青空のベンチ-1-


 その日取っている最後の授業が終わって、軽音楽部の部室へ向かう途中で呼び止められた。
「臼井くん」
 すれ違いざまに声をかけてきたのは、知らない女の子。大学に入って初めての学祭が終わり、いつの間にか十一月だった。さすがにずいぶん日が短くなって、三限が終わったばかりというのに、すでに太陽は西に傾きかけている。女の子の顔も少しシルエットになっていた。
「今度のライブ、いつ?」
「あ、まだ決まってない」
 オレがベースを担当しているバンド、ジラフのファンらしい。ジラフに入ってから、こんなふうに全然知らないコに声をかけられることが多くなった。そしてオレも適当に相手をすることを覚えた。
「ね、臼井くん、付き合ってる人いるの? よかったら私と付き合わない?」
 通りすがりのこんな告白にも驚かなくなってきたところだ。どちらかといえば可愛い顔。ショートカットでおしゃれな雰囲気。自分に自信があるんだろうなあ。少しだけ意地悪な気分でそう考えた。
「ごめん。オレ、付き合ってる奴いる」
 ジラフのフロントマンでボーカルとギターを担当している小日向との関係はどうやら恋人同士というものらしい。
「そっかー、残念。ライブ楽しみにしてるね」
 あっけらかんと笑って、女の子は去った。すぐにその顔立ちを忘れた。
 あんなコでも交際が破綻すれば泣くだろうか。オレは一週間前に高校時代のガールフレンドを泣かしたばかりだ。高校の後輩だったあゆみには電話で別れ話を持ち出した。もともとオレが大学に入学して一人暮らしを始めてからは地元にいるあゆみとは滅多にデートもできなくなっていた。
「ごめん。オレ、あゆみじゃない奴を好きになった」
 以前あゆみのほうからも、ずっとオレを好きでいる自信がないと言われていたから、少しだけ気楽な気分だった。あゆみには「可愛くない」と言われるような冷静なところがあるから、わかってもらえると楽観していた。
「もちろんあゆみを嫌いになったとかそういうんじゃない。ごめん。距離のせいにするのってずるいかな」
 なかなかあゆみからの言葉がなくて、オレは心配になった。
「聞いてる? あゆみ?」
―…聞いてる
 ようやく聞こえてきたあゆみの声はひどい鼻声で、オレは動揺した。
―ごめん。臼井くん、ごめん
 なぜかあゆみはオレに謝った。言葉の合い間に短い息が洩れる。
「ちょっと、どうしたんだよ」
―…私、バカみたい。ごめん…、今うまく話せないから、後で。…臼井くんの話、わかったから
 あゆみが泣くのは初めてだった。別れ話があゆみにショックを与えたのは確実だった。オレはバカか。自分がどうしようもなく鈍感なのを思い知らされた。簡単な気持ちであゆみに電話をした。
 できればあゆみと別れたくはなかった。オレたちは物事の見方や感じ方が似ていたから。あゆみと別れる原因である、小日向を好きかどうか本当は自信がない。あいつは男だ。オレは小日向の才能に参っていた。最初から小日向の曲や声のファンだった。オレは恋人としてのあゆみと特別な奴としての小日向と両方を手にできるつもりでいた。でもあゆみと付き合っていることが小日向を傷つけた。どちらかを選ばなくてはいけなくなり、オレは小日向を採った。
 それから一週間、あゆみからの連絡はないしオレから電話をすることはもちろんできなかった。あゆみは受験生なのに追い込みの時期になんてことをしてしまったんだろう。今頃になってそんなことに思い至る。小日向を採ると決めたくせに、まだあゆみに執着する自分が情けない。実際はこのところ小日向に振り回され気味で、あゆみに助けを求めたい気分だった。我ながら勝手な人間だ。
 軽音の部室ではジラフのメンバーの高見と奥田がオレを待っていた。小日向は来ていない。まだオレのアパートにいるんだろうか? 学祭のあと付き合い始めてから、小日向は連日オレのアパートに居座っている。オレが大学に来ている間でさえ、オレの部屋で終日過ごしているらしかった。
「臼井、もしかして小日向、臼井のアパートに行ってない?」
 ドラムの奥田に訊かれて、オレは顔をしかめた。
「もしかしなくても来てる」
「あーあ、もう。小日向のお母さんから電話あったんだよ。もうずっと家に帰ってないって。ぼくんちに泊まってるって思い込んでるんだ。『いくらなんでもご迷惑でしょう』って言われたって返す言葉がなかった」
 バンドの練習には、いつも奥田の家を使っていた。オレ以外の三人は中学生からの幼馴染みで、昔からお互いの家に泊まり合ったりしていたらしい。キーボードの高見が呆れたように首を振る。
「あのお袋さんが電話かけてくるってことは、本当にずっと帰ってないんだな、小日向の奴」
 部室には他のバンドの連中もいなかったので気がゆるんで、オレは二人に愚痴りたくなった。
「オレ、正直言ってもう自分の性に自信がなくなってきた」
「おっとー、臼井らしからぬ大胆発言じゃん」
 高見が目を丸くしたので、オレは赤面した。
「まあまあ。臼井もようやくぼくたちになついてくれたってことだよ」
 言いながら奥田がオレの頭をなでる。オレは野生動物か。オレだけが大学に入ってからジラフに参加したので、最初の頃は自分でもサポートメンバーの気分だった。それでも高見たちはオレに曲を作らせてくれ、ボーカルまでとらせてくれた。本音を言えば小日向の向こうを張って歌うことは、オレにはかなり気が重いのだけれど。
「まあなー。本人目の前にして言うのも何だけど、オレは小日向の気持ちはあんまりわかんねえな。臼井だったら、まだ奥田のほうが女っぽいつーか、かわいい顔してる」
「ははは、ありがと。って、嬉しくないけど」
 高見の言葉に奥田が仕方なさそうに笑う。女顔の奥田はオレたちの中でも一番背が高い。もしかしたら一九〇センチあるんじゃないのか。奥田だけじゃなくオレたちはみんな決して華奢とは言えなかった。もしもオレが女の子みたいに華奢だったら、小日向はもう少し優しいのだろうか。優しくしてほしいわけじゃないんだけれど、時々そんなことを考える。本当に小日向は、身長も体型もほとんど大差のないオレなんかをどうして抱く気になれるんだろう。
「正直言って、臼井は小日向のこと、どう思ってるの?」
「わかんねえ」
 オレは力なく首を振った。それが自分でも一番の問題だった。
「オレはもともとあいつのファンっていうか『すごい』と思ってたからさ。特別って思うのは確かだけど。…だっからさあ、オレ、ゲイってこと?」
 ほとんどヤケクソで声をあげた。小日向に抱かれて感じてるオレは同性愛者ってことになるんだろうか。実は一度だけ小日向を抱いたこともある。あんまり小日向が無理をするのでこっちの気持ちも思い知れと考えたわけだけど、怒りにまかせた行為は後から自己嫌悪に陥るのに十分だった。オレが同性愛者だとしたら、それで諦めもつくんだけど。いいも悪いも嗜好なんだから仕方ないって諦めるしかない。でもオレは男と寝るのが好きなのかどうか、自分でわからない。
「おいおい、臼井ー」
 高見が困った顔になる。
「うーん、じゃあさ、他の奴ともできると思う? 例えばオレとか奥田とか?」
 オレは少し考えてみた。高見と寝る? それはちょっと。オレが首を振ると高見がほっとしたように笑った。
「小日向だけなんだろ? じゃ、違うんじゃねえ? 第一、臼井、彼女いただろ。ま、よかったよ。正直なとこ、オレたちともできるって言われたら、マジで怖かったかも」
 実は小日向とも寝たいとは思っていないような気がする。今さらすぎて高見たちにも言えない。小日向はオレに考える時間など与えもしない。発情期かと言いたくなる。
「いいんだけどさ、小日向の奴、オレの言うことまるきり無視すんだよ。『NO』が通じないんだもんな。時々マジで嫌になる」
「小日向ってサドっ気があるんじゃないの? 臼井がいやだって言うから、余計悪ノリするとか」
 奥田の言葉に「そうかもな」と頷く。
「あのワガママ野郎の相手は大変だろうけど、がんばれー」
 無責任に励ます高見にとりあえず苦笑してみせる。高見は少し真面目な表情になって付け加えた。
「でも、そろそろちゃんと練習来いとだけは言っとけよ。小日向の奴、曲も全然作ってないみたいだし」
 その台詞には奥田も同感という様子で頷いている。確かに困ったことだとオレも考えてはいた。

「なんか、緊張してない?」
 その夜。奥田のアドバイスに従って抵抗しない決意をしていた。脱がされるより先に自分から裸になってベッドにもぐり込む。自分では「さあ来い」ってな気分のつもりが、小日向に緊張を指摘されてあせって視線が泳いだ。
「別に」
「ふーん」
 足を持ち上げられる。小日向の指が後ろをまさぐる。思わず出かかった制止の声を、奥田の言葉を思い出してかろうじて飲み込む。
「『やだ』って言わないの?」
 小日向が顔を覗きこんできた。
「いいから、さっさとしろよ」
「なんか、つまんねえ」
 奥田の言葉は正しかったかもしれない。付き合いの長さはだてじゃない。ほっと息をついた心の片隅で少しだけの嫉妬。だが、つまらなそうに唇をとがらせた小日向は、一瞬で何かを思いついた表情になる。オレの頬を細い指でなぞるようにして、卑猥な声音で囁く。
「じゃ、さ。『欲しい』って言ってみて。『入れて』って」
「なんっ! 言えるか、バカ!」
 オレは思わず怒鳴っていた。AVじゃないんだぞ。
「やらないんだったら、やめよう」
 オレが宣言すると、小日向はさらにとんでもないことを言い出した。
「縛っていい?」
「はあ?」
 けげんそうに見上げたオレの目の前で、小日向は部屋の隅に投げ出されていたオレのチノパンからベルトを抜き取った。オレってバカ。なんでそんなもの、小日向の目につくとこに置いてしまったんだろう。
「手首だけ」
「おまえ、ヘンタイ!」
 罵りながら、うまく抵抗できなかった。半分冗談だろうとタカをくくる気持ちもあった。後ろに回された手が、本当にきつく動かせない状態になって初めて本気であせった。
「ちょっ、小日向、悪い冗談やめろよ」
「なんか、そそる眺めだな」
 手が邪魔で、横向きになったオレを、小日向は好きなように弄んだ。
「バカ。いやだって言ってんだろ!」
 オレの言葉なんかまるで気に止める様子もなく、小日向はキスしてきた。そのまま首筋に唇を這わせる。オレは目の前にきた小日向の肩に思い切り噛み付いてやった。
「いてっ!」
 小日向がはじかれたように離れた。痛みにしかめた顔をオレはきつく睨む。
「バカ。早く解けよ」
「やったな、こいつ。お仕置きだ」
 タオルを口に押し込まれた。そのまま小日向の手が強引にオレに触れてくる。こんなのありかよ。オレはマジで震えた。喉の奥からくぐもった声が洩れる。震える足を無理やり小日向と自分の間に引き寄せ、小日向を蹴り上げた。涙がぼろぼろとこぼれた。小日向が「あ」という顔になる。ようやく引き出されたタオルは唾液にまみれていた。低い声で呟く。
「許さねえ」
「臼井…、ごめん、やりすぎた」
 すぐに手のベルトも外されたが、オレの怒りは収まるはずもなかった。
「こんなの、絶対許さねえ。出てけ!」
「ごめん、悪かったって」
 急に腰の低くなった小日向に、服を投げつける。
「早く服着て、帰れ!」
 ジーンズだけを身につけた小日向を、ドアの外に押し出した。
「おまえとはもう二度と口もきかねえ!」
 本当にこれで終わりにするつもりだった。小日向の暴走にはもうついていけない。もともと器用じゃないオレはバンドと勉強だけで手一杯なのに、毎晩のように小日向の相手をさせられて、このところマジでへばりかけていた。欲情するヒマもないほど小日向に振り回され、冗談めかして言った高見たちへの言葉は思いきりの本音だった。オレはこんなことをするより、小日向とバンドの活動だけをしていたいと思った。



 翌朝、新聞を取ろうとしたら間に挟まれた広告が多くて、ドアの内側からは引き抜けなかった。このところ三日に一回はこうだ。舌打ちして表から出そうとドアを開けて、オレは驚いた。部屋の前に小日向が座り込んでいる。
「なっ。何やってんだ、バカ。ずっとここにいたのかよ?」
 オレが追い出してからずっと? 新聞配達の人はどう思っただろう。頭がくらくらした。小日向は情けない顔でオレを見上げる。
「口、きいてくれんの?」
「あ…」
「オレ、ほんとに悪かったよ。ごめんなさい」
 なんでこいつはこう子どもみたいなんだろう。への字に結ばれた唇。眉を寄せて、前髪の間から許しを乞うように見上げてくる表情に、あっさり口元が緩んでしてしまった。オレの苦笑を見ると小日向は「許してくれる?」と上体を折り曲げて下から顔を覗き込んできた。ずるい奴。そう思いながらもオレは結局小日向を許してしまう。
 そんなことばかりをくり返して、小日向はバンドの練習にもほとんど来なかった。さすがに高見と奥田が苛立ってきていた。オレは自分が原因のようで居たたまれなさを味わった。夜は小日向のせいであまり眠れず、昼休みに軽音楽部の部室で昼寝をするのが習慣になった。そしてある日思い切り寝過ごした。はっと目を覚ますと部室の中に高見と奥田がいて、オレはひどくきまりが悪かった。二人が入って来たことにも気づかず眠り込んでいたのか。
「臼井、大丈夫?」
 心配そうに声をかけられて赤面した。ただ寝過ごしただけなのに。誤魔化すように時間を訊く。
「今、何時?」
「三限始まってるよ」
「しまった。ごめん、部室の鍵しめといて」
 軽音楽部では、ロッカー室のロッカーの一つを部室の鍵置き場にしていて、使いたい奴が開けたら締めて戻して帰ることになっている。オレは奥田に鍵を頼んで、大慌てで授業に向かった。最近遅刻ばっかりだ。講師に睨まれてコソコソと一番奥に座った。三限の後は続けて四限の授業に出て、帰りがけに一応覗いた軽音の部室に高見たちがいた。
「あのヤロー、ふざけやがって!」
 ひどくエキサイトした声で高見が怒鳴っている。オレはびっくりして部室に入った。
「まだいたんだ?」
 高見は何をそんなに怒っているのだろうと思ったが、奥田のほうがもっと怒っているようだった。普段からは想像もつかない表情。静かな怒りという言葉が思わず浮かんだ。
「臼井。もう小日向なんかやめちゃえ!」
 オレの顔を見て高見が叫ぶ。どうやら二人は小日向と何かあったらしい。小日向はようやく出てきたのだろうか。
「小日向、ここに来たの?」
「来るもんか、あンの野郎!」
「臼井、ほんとにもう小日向のこと甘やかしちゃダメだよ」
 低い低い声で、奥田が呟く。オレに向かってというよりは何か見えないものに語りかけるような雰囲気。ちょっとぞっとした。何がなんだかわからない。どうして突然二人が怒っているのか。ただバンドの危機という言葉が頭で点滅する。高見たちはオレが授業に出ている間に小日向に会いに行ったのだろうか。
 エキサイトしている高見にも静かに怒りをたぎらせている奥田にも事情を訊ける雰囲気じゃなくて、オレは小日向に訊こうとアパートに帰った。そして、オレの質問を小日向ははぐらかした。バンドの話だというのにオレと話す気もないらしいとわかって、オレは絶望した。オレが入ったからジラフが壊れる。そう感じた。オレの大好きだったバンドを、オレが壊すのか。
 激昂して小日向を突き飛ばし、アパートを飛び出した。自分の部屋を飛び出したら行くところがなかった。あてもなく駅前まで歩いて奥田に電話をかけると、家に来いと言ってくれた。迎えに来てくれた奥田の車には、助手席に高見が乗っていた。
「オレ…、ごめん」
 二人に何を言っていいかわからなかった。
「なんで臼井が謝るの?」
 奥田が驚いたように言う。オレは泣きそうだった。
「わかんないけど。三人がケンカしたのって、オレのせいだろう?」
「ちがうよ、バカ。小日向のバカが悪いんだろ」
 高見が後ろを振り返って、オレの情けない表情を見て、元気づけるようにわざと乱暴な口をきく。
「あの野郎、曲は作らねえ、練習には出て来ねえで勝手なことばっか言いやがって」
「だから、それってオレのせい」
「臼井のせいじゃないだろ。小日向が臼井に夢中なのはわかるけど、それはおまえの責任じゃない。そのくらいわかってるよ」
「もともと小日向はワガママなんだよ。それをぼくらも助長しすぎた。あいつが反省しない限り、ジラフは活動休止だよ。もっとも今も休止中みたいなもんか」
 自嘲気味に奥田が付け加える。二人がオレに気を使ってくれる分、情けなさが募った。オレはジラフを抜けるべきなんだろうか。それはいやだった。オレはどうしても二人にその言葉を告げられなかった。この場所を手放せない。オレはエゴイストだ。高見も奥田も何も言わないのをいいことに、オレは二人に甘えた。本当はオレが抜けて元のジラフに戻るのが一番いいのかもしれない。奥田の家に泊めてもらった二日間、幾度となくその考えが頭に浮かんだ。それでも口にするのが怖かった。
 土曜日には早くから高見が来ていた。週末はジラフの練習日だから小日向が来るかと期待しているのがわかった。口でどんなことを言ってもジラフは小日向がいなくてはやっていけない。それが高見にも奥田にもオレにもよくわかっていた。
「これで来なかったら、本当に終わりだな」
「そしたら三人でやろう。臼井がボーカルで。ギターは一応探すか」
 朝のうちは冗談めかしてそんなことを口にする余裕もあったが、お昼を過ぎるとさすがに不安になった。まさか本当に小日向は来ないつもりなのか。
「大丈夫だよ、臼井。オレらはもう何回もケンカして絶交したりしてるんだから。このくらいなんてことないんだ」
 高見にそんなふうに慰められているところに、ようやく小日向がやって来たときには、ほっとして涙が出そうになった。このやろう、心配させやがって。こっちの気持ちなんかおかまいなしにヘラヘラと謝る。「くそガキ」と思いながらそれでもオレはほっとして笑ってしまった。
 小日向は新しい曲を作ってきたと言った。ギターを抱えて歌い出す。それは珍しくラブソングで、聴きながらオレはあらためて小日向が好きだと思った。その「好き」の種類はよくわからないけれど。こいつはやっぱりすごい。高見と奥田を見て頷き合った。
 甘い甘いラブソングにちょっとうっとりした気分で聞き惚れていると、サビの部分で度肝を抜かれた。オレの名前! 小日向はラブソングにオレの名前を入れてきやがった。オレは大慌てで小日向を制止した。羞恥で顔から火が出そうだ。なんて奴!「そんな曲ダメだ」とわめくオレに、高見たちがとりなして、オレの名前だけをけずることになった。
 ところが、それからのライブでこの曲をやる時、小日向は時々そのままオレの名前を歌い、あろうことか頬にキスまでしたりする。どういうわけかそれが女の子たちに大ウケだった。ライブでは、客のなかにはステージによじのぼってきて小日向にキスしていく男もいたりするから、オレもなんとか平静を保っていられるんだが。

 やがて冬になる頃には小日向も落ち着いてきたようだった。冬休みにオレは帰省した。あゆみに泣かれるまで、オレは帰省したらあゆみを合格祈願の初詣にでも誘うつもりでいた。あゆみと簡単に「友だち」関係を作る気だった。今さらながら自分の無神経さに腹が立った。どうしているだろうと気になっても電話することもできない。こういうところが小日向を傷つけたんだなと反省せずにはいられない。
 帰省中は地元で一緒に遊ぶ相手もいなかったので家でゴロゴロして過ごした。少しだけ小日向のいないことが淋しかった。することもなく一日中テレビばかりを見ていた。正月のバラエティ番組にも食傷して、姉が録画していたフランス映画のシリーズを観ていると、その中の一つに小日向が好きだと言った女優が主演していた。
「なあ。オレ、この女優に似てる?」
 一緒に観始めた姉に言ってみると、姉は大袈裟に吹き出した。
「何それー?」
 無遠慮に笑われて恥かしくなった。
「うっさいな。似てるって言われたことあんだよ」
「全人類を三種類くらいに分けたとしたら、同じグループに入るかもね」
 やっぱり小日向の目はおかしい。その映画は、女優の演じている役柄も作品の雰囲気も全然違っていて小日向と行った映画ほど面白いとは思えなかった。
 その冬は高校の時いつもつるんでいた佐竹が帰省しているのかどうかも確めなかった。進路を決める時に一緒にミュージシャンを目指そうという誘いを断ったから、あいつもオレのことを怒っているだろうと思った。オレってほんと情けない。ジラフに入ったばかりの頃、いつも前のバンド、佐竹とやっていたフランケンシュタインと比較ばかりしていた。その頃のオレにはジラフよりもフランケンシュタインのほうが近かった。いつのまにかオレの居場所はジラフになっていたんだなと思う。小日向の隣。会わないほうがあいつを好きだと実感できる気がした。



NEXT





fantasia
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送