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機嫌無敵なDAYS -1-



「先生、先生、大変! 病人だよ、重病!」
 俺を抱えて保健室に駆け込んだ祐史は、大げさにわめき立てた。ベッドの上、おろされた俺は「バカ」と口の中で呟いた。
「ただの……貧血です」
 窓際の机から立ち上がって近づいてきた保険の先生に自己申告する。
「少し休ませてもらえれば大丈夫だと思います」
 スニーカーを脱ごうと身体をかがめたら腰に痛みが走って俺は思わず顔をしかめた。
「持病とか、そういうのはない?」
 ベッドに横たわった俺の足の下、畳んだ毛布を差し入れながら先生が確認する。俺は首を振った。
「すっごいよく効く薬とかないの?」
 脇から祐史が勝手な口を挟む。
「ないわよ」
 俺たちとそう年齢が変わらないらしい若い保険医は、軽く笑って「メッ」という顔で祐史を睨んだ。
「そんな簡単に薬なんて飲む癖をつけちゃ駄目よ」
 祐史は体格が大柄なわりに目が大きくて顔立ちが甘いせいか、子供っぽい扱いを受け易かった。本人が意識しているかどうかは別としてどこか舌足らずな物言いも影響してるかもしれない。
「だって、足が痛いんだって。だから何か痛み止めとか」
「え、足?」
 不審そうな顔をされて、慌てて遮る。
「ちがいます。ただの貧血」
 足が痛いなんて俺は言っていない。痛いのは腰だ。そして原因はわかっている。そう考えて、うっすらと頬が紅潮するのを自分で感じた。
「熱は?」
 差し出された体温計を受け取らずに首を振った。
「いいえ。熱はないと思います。少し眠らせてください」
 そう言って目をつぶれば、保険医は「おやすみなさい」と声をかけて、ベッド周りのカーテンを引いてくれた。
 俺を抱えて走った祐史を生協のところで須坂くんが見ていたから、後でなだめるのが大変かもしれない。この二人、案外似てなくもないんだけど。似ているからこそ磁石みたいに反発するのかな。
 そんなことを考えながら、うとうとと眠りに落ちかけたところで、誰かの手が顔に触れたような気がした。
 その瞬間、ドアの開く音が聴こえて、俺は目を覚ました。
「史郎、大丈夫か?」
 声で、入ってきたのが須坂くんだとわかった。どうやら俺と祐史を見かけてから追いかけてきたらしい。カーテンを引き開け、ベッド脇にいた祐史を押しのけるようにして覗き込んでくる。
「なんだよ。シロちゃんは眠るとこだったんだよ。邪魔すんな」
 負けじと後ろから羽交い締めをしかける祐史を、須坂くんは振り向いた。
「てめえ、史郎に何した?」
「俺?!」
 祐史は大声を上げた。
「俺がシロちゃんに何するって言うわけ?」
 むっとした顔でヒステリックに切り返す。
「シロちゃんは誰かさんが昨夜泊まったりしたせいで気を遣って疲れちゃったんじゃないの? シロちゃん、優しいもんね。先輩ヅラされて押しかけてこられたら、嫌だって言えなかったんだ」
「嫌だって言……イヤって……」
 須坂くんは口篭もった。髪の間からのぞいた耳の先が赤く染まっていた。彼の連想が辿れる気がして、俺はこっそりため息をついた。俺、最初から嫌だなんて言うつもりなかったよ。
「シロちゃんが体調悪くっても、無神経なあんたは気づかなかったんだろ」
「こ……この」
 須坂くんは絶句してしまった。
「貧血だってさ。寝不足が原因なんじゃないの」
「祐史!」
 調子に乗って言い募る祐史を俺は諌めた。
「祐史、いい加減にしな。俺の前で須坂くんにそういう態度取るなよ。須坂くんは俺の先輩なんだから」
 俺の恋人なんだから。
 口にできない台詞を胸のうちで付け加えて、きっぱり言い切ると祐史は目を丸くした。俺は少し照れ臭くなって、前髪をかき上げるふりで顔を隠した。
「それより先生は?」
「……ちょっと出てくるって。俺がシロちゃんを見てるって言ったから」
 答える祐史の声は低かった。じとっと不審げな目付きで俺を見ている。
「そっか。ありがとう。ごめんな、迷惑かけて」
 俺はベッドを降りた。二人の視線が俺の一挙手一投足を追っている気がして、脱いだスニーカーを履くのに苦労した。
「俺、悪いけど今日はこれで帰るから。美術部のほうは謝っておいて」
「だけど」
 不満そうな祐史を俺は諭した。
「絶対出席って言われてるんだろ。祐史だけでも出なくちゃ」
「でも」
「何の話か後で俺に教えて」
 うまく履けずに紐をほどこうとした俺の手のスニーカーを、脇から須坂くんが取り上げた。黙って、器用な指で紐をほどく。目の前にしゃがんだ須坂くんに「ほら」と促されて、俺は素直に足を入れた。
「車で送ってもらうから。祐史は心配しなくていい」
 スニーカーの紐を結ぶ須坂くんの手元に視線を落としたまま、重ねて言うと、祐史は無言のまま保健室を出て行った。


 部員召集の内容が春の定期展覧会の係分担だったと聞かされて「なんだ」と俺は笑った。
「絶対出席っていうのは一年の祐史だけだったんじゃないのか」
 祐史に呼び出されたのは、夕刻のサークル会館。二階の端にある美術部の部室は、西窓から夕陽が直射して、オレンジ色にカラーリングされていた。祐史のしかめっ面も輪郭が滲んでいる。
「シロちゃんはどうしてあいつと付き合ってんの」
 またその話かよ。いつにない祐史のしつこさには辟易していた。
「俺が誰と付き合ったって、祐史には関係ないだろ」
「関係ある」
 強い口調でたしなめたつもりが、即座に切り返されて、俺は鼻白んだ。俺、祐史より二歳も上なのに。サークルの先輩だっていうのに。もう完全になめられきっている。
「関係あるよ。昨日だって」
 祐史は子供っぽく唇を突き出してみせた。
「今までシロちゃんが俺にあんな、昨日みたいな言い方したことなかった」
 今までは祐史がつまんないこと言い出したりしなかったからだよ。
「シロちゃんらしくないよ。あいつに何か弱みでもあるんじゃないの?」
「……」
 弱みは確かにある。惚れた弱み。
 返す言葉もなく黙り込んだ俺を祐史はやたら真剣な目で覗き込んできた。
「シロちゃんが困ってるなら、俺、助けてやりたいんだ」
 どっちかっていうと、今、俺を困らせているのは祐史自身なんだけどな。
「何も困ってなんかないよ。俺は、自分が好きで須坂くんと付き合ってるんだから」
「なんでだよ。おかしいよ」
「おかしいのはおまえだろ、祐史」
 須坂くんに惹かれる俺の気持ちを、誰にもおかしいなんて言わせたくない。
「俺が誰と付き合おうと祐史には関係ないはずだよ。そんなの気にしてる祐史のほうがおかしいよ」
「な……だって、それは」
「俺と須坂くんのことを、祐史にとやかく言われる筋合いはないから」
 きっぱり言い切って、ドアに向かいかけた俺の背後から祐史が怒鳴った。
「好きだからだよ!」
 背中に叩きつけられた台詞に足が止まった。祐史は強い力で俺の腕をつかんできた。
「俺はシロちゃんが好きなんだよ!」
「ちょ、祐史!」
 強引に抱きしめられて、祐史の言葉を理解するより先に反射的に抗った。
「だから嫌なんだ、シロちゃんがあいつといるの」
「祐史」
 顔の前、交差した腕で押しのけようとしても、祐史はびくともしなかった。抗ううちに体勢を崩して、祐史もろとも床に倒れ込む。痛みで一瞬息ができなくなった。
「ッテー。何すんだよ。やめろったら。祐史」
「好きだ」
 勢いづいたらしい祐史は、俺の両腕をつかんで強引に床に縫い止めた。体格に見合ったバカ力。跳ね返そうと身をよじっても敵わなかった。床を擦る肩やつかまれた手首が痛い。くやしさが溜まっていく。きつく睨みつけた先で、祐史の顔が歪んでいる。こんな奴、俺は知らない。
「好きなんだ。シロちゃん、俺のものになってよ」
 熱を持った下半身を擦り付けられて、腹のあたりで何かがブチッと音を立てて切れた。
「ふ、ざけんなよッ!」
 叫び、祐史の腹を膝で蹴り上げる。容赦のない俺の攻撃にくぐもった声を上げて祐史はうずくまった。俺は身体の向きを変え、祐史の下から這い出した。
 立ち上がって両足を踏ん張り、丸くなってうめいている祐史の背中に罵声を浴びせる。
「てめえ何考えてんだ。ふざけてんじゃねえよ! バカ野郎!」
 動かない祐史を放ったまま、俺は身を翻して部室を飛び出した。ただひたすら腹が立っていた。飼い犬に手を噛まれるってこんな感じなんだろう。自分に懐いてくれていると思っていた後輩が、いきなり歯向かってきたのだ。俺の気持ちを伺いもせず、勝手に意志を通そうとするなんて許せない。


 美術部員で俺と同じ三年の三田がアパートを訪ねてきたのは、祐史の仕打ちから二日後の午後だった。ゼミが休講になって、部屋には須坂くんが来ていた。
「なんかさ、史郎、機嫌悪くない?」
 持参した雑誌を広げた須坂くんは、横顔のまま何気ない様子で口にした。
 祐史に押し倒されるような羽目に陥ったのは、同性の須坂くんと付き合っているからだろうか、などと今さらな疑問が湧いてきて、こっそり彼を観察していたところだったので、俺は少しあせった。
「え? 俺、機嫌悪そうに見える?」
 聞き返した俺に、須坂くんは雑誌から顔を上げて頷いた。
「うん。ふっと見るとさ、歯くいしばってるような顔してるよ、今日」
 小首を傾げた須坂くんの言い方がおかしくて少し笑って答えた。
「そんなことないよ」
「そんなことないか」
 俺の笑みにつられたように須坂くんも唇の端をあげて、それがとても可愛く見えた。須坂くんが手を伸ばしてきて俺の前髪を撫でた時、玄関のチャイムが鳴って三田の声が聞こえた。
 ドアを開けたとたん遠慮なしに上がり込んできた三田は、中にいた須坂くんの姿にひどく驚いた顔をした。須坂くんはポーカーフェイスで、入ってきた三田に「よ」と軽く合図して、読んでいた雑誌に視線を戻した。
「あ、どうも須坂さん」
 頭を下げた三田は、敷居の前につっ立ったままだ。
「何、用事って?」
 俺が訊くと三田は須坂くんをチラッと見て、ためらうような様子を見せた。
「あー、うん。その……また出直して来ようかな」
「俺がいたらまずい話?」
 単刀直入な須坂くんの問いに三田はあせったように顔の前で手を振った。
「いや、そういうわけじゃ」
 須坂くんは身軽に立ち上がった。
「いいよ。俺、もう帰るから。じゃーな、史郎」
 玄関口まで送っていくと、須坂くんは「夜、また来る」と囁いて帰って行った。


「祐史に泣きつかれてさ」
 三田は言った。そんなことだろうと多少は予測していた。だいたい三田がけしかけるような冗談ばかり言っていたから、祐史は自分でもおかしな思い込みをしてしまって、バカな行動に出たんじゃないのか。
「あいつマジ泣きしてたよ。シロちゃんを本気で怒らせたって」
 確かに本気で怒ったはずだったが、三田の口から祐史が泣いていたと伝えられると微妙に笑えてしまう。
「あーあ、祐史も気の毒に」
 唇の端がぴくついた俺の表情に目ざとく気づいて三田が呟いた。
「気の毒なわけないだろ。俺、本気でむかついたよ」
「押し倒されたって?」
「そんなことまで三田に言ったの? 真性のバカだ、あいつは」
 吐き捨てると、三田は大げさに身を竦ませた。
「こえー。本気で怒ってんの、史郎」
「怒らずにいられるはずがないだろ」
「でも史郎、祐史を蹴っ飛ばしたんだろ」
「蹴飛ばすに決まってる」
「祐史も可哀そうに」
 ぼそっと呟かれてむっとした。
「どうしてそういうこと言えるかな。じゃあ三田が押し倒されてみれば」
 俺は二つも年下の一年坊主に押し倒されたんだぞ。
「俺は押し倒されないよ」
 その台詞に含みを感じて、俺は三田を睨んだ。まるで俺にも原因があるような言い方じゃないか。三田はそんな俺をニヤッと見返した後で、とってつけたように神妙な表情を作った。
「海よりも深く反省してます、ごめんなさい」
「祐史がそう言ったの?」
 俺の問いに三田はヘロッと笑って「いや、俺の代弁。だってあいつ泣いてて『どうしよう』しか言えてなかったもん」と答えた。
「つかさ、そんなに怒るなよ、史郎。らしくないから」
「らしいってなんだよ。俺をなんだと思ってるわけ」
 年下の男に押し倒されて、怒らずにいたら男じゃないだろ。
「史郎は史郎だろ。ぽややーんとしてるのが合ってるよ」
 自分こそがぽややーんとした口調で三田が言う。力が抜けた。
「あのさー」
 顔を覆った掌の陰からぼやく俺を、三田はおどけた表情で覗き込んできた。
「祐史もものすごく反省してるしさ、許してやんなよ」
「許すって」
「あいつ、史郎が怖くって学校に来られないらしいよ」
「俺のせいにされても困る」
 そこまで俺が怒るようなことをしたという自覚が祐史にもあるのだろうか。だったら最初からしなきゃいいんだ、バカ。
「祐史はガキだぜ? 史郎が大人になって許してやれって」
「……」
 三田はこうやって何でも冗談にしてしまう。実際のところ祐史が俺に告白したなんて、冗談にしかならない事態なのは確かだった。
「そうだ、スノボに行こう、スノボ。な? 冬になったら行こうって前に言ってたじゃん」
 お気楽な三田の提案に、俺はしぶしぶ頷いた。


「三田は、何の話で来たの?」
 夜になり、約束通りやってきた須坂くんは、三田のことなど気にしてないように見えたのに、夕食に用意しておいたカレーを食べながら、いきなり訊いてきた。その質問が唐突に思えて、俺は多少とまどった。単なる話題のひとつにすぎないのだろうけれど。
「うん、えっと、部活の話」
「部活の何?」
「えっと、今度美術部でスノーボードしに行くことになった」
「はあ?」
 須坂くんはカレーを口に運んでいたスプーンの動きを止めた。意味がわからないという顔をされて妙にあせった。
「いや、あの……全員じゃなくって、何人かで」
「何それ」
 須坂くんはスプーンを先をくわえたまま、じーっと上目遣いに見つめてきた。
「史郎さー、嘘つくの下手なんだからやめたほうがいいよ」
「俺、嘘ついてないよ」
「じゃあ三田はボード行く話を、俺に聞かせたくなかったんだ?」
「話を聞かせたくなかったんじゃなくって、俺の部屋に須坂くんがいたから驚いてただけだよ」
 俺の言い訳に須坂くんは方向転換を図ってきた。
「ボードに行くメンバーって誰?」
 訊かれて俺が少しばかりためらっていると、須坂くんは促すように顎をしゃくってみせた。あんまりいい態度とは言えない。
「三田と祐史」
「他には?」
 つっこまれて黙り込む。須坂くんはむっとした様子で頬を膨らませた。
「なんだよ、それ。どこが美術部だって」
「まだわかんないよ。これから他に行く人増えるかも」
「史郎、おまえさー……」
 呆れたような口調で中途半端に言葉を途切らせ、ガリガリと頭を掻いた後で、須坂くんは顔を上げた。
「俺も行く」
 決意をあらわに断言する。
「え?」
「俺も一緒にボードに行くぞ。決めた」



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