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ハルノウタ4 -3-





 眠れない夜が明けて、俺は重い足を引きずり大学に行った。さぼってしまいたいところだったが、夏季休暇が近づいている時期だけに、課題が出されると思うと行かざるをえなかった。
 日夏と顔を合わせるのが気まずかった。昼休みにも学食を避けて、休憩コーナーの隅で買ってきたコンビニ弁当を食べた。普段はなんとも感じない弁当がひどくまずくて、うまく飲み込めなかった。会いたくはないのに、日夏の顔を見たかった。
 4時限目の教室に入って萩原の姿を見つけた時、俺は萩原にだけ日夏とのことを言ってないことに気づいた。
 もう終わってしまったことだけれど、終わってしまったことだからこそ、萩原に言わなければと思った。ちゃんと俺の口から伝えておきたかった。
 俺は萩原の席に近づいて話しかけた。
「萩原」
 呼びかけると、俺を見た萩原は軽くうなずいて、隣の席を示した。促されるままそこに腰を下ろした俺は、授業のテキストを出すより先に萩原に訊ねた。
「あのさ、あの、萩原、今日、忙しい?」
「うん?」
「話したいことがあるんだけど、この後おまえんち行っちゃダメ?」
 彼女とデートだったらいいけど。ぼそぼそと呟いた俺に、萩原は苦笑した。
「大丈夫だよ」
「よかった」
 俺はほっとして息をついた。
 本当は、誰より先に言いたかったのだ。本気で好きな奴ができたって、一番に伝えたかったのは萩原だった。遅くなったけれど、きちんと言おうと思った。
 久しぶりに来た萩原の家で、出されたコーヒーに口をつける前に、俺は告白した。
「俺、日夏と付き合ってたんだ」
 ようやく萩原に告げることができて、俺はほっと息をついた。
「俺、日夏のこと好きだったの。ただ、もう終わっちゃった。だから、俺、萩原に言っときたいだけなんだ。おまえに黙ってるの嫌だから。俺、かなり本気で日夏が好きだったんだよ。でも俺たち別れたし、ちゃんと友だちに戻るからさ」
 萩原は「そうか」と言っただけだった。
 俺が日夏とのことを隠していたことを責めるそぶりはみじんもなかった。ホモなんて気持ち悪いとも言わなかった。当たり前だ。萩原がそんな人間じゃないことくらい、俺はちゃんと知っていたはずだ。
 黙って俺を見ている萩原の顔を見ているうちに、本音がこぼれ落ちた。
「本当は、俺、今でも日夏が好きなんだ」
 うまく友だちに戻る自信なんか全然ない。自然とうなだれてしまった。
「男同士だから、無理なんだけど。でも、俺、日夏が好きなんだよな。参った」
 好きだったなんて、過去形でなんか言えない。
「あいつが、三木を振ったのか?」
 険しい声で訊かれて、俺は首を振った。
「ちがう。そうじゃなくって、やっぱり男同士だから無理だったんだ。付き合うとか、そういうの。俺が悪いんだよ。無理なんだけど、日夏が可愛いからさ。ちょっとな。……でも、別れたんだし」
 俺は顔をあげて笑みを作ってみせた。
「そのうち元の感じに戻れると思うよ」


 夏休みに行く北海道旅行の買い物をするから付き合ってほしいと誘われ、週末は萩原と出かけた。
 本当ならば彼女とのデートがあるだろうに、萩原が傷心の俺を気遣ってくれていると感じた。
 萩原と二人で過ごすのは楽しかった。日夏と二人でいる時のようなドキドキする緊張感はなくて、気がおけなくて単純に一緒にいて楽しい。いつかこんなふうに日夏ともなれるだろうか。その日はひどく遠い気がした。
 旅行のための買い物があらかた終わってから、俺たちは目に付いたものをひやかして回った。
 棚の上にディスプレイされていたテンガロンハットのベルトに牙のようなものがついているのが気になって、俺は手を伸ばした。
「これ何? 何かの牙?」
 俺たちが言っていると、気づいた店員が「ワニの牙だよ」と声をかけてきた。
「クロコダイルダンディーって映画、君たちじゃ知らないか。輸入物なんだけど、巻いてあるベルトも本物のワニのしっぽだよ」
「へえ。萩原かぶってみ」
 俺がかぶせてみると、その帽子は萩原によく似合って、俺は「かっこいー」と声をあげてしまった。
「すげー。カウボーイみたい」
 俺がすっかり見とれてしまったので、萩原は苦笑して帽子を外し、今度は俺の頭に乗せた。クロコダイルハットは俺には少し大きくて、前に落ちてしまったツバを押し上げて近くの鏡を覗き込んでみると、あまりの似合わなさに俺はがっくりと肩を落とした。同じものでこれだけ差が出るんだもんなー。萩原は野性味があって渋くかっこよかったというのに、俺がかぶったんじゃまるっきりの子どもみたいじゃないか。
「カワイー」
 ふいに声がして、近くにいた三人組の女の子が、俺の頭のクロコダイルハットを見ていた。
「ちょっと見せてもらっていいですか?」
 一番手前にいた子が言うので、俺が帽子を脱いで手渡すと、女の子たちは次々に試着を始めた。
「これ、いいなー」
「かわいい」
「欲しいかも」
 女の子がかぶってみせると印象が変わって、彼女たちの着ているフワフワのワンピースやスカートとのミスマッチが逆に可愛らしく見えた。三人とも細くて華奢で雑誌のモデルみたいな女の子たちだった。
「あのー、これって、他にもありますか?」
 女の子の一人が店員に訊ねる。
「それね、輸入だから今のとこその一個しかないんだ。時間かかってよければ取り寄せるけど」
 店員の返事に、訊いた女の子は「うーん」と呟きながら、俺のほうに帽子を差し出した。
「ありがとうございました」
 俺はびっくりして両手を前に出して振った。
「え? 俺、買わないから、いいですよ」
 女の子は目を丸くして、「えー」と言った。
「似合ってたのに。買わないんですか」
 俺は萩原を見た。
「おまえ、買う?」
「いや」
 萩原も首を振ったので、俺はもう一度「俺たちは買うつもりなかったから」と告げた。
「本当ですか? ありがとうございます!」
 嬉しそうにお礼を言われて、たまたま先に見ていただけなのに、こんな可愛い女の子と言葉をかわせるなんてラッキーだと思ってしまった。
「さっきの子たち、三人ともめちゃめちゃ可愛くってびびった」
 別のコーナーに移ってから、俺がそう言うと萩原はからかうように返した。
「そう思うならナンパしてみるか?」
「萩原、俺のために声かけてくれんの?」
「三木が自分でやるんだよ」
「それは無理。も全然無理」
 そんなことを言い合いながら別のコーナーを見ていた俺たちのところに、買い物を済ませたらしいさっきの女の子たちがやってきた。
「あの、さっきはありがとうございました」
「いえ」
 わざわざ来てくれた律儀さに俺は驚いたが、女の子はさらに驚くことを言った。
「よかったら、お礼にお茶でもどうですか?」
「え」
 帽子を買った女の子が俺をまっすぐに見ているので、俺はちょっとあせって萩原のほうを振り向いた。すごく可愛い女の子たちだから、萩原がもしかしたら一緒にお茶したいと考えるかなと思ったのだが、当たり前だけど萩原は全然表情を変えず女の子たちに食いついている様子もなかったので、俺はほっとして「ごめん」と女の子に謝った。
「俺たち、時間ないから。それ本当買うつもりじゃなかったし、気にしないで」
 断って萩原をうながし歩き出した俺たちの背後で「だからカップルだと思うって言ったでしょ」という声が聞こえてきた。
「だってー」
「絶対付き合ってるんだって、あの二人」
 彼女たちは聞こえないように声を押し殺しているつもりだったのかもしれないが、しっかり聞き取れた、信じられない言いがかりに、俺は目を剥いて隣の萩原を見た。萩原はポーカーフェイスで前を向いたまま歩き続けた。
「なんか、すっげー誤解されたんだけど」
 帰りのバスに乗り込んでから俺はぼやいた。
「三木が断ったからだろ」
 萩原は言って、俺を見た。
「あの子たちのこと可愛いって言ってたのに、どうして断ったんだ?」
「それは」
 俺は困って窓の外に視線を逃した。あの子たちは日夏じゃないから。
「ちょっと可愛いすぎて、俺には無理っぽいって思っちゃった」
「なんだ、それ」
 卑屈なセリフに萩原が微妙な表情を作ったので、俺はおどけて笑ってみせた。
「もうキラキラしてたじゃん。まぶしーって感じ」
 彼女たちはキラキラしているけれど、日夏とはちがう。例えるなら、女の子たちのキラキラはミラーボールで、俺にとって日夏は本物の金なんだ。そう思ったら胸が苦しくなって、俺は大きく息を継いだ。


 日夏と顔を合わせないまま夏休みに入ろうとしていた。このまま会えなくなったらと考えるとひどく怖くなったけれど、日夏と会うのもまた怖かった。俺は本当に臆病な人間だ。俺は日夏とどんな“友だち”になろうとしているのか、自分でわからない。だから日夏に会えない。
 その日最後の授業は萩原と一緒だった。
 萩原とはあれ以来日夏の話をしなかった。萩原は今までも俺が失恋する度に愚痴の聞き役になってくれていたけれど、決して自分から何か訊いてきたりはしなかった。だから俺は安心して萩原に愚痴をこぼすことができたのだが、まだ日夏のことを話題にするには自分の中で整理がつかない状態だった。
 講義終了のチャイムが鳴って荷物を片付けているときに、携帯に薄田からの着信があった。
「もしもし?」
―三木ちゃんさー、今、萩原と一緒だよね?
 薄田はいきなりそう確認してきた。俺はちらっと隣の萩原を見た。
―もうすぐ夏休み入るし、今夜みんなでメシ行かない?
 みんなとは誰だと問い返すこともできなくて、俺は萩原とともに指定されたロビーへと向かった。
 待っていたのは、予想通りの三人。薄田と金子と――日夏。
 日夏は俺たちを見てかすかに頭を傾け、それは俺への挨拶だったのだろうけれど、俺は目を合わせられなくてうつむいた。
「とりあえずどこ行く? がっつりメシ? それとも飲む?」
 薄田が脳天気な声をあげた。
 夕食には早すぎる時間だったが、金子は夜にバイトが入っていると言う。俺は呆れて金子を見た。
「なら、どうして今日にしたんだよ?」
「だってもう夏休みになっちゃうじゃん。その前にちゃんと……じゃなくてっ、えーっと……暑気払い、そう、暑気払いしなくっちゃじゃん、ねえ?」
 金子はつっかえつっかえそう言って、助けを求めるように薄田を見た。
「じゃ、飲むか。金子は飲めないけど」
 薄田がしれっと言葉を継いで、店を決めた。
 二人の態度を見ていて、なんとなく、わかってしまった。薄田と金子が、俺と日夏のために集まってくれたこと。俺たちが“友だち”に戻れるように手伝ってくれようとしていること。日夏が二人に言ったんだろう。俺が萩原に伝えたように。
 金子のバイトの時間が来るまで5人で飲んだが、ぎこちない空気はどうしようもなかった。ほとんど金子が一人でしゃべり続けて場を繋いでいた。
 俺は日夏のほうを見られなかった。そのくせ日夏の一挙手一投足が気になって気になってしかたがなかった。
 日夏が好きで好きで好きで、どうしようもない。
 目が合ったら、言葉を交わしたら、キスしたくなる。抱きしめたくなる。いや、ちがう。そこに日夏がいるだけで、俺は日夏にキスしたい。抱きしめたい。
「三木ちゃん、次、何飲む?」
 日夏が声をかけてきたのは、俺のグラスが半分空いたくらいのときだった。その声に心臓がドキンと大きく波打って、胸が痛くなった。
「あ、えっと……チューハイ、かな」
 俺は日夏の顔を見ずに返した。
「チューハイのどれ?」
 日夏が差し出してきたドリンクメニューをろくに確認することなく「梅」と答える。息が苦しくて涙が出そうだった。
 ふいに、日夏と初めてキスしたのがこの居酒屋だったと気づいた。酔っ払っていた俺に、日夏がキスしたんだ。
 なんで日夏は男なんだろう。なんで俺は男なんだろう。どっちかが女の子だったら、何の問題もないのに。なんで男同士なのに、普通の友だちになれないんだろう。
「俺、そろそろ行かなきゃなんない」
 バイトに行く時間になった金子が立ち上がる気配に、俺は口を開いた。
「それなら、俺も帰る。途中まで一緒に行こう」
「三木ちゃん」
 金子は一緒に帰るという俺の言葉に困った顔をしたが、俺は気づかぬふりで先に立ち上がり、金子と一緒に店を出た。しばらく歩くと、金子はためらいがちに言い出した。
「三木ちゃん。日夏さ、ちゃんと友だちに戻るって言ってたよ」
「…うん」
「俺、よくわかんないんだけど、もう二人は付き合ってないんでしょ?」
 金子に確認されて、一瞬返事ができなかった。肯定の声が出なくて、うつむくように頷いてみせた。
「三木ちゃんが、無理だって言ったんでしょ。付き合えないって。だから、日夏はあきらめるって言ってたよ。だから、」
 金子の言葉を俺は手を挙げてさえぎった。
「わかってる」
 日夏が“友だち”のスタンスに戻そうとしてくれているのは、俺だってしっかり感じてる。全部俺が悪い。女の子じゃないのに、日夏を好きな俺が悪い。日夏とセックスする度胸がないくせに日夏をあきらめられない俺が悪い。中途半端でどっちにも切り替えられない俺が悪いんだ。
「俺、三木ちゃんを責めてるんじゃないよ」
 ほとんど呟きみたいな金子の声がひどく悲しそうに響いて、俺はとりあえず笑ってみせた。
「ごめんな。俺、ヘンなんだ。すっげー中途半端。自分で自分が情けなくってさ」
 金子は首を振った。
「三木ちゃんは悪くないよ。日夏も自分が悪いって言ってた。だから元通りになるよう努力するって」
 いったいどこが俺と日夏の“元”だったんだろう。俺は日夏を知れば知るだけ好きになっていったのに。日夏を知らない前になんか戻れるはずがない。



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