夏の地図-1-


 三限目の空き時間に、空き始めた学生食堂のテーブルで英語の予習をしていると、にぎやかな声が聞こえてきた。見覚えのある三人組が入ってきて、入り口すぐのロビーに陣取るのを、遠くから眺めた。すぐに隣にある生協の売店から女の子たちが駆け寄って行くのが見えた。じゃれ合うように短い言葉を交わして、彼女たちは去った。多分あいつらのファン。
 うちの大学の軽音楽部はそれなりに大所帯で、いくつものバンドが所属していたが、まだ一年生なのに彼らは学内ですでに人気があった。
 ジラフというバンド名は、三人を見るとなんとなく納得できた。三人が三人ともひょろっと細長くて、まさにキリンを連想させる。ま、オレも似たり寄ったりの体型だけど。
 口角泡を飛ばしているのは、主に小日向尚人だ。ボーカルとギターを担当していて、作詞・作曲も彼の仕事。ジラフは小日向のバンドだった。
 大学に入ったばかりでまだ新しい友人もできず、毎日がぼんやりと過ぎていくだけのある日、オレは掲示板で、軽音楽部の新歓ライブの告知を見てひどく驚いた。出演バンドにジラフとあったからだ。それは、去年の夏オレに鮮やかな印象を残したバンドの名前だった。
 高校時代にはオレもバンドでベースを弾いていた。オレの地元はかなりの田舎で、バンドといっても高校の文化祭で演奏したり、近所の公民館で知り合いを集めてライブの真似事をしていた程度だった。洋楽のコピーしかやらなかったが、ボーカルの佐竹は確かに歌がうまく、おまけにルックスがよかったので、それなりに人気はあった。三年生の夏、オレたちは県が主催するロックフェスティバルに出場した。それは、この大学のある市で行われ、参加バンドのほとんどがこの近隣からの出場だった。
 そしてその中にジラフがいた。それはまさに衝撃だった。ああ、こんな奴らもいるんだ、と思った。オリジナルの曲。観客を煽る小日向というフロントマンの圧倒的な魅力。ひどく楽しげに歌い、ギターを弾く。張り上げた声が調子を外しても平気で笑う、その自由さに目を奪われた。
 ゴールデン・ウィーク明け、講義室の一つを会場にした新歓ライブにオレは足を運んだ。ジラフは入学前から軽音楽部につながりがあったらしく、その日のライブでは唯一の一年生バンドだった。そしてオレはあらためて才能ということを考えさせられた。
 あいつらは三人揃ってこの大学に入ったんだなと思う。
 オレたちのバンドは、卒業後の進路がバラバラで、活動を続けていけなかった。
 受験生だったオレたちは、夏のフェスティバルを最後の記念に勉強に専念しようと決めていた。ところがボーカルの佐竹だけは、夏休みが終ったころ、進学を止めると言い出して、連日、先生に呼び出された。佐竹は、二人で上京してミュージシャンを目指そうとオレを誘ったが、オレにはそんな自信はなかった。洋楽のコピーしかやったことがなく、オリジナルの一つも持たない自分たちが、どこまでやれるのか、どうしても不安がぬぐえなかった。多分その原因の何パーセントかは、ジラフにあった。才能があるって、ああいうことなんだ。オレはどうしても佐竹に頷けなかった。
 結局佐竹は先生たちの説得に負けた形で受けた大学に合格して関西に行ってしまった。

 引きかけの英和辞典を押さえたまま、ぼんやりしていたオレは、喉の渇きを覚えて立ち上がった。入り口の自動販売機でジュースを買おうと歩いていくと、小日向は映画の話をしているらしかった。昨夜のTVで放送した深夜映画にいたく感動したらしい。夢中で話している口調に、思わずクスリと笑いそうになった。ライブでのカッコよさと対照的に、普段の小日向には子どもっぽさが多分にあって、口をきいたことすらないオレでさえ、ついからかいたくなる感じだった。
 笑わずにこらえたはずなのに、彼らの脇を通り過ぎる時、三人がぴたりと話をやめてこちらを見るのを感じた。不思議に思いながらも、アイスコーヒーを買って、自分の席に戻った。
 少し経って、三人がオレのテーブルにやってきた。
「あの…、臼井くんだよね?」
 キーボードの高見が声をかけてきた。名前を知られていることにかなり驚いた。問いかけるように長身の三人を見上げる。
「そうだけど?」
「話があるんだけど、今、時間もらえるかな?」
「どうぞ」と答えると、彼らは向かいに座った。三人に囲まれて、正直に言えば少しびびった。オレ、何かマズイこと、しただろうか?
「オレたち、バンドやってるんだ」
 そう切り出されて、即座に「知ってる」と返した。「ファンなんだ」などとは言えなかったけれど。
「ジラフだろ?」
「そう。えっと、臼井くん、フランケンシュタインはもう活動してないの?」
 昔のバンドの名前を出されて、オレはちょっと呆気にとられた。どうして高見が知ってるんだ?
「してない。高校卒業したら、みんなバラバラになって、バンドどころじゃないんだ」
 あんたたちとは違うんだ。ついひがみっぽい考えが頭に浮かぶ。
「あの、よかったら、臼井くん、うちのバンドに入ってくれないかな?」
 一瞬何を言われたのかわからなかった。
「去年の夏のフェスティバル、一緒だったよね」
 ドラマーの奥田に確認され、頷く。まさかオレたちのことをこいつらが認識していたとは思わなかった。
「あんなに弾けるのに、やめちゃうの、もったいないよ。同じ大学に入ったの、縁だと思ってさ、ぼくらとやらない?」
「小日向くんもそれでいいわけ?」
 先刻から気になっていたのだが、小日向はこのテーブルに座ってからずっとそっぽを向いていて、一度もオレの方を見ない。彼はオレの参加に不満なんじゃないのか。
「小日向っ!」
 オレの視線をたどり小日向の様子を見て、高見は咎めるような声を出した。
「おまえ、ちゃんと自分の口から頼めよ」
 高見の手でぐいっとこちらに顔を向けられた小日向は、驚いたようにまばたきした。またすぐに横を向いてしまう。
「オレはただ…、臼井があんだけ弾けるのに、やめちゃったらもったいないと思って。それにジラフだって、ベースが入ればもっとよくなると思うし」
 横顔のままボソボソと早口に呟く。奥田がぷっと吹き出し、高見はため息をついた。
「ったく。とにかく臼井くんに入ってほしいっていうのは、小日向が言い出したことなんだ。引き受けてもらえないだろうか?」
 オレにとっては、片思いの相手に告白されたようなものだ。嬉しい反面、自分が相手に相応しいかどうかが、まず気になる。
「オレなんかで、いいのかなあ?」
 あやふやに呟くと、小日向がびっくりしたような顔でオレを覗き込んだ。
「臼井じゃなくっちゃ、ダメなんだよ」
 ひどく真剣な口調で言って、小日向は真っ赤になった。


 小日向の意外な言葉にほだされたわけでもなかったが、オレはジラフに入ることを承諾した。今度の週末に家にベースを取りに帰ることにして、オレはガールフレンドのあゆみに電話をかけた。高校の後輩であるあゆみとは、オレが大学に入学して一人暮らしを始めてから、デートもままならない距離にある。それだけに帰省するときには必ず連絡するようにしていた。
―臼井くん、またバンド始めたの?
「なんかそういうことになった」
―そういえば貴ちゃんも、学校の軽音に入ったんだって
 あゆみは、フランケンシュタインのキーボードだった貴子と幼馴染みで、子どもの頃は同じピアノ教室にも通っていたらしい。やたら正確だった貴子の演奏。どこまでもリズムをくずさない弾き方に、時々佐竹が苛立っていたことを思い出す。どちらも自分が正しいと主張して譲らなかった。バンドをやめたのは、受験だけが原因ではなかったと今になって思い返す。
―じゃあ、もう佐竹くんとは一緒にやらないんだね
「やれないだろ。あいつは関西なんだから」
―そうか。少し残念。二人でやってるとこ、すごくかっこよかったのに。エリカさんもそう言ってた。この間、偶然会って、お茶したんだ
 エリカさんは、佐竹の高二のときの彼女だ。佐竹はすごくモテたので、高校時代、オレの知ってるだけで四人の女の子と付き合っていた。オレは最初あゆみも他の女の子たちのように佐竹が目当てでやって来るのだと思っていた。きっかけなんて忘れてしまった。あゆみと付き合い出した当時、オレは周りのやつらに「よくあんな可愛くないのと付き合えるな」と言われた。なまじ顔立ちが可愛いだけに、あゆみの言葉は必要以上に辛辣に響くらしかった。けれどオレにはあゆみの考えていることがよくわかる気がした。陳腐な言い方をすればオレたちは感性が似ていた。


 ジラフに入ったオレは、そのまま大学の軽音楽部にも入部した。軽音楽部は、部といっても、それぞれのバンドの連絡協議会のような役割を果たしているらしかった。大学での定期的なライブと、他大学のバンドとの交流が主な活動だった。コンパと称した飲み会が、驚くほど何度もあった。
 入部して初めてのコンパで、オレは小日向の隣に座った。だが小日向はオレとは一言もしゃべらず、反対側の滝口先輩とだけ話していた。こういう時、オレは小日向に嫌われているのかもしれないと思う。同じバンドのメンバーになったというのに、オレはまだ小日向とまともに言葉をかわしたことがなかった。
 いきなり膝に手を置かれて、びっくりして右隣に目を向けると、小日向はこちらなど見てもいず、先輩との話に夢中だった。無意識の手の置き場ってわけか。オレは肩をすくめた。熱弁をふるいながら小日向の手はオレの右膝どころか、左膝も抱き寄せる。太腿の内側をなでられたときにはさすがにギョッとしたけれど、小日向は自分が何をしているのか、ぜんぜん気づいていないらしい。オレは咳払いしてビールのグラスを口にした。向かいの奥田がクスクス笑っていた。
「これって、小日向の癖?」
 オレが問うと「さあ」と首をかしげて笑い続けている。やがて小日向はオレを飛び越えて、高見と話し出した。今度はオレの肩を抱きやがる。そのくせオレのことは一度も見ない。オレは透明人間か。
「ちょっと」
 さすがに腹に据えかねる気がして、小声で注意したが、一向に気づかないらしい。自分の話にしか興味がないのか。こちらはつばが飛んできそうで気が気ではない。もう小日向の隣にだけは座らないぞ。いいように触られながら、オレは固く決意していた。
 ところが、どういうわけかオレの席は小日向の隣と決められてしまったようだった。飲み会でもミーティングでも小日向は強引に隣に割り込んでくる。遅れていって離れた席に着こうとすれば、他のやつらから「こっち、こっち」と小日向の隣に手招きされた。そのたびにオレは苦々しい思いでオレをおもちゃにする小日向の手に耐えた。おそらく高見と奥田はオレを人身御供にしているのだ。


 ジラフの曲を覚えていくにつれて、メンバーとも少しずつ馴染んできた。ただし高見と奥田との話。小日向とはなかなか打ち解けられなかった。というより小日向がオレに打ち解けない。あれだけオレのことをいいように触りまくっていながら、話す時にはまともに視線を合わせない。敬語混じりの奇妙な言葉使い。人見知りをするんだろうとは思うけれど、他の連中には無邪気なくらいに自分の言いたいことだけをまくしたてているのを見れば、早くオレにも馴れてほしいと願う。例えば高見や軽音の先輩の滝口さんを相手にしている時などの小日向は、まるきり中学生のようで、見ていて面白い。そういう時、思わずクスクス笑ってしまうオレを、小日向は驚いた表情で伺い、すばやく視線をそらす。そんなことのくり返し。
 そんなある夜、オレのアパートを小日向が訪ねてきた。例年より梅雨明けが遅く、七月の半ばをすぎても雨ばかりで寒いくらいの日が続いていた。空耳かと思うようなノックが何度かくり返され、オレは台所に出て行ってドアの内側から「どなたですか?」と声をかけた。
「小日向です」
「どうしたんだよ?」
 オレはびっくりしてドアを開けた。小日向がオレのアパートに来るのは初めてだった。何より小日向がオレのアパートを知っていたことが驚きだった。外階段からの頼りない光に照らされた小日向は、夜の雨に濡れて、寒そうに身を縮めている。
「あのさ、あがっても、いい…ですか?」
 相変わらずぎこちないしゃべり方だ。
「どうぞ」
 オレが答えると、小日向はおずおずとした様子で靴を脱いだ。本当に不器用な子どもみたいだ。
「何か用?」
「あの、用って、いうか…、ちょっと言いたいことがあって」
「うん?」
 オレが促すと、小日向はもじもじと言いよどんだ。
「あのさ、多分もうわかってると思うんだよね」
「何が?」
「いや、ほら、オレもずいぶん意思表示してきたわけだし」
 要領をえない言葉ばかりを並べられて、少し苛々してきた。
「…悪いんだけど、何を言ってるのか、ちょっとわからないんだけど」
「あ? あ、そう? わかんない? おかしいなあ」
 小日向は不思議そうにオレを見て、首をかしげてみせた。オレは黙って肩をすくめる。
「あの、ですね。ボク、その、臼井くんのことが、その、好きなんだけど」
「へえ」
 それはとても意外な告白だった。思わず口元がほころんだ。
「嬉しいな。オレのこと一応認識してくれてはいたんだ?」
 からかうように問い返すと、小日向は生真面目な口調で言い募る。
「や、あの、一応認識とかじゃなくってね、オレ、かなり臼井が好きなんだ」
「はあ。それはあの、どうもありがとう」
 小日向が何のためにそんなことを言い出したのかわからず、何と応えたらいいのか見当もつかないので、とりあえずお礼を言ってみた。
「それで、その、オレ、そろそろ口ばっかりじゃなくって、行動に出なくちゃと思ってさ」
 口ばっかりって、今初めて言われたばかりなんだけどな。オレはおかしくなってきた。ほんとに小日向は変わっている。俯いて肩を震わせていると、小日向が抱きついてきた。え? びっくりして斜めに見上げると至近距離の小日向がさらに驚くべきことを言った。
「キス、してもいい…ですか?」
「えええっ?」
 ちょっと待て。好きってどういう好きなんだ? 男同士でキスするのか? オレはあせって小日向の顔を見上げた。
「ダメ…かな?」
 湿っぽい髪の間から泣きそうな目で訊かれると返事に困る。オレはため息をついて頷いた。
「いいよ」
 最初はおそるおそるといった感じで唇を押し付けられた。徐々に口を開けさせられ、舌が侵入してくる。おい、ここまでするのか。思わず後ずさったので流しのところに押さえ込まれた恰好になる。半端な姿勢で流しの角にあたっている太腿が痛くなってきた。下半身までぐいぐいと押し付けられた。足の間に小日向の右足が入っていて、かなりやばい。こいつ、興奮してるんじゃないのか。ようやく唇が解放されたと思ったら、小日向の唇は首筋を這い出した。
「ちょ、ちょっと待って。向こうの部屋に行こう」
 このままここで続けられたらたまらないと思って提案すると、小日向は手放しで嬉しそうな顔になり、オレを抱きしめたまま隣の部屋に移動した。まるでダンスでも踊っているみたいだ。
 ベッドの上に横たえられ、オレは覚悟を決めなければならなかった。小日向の、しゃべりよりは格段に器用な指がオレのシャツのボタンを外す。すうっと脇腹をなでられただけで、オレも少し興奮してきた。小日向が服を脱いでいる間に、オレは自分からジーンズを脱いだ。なんかすごいことになってるな。どういう成り行きなんだろうかと疑問を挟む余地もないくらい、小日向はオレの上にめったやたらとキスを降らす。小日向の手が直に足に触れてドキドキした。


 翌朝、目を覚ますと、小日向はオレの頬にキスするように唇を寄せたまま眠り込んでいた。そうっと身体に回された腕を外す。
 今日は奥田の家で練習をすることになっている。ジラフの練習は、奥田の家が自動車の整備工場をやっているので、土日にそのガレージを使うことが多かった。
 オレはとりあえずシャワーを浴びながら、小日向を起こすべきか考えた。二人揃って練習に行くのは、さすがに気恥かしかった。悩んだ末、鍵の処理をメモに残して小日向を起こさないように静かにアパートを出た。
 奥田の家には、まだ高見は来ていなかった。
「時間守るのって、臼井だけだよね」
 奥田はオレの顔を見て笑った。
「ぼくもあんまり守んないけどさ。小日向と高見はひどすぎるよ」
 ガレージで二人の来るのを待った。奥田がドラムを軽く叩き出したので、オレもベースの用意を始めた。
「臼井、シャツ、まずいよ」
 ストラップの位置を調節していると、ふと音を止めて奥田が指摘してきた。
「キスマーク、見えてる」
 オレは慌てて衿を押さえた。小日向の奴!
 昨夜は身体中にキスされた。ああいうの、男同士でセックスしたことになるんだろうか。オレにはよくわからない。触れ合った下半身に嫌悪感はなかった。オレは異常なのかもしれない。
「おー、相変わらず臼井は清潔感があるなあ。この暑いのに、きっちり衿をとめて涼しげだもんな」
 遅れてやってきた高見が知らずに大声をあげたので、奥田が吹き出し、オレはますます赤面した。そこへ最後に小日向が入ってきたので、思わず睨んでしまった。小日向は近づいてきて、オレの耳元に唇を押し付けるようにして、
「どうして先に来ちゃうんだよ」
 と拗ねるように囁いた。オレはあせったが、高見も奥田も平然とした顔をしている。小日向だからなあ。何をやってもおかしくないと思われている相手に、オレは少し安堵した。
 二時すぎまで練習して、近くのファミリーレストランで、昼食なのかおやつなのかわからない食事をとっている時に、ふと思いついたように奥田がオレを見た。
「今度、臼井も曲作ってきてよ」
「え? オレの曲なんかいらないだろ」
 とまどって答えると、高見が重ねて言った。
「いる。小日向は気まぐれだからな。オレたちも、もうちょっとレパートリー増やしたほうがいいんだよ」
「オレ、曲なんか作ったことないよ。それにオレの曲なんかやったら、ジラフじゃなくなっちゃうよ」
「何言ってんだよ。臼井はジラフのメンバーだろ」
 高見が怒ったように言い、奥田は肩をすくめて提案した。
「わかった。じゃあとりあえず、臼井だけじゃなくって、来週は、みんなで新しい曲を持ち寄ることにしようよ」
「臼井、これから映画、行かない?」
 あいかわらず人の話を聞いてないような調子で、小日向が話題を変えた。
「こないだ見た映画なんだけどさ、すげーよかったんだよね。きっと臼井も気に入ると思うんだ」
「小日向が映画に行こうって。かなりオススメらしいよ」
 オレが高見たちに話をふると、途端に小日向はムッとしたような不機嫌な顔になった。高見と奥田は顔を見合わせ、笑いをこらえる表情で言った。
「オレたちはいいよ、なあ?」
「そうそう。ちょっと用事があるからさ。二人で観てくればいいじゃん」
 オレは腑に落ちなかったが、「用がある」と言われれば強いて誘うこともできず「ふーん」と頷いた。
 映画はフランス映画だった。小日向とフランス映画という取り合わせのミスマッチには笑ったが、たしかになかなかいい映画だった。映画の後、夕食を食べながらチラシを眺めて、小日向は言った。
「オレ、この女優好きなんだ」
「ふーん」
「臼井に似てる」
「似てないだろう?」
 どういう目をしているんだと呆れた。
「似てるって。オレ、ポスター見て、臼井に似てたからこの映画観たんだもん」
「フランス映画が好きなわけじゃないの?」
「んなわけないじゃん。初めてだよ、こんな映画観たの。意外と気に入った」
 本当はカンフー映画が好きなのだと白状した。そのほうが小日向らしくて、オレは笑った。ようやくまともに話を交わせるようになった気がして嬉しかった。


 翌週の練習には、珍しく小日向と高見が先に来ていた。
「こいつら、昨夜っからいるんだよ。酔っ払って押しかけてきやがって」
 奥田に言われて、オレは「そう」と頷いた。こういう時、少し疎外感を覚える。
「臼井、曲、作ってきた?」
 言われて楽譜を差し出すと、高見が「ちょっと歌ってみてよ」と言う。曲を作ったのは初めてで、気恥ずかしさを感じながら、小さな声でとりあえず歌った。
「やっぱ、臼井、できるじゃん」
 奥田が嬉しそうに笑う。まだぎこちない伴奏に合わせて、小日向が歌い出すと、すぐに高見が制止した。
「この曲、小日向の声じゃ、だめだよ」
 その言葉にオレは少し落ち込んだ。やっぱりオレはジラフがわかってない。小日向に合わない曲を作ってどうするんだ。
「これは臼井が歌いなよ」
 あっさり奥田に言われて慌てた。
「うた…歌えないよ!」
 ジラフのボーカルは小日向だ。
「なんで? 臼井、歌、うまいよ」
「これはボツにしよう? 高見たちの曲をやろうよ」
「ないよ、そんなの」
 奥田がしれっと言って、高見が付け加える。
「オレら、曲作れないんだよねー。創造性がなくってさ。アレンジ専門なの」
「…」
 結局その日は、オレの作った曲を練習した。高見がアレンジを加え、それらしくなっていったけれど、それでもどうしてもオレにはそれがジラフの曲とは思えなかった。


 夏休みに入ってすぐ、ジラフがよく演奏させてもらっている市内のライブハウスの企画で、大学生バンド特集というイベントがあった。うちの大学では、滝口さんのバンドとジラフが出演した。二日連続のそのイベントはかなりの盛況で、気をよくしたオレたちは、そのまま打ち上げにくり出した。
 そこでは唯一の女の子バンドの座る席を巡って、男たちの間で密かに熾烈な争いが繰り広げられたが、牽制し合う男たちの間をぬって、ボーカルのミサオちゃんがさっさと小日向の隣に座ってしまった。ハニームーンというそのバンドは、隣町にある女子大の三年生たちがやっていたが、ミサオちゃんはどうみても年上には思えなかった。可愛らしい声で赤裸々な歌詞を歌い、女の子たちの間でも人気があるようだった。
 ミサオちゃんは小日向をいたく気に入ったようだった。
「小日向くんって、いいよね。私、大好き。ねえ、付き合わない?」
 ミサオちゃんが言うと小日向は大真面目な顔で首を振った。
「いや、それがさあ。オレも大好きな奴がいるんだよね。もう結婚決めてるんだ。っていうか、結婚しちゃったようなもんなんだけど」
「うわ、ヒドイ。いきなり振られちゃった。しかものろけてる!」
 ミサオちゃんは声をあげた。
「や、参っちゃうね。すげー照れる」
 言いながら小日向は隣に座っているオレの髪をくしゃくしゃと掻き回した。オレはあんまり面白くなかった。小日向の奴、オレにはあんなことをしているくせに結婚を決めてるコがいるだと? 内心むかむかしているオレのことなどまるで目に入っていない様子で、小日向は肩を抱いたり足をなでたり忙しい。
「すごい恰好ね」
 向かいに座っている由美子さんが笑った。オレは黙って肩を竦める。隣の高見が代わりに答えた。
「小日向は猿だもん。じゃなきゃ赤ん坊。何かにしがみついてないと不安なんだよ」
「臼井くんて、無口だよね」
 ミサオちゃんとちがって由美子さんはそれなりに年上に見える。二歳どころかもっと上にも思えた。老けているというんじゃなくて年齢不詳の色っぽさがあった。その由美子さんに無口と言われて「そんなこともないと思うけど」とオレは首をかしげた。
「まあ、ジラフのメンバーってみんな無口に見えるけど。小日向くん以外はね」
 由美子さんの言葉にオレたちは笑った。
「小日向がしゃべるから、口挟めないだけだよ。あいつの場合は言いたいことが頭の中巡っちゃって、言葉が追いつかないんじゃないの。あれもこれも一度に言おうとするからこんがらかるし。何言ってるかわからないでしょ。饒舌な口下手ってやつ?」
 高見が言うと由美子さんは「言えてる」と手を叩いた。二人とも小日向が今ここにいないみたいな話振りだ。もっとも小日向がここにいないというのは正しい。目の前で話題になっているというのに、まるで気づきもせず他の奴としゃべっているのだから。
「あれで、あんな詞が書けるんだからすごいよね。普段しゃべってる言葉からは想像つかないくらい共感できるじゃない」
「女の人でも共感する?」
「するわよー。っていうか小日向くんの詞って、女のほうがよくわかってあげられる気がするけど?」
「ええ? 小日向の詞ってまさに男の生理って思うんだけど」
「何言ってんの、そんなの幻想よ」
「ま、あいつはすごいよね」
「猿だけどね」
 奥田が付け加えて、オレたちはくくくと笑った。
「臼井くんは彼女いるの?」
 突然の質問に面食らう。とっさに答えられないところを横から高見が訊き返す。
「由美子さん、なんで臼井ばっかり気にするの? こういうの、タイプ?」
「何考えてるかわからないから気になるの。私の好みを言うなら高見くんよ」
 軽くウインクされて、高見は他愛なく喜んだ。
「やった。ラッキー」
「で、臼井くん、彼女は?」
「いますよ」
 オレは素直に頷いた。別に大声で触れ回ることではないが、隠すことでもない。
「意外な気もするし、やっぱりという気もするし、微妙な感じね。どんなコ?」
「高校の後輩です。今はなかなか会えないけど」
 高見と奥田が顔を見合わせるのが視界の隅に入った。



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