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ハルノウタ4 -2-





 授業が終わって教室を出ると、廊下の端で薄田が待ち伏せていた。薄田は口に出しては言わなかったけれど、顔を見たらおそらく俺を待っていたのだろうとわかった。
 薄田は一階の休憩コーナーに俺を誘った。棟自体に教室くらいしかなくて、もともと人気は少ない上に、半端な時間だから、休憩コーナーに他に人はいなかった。
「金子から聞いたんだけど」
 力の入れようによってはバキッと割ってしまいそうなチャチなテーブルを挟んで、俺と向かい合わせに坐った薄田は、そう口を開いた。
「三木ちゃん、日夏が好きなんだって?」
 ストレートに訊かれて、ヤバイと思う隙もなく、顔に血が上るのがわかった。勢い任せで金子に宣言したものの、あらためて人の口から自分の気持ちを確認されて、どうしようもない照れが俺の全身を回った。
 俺は一言も言葉を発することもできないまま、薄田の前で真っ赤になってしまった。
 薄田は、頭から湯気を立てているように見えるにちがいない俺を見て、困ったように眉をひそめ、わずかに肩をすくめてみせた。
「あーあ」
 そう言って、唇を曲げて苦笑いした。
「だっ……」
 俺は何か言おうと思って口を開いたけれど、意味のある言葉は出てこなかった。
 苦笑を浮かべたまま薄田がずっと見てるから、俺は下を向いて首を振った。喉にからまる言葉を無理やり吐き出す。
「…俺、本気だし。おまえらにヘンだと思われても、どうしようもないし」
 どうしようもなく日夏が好きだし。
 俯いたまま早口に言うと、薄田がつと手を伸ばしてきて、俺の頭を上からクシャクシャと撫でた。
 子ども扱いされたと感じた俺は顔を上げて薄田を睨みながら、乱された髪を直した。
「三木ちゃん、本気なんだ?」
 薄田は半分笑って、半分困ったような表情をしていた。
 俺も困った顔になって、黙って頷いた。
「日夏も三木ちゃんが好きなんだってな」
 昨日、俺が逃げ出した後、日夏と薄田が話したらしいことを金子が言っていた。日夏も俺たちのことを薄田に告げたんだろう。
「両想いなら、まあ、それでいいんだけど」
 薄田は相変わらず眉を寄せたまま、俺を見ていた。
「けど、三木ちゃん。日夏は男だよ」
 言い聞かせるような口調に、俺は唇を尖らせて言い返した。
「そんなの、わかってる」
 いくら可愛い顔をしていても、日夏は女には見えない。顔だけならテレビで見かける女性アイドルに似てなくもないけれど、それだけでいつも女の子と見間違われてしまうほど華奢な体型をしているわけじゃない。
 それでも俺は日夏が好きだ。
「三木ちゃんは、その、日夏が……その、男だってこと、ちゃんとわかってて、付き合うつもりならいいけど」
 歯切れ悪く口ごもりながら言う薄田を、俺は睨んだ。つもりも何も、俺と日夏は付き合ってるんだっつーの。
「日夏の相手に、俺じゃ役者不足だって言いたいのかよ」
 俺だって少しは考えもした。男同士にしても、日夏と似合うのは、俺みたいに貧弱なヤツじゃなくって、例えば、そう、萩原みたいにカッコイイ男なんじゃないかって。日夏と身長もそんな変わらない俺なんかより、まだ薄田みたいに背の高い男のほうが、二人並んで絵になるだろうとか。
「日夏は美少年だし、俺なんかよりカッコイイ男のほうがきっと似合うもんな」
 ホモとかゲイの男って、かっこいいヤツが多い気がする。具体的に知っている奴がいるわけでもなく、ただなんとなくのイメージにすぎないけど。
「そういう意味じゃなくてさ」と薄田は唸った。
「三木ちゃん、ちゃんと覚悟できてる? 日夏ももういっぱいいっぱいらしいから、さすがに心配なんだ」
「覚悟なんか、当然できてるよ。俺は、人からホモって言われたって、ちゃんと日夏が好きだよ」
 俺はそう言い捨てて、椅子から立ち上がった。
 薄田は、俺が自分より年上だってことも全く頭に入ってないし、いつだって頼りないガキみたいな扱いばかりしやがるから頭にくる。薄田からはどう見えていたとしても、俺はちゃんと日夏を好きだ。あいつのためになんでもしてやりたいと思っている。
 俺は薄田を休憩コーナーに置き去りにして歩き出した。腹が立っている時は自然と足も速くなる。講義棟を出て、中庭を抜けた。
 薄田は何かと俺のことをバカにするけれど、俺だって、二歳も年下の日夏を守るくらいの気概は持っているんだ。
 けれど。日夏がいっぱいいっぱいだと薄田は言った。俺が日夏の恋人として役者不足で、きちんとあいつを受け止められていないというのだろうか。
 確かに俺、経験値では完璧に日夏に負けているんだよなあ。
 情けない現実に思い至って、俺はその場に足を止めた。
 さらに昨夜、金子が言っていたことを思い出してしまい、俺の落ち込みには拍車がかかった。日夏の初体験の相手が男だったのではないかと金子は言った。そうだとしたら、俺はこれからどれだけ頑張ればいいのか見当もつかない。
 そうだ、日夏は「してない」と言ったんだ。俺と「してない」と。あれはどういう意味だったんだろう。俺としてることじゃ日夏には物足りないってこと?
 思わず頭を抱えてしゃがみ込みたい気分に陥った。
 だけど日夏は俺に好きだと言ってくれたんだ。あのキレイな瞳に俺を映して、好きだと言ってくれた。あれは絶対嘘じゃない。嘘だなんて疑いたくはない。
 俺は携帯を取り出し、日夏に宛てて「今日、家に行っていいか」とメールを送った。すぐに折り返し「待っている」と返事が来て、日夏はもう家にいるようだった。


 俺をアパートに迎え入れた日夏は、最初に「ごめん」と謝ってきた。
「え、何?」
 俺がぽかんとして訊き返すと、日夏はちょっと困ったように首を傾げてくり返した。
「遼太たちに余計なこと言って、ごめん」
「ああ」と俺は声を出した。そうか、図書館で日夏が、俺と付き合ってると言い出したのがきっかけだったんだ。それで俺も金子と薄田にカムアウトした。
「いや……。俺も、俺も言ったから、金子に。ちゃんと日夏が好きだって」
「ほんと?」
 目を丸くした日夏に、俺は頷いてみせた。
「うん。あと薄田にも言った」
「耿くんは、なんて?」
「薄田は、なんか……心配してるみたいだった。あいつは俺のこと頼りないと思ってるから」
「そんなこと」
 日夏は、あやふやに語尾を濁した。
「俺さ」と言って、俺は日夏の目を真っ直ぐに見つめた。
「俺は、本気で、ちゃんと日夏が好きだよ」
 他の誰が信じてくれなくたっていい。日夏にだけは俺の気持ちを信じてほしかった。
 その身体を引き寄せて唇を合わせると、日夏の腕が背に回って応える。
「好きだ」
 胸の内側いっぱいに膨らんで溢れそうな想い。どうしたらそっくりすべて日夏に伝えることができるんだろう。
「三木ちゃん」
 俺を抱きしめる日夏の力が強くなって、身体が痛いくらいだった。
 日夏の手は、せわしなく俺の背中を上下した後、ジーンズからシャツの裾を引き出し、中に入って素肌に直接触れた。
「いい?」
 訊ねる日夏の目が少しうるんでいて、口元は何かをこらえるように曲がっていた。
 俺は頷く代わりに、両手で日夏の顔を挟んでもう一度口づけた。
 唇を合わせたまま、日夏が俺のシャツのボタンを外していく。胸元をいじられただけで、崩れ落ちそうになった俺は、日夏の首筋にすがりついた。
 裸になった上半身は頼りないのに、日夏の身体が腕の中にあるだけで、不思議と安心できた。
「日夏」
 確かめるようにその名を呼べば、応えるみたいにキスが降る。
 前髪をかき上げてやると、キレイな顔が露わになった。
「ねえ、本当、俺、日夏がすごい好き」
 我ながら呆れるくらい、子どもっぽい台詞が口をつく。
 日夏のシャツをひっぱって脱がせ、肌が触れ合うようにぎゅっと抱きしめた。
 俺のジーンズに手をかけた日夏は、「ごめん、三木ちゃん」と囁いた。
「俺、やっぱり三木ちゃんがほしい」
 日夏が俺の足からジーンズと下着を引きぬいた。
 そのまま日夏の手は、前ではなく後ろに回った。
「え?」
 思いがけない動きに、思わず声が漏れた。日夏の指が尻の割れ目を辿る。身体が竦んだ。
「ごめん。ちょっとだけ、我慢して」
「ちょ……日夏」
「ごめん」
 日夏が泣きそうな目をしているから、俺はどうしていいかわからなかった。
 日夏は俺のそこに何かヌルヌルとした感触のものを塗りつけていた。
 どうしよう。
 俺が戸惑っている間に、日夏が上半身を起こして、俺の下肢を持ち上げた。
「日夏ッ」
 自分がとらされている恥ずかしい恰好に、カーッと頭に血が上った。
「いっ、いたッ……」
 日夏が俺の中に指を挿れようとしていた。
 これまで、抱き合っている時に、そこを撫でられることはあった。けれど、指を中にまで入れられるようなことはなくて、俺はそれを補助的な愛撫なのだと思っていた。実際そこに指を押しつけられて快感を覚えたのも本当だ。でも、中に入れられるのは抵抗があった。
「や、日夏、いた…痛い」
「ごめん」
 謝りながら、日夏は止めてくれなかった。少しずつ指が入ってくる。
「ひ……」
 嘘だ、こんなの。
 日夏は左手で俺の膝を押さえつけて、足を開かせていた。
「やだ」
「少し、我慢して」
 日夏の声は囁くように小さなものだったけれど、俺はうまく逆らえなかった。日夏が力を入れて、ぐっと奥まで指が押し込まれる。
「ん、……いた、い……」
 中に入った日夏の指が、ゆっくりと動かされた。どうしようもなくて、泣きたくなった。
 馴染みのない感覚が気持ち悪くて、怖かった。日夏にどう応えていいかわからない。
「アッ!」
 ふいうちに思いがけない声が出てしまった。中の一点、日夏の指がかすめて、身体が跳ねた。
「や、いや、日夏!」
「三木ちゃん」
 日夏の声が遠かった。
「ヤダ。そこ、ヤダ!」
 身体のコントロールが利かない。
「ここ? 三木ちゃん」
 さらに強く指を押し込まれて、背が反る。
「ああッ、んうッ」
 喉の奥から、動物みたいな声がほとばしった。
「気持ちいい?」
 訊かれて、首を振るのが精一杯だった。気持ちよくなんか、全然ない。俺はただ苦しくて喘いでいた。
 日夏は一度指を引いて、今度は二本まとめて入れてきた。
「い、いた」
 そこが裂けそうな気がして、俺は腰を浮かせかけた。
「三木ちゃん、すごい」
 日夏は膝を押さえていた手を離して、前を握ってきた。
「あぁうッ」
 発情期の猫さながらの声が、喉から溢れて止まらない。
 こんなのは嘘だ。
「あっ、あっ」
 身体の奥の感覚に、俺はのたうち回った。前だけでなく、内側からの刺激に身体がコントロールできない。
「三木ちゃん」
 遠いところで日夏が呼んでいる。深い水の中に落とされて、どんなにもがいても、水面に出られないみたいだった。
「やだ、やだ、やだー」
 線を越えるのは、一瞬だった。俺が達すると、日夏は俺の中からゆっくり指を引き抜いた。
 ボロボロと涙が堰を切って、俺は日夏を避けるように横向きになって身体を丸めた。
「三木ちゃん」
 日夏の声に頭を振って、俺は泣き続けた。涙は後から後からこぼれて、まるで俺の中に大きな水の塊が入っているように感じていた。
「ごめん」
 日夏は、俺の肩に手を置いた後ですぐに離し、後ろから抱きしめてきた。
「いきなりして、ごめん。だけど俺、三木ちゃんがほしくて。ちゃんとひとつになりたくて」
 背中で、日夏が訴える言葉は、しかし俺の耳に届かなかった。日夏が何を言ってるのかなんて考える余裕もなくて、俺の中にできた水の塊を吐き出すのに必死だった。

 グズグズと泣いていると、日夏が離れていき、やがてタオルを持って戻ってきた。一本を俺に渡し、俺が顔をぬぐっている間に、もう一本のタオルで身体をふいてくれる。
 俺は、のろのろと身体を起こした。
「帰る」
「三木ちゃん」
 日夏の顔は見られなかった。うつむいたまま服を身につける。
「ごめん。俺、今日は帰る」
 服を着るとふいに寒さが増して感じられた。寒気がして、風邪でもひいたような気分だった。
「…送っていくよ」
 背後から日夏が声をかけてきたが、俺は首を振った。
「いい。一人で帰るから」
 この状態で一人で帰るのは不安だったが、日夏と一緒にいるのもつらかった。また涙が滲みそうになって、パーカーのフードを深くかぶってごまかす。
「送る」
 日夏はきっぱりと言って、俺の先に立ち、玄関のドアを開けた。
 帰り道、日夏と言葉を交わすことができなかった。黙ったまま、わずかに先を行く日夏の後をついていった。時々日夏が振り返る気配を感じたけれど、俺はずっと下を向いて足を運んだ。
 ようやく俺のアパートに着き、鍵を解除してドアを開ける前に俺は言った。
「送ってくれてありがとう」
 日夏を部屋の中に上げることができなかった。長い長い沈黙。それは、俺の気持ちの上だけで、実際はそれほどの時間じゃなかったんだろう。
「…それじゃ」
 日夏は小さな声で言って、帰って行った。その足音が完全に消えるまで待ってから俺は部屋に入った。
 もう涙は出なかった。ただひたすら寒いと感じて、俺は服も着替えずにベッドにもぐり込んだ。
 身体を丸めると、日夏の指を入れられたところに違和感があった。
 男同士でそこを使うことは知識として俺も知ってはいた。だけど、俺たちはそうじゃないと思っていた。そこまでする必要なんて感じなかった。抱き合うだけですごく気持ちよかったし、俺は夢中だった。
 日夏は、そうじゃなかったのか。
 悪寒を感じて、俺はぎゅっと布団をかぶった。
 あんなのはちがう気がした。
 俺が一人でバカみたいにもだえていただけで、日夏は遠かった。生理的な快感は確かにあった――今まで感じたことがないほど強烈な快感だった。けれど、日夏を抱きしめてキスするほうがずっと気持ちよかったし、幸福感があった。
 押さえつけられて、一方的にいかされて、日夏に手が届かなかった。
 あんなのはちがう。


 翌日の夕方、俺は日夏にメールを送った。普通の友だちに戻りたい、と。
 日夏からの返信は夜になって届いた。
―わかった。前みたいにね。これからも友だちでいて。
 その夜はうまく眠ることができなかった。



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