BACKFANTASIA




ハルノウタ4 -4-





 金子と別れて家に着くか着かないかで、俺の携帯に薄田から着信があった。
―三木ちゃん。今から俺んち来てよ
「え?」
 思いがけない呼び出しに首をかしげた俺の耳に「もーダメだって」と投げやりっぽい声が聞こえた。
―もうダメだって。審判が途中退場っつーのはないから。俺が可哀そうでしょ
 薄田の言ってる意味が最初わからなくて、俺は問い返した。
「おまえ何言ってんの?」
 携帯が混線しているのだろうか。
―萩原と日夏。あの二人を俺だけに押しつけて逃げちゃうっていうのは、さすがにひどくないか
 薄田に言われてようやく俺は二人の間が微妙だったことを思い出した。俺は自分が日夏といるのが気まずいことしか意識になかった。だから金子にかこつけてその場を逃げ出したのだ。
「悪い」
 さすがに薄田に申し訳なくなって謝ると、薄田は短く「だから、今すぐ俺んち」と指示してきた。
「わかった」
 俺はしかたなく薄田の家に向かった。萩原と日夏がケンカしていることなど俺はすっかり忘れていた。自分のことしか考えてなかったからだ。自分がどうやって日夏と「友だち」になるかばかり考えていた。
 薄田は二人を自分の家に連れて行ったのだろうか。できるなら萩原と日夏に仲直りしてほしかった。俺はいつかは日夏とちゃんと友だちになりかったし、萩原と日夏にも前のようになってほしかった。
 前には日夏も萩原を慕っているように見えていたのだ。萩原を少し怖いと言った金子よりも、日夏のほうが萩原に親しんでいたと思う。「萩ちゃん」と屈託なく萩原に笑いかける日夏の顔を俺は覚えている。
 二人の行き違いを正せるものなら正したかった。
 俺は徐々に歩く速度を速め、電車を降りてからは走り出していた。
 薄田の家に行くのは初めてで、駅からの道順を教えてもらってアパートの玄関にたどり着くと、薄田はそこまで出て待っていた。
「割と早かったな」
「走った」
 息切れしながら答えると、薄田は「えらい」と言って俺の頭を撫でた。
「もうやばかったんだって。あの二人、三木ちゃんがいなくなった途端、あそこで始めるんだもんよ」
 エレベーターの中で薄田は言った。
「また、ケンカ?」
 息を整えながら短く訊いた俺に、薄田が肩を竦める。
「しょうがなく俺んちまで引っ張って来たけど。肝心の三木ちゃんがいなくちゃ話になんないだろ」
「俺?」
「そう、三木ちゃん」
「俺なんか、何もできないよ」
 ふいに気持ちが萎えて、俺は口ごもった。だって俺は二人に原因も教えてもらっていない。
「とりあえず、二人には三木ちゃんが来るまで待てって言ってあるから」


 部屋の前まで来ると、薄田は俺に向かって人差し指を口に当て「静かに」という仕種をしてみせ、音を立てないように注意深く鍵のかかっていないドアを開けた。
 薄田に促されて、先に玄関の中に入ると、「ふざけんなよ」という萩原の声が聴こえてきた。
「ふざけてんのはどっち?」
 すぐに日夏がそう切り返す言葉も聴こえた。諍いは続いているのだ。二人とも俺には理由を言わないから、薄田はそれを聞かせようとして身を潜めさせたんだろう。
「萩ちゃんにふざけんなって言いたいのは俺のほうだよ。今さらじゃん。今さら何言ってんだよ。そんなに大切に思ってるなら、どうして三木ちゃんがつらい時に力になってあげなかったの? 三木ちゃんはずっと淋しかったんだよ」
 自分の名前が引き合いに出されて、俺は隣に立った薄田を見た。薄田が俺に頷いてみせる。
「そんなこと、おまえに言われなくてもわかってる」
 苛立たしそうに言う萩原にかぶせるように日夏が返した。
「わかってて何もしなかった萩ちゃんに、俺のこと非難する資格なんてない」
「おまえが!」
 萩原の怒鳴り声が響いた。
「おまえが、余計なちょっかい出して三木を傷つけたんだろう」
「傷つけたくて、傷つけたんじゃない!」
 日夏が叫んだ。
「俺が、三木ちゃんを幸せにしてやりたかったんだ」
 そのまましばらく沈黙があって、俺は身動きができなかった。二人は、何を言っているのだろう。理解できない言葉が行き交っていた。
 日夏は悲しげな調子で萩原に問いかけた。
「…なんでだよ? なんで萩ちゃんは三木ちゃんのこと放っておけるの? 萩ちゃんなら、できたはずだよ。萩ちゃんにしかできないんじゃないかって、俺はそう思ってた。ずっとそう思って、諦めてた。だけど」
 日夏はそこで咳払いした。
「だけど、俺のものだから。萩ちゃんが行動しないんなら、俺が三木ちゃんをもらう。誰にも渡さない」
 鈍い音が、日夏の言葉を遮った。ガタンッとテーブルか何か重いものが動く音がして、俺は慌てて靴を脱ぎ捨て、部屋に駆け入った。
「日夏!」
 萩原に殴られたのだろう、うずくまっている日夏に、俺は反射的に駆け寄っていた。日夏の身体を俺が抱えると、萩原は何も言わず立ち上がって部屋を出て行こうとした。
「どうして逃げるんだよ?!」
 俺の腕の中で身を起こした日夏は、萩原の背に向かって叫んだ。
「卑怯なのはそっちだ。それなら俺は、絶対渡さないから。絶対三木ちゃんを渡さない」
 後からやってきた薄田がその脇をすり抜けようとした萩原に「萩原」と呼びかけたが、萩原は振り向くことなく出て行った。
 日夏は俺の指先をぎゅっと握りしめた。
「…追いかけないの?」
 一度強く握った指を放して、日夏は俺にそう訊いた。
「三木ちゃん、萩ちゃんを追いかけなよ」
 日夏にそんなふうに言われて、俺は動けなかった。
 日夏は俯いたまま、ゆっくりと俺の腕をほどいた。俺と目を合わせることなく、小さく笑うと「ごめん」と誰に言うでもなく呟いて立ち上がり、日夏も薄田の部屋を出て行った。
 俺は、動けなかった。頭の中が混乱していた。
 萩原と日夏は俺のことでケンカしていたのだろうか。けれど、二人とも何か勘違いをしているように感じられた。


「俺は、三木ちゃんが決めるしかないと思う」
 薄田は言った。萩原も日夏も帰ってしまった部屋で。
「萩原にするか、日夏にするか」
「そんなの、ありえない」
 俺はかぶりを振った。萩原も日夏も同じ男で「友だち」だ。俺がどちらかを選ぶような対象じゃない。
「三木ちゃんは、萩原に自分が日夏に振られたって言ったんだろ」
「…そうは、言ってない」
 俺が弱々しく反論すると、薄田はちょっと笑った。
「でも、萩原はそう受け取ってた。日夏が三木ちゃんを傷つけたと思ってる。だから日夏に向かって『人が大事にしているものを、横からかっさらうような卑怯な真似するな』って怒ったんだよ。それでもって日夏は『卑怯? 俺、堂々、恥じるようなこと何もしてないよ』ってさ」
 薄田は眉を上げて、日夏の声色を真似てみせた後で、声を落とした。
「だけど、日夏は自分が悪役だと思ってるよ。当て馬の日夏は振られて、本命の王子様登場のはずが、萩原がはっきりしないから日夏はイライラしてつっかかるんだよ」
「まさか」
 思いも寄らない展開に、俺は呆然とした。
「そんなの、勝手に決められたって困る」
 俺には王子様なんか必要ない。俺は男だし、どうせなら王子様よりもお姫様がほしいくらいだ。
 薄田は「だよなあ」と相槌を打った。
「だから、肝心の三木ちゃんに確かめなくちゃ意味がないって俺は言ってんのに、あいつら全然聞く耳持たないんだ。萩原なんか、三木ちゃんに話すことじゃないって俺にまで怒鳴るし」
 薄田は前髪をかき上げて軽くかき混ぜ、少しだけためらう様子を見せた後で、続けた。
「これ、言っていいのか、すげー悩むけど。実際のところ萩原は迷ってるんだって。前にそう言ってた。自分も三木ちゃんも男だし、そういう関係じゃないって思ってるんだってさ。だけど、三木ちゃんが日夏と付き合うのも嫌なんだって言うんだ。勝手だよなあ」
 言いながら薄田はキッチンのほうに行って、冷蔵庫からウーロン茶のペットボトルを取り出した。
 俺は萩原を勝手だとは思わなかった。俺だって、誰よりも萩原を大事だと言いたかった。女の子とはちがうから、誰よりも大切な男は萩原だって、そう胸を張って言いたかった。けど、俺は男の日夏が好きなんだ。
 薄田がグラスに注いで持って来てくれたウーロン茶を受け取る。一口飲んで、思わずため息がこぼれた。
「三木ちゃんさ、萩原のこと、好きなの?」
「え」
 意外な質問に俺が目を丸くして見返すと、薄田は少し困ったような顔で目をそらした。
「三木ちゃんが萩原を好きなら、三木ちゃんから告白すれば、萩原も覚悟決めるんじゃない?」
「俺が…」
 俺が萩原に告白する? どうして?
「そう見えなくもなかったんだよ」
 俺の言葉を待たずに、薄田は続けた。
「だから、日夏が自分は当て馬だって思う気持ちも、俺はわかる」
「そんな」
 日夏は当て馬なんかじゃなく、誰よりも恋愛ドラマの主人公にふさわしいヤツなのに。まっすぐできれいで、いるだけでその場が明るくなるような存在だった。そして多分、相手役は俺じゃない。
「俺さー、昔、日夏が好きだった人のこと、聞いたことあるんだ」
 そう薄田は言った。
「その人、日夏以外の人にずっと片想いしてたんだって。日夏と付き合ってても、ずっと違う人のこと想い続けてたって」
 そこまで言って薄田はおどけたような声を作った。
「ほら、俺も今、アレだし。だからこそ日夏は俺にその話をしたんだろうけど」
 薄田は今、人妻と付き合っている。当然ながら、うまくいってないらしいことは俺でも薄々気づいていた。「クールなお姉さまだと思ってたら、中身は三木ちゃん並みのオバカだったんだ。参った」などと冗談めかして、愚痴っていた。その時は、俺を引き合いに出すなって怒ったけれど、薄田が人妻に本気らしいことは、俺たちはみんなわかっていた。
「前は三木ちゃんも、萩原しか見てないような感じだったじゃん。日夏が自分じゃないって思うのも、しかたないんだよ」
「俺は……日夏が好きだよ」
 呟いたら、勝手に涙が滲んだ。日夏が好きだ。でも。
「でも、俺も男だし、日夏とそういう、付き合うとか、やっぱり無理だと思う。それに日夏だって…」
 日夏は、本当に俺を好きなのだろうか?
 ただ俺を可哀そうと思っただけなんじゃないか。俺が萩原に報われない想いを抱いていると思って、それを可哀そうだと同情しただけなんじゃないのか。全部幻想なんだ。俺は萩原にそんな気持ちは持っていないし、日夏だって本当は俺を好きなわけじゃなくて。
 それならそれでいいはずだった。俺と日夏は“友だち”で、何の問題もない。男同士で付き合うのは無理だと言ったのは俺だ。だから、“友だち”でいいんだ。
 なのに、どうして胸が苦しいんだろう。
 涙と一緒に鼻水まで出てきて俺がすすり上げると、薄田がティッシュの箱を差し出したので、ウーロン茶を置いて、ティッシュを二、三枚取り、目と鼻を拭った。
 俺がこんなに中途半端だから、萩原にも日夏にも迷惑をかけてしまう。普通に“友だち”でいいじゃないか。
 拭っても拭っても滲んでくる涙に、顔中をごしごしこすっていたら、薄田が手を伸ばしてきて俺の肩を引き寄せた。
「俺にしとくか?」
 頭の上から声が聞こえた。



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