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勝算-1-



 嫌な予感はしていたのだ。
 誰だ、カラオケボックスまで歩こうなんて、言い出した奴。
 酔っ払いが二十人以上で大行進すれば目立つに決まっている。居酒屋からカラオケボックスまではそれなりの距離があるし、何より途中には杉本さんの会社があるのだ。だが、だからと言って休日に彼が会社にいるはずはなかった。「偶然会ったらどうしよう」などと悩むのは、逆になんだか期待しているような感じさえした。
「あれ、君島」
 ああ、どういうタイミングなんだ、これは。
 ぼくは右腕に尚美ちゃんをくっつけたまま、固まってしまった。
 それは、高校のクラス会で、二次会への移動中の出来事だった。
 杉本さんの会社に差しかかった、ちょうどその時、前方のエントランスからまさかのタイミングで、数人の同僚らしき人たちと一緒に杉本さんが姿を現したのだ。ハイテンションの酔っ払い集団に道をふさがれて、エントランスを出たところで立ち止まった。前を行く何人かを見送って、こちらに目を向けた杉本さんとぼくの目がばっちりと合った。
 ぼくの名を呼んだ彼の視線がゆっくりと、隣の尚美ちゃんに移る。
「杉本さん」
「いやーん、かっこいい。誰?」
 呆然と呟くぼくの隣で、へべれけの尚美ちゃんが、無遠慮に嬌声を上げた。
「あ、あの、ちょっと…仕事の知り合い」
 ぼくは慌てて、彼女を引き剥がしにかかったが、うっかりその豊かな胸に指が触れて、どぎまぎした。尚美ちゃんは「やだーん」と甘えた声を出し、ぼくの腕から離れないまま、杉本さんに笑いかけた。
「初めましてえ。私、君島くんの彼女でーす」
 ぼくはぎょっとして尚美ちゃんに目をやった。
 クラス会の席で、たまたま近くに坐った尚美ちゃんに、ぼくはなぜかすっかり気に入られてしまった。かなり酒乱気味の彼女だが、「かわいいよね」「モテるでしょ」とか連発されれば悪い気はしなかった。言葉だけじゃなく抱きつかれたりもして、華奢なのに出るとこは出ているメリハリの効いた尚美ちゃんの身体は、正直気持ちよかった。やっかみ混じりに冷やかされて、照れながらも得意な気分だった。
 高校の頃から人気がある宮沢でさえ、何人もの女子に囲まれて、ぼくなんか比較にもならないくらいモテモテ状態のくせに、時折チラチラとこちらに視線を投げていた。
 尚美ちゃん、競争率高かったからな。まさかこんな飲むコだとは思わなかったけど。
 そして、二次会のカラオケボックスに移るのに、当然のように腕を組まれて、まんざらでもなく浮かれて歩いていたところを、杉本さんと鉢合わせしたというわけだ。
 男連中のうらやましそうな視線にいい気になっていたバチが早くも当たったのだろうか。杉本さんと尚美ちゃんの間で、ぼくは焦るばかりで言葉が出てこなかった。
「へえ」
 尚美ちゃんの彼女発言に、一瞬、杉本さんの目が細くなったのは、ぼくの錯覚だろうか。
「君島さんには、いつもお世話になってます」
 にこやかな笑顔でそつなく挨拶し、杉本さんは、興味深そうな同僚たちを「ちょっと先に行ってて」と追いやった。
「えー、お兄さん、かっこいいー。エリートって感じ」
「尚美ちゃん」
 ぼくは情けない声を出した。尚美ちゃんの身体がグラグラと揺れるたびに、柔らかな胸が腕をこすって、先刻まではそれなりに楽しんでいたはずの感触が、杉本さんの目に晒されていると非常に居心地が悪かった。
「あの、ぼく、クラス会なんだ。…あの、杉本さんは…、休日なのに、仕事?」
 何をぼくはこんなに焦っているのだ。ぼくの彼女は別にいて、遠距離で会えないってことも、杉本さんはちゃんと知っているのに。
 杉本さんは肩をすくめて見せた。
「ちょっとトラブルがあって。今、終わって食事に行くところだよ」
「あ…あ、そうなんだ。ぼくたち、これから、カラオケ…」
「話があるんだけど、少し、いいかな?」
 杉本さんは、ぼくにではなく、尚美ちゃんに向かってそう言った。ぼくは、近くにいた宮沢にに尚美ちゃんを預けて「後から行くから」と伝えた。宮沢が尚美ちゃん狙いなら、ぼくはもうダメだなと、それほど残念でもなく考えながら。
 杉本さんはぼくを会社脇に併設された立体駐車場のほうへ促した。ほとんど車のないガランとした駐車場の中を少し進むと、いきなり鉄柱に押しつけられた。
「イタッ!」
 抗議する間もなく、股間を探られ、声が上ずった。
「何すんだっ」
「女の子にしがみつかれて、その気になってるんじゃないかと思って」
 耳元で囁かれて、全身が熱くなる。
「なんてことっ、言うんだよ!」
 抱え込んでくる杉本さんとの間にこじ入れた腕を、胸の前で交差させて押し戻した。
「君島は、節操がなさそうだからさ」
 いつものからかうような感じではなく、本気のきつい目で見られて、ぼくも頭に血がのぼった。
「誰の話だよ?」
 最初にぼくを無理やり押し倒したのは、どこのどいつだ。そんな奴に非難される覚えはない。
 キッと睨み返すと、杉本さんの顔が歪んだ。先刻以上の強い力で押さえつけられる。杉本さんは足の間に右足を割り入れてきた。首筋を唇が這って、力で敵わないぼくは、必死で悪態をついた。
「バカ! こんなとこで何すんだ、バカ」
 いくらなんでも、こんな駐車場で無理やりやられてたまるか。そんなの、あまりに情けなさすぎる。
「うるさい」
 強引に口をふさがれ、舌が侵入してくる。噛みついてやろうと思ったが、それはすっかり慣れた味がして、親しい感触で。
 無意識に応えていた。
 舌を絡ませているうちにお互い落ち着いてくるのがわかった。
「…そんなに、嫌がるな」
 唇を離し、困った表情を見せ、杉本さんはぼくの頭を抱き寄せた。その肩に顎をのせて、ぼくは毒づく。
「こんなとこで、できるわけないだろ」
 自分でも拗ねたような口調だとはっきり感じた。くすりと笑った杉本さんの息を耳の後ろに感じた。
「カラオケ、どのくらいかかりそうなんだ?」
「わかんない。久しぶりだし…」
 ついばむように軽くキスされる。
「車、乗って来てるのか?」
「友だちに乗せて来てもらったんだ」
「終わったら携帯に電話しろよ。送って行ってやるから」
 そう言って、ぼくの頭をくしゃりとかき回し、杉本さんは駐車場を出て行った。その後ろ姿を見送って、ぼくはため息をついた。ぼくはちょっとまだここを出られそうにない。つまり、その、身体が反応してて。鉄柱を支えにしたまま、ズルズルとしゃがみ込んだ。
 いっそ、二次会はキャンセルして、杉本さんの家に行けばよかったかも。
 浮かんだ考えに、自分で赤面した。ちくしょう、杉本さんの奴、人の身体に火をつけて放り出しやがった。
 杉本さん、尚美ちゃんに嫉妬したのかなあ。
 気を紛らせようと、そんなことを考えてみたが、それは悪い気分ではなかった。同級生たちにうらやまれていた時よりも、甘いような、むずがゆいような感覚。なんだろう、これ。
「君島?」
 膝に額をつけた恰好で、熱が静まるのを待っていたら、突然、頭の上から声が降って、ぼくは飛び上がるほど驚いた。コンクリートに坐り込んだまま、おそるおそる顔だけを上げると、まず目に入ったのは、スニーカー。カーキ色のチノパン。だんだんと視線を上げていけば、宮沢の顔があった。
「どうしたんだよ?」
 目が合った途端、台詞がハモってしまった。宮沢が困ったように笑った。
「あ、と、気分でも悪いのか?」
「う、いや、違う」
 ぼくは慌てて立ち上がった。でも前屈みにならざるをえなかった。膝の上に手を置いて、誤魔化してみる。
「どうしたの、宮沢?」
 膝に手を当てたまま、下から覗き込むと、宮沢はカリカリと頭を掻いた。
「うん、その、先刻の人がここから出て行くのが見えたから」
「ああ、うん」
 ぼくは曖昧に頷いた。
「わざわざ迎えに来てくれたんだ?」
 ぼくがカラオケボックスの場所を知らないかもしれないと気を回してくれたんだろう。
 宮沢はけっこう律儀だ。見た目というか、ファッションの好みが、どちらかというとストリート系のせいか、軽そうに見えなくもないんだけれど、意外に真面目で面倒見がいい。女の子の人気が絶大なのも当たり前だった。一次会の居酒屋でも、スチュワーデスの彼女がいることが散々話題になっていながら、宮沢の周りから女の子たちが途切れることはなかった。
「悪いんだけど、ぼく、やっぱりカラオケはキャンセルする。せっかく迎えに来てくれたのにごめんな」
「何か用事ができた?」
 真っ直ぐな目で見られて、ぼくはとまどった。何か責められているような錯覚さえ感じる。
「あ、いや、あの、なんか気分が乗らなくて」
 手持ち無沙汰にシャツの腹の辺りをひっぱりながら、言い訳をすると、宮沢は唇の端を曲げて笑みを見せた。
「オレもそう。いっそ、このまま二人で飲みに行かないか?」
「え?」
 意外な提案に少し驚いた。正直、宮沢とはそんなに親しかったわけじゃない。宮沢はクラスの中心にいて、誰彼となく屈託なく付き合うタイプだったから、それなりに話はするけれど。
「嫌?」
 軽い口調なのに、宮沢の表情が少しだけこわばっているように見えた。
「嫌ってことはないけど」
 どっちにしても杉本さんは同僚と食事しているんだから、どこかで時間をつぶすつもりではいた。
 宮沢は携帯を取り出し、クラス会の幹事にキャンセルを告げた。さかんに引き止められているらしく、電話はなかなか終わらない。その間にぼくの身体も落ち着いてきて、ほっとした。
 宮沢は携帯を切ると「やれやれ」とため息をつき、ぼくを見た。
「じゃあさ、オレんちに来ない?」
「宮沢の家?」
「オレ、**にアパート借りてるんだ。ここからなら、バスですぐだからさ。その先にバス停あったし」
 ここで警戒してしまうのは、杉本さんのせいだ。あの人と付き合っているせいで、女の子の感覚になっている。同性の部屋に誘われて躊躇うなんて、情けない話だった。
「土曜だし、店は混んでいそうじゃん。それにオレ、君島に話したいことがあるんだよな」
 ヘンな警戒をしたせいで、かえって疚しさを覚えて、断りづらくなってしまった。
 ぼくは宮沢のアパートで飲むことになった。
「なんなら、泊まっていけば? 明日送ってやるよ。どうせ誰かに乗ってきたんだろ」
 勧められて、曖昧な笑みで誤魔化した。
 宮沢の部屋は小奇麗にしてあって、あまり男の一人暮らしらしくはない。きっとスチュワーデスの彼女がしょっちゅう来ているんだろう。もしかして彼女に出迎えられるんじゃないか、なんて考えたりもしたけれど、それはなかった。
「君島も酒、飲めるんだな」
 出された缶ビールを飲み始めると、宮沢は感心したように言った。
「なんだ、それ」
「君島っておとなしいし、真面目じゃん。なんとなく酒なんかあんまり飲まないようなイメージなんだよ。タバコも吸わないだろ」
 杉本さんに聞かせてやりたいような台詞だった。実際ぼくは「おとなしい」とか「真面目」とか形容されることが多く、それはそれで腹立たしい思いもしていたけれど、少なくとも「ワガママ」なんて、杉本さんにしか言われない。
「宮沢も真面目じゃん」
 ぼくはそう言ってみた。
「オレ? オレは真面目なんて言われないけどさ。タバコ吸うし」
 宮沢は慣れた手つきで一本取り出し「吸っていい?」と断って火をつけた。
「そうかなー。ぼくは宮沢って真面目だと思ってるよ。見た目はともかく」
 そういう意味では、宮沢は杉本さんとは両極端に位置するかもしれない。
 ぼくの言葉に宮沢は嬉しそうに笑った。
「見た目はともかく、ねえ。君島は見た目も真面目だよな。真面目っていうか可愛いっていうか、さ」
 テーブルに肘をついた手で、両頬を支え、タバコをくわえたまま、いたずらっぽい目でぼくを見つめる。なんだかドキドキしてしまう自分が情けない。
 やめろよ、ぼく、今ゲイなんだからな。曲解するだろ。
 ぎこちなく目をそらし、缶ビールを口に運ぶ。
「オレ、高校の時、君島のこと気になっていたよ」
「は?」
 突然の宮沢の台詞に、思い切り裏返った声を出して、自分で赤面した。宮沢が苦笑する。
「その、見ちゃったんだ、先刻」
 とっさに言葉が出てこなくなった。
「み、み、見たって…」
 いつ? 何を? まさか駐車場で? まさか杉本さんと一緒のところを?
 頭の中がグルグルと回り出した。
「君島、先刻の人と…付き合ってるのか?」
 言いにくそうに訊かれて硬直した。やっぱり。
 これか。これがぼくに話があると宮沢が言った内容なんだ。
 一体何を言えばいいのか。ぼくは固まったまま、泣きそうになっていた。宮沢はタバコを口からはずした。
「そんな顔するなよ。いじめてるわけじゃないんだ」
 まだ長かったタバコを灰皿に押し付けて消す。火が消えたあとも弄ぶようにタバコで灰皿をつついていた。
「オレは君島が好きなんだ、多分」
「た、多分て…」
「わかんないけどさ、やっぱり可愛い顔してるからさ、なんか女の子みたいだなって、一年の時から思ってて」
 一年生の時は、宮沢とはクラスが違ったはずだ。
「でも別にそういうつもりじゃなくって、ただ見てただけっていうか。同じクラスになっても、君島はおとなしかったから、あんまり男同士って感じもしなくってさ」
 返事のしようがないぼくにおかまいなく宮沢が言葉を続ける。
「さすがに今は女には見えないけど、でも、先刻の人と抱き合ってたから」
 宮沢がそんなふうに口にした瞬間、ぼくは顔を両手で覆った。恥かしさでいたたまれない。男同士のラブシーンを同級生に見られるなんて。
 宮沢は杉本さんが会社から出てきた時も見ていただろうか。杉本さんがどこの誰かもわかってしまうだろうか。
「君島? 君島、聞いてる?」
「…聞きたくないんだけど」
 喉からしぼり出すようにして、そう呟くと、宮沢が怒った声を出した。
「ちゃんと聞けよ」
 驚いて手を外したら、宮沢が「オレの言ってる意味、わかってないだろ」と悔しそうに言った。
「オレ、おまえに告白してんだぜ?」
「え?」
 ちょっと待てよ。なんでそういう話になるんだ? 告白って、宮沢がぼくのことを好きだっていうのか。なんでだ? いや、それよりも。
「ぼく、帰る」
 急に貞操の危機を感じた。ここは宮沢の部屋で、二人っきりで、どう見ても宮沢のほうが腕力がありそうで。ここで宮沢にまで押し倒されたら、ぼくの立つ瀬がない。
「おい、君島」
 慌てて立ち上がったぼくの腕を、宮沢がつかんだ。
「いやだっ。離せよ」
 焦って手を振り回した拍子に、宮沢の顔を叩いてしまった。
「テ!」
「あ、ごめ…」
「そんなにオレ、嫌われてたの? 話聞くのも嫌なくらい?」
 宮沢がひどく悲しそうな表情をしていた。宮沢を傷つけたと知って、とっさの行動を後悔した。
 勘違いしたのかもしれない。いきなり押し倒されるなんて、どうして考えたんだろう。そんなの普通じゃない。そんなことをするのは、異常者の杉本さんくらいのものだ。
「…ちがう」
「それとも他の奴からの告白を聞く余裕もないくらい、あの人が好き?」
 熱心に覗き込まれて、ぼくは俯いた。
 杉本さんを好きかどうかなんて、わからない。だって、あんなふうにぼくを抱いていながら、杉本さんは一度もぼくに好きだとは言ったことがない。杉本さんがぼくを好きだと言わないのに、ぼくが彼を好きになってしまったら、完全にぼくの負けじゃないか。



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