったせいで、笑みが残っていたらしい。
「ようやく餌付けに成功したのか、須坂」
「そ。俺のだから、触んなよ」
 須坂くんは長い腕で俺を抱え込んだ。
「ははは、バーカ」
 手を伸ばしてきた富田さんに前髪を引っ張られて、俺は「痛ッ」と声をあげてしまった。
「あ、てめ。触んなっつってんだろ」
 須坂くんの言葉に、富田さんは面白がってますます俺を突ついてきた。
「やめろ、バカ」
 須坂くんがムキになって、富田さんの手を防ぐ。
 須坂くんの腕の中で、俺はまるでバスケのボールか何かのような扱いを受けた。
 惚れた弱みってこういうことだよなあ。須坂くんをアホだと思いつつ、しょうがねーなって諦め半分愛しさ半分の気持ち。


 実技棟の端にある美術部の部室に顔を出すと、学祭が済んだばかりのせいか中には数人しかいなかった。
「市野ー」
 同じ三年の三田が大声をあげて俺の名を呼んだ。
「おまえ、祐史の初恋の人に似てんだって」
「わー! バカ!」
 叫び声をあげた祐史が三田に飛びかかった。
「あ、こら、バカとはなんだ。先輩に向かって」
 祐史は一年生で、三田のお気に入りだ。大学で美術部に入るまでは美術になど縁のない生活を送っていたと言い、言葉通り絵はあまり上手ではない。祐史の作品はかなり無理のある言い方をすればポップアートだ。そんな祐史がなぜ美術部に入っているのかといえば、祐史は俺のせいだと言う。
 入学式の日に俺が祐史に声をかけたからだ。
 新入部員の勧誘は代々二年生の仕事だったが、監督と自称したヒマ人の三田に俺まで付き合わされる羽目になった。入学式を終えて出てきた新入生たちにチラシを手渡す二年生に、三田がやがて文句をつけ出した。
「おまえらー、ただチラシ渡してるだけじゃ、誰も入部してこないだろ。ちゃんと声かけて勧誘しろよ。よし、まずは市野がお手本見せるから」
「俺?」
 戸惑う隙もなく三田は俺の背を押した。
「できれば美人の女の子をよろしく」
 調子のよい三田に促されて、俺は仕方なく目についた新入生に近づいて行った。
 それはやたら発育のよさそうな、背の高い男だった。お祭りに紛れ込んだ子どものように物珍しげにきょろきょろしながら歩いていて、とっつきやすそうな雰囲気があったのだ。
「入学おめでとう」
 最初の声は我ながら情けない呟きで、相手の耳には届かなかっただろう。俺はゴホンと咳払いし、言い直した。
「美術部に入らない?」
 でかい新入生は目を丸くした。造作のせいか表情のせいか、あどけない顔をしている。入学式用のスーツが七五三めいていた。
「美術部って、あの、絵を描くやつ?」
「そう」
 内心声をかける相手を間違えたなと思ったのだが、俺はとりあえず頷いた。新入生は面白がっているような人懐こい笑みを浮かべた。
「えー、油絵とかやるの?」
「油じゃなくてもいいけど」
 どう考えても、こいつは「夏はテニス、冬はボード」のタイプだよな。適度に日焼けしているガタイのよい相手を見上げ、俺は切り上げるタイミングを計っていた。
「うーん、美術部かー。ま、いっか」
 意外なことにその新入生は美術部に入る気になったらしかった。それが祐史だった。


「えー、シロちゃんて三年生なの?」
 新歓コンパの席で、祐史は素っ頓狂な声を上げた。祐史は俺の名前を聞くと「あ、史の字がおんなじ!」と叫び、それから勝手に「シロちゃん」と呼んでいた。図体の割にかなり子どもっぽい性格のようだった。
「俺、ずっと同じ一年なんだと思ってた」
 道理でタメ口で、シロちゃん呼ばわりされていたわけだ。懐かれているにしても微妙だと感じてはいたのだ。
「おいおい、祐史。おまえ、市野に勧誘されて美術部(ここ)入ったんだろ。一年が勧誘活動するわけないって気づけよ」
 三田がからかうと、祐史は首を振った。
「ちがう。俺、一緒に入ろうって誘われたんだと思ったんだもん。年上だったのか」
「ほら、市野、言わせておいていいのか。おまえ、祐史になめられてんぞ」
「なめてなんかいないけどー、ちぇ、なんかキャッチセールスにつかまったような気分」
 とんでもない言い掛かりをつけられて俺は困惑した。三田も呆れた声を出す。
「なんじゃ、そりゃ」
「勧誘なら、勧誘って言ってくれればいいじゃん」
 祐史は唇を尖らせてさらに文句をつけてきた。
「おまえってヘンな奴だなー」
 三田はしみじみ感心したように祐史を眺めた。それは俺も同感かもしれない。
 それからも何かと素っ頓狂な行動に出る祐史を、三田は面白がって相手にしていた。
 今日もまた同じパターンらしい。
 祐史は涙目になって三田にくってかかった。
「ひでーよ、三田さん。バラすなんて」
「えー! 祐史くんてホモなの?」
 女の子たちのはしゃぐような声に、祐史は真っ赤になって腕を振り回した。
「ちがいますー! ちがうよ、シロちゃん」
 あせった顔でデカイ図体に詰め寄って来られたので、俺は思わず及び腰になってしまった。
「小学校ン時、教科書に『パン屋のしろちゃん』ていう話が載ってて、そんでその挿し絵がー、そン時好きだった人、上級生だったんだけど、その女の子に似てるなーって思ってて、シロちゃんの名前がほら、おんなじだから、そういえば雰囲気がなんとなく似てるかなーって、…あーもう、わけわかんねー!」
 まくし立てた祐史はぐしゃぐしゃと髪をかき回した。剛毛だから逆立ってすごいことになる。
「つーか、聞いてる方がわかんねーよ」
 と笑う三田に祐史は再び飛びかかった。
「なんだよ、もう。そんなのバラす三田さんが悪い!」


 アパートに戻ると前の路上に須坂くんの車が止まっていた。俺は近寄って運転席の窓を叩いた。
「どうしたんですか?」
「んー、昼、一緒に食えなかったから、夕飯食おうと思って」
 須坂くんはそう言って車を降りた。
「だったら携帯に連絡くれれば」
 とりあえず荷物を置いてくるつもりで部屋に向かいながら俺が言うと、須坂くんは軽く答えた。
「ん、メールしたよ」
「え?」
 慌てて取り出して確認したら、確かに須坂くんからのメールが入っていた。
「ごめん、気づけなかった」
「いいんだけど」
 須坂くんはなんとなく元気がないように見えた。
 玄関先に荷物だけ置くつもりが、須坂くんは靴を脱いで部屋に上がった。
「史郎、俺以外の奴に、あんま笑いかけんなよ」
 あぐらをかいた足を抱えて、横顔のままふてくされたような言い方をした。
「史郎が笑うと可愛いって」
「え?」
 俺は困って須坂くんの向かいに膝をついた。夕食を食べに行くんじゃないんだろうか。
「松嶋さんが言ってたんだよ。最近、史郎がよく笑ってるって。あー、なんかすげーむかつく」
 よく笑ってるって、俺を笑わせている本人から言われても何と答えればいいのやら。
 せっかくのストレートヘアをかきむしってクシャクシャにしてしまった須坂くんは俺のほうに顔を寄せてきた。
「キスしてよ」
 俺は笑ってチュッと軽いキスを送った。
「笑うな、アホ」
 拗ねたように言って、今度は須坂くんからキスしてきた。それも軽いのじゃなくて…。
「んっ」
 舌! 須坂くんの舌が口の中に入り込んでいた。
 うっわ、これって、結構ヤバイんじゃないかなあ。
 押されて上半身は後ろに倒れこみかけ、腰に回った須坂くんの手が下半身だけをぐっと引き寄せた。バランスが取れない体勢で、俺は須坂くんの肩にしがみつくことしかできない。
 須坂くんの足が俺の足を割った。腰を押し付けられて、下半身が熱くなる。
 須坂くんの唇は頬を滑って、耳に移った。
「なあ、史郎、させて?」
 耳の中に吹き込まれた言葉に、俺は硬直した。
「さ、させてって…」
 俺が女役なのか? それはちょっと考えてなかった。いや、そりゃ須坂くんは年上だけど、でも。
 須坂くんは俺を引き起こして、額をつけて目を覗き込んできた。
「史郎、俺のこと嫌い?」
 いや、嫌いとか、そういう問題じゃなくて。
 須坂くんはもう一度キスをした。今度は軽く触れただけで唇が離れる。
「あの、あのあの、須坂くんてホモなの?」
「そりゃ史郎のことが好きなんだからホモなんだろ」
 須坂くんはつまらなそうな顔になった。
「俺はホモじゃなくって…、いや、あの、俺も須坂くんは好きだけど、その、今まで男とやったことないし、自信ないんだけど」
 須坂くんは好きだけど、そこまで考えてなかった。なんか別に付き合ってるっていっても軽いキスくらいしかしてなかったし、その先を考えたことなんかない。
「俺なんか女ともしたことないよ」
「え、マジで?」
 その台詞には驚いた。こんなにモテそうな人が本当だろうか。
「え、何、史郎、女の子と経験済み?」
 逆に須坂くんのほうでも驚いたような声をあげた。
「なんだよ、真面目そうなふりして、そうなの?」
「そうなのって…」
「つまんねー!」
 叫んで須坂くんはゴロリと横になってしまった。俺はほっとしたようなはぐらかされたような気分だった。
 結局そのまま夕食を食べに出て、俺をアパートまで送ってくれた後、須坂くんは寄らずに帰って行った。



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