BACKFANTASIA




ハルノウタ2 -1-





 朝の気配に目を覚ました俺は、すぐに違和感を感じた。もぐりこんだ布団の感触に覚えがない。布団から顔を出して眺め回した部屋の中も見たことがないものばかりだった。自分の家でないのは確か。何度か泊めてもらったことのある萩原の部屋でもないらしい。
 不審に思いながら起き上がろうとしたら頭の中を重い痛みが走った。グラッと視界が揺れて、布団に倒れこむ。
「うー」
 俺は低く唸って、身体を丸めた。二日酔い。嫌になるほど馴染みのある感覚だからすぐに察しがついた。頭が重く痛み、胸焼けがしている。
「三木ちゃん」
 呼びかけとともに布団越しに誰かがのしかかってきた。
「うー」
「三木ちゃん、起きた?」
 唸りながら布団から顔を出すと、目の前にあったのは、王子様みたいな笑顔。
「日夏」
 朝から見るにはうってつけの爽やかさではあるが、俺の寝起きでは馴染みがないはずの男の顔が、真上から俺を覗き込んでいた。俺はのろのろと上半身を起こした。
「おはよ」
 日夏はごく自然な調子で、俺の耳元で囁く。なんかもう、距離が近すぎて、ほっぺたにチュッてされたような感じだぞ。
「なんで、俺……ここ、日夏んち?」
 俺の部屋ではない以上、日夏の部屋なのはほぼ間違いのないことで、質問というよりは確認だった。日夏はかすかに頭を傾げた。
「覚えてない?」
「まったく記憶がない」
「ちぇ、やっぱり」
 つまらなそうに舌打ちした日夏は、それでも俺の返答を予想の範囲内とばかりにもう一度笑みを見せた。
「起きられる?」
「起きたくない」
 ぬぼーっと返した俺の返事に、日夏はアハハと声を立てて笑った。
「じゃあ今日は学校休みだね」
「おまえ、どうすんの?」
「もう一限目さぼっちゃったよ」
「悪い」
 俺が起きなかったせいだと気づいて謝ると、日夏は柔らかく目元を緩めた。
「いいよ。今日は俺も休み。だからゆっくりしてって」
 まるで「ね?」と言うように首を傾げて俺を見つめる日夏は、なんというか、本当にアイドルが顔負けするほどの可愛さを発揮している。
「…おまえ、もてるだろ」
 無意識の言葉が俺の口からぽろっと零れた。
「え?」
 きょとんと見返されて、赤面してしまう。
「いや、別に意味はないんだけど。日夏って、本当にきれいな顔してんのな」
 俺の言葉に、日夏は困惑したような表情になって、曖昧に笑ってみせた。誤解を受けるような発言だったかもしれない。
「変なこと言ってごめんな。っていうか、変な意味じゃないから。素直な感想。気にすんなよ」
 日夏の反応が微妙だったから、俺も困ってしまって早口になる。
 日夏は腕を伸ばして俺の身体を軽く抱きしめた。俺の背中をポンポンと叩き、すぐに離れて「ありがとう」と笑った。
「三木ちゃん、今の、誉め言葉と取っていいんでしょ?」
「え、あ、まあな」
 俺は外国人のような日夏の行動に驚いてしまって、あやふやに頷いた。なんか俺、心臓ドキドキしてんだけど。こう、抱きしめられるなんていう経験はあんまりないから、緊張したっていうか、びっくりした。
 日夏にしてみれば、ペットに触れるみたいな感覚なんだろうけど……って、本当に日夏がそんな感じを俺に持ったのだとしたら、俺に対して失礼だよな、それ。
 日夏の行動に驚いた俺が一人で問答している間に、日夏はキッチンのほうに行って、そこから俺を呼んだ。
「三木ちゃん、朝メシ食べられる?」
「うーん」
 食べたくない気分だけど、腹は空いているような。いつもながら二日酔いの朝は複雑だ。
 布団から出ずに曖昧な返事を返した俺に、日夏は「そっちに運んで食べさせてあげようか?」と続けた。
 俺は対応に困って「いや」ともごもご言いながらベッドを降りた。日夏はなぜこんなに俺を甘やかすのだろう。ただからかっているつもりなのだろうか。考えてみれば、俺は日夏と二人きりになったことなどなくて、日夏のことをよくわかってないような気がする。
 キッチンのテーブルに腰を下ろした俺の顔を、日夏は「大丈夫?」と覗き込んだ。
「何か飲む? コーヒーとジュース、どっちがいい?」
「水でいい」
 日夏はグラスにペットボトルの水を注いでくれた。ちびちび飲んでいると、続いてコーヒーが出てくる。
「二日酔いにはコーヒーが効果あるんだよ」
 最初は正直なところ匂いだけでも勘弁してくれと感じてしまったのだが、喉が渇いていたので飲んでみたら、意外といけた。温度もちょうどよくてゴクゴクと飲み干すと、日夏がもう一杯注ぎ足してくれた。
「日夏みたいな女の子がいたらいいのに」
 満たされたマグカップを手にして、思わず本音を漏らす。
「女の子?」
 日夏は小首を傾げるようにしてくり返した。
「優しくって、いろいろ世話焼いてくれんの。理想的なカノジョだよ」
 ルックス的にも文句のつけようがない。見惚れる俺の前で、日夏は苦笑してみせた。
「女の子でなくちゃダメかなあ」
「あ、いや。男でも」
 俺は慌てて手を振った。女の子だったらいいなんて、男の日夏に対しては少しばかり失礼な発言だったか。
「女の子にとっても理想的なカレシだろ。いいよな、日夏は」
 もしも俺が日夏みたいだったら、振られたりしないんだろう。
「やっぱり女の子じゃないとダメか」
 俺の言葉が聞こえなかったみたいに日夏がもう一度くり返したので、俺は重ねて言った。
「どっちでもだよ。女でも男でも日夏は理想的な恋人に変わりないよ」
 日夏は形容しがたい表情で俺を見つめた。
「理想的じゃなくてもいいんだけどね。恋人になりたいって思ってるよ」
 俺はそのセリフの意味を計りかねて、それでもなぜか訊ね返すことがはばかられる気がして、ごまかすようにコーヒーの入ったマグカップを口に運んだ。


 結局その日、俺は夕方まで日夏の部屋でごろごろして過ごした。初めて入った日夏の部屋は妙に居心地がよかった。日夏と二人きりで過ごすのも初めてだったが、他愛のない話で盛り上がったり、逆に沈黙になっても気にならなかった。
 大学で行動を共にするグループにいながら、俺は今まで日夏のことをほとんど何も知らなくて、だから何度も「あ、そうなの?」と言ってしまった。そのたびに日夏は「そうだよ」と頷いて屈託のない笑顔を見せた。日夏の好きな音楽、日夏が選択している授業、日夏の苦手な食べ物。他のみんなと一緒にいる時には、日夏はあまり自分の話をしなかった。
 会話が途切れて、ぼんやりしていると、窓の外で甲高い声の女の人たちが何かを一生懸命しゃべっているのが聴こえてきた。俺のアパートでも時々聴こえるが、ああいう話し声は昼間にしか聴こえない。話の内容は全然聞き取れないのだが、ふいに大きな叫び声や笑い声があがったりして、そのたびに俺と日夏は顔を見合わせて苦笑したりした。
「日夏ってさ、今、彼女いるの?」
 俺が訊くと日夏はあっさり首を横に振った。
「いないよ」
「なんで?」
 俺とちがって、かなりもててるくせに、日夏はどうして彼女を作らないんだろう。
「なんでって」
 日夏は俺の質問に笑って答えた。
「好きな人はいるよ。だから、今はがんばってる最中なんだ」
 爽やかに言われて、俺は「ふうん」と呟いた。いいな、日夏は。きちんとがんばる相手がいて。相手もなくジタバタしている自分を情けなく感じた。知沙乃ちゃんを好きな金子のように、俺も誰かを見つけたい。彼女が欲しいという以上に、誰かを愛したかった。誰でもいいわけじゃなく、自分にとって本当に大切な人といつか出会いたい。
 俺は日夏に、相手のことを訊ねなかった。日夏が本気で想っているらしい人について、軽々しく話題にすることがためらわれたのだ。いつか日夏がその気になった時に彼自身の口から紹介してほしいと思った。

 陽が蔭る頃には、俺の二日酔いもすっかり治まったので、二人で近くのファミレスまで出かけて夕食をとった。そのまま日夏と別れ、自分のアパートに戻って来ると、ドアの前に萩原が待っていた。
「あれ、萩原。どうしたの?」
 萩原は疲れた顔をしていた。いつものすっきりとした二枚目が、どことなく焦燥しているように見えた。
「三木」
 俺に気づいて名前を呼ぶ声もぼんやりしていた。
「昨夜はごめんな。先に帰っちゃってさ。何かあった?」
 訊ねると、萩原は俺の顔を凝視したまま、しばらく黙っていた。俺を見ている萩原の目が、何かを探っているようにも感じた。
「昨夜、ひな……」
 口を開いた萩原は、迷った様子でいったん言葉を切った。
「昨夜から携帯が通じなくなってるから……心配して」
 そう言われて、俺は携帯を取り出した。確認したら電源が切ってあった。
「あれ? 俺、いつ電源落としたんだっけ」
 首を傾げながら俺が「ごめん」と謝ると、萩原は首を振った。
「何もなければいいんだ」
「あー、俺、かなり酔ってたよね? 迷惑かけたよな。ごめん。あの後は、日夏に面倒見てもらったから。結局あいつんちに泊めてもらったんだ」
 言いながらドアの鍵を開けて、中に入るよう促した俺に、萩原は再び首を振った。
「何もなかったんなら、いい。俺、帰るから」
 安普請のアパートに申し訳程度付けられた電球の頼りない光では、わずかに俯いた萩原の表情がよくわからなかった。ただ眉の下にできた陰が、萩原の顔を彫像めかしてかっこよく見せた。
 元から口数の多い男ではなかったけれど、いつにもまして言葉少なな様子で、踵を返して遠ざかって行く萩原の背を、俺は腑に落ちない気分で見送った。


 翌日の昼過ぎに、学生会館でちょっとした騒ぎが起こった。必修の授業が始まる前に俺が購買部の書籍コーナーにいた時、ロビーでケンカをしているらしいと言う声が聞こえてきた。覗きに行くと、そこで揉み合っていたのは、萩原と日夏だった。そばには金子と薄田もいて、二人を引き離そうとしていた。
 そして、俺がその場に着いたちょうどその時、萩原が、彼を抑えていた薄田の手を振り払い、日夏を殴った。殴られてよろめいた日夏の襟元を萩原がつかんで引き寄せる。俺は慌てて二人の元に駆けつけた。
「萩原!」
 とっさに彼の腕をつかんだ俺を振り向いた萩原は、ひどく怖ろしい顔をしていた。萩原のこんな怒った顔は初めて見た。
「萩原」
 強い視線に射抜かれて、情けなくもすくんでしまい、力の抜けた俺の手を、萩原は無言のまま振り払った。
 そのまま、くるりと背を向けて大またに歩き去ろうとする萩原に、薄田が「萩原」と声をかけて追いすがった。薄田は萩原を抱きかかえるようにその肩に腕を回し、二人は、集まってきた野次馬たちをかきわけて、去って行った。
 俺は、彼らを見送るだけで、追いかけることができなかった。
 のろのろと日夏のほうに寄っていくと、日夏は俺を見て少し笑った。左目の下の辺りが赤くなっていた。
「どうしたんだ?」
「うん」
 俺の問いかけに日夏は曖昧に頷いて、「俺、帰るね」と言った。
「日夏」
「またね、三木ちゃん」
 日夏は俺の肩を軽く叩いて、帰って行った。
 ケンカの当事者である萩原も日夏も消えてしまうと、集まった野次馬たちも三々五々散り始めた。
「どういうことなんだ?」
 残っている金子に訊いても、金子も状況がよくわかっていないようだった。
「うん……、三木ちゃんのことかなあ?」
「俺?」
 目を丸くして訊き返すと、金子は慌てたように顔の前で手を振った。
「いや、ちがうかもしんないから」
 金子のあやふやな言い方に焦れて、俺は少し声を荒げた。
「だから、何があったんだよ」
「ほら、一昨日、飲んでる途中で日夏と三木ちゃん、消えちゃったじゃん」
「消えたって……」
 俺は先に帰ると告げずに出てしまったのだったか。あの時はかなり酔っていたので今となっては記憶が曖昧だった。
「それで、萩ちゃんが、三木ちゃんの携帯にかけたら、三木ちゃんの代わりに日夏が出て『これから二人でホテル行くから』って」
「何だ、それは」
 呆れて呟いた俺に、金子は同調して頷いた。
「日夏もくだらない冗談言うよね。そのまま三木ちゃんも日夏も携帯繋がらなくなっちゃうしさ。なんか萩ちゃんがマジになっちゃって、二人を探しに行くとか言い出したのを、薄田がなだめたんだ」
 そう言って、金子は俺を窺うように見た。
「二人でホテルに行くって、冗談だよね?」
「当たり前だろう」
 くだらない、と俺は吐き捨てた。日夏はどうしてそんなことを言ったのだろう。昨日日夏の部屋で過ごした時に感じていた楽しさが、急速に薄れていくのを感じた。アパートに訪ねて来た萩原の様子がおかしかったのは、そのせいかと見当がついた。
「だけど、昨日は三木ちゃんも日夏も学校来なかったじゃん。携帯もずっと繋がらないままだし。だから今日の必修の後で、俺と薄田が日夏をつかまえたんだよ。ここで問いつめてるとこに、後から萩ちゃんが来たんだよね」
 金子は頬にかかっていた髪を掌で払った。
「最初からすげー怖い顔してて、それで、いきなり日夏を殴りつけたの」
「まさか」
 俺は驚いて思わず声をあげた。萩原は、誰かをいきなり殴るような人間ではない。
「萩ちゃんは、何も言わないでいきなり殴ったんだけど、日夏には理由がわかってるみたいで、日夏が『言いたいことがあればはっきり言えば?』『気になるんならちゃんと訊いたらいいでしょ』って言ったんだ」
 金子は、ちらっと俺の顔を見た。
「それ、三木ちゃんのことかなって。日夏が、わざと萩ちゃんを怒らせたみたいにも思えた。そんで二発目殴られたとこに三木ちゃんが来たんだよ」
「日夏と萩原って何かあったっけ?」
 今まではことさらに仲が悪い様子も見えなかったのだが。
 俺の問いに金子も首を傾げた。
「知らないけど」
 それにしても、日夏が萩原を挑発するなら、もう少し別のやり方もあるんじゃないかと思った。よりによって俺をダシに使わなくてもいいのに。
 イライラと考え込んだ俺の前で、金子が、ぽつんと独り言のように呟いた。
「萩ちゃんって少し怖いでしょ」
「え」
 意外な言葉に、俺は金子を見返した。金子は眉尻を下げて、小さく唇を尖らせた。
「なんか厳しい雰囲気がある。よく言えばストイックって感じなんだけど」
 俺は萩原に対してそんなふうに感じたことはなかった。年下の金子から見た萩原の印象は、俺とはちがうのだろうか。
「だから、日夏がどうして萩ちゃんを怒らすようなこと言ったりするのか、俺にはわかんない」
 困ったように首を傾げた金子が、少し気の毒になって、俺は声を荒げてしまったことを反省した。金子に八つ当たりしてもしかたないんだ。
「初めてだろ? 日夏が萩原にそんなことするの」
 少なくとも、俺は今まで何も気づかずにいた。金子も頷いた。
「そうだね。今まではなかったかも」


 午後の授業は、萩原と一緒のはずだったが、彼は教室に姿を見せなかった。
「三木ちゃん、失恋したって本当?」
 講義の途中、板書する講師の隙をうかがって、隣に坐っていた堀口多恵子(ほりぐちたえこ)がいきなり訊いてきた。
「誰から聞いた?」
「本当なの?」
 答えたくない質問に質問で返した俺に、堀口はもう一度確認してくる。
「それがどうしたってんだよ?」
「どうして別れたの?」
「そんなの、こっちが訊きたいっつーの」
 理由がわかれば努力のしようもあるのだ。一方的に別れを告げられて、俺としては「俺の何が悪いんだ」と暴れたいくらいの気持ちでいる。
「荒れてるねえ」
 堀口は冷やかすように言っておおげさに肩を引いた。
「おまえ、無神経だよ」
 さっぱりした性格の堀口は、女にしては気のおけない存在だったが、そのがさつさがたまに気に障る。
 堀口はエヘヘと愛嬌のある顔で笑った。
「ごめん、ごめん。ね、今日飲みに行く?」
「なんで?」
「えー? なぐさめてあげようかと思って」
「うわ、いらねえ」
「いいじゃない。六時半にヒビノ。ね」
 堀口の強引さに押し切られた形で約束したが、そう悪い気はしなかった。恋人はできないけれど、俺に女友達が皆無なわけじゃない。我ながらせこいプライドだとも思うが。
 約束の居酒屋ヒビノに着くと、堀口は入り口で待っていた。
「萩原もバイトが終わったら来るってよ」
 講義の後で萩原にメールを打ったが、日夏とのケンカについて訊くことをためらって、とりあえず堀口と飲みに行くことを伝えた。折り返し萩原から返ってきたメールも、日夏のことには触れていなかった。
「えー、なんでそうやっていっつも萩と一緒なの」
 店に入りながら告げた俺に、堀口は一瞬足を止め、不満そうに文句をつけてきた。
「三木ちゃんはそうやっていつも萩とばっかりくっついてるから女の子が近寄りにくくなっちゃうんだからね。飲み会でだっていつも一緒なんでしょ」
「ちゃんと萩原目当ての女が近寄ってくるよ」
 俺の言葉に堀口は顔をしかめて「バカみたい」と呟き、「近寄りにくいよ!」とくり返した。
 案内された席に腰を下ろして、とりあえずビールを頼み、店員がテーブルを去るのを待って、俺は堀口に言った。
「どうせ俺に近寄りたいと思う女なんていないんだから、どっちでもいいんだよ」
 堀口が切り返す。
「いるわよ」
「いないっつーの。もういいよ、そんなの」
 俺はふてくされて、食べ物のメニューを眺めた。何、食おうかな。
「ちゃんといるってば」
 堀口は俺が持っているメニューに手をかけて言い募った。俺はそれを振り払う。
「おまえ、しつこいな。その話はいいって言ってんだろ」
 揚げ出し豆腐と串焼きと。堀口は何がいいんだろう。
「だから、三木ちゃんのこと好きな子はちゃんといるの!」
「知らねーよ。ほら、堀口。何を頼むの?」
 トントンとメニューを叩いて見せた俺の手を、堀口はいきなり握ってきた。
「私。もうセルフプロデュースするから。三木ちゃん、私と付き合おうよ」
「無理だ」
 握られた手をとっさに引き抜いて、速攻で返すと、堀口はむっと頬を膨らませた。
「なんで?」
 正面から聞かれて、正面から答えてしまう。
「俺、堀口のこと女として見られない」
「何それ、失礼しちゃう」
 お通しとビールが来たので、俺は苦笑してジョッキを持ち上げた。膨れ面の堀口がジョッキを手にしないので、テーブルに置かれたままのそれに一方的にぶつけて、乾杯する。
「だって、堀口と俺は友だちだろ」
 俺は確認の口調で、堀口に言い聞かせた。俺には今さら堀口を異性として意識することはできなかった。
「じゃあさ」と、堀口はとんでもない提案をさらっと舌に乗せた。
「じゃあ、三木ちゃん、私と一回エッチしてみない?」
「な、な、何言ってんだ、おまえ」
 俺は真っ赤になってどもってしまった。エ、エ、エッチって、なにゆえ俺と堀口が?
「いいじゃない。一回してみて、それから考えてくれていいから」
 テーブルに肘をついて上目遣い。いくら可愛いポーズを決められたって、引くものは引く。
「オンナのセリフじゃねーよ、それ」
「三木ちゃんってかたいよねー」
 堀口は動じずに俺の頬に手を伸ばしてきた。
 指先が触れて、俺は慌ててそれを振り払った。
「いたーい。そんな嫌がることないでしょ。傷つくなあ」
 堀口は不満そうに呟き、お通しの煮物に箸をつけた。
「だいたい三木ちゃんの好みってどんなのよ? 私、ちゃんと努力するよ」
 堀口じゃない奴。とっさに口をつきそうになった本音を俺が飲み込んだところに、萩原がやってきた。
「萩原〜」
 助かったと心底感じた。
「三木。何情けない声出してんだよ」
「今、俺、堀口にコワイこと言われた」
 奥につめて萩原の席を空けながら告げ口した俺に、堀口は「知〜らない」とそっぽを向いた。
「何、堀口にいじめられたの?」
 萩原が俺と堀口を交互に見て、苦笑する。いつも通りの萩原の態度に、俺は少しほっとしていた。
「弱いな、三木」
「ちがうって。堀口がオンナじゃないんだよ」
「バッカみたい」
 俺と萩原のやり取りに、堀口が不機嫌な声を出す。先につまらないこと言い出したのは堀口のくせに。
 そっぽを向いた堀口は、テーブルの呼び出しボタンに指を置いて、萩原を促した。
「萩、何飲むの? すぐ呼んでいいの?」
「ああ。最初だからビールにするよ」
 それから堀口はすっかり拗ねた態度になって、俺と萩原は、そんな堀口を適当にあやしながら飲み続け、結局その日俺は日夏とのケンカのことを萩原に訊けなかった。



NEXT





BACKFANTASIA

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送