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ハルノウタ4 -5-





「おまえ、何言ってんの?」
 薄田は小さい子にするみたいに、俺の頭を撫でた。
「いっそ萩原も日夏もやめて、俺にするっていうのはどう?」
「ふざけんなよ」
 俺は両手をつっぱって、薄田から身体を離した。
「萩原よりも日夏よりも、俺のが楽だろ? 俺は三木ちゃんを追いつめたりしないぜ?」
「薄田」
 目の前にあったのは思いのほか真面目な顔で。
「俺は三木ちゃんを助けてやれると思う。そんで、三木ちゃんなら俺を助けてくれるんじゃないかと思うわけ」
「薄田」
「俺のカノジョ、俺のことも旦那のことも好きなんだって。どっちも好きでつらいって泣くんだよ。本当にバカみたいにびーびー泣くの。だから、俺、もうやめようと思ってるんだ」
 いつも俺をからかってばかりいる薄田が俺に弱味を見せるなんて思ってもみない事態で、俺はうまく反応できなかった。
「だから三木ちゃん、俺と最初から二人で始めないか。俺は何でも三木ちゃんと話すし、勝手に思い込んで暴走したりしない」
 薄田の言葉に、再び涙がこみ上げてきて、唇を噛みしめてどうにか堪えた。ああ、そうか。俺、萩原にも日夏にも置いてかれたように感じて、つらかったんだ。それを薄田はわかってるんだ。
「二人でゆっくり段階踏んでったらいいんじゃないの。俺はちゃんと三木ちゃんのペースに合わせるようにするから」
「俺は」
 俺は必死でかぶりを振った。
「俺は……どうせなら、女がいい」
 俺がちゃんと女の子と付き合えていたら、こんなややこしいことにはならなかった。
 俺の言葉に、薄田はふっと笑った。
「結論は急がなくていいんだよ。どうしようもなくなったら、俺んとこへ逃げてくれば? 俺がしっかり萩原も日夏もおっぱらってやるよ」
 薄田らしからぬ、優しげな笑顔だった。
「うるさい、バカ」
 涙が溢れそうになって、慌てて悪態をつく俺に、薄田は、唇の端を引き上げて、憎たらしいくらいのすごくいい顔をした。俺のこと全部わかってくれる、そんな気持ちにさせる笑顔だった。
「ばかやろう」
 俺の悪態は声にならなかった。年下のくせに。自分も苦しいくせに。


 その日は、薄田の部屋に泊まった。終電もなくなったし、タクシーを呼べるような金銭的余裕は持ち合わせていない。
「いいのかなあ。俺、一応三木ちゃんに交際申し込んだんだけど。そういう相手のところに泊まるの平気?」
 薄田がふざけたように訊いてきたので、俺はヤツの足に軽く蹴りを入れた。
「バカ。気持ち悪いこと言ってんな」
「真面目に心配したのに、気持ち悪いとか言われると傷つくんだけど。ま、大丈夫だよ。俺は紳士だから三木ちゃんの意向を無視して襲ったりはしないから」
「だっから、気持ち悪いことは言うなっ」
 薄田の前で泣いてしまったのが照れ臭くて、俺はいつも以上に乱暴な口調で言い返し、薄田はいつも通りヘラヘラ笑って俺をからかった。それが俺の気持ちを楽にしてくれるように感じて、なんだか嬉しかった。


 翌日、薄田の家を出た俺は、萩原の携帯に電話をかけた。
 薄田から、北海道旅行が明後日の出発だと聞いて、その前に萩原と話したかった。
―もしもし?
 数回コールが続いて不安になりかけたころ聞き慣れた声が応えて、俺はほっと息をついた。
「よかった」
―何が?
「萩原が、電話に出てくれて…」
 思わず本音を口に出してしまっていた。さけられるんじゃないかと不安だったのだ。
―三木
 萩原が困った声を出したので、俺は慌てて切り出した。
「あのさ、俺、ちゃんと言っておきたいと思って。顔を合わせてじゃ言いづらいから、電話したんだ」
―…うん
「俺、みんなに誤解されてるみたいだけど、萩原に、その…れ、恋愛感情とか、ないから。俺は萩原のこと大好きだけど、そういう好きじゃ、絶対ないから安心してよ」
 内容の言いにくさと、沈黙を怖れる気持ちとがあって、俺は早口にまくし立てた。
「多分、俺、萩原のこと、かっこいいって言い過ぎてたんだよな? 本当にかっこいいと思ってるから、つい言っちゃうんだけど、全然ヘンな意味は入ってないんだ。だから、」
 息が続かなくなって、ちょっと言葉が途切れた。萩原は黙っていた。
「だから、萩原も気にしないでほしい。前と同じように普通に友だちでいてほしい」
―そうだな
 頷いた萩原の声が安堵を滲ませていたので、俺もようやく安心できた。
「本当にさ、なんかヘンな感じになっちゃってて、俺も不安で。萩原にヘンなふうに思われるのが一番やだったんだ。話せて、本当によかった。もうすぐ北海道行くんだろ?」
―…一つ、聞いてもいいか?
 萩原がためらいがちに言った。
―日夏のことは……三木、日夏をどう思ってんの?
 答えようのない質問に、俺は沈黙した。
―ごめん
 萩原が謝ったので、俺は驚いて「どうして?」と言った。
「どうして萩原が謝るんだよ?」
―三木が言いたくないなら、言わなくていいんだ
「ちがう。言いたくないんじゃなくて、俺こそ、ごめん。俺がはっきりしないから、萩原にまで迷惑かけて」
 日夏と付き合うのは無理と思いながら、俺はまだ日夏が好きだ。
―迷惑とかそんなんじゃない。俺は、三木が日夏に振り回されるのが許せないんだ
 いつにない萩原の語気の強さが、俺をあせらせた。
「ちがうんだよ。ちがう。日夏じゃないんだ。日夏じゃなくて、俺が日夏を好きなんだ。だから、ごめん」
 ちゃんと女の子を好きにならなくて、ごめん。萩原の彼女と一緒にダブルデートできるような恋人を作れなくて、ごめん。萩原にふさわしい友だちになれなくて、ごめん。
―謝るなよ
 萩原は言った。
―俺、三木に謝らせたくないから。悪いけど、日夏を許せない
「萩原…」
 そのまま通話の切れてしまった携帯を、俺は呆然と握りしめた。
 どこで間違えたんだろう。どうしたら、萩原と日夏の仲を修復できるのか、わからなかった。
 俺が日夏をあきらめられればいいのだろう。それはわかっていた。だけど、萩原に嘘はつけなかった。俺は萩原を好きだから、嘘は言いたくなかった。
 日夏。俺はおまえを傷つけてばかりいる。好きでいて、ごめん。そう心から思った。


「北海道の土産は何がいい?」と薄田が電話をかけてきた時、俺は思わず「萩原にうまく言えなかった」とこぼしてしまった。
「萩原が日夏のこと怒ってるのは、俺のせいだよ。俺がややこしくしちゃったんだ」
―あいつら、しょうがねえなあ
 薄田は苦笑した。
―あの二人、似てるから反発すんじゃないの
「似てるか?」
 確かに二人ともかなりもてるという共通点はあるけれど、全然タイプがちがうじゃないか。
―似てるって。二人とも同じようにクソ真面目じゃん
 薄田に断言されると、俺もそんな気がしてくるから不思議だ。萩原と日夏は似ているのだろうか。
―ある意味、兄弟ゲンカみたいなもんだから、近づかないほうがいいぞ、三木ちゃん。逃げちゃえ
 ちゃかすような薄田の言葉に、俺はちょっと笑った。薄田が重ねて言う。
―マジで。あいつら、一人でも十分重いんだから、二人がかりじゃ、三木ちゃん、つぶされちゃうって
「何の話をしてんだよ?」
―そんなもんだって。三木ちゃんは逃げ足遅そうだから、俺が担いで走ってやるって言ってんだろ
「おまえ、そうやっていつも俺のことバカにして」
 クスクス笑っていた薄田は笑いをおさめて軽く咳払いした。
―今さっき、別れてきたんだ
「え?」
―カノジョと。たった今きれいにサヨナラしてきました
 いきなり話題を変えた薄田に、俺は絶句してしまった。薄田はもう結論を出したのか。
―俺、もう清い独り身だから、三木ちゃん、安心して俺んとこに来ればいいよ
 薄田は既婚の恋人と別れたのだ。
「…バカ」
 俺はとっさに何も言えなくて、そう呟いた。本気で好きだったくせに。他人事なのに涙が滲みそうになった。薄田があんまり明るい声を出すから。薄田じゃないみたいに素直な言い方をするから。
―バカはないよなー。俺だって真面目に三木ちゃんと付き合うつもりでケジメつけたのにさあ
「どうしてそういう話になるんだよ」
 俺の言葉に、薄田はアハハと声を上げた。
―三木ちゃんは、女がいいんだもんな。じゃあ、俺と一緒にナンパしまくるっていうのはどう?
「おまえ、本当にバカじゃないのか」
 薄田のやたらに明るい声は、薄田が本当に彼女を好きだったんだろうという確信を深めた。俺をからかうことで薄田の気が紛れるなら、今は相手をしてやりたかった。
 そして、俺もまた、薄田と話していれば、深刻にならずに済むのは確かだった。
 薄田と付き合ったら、うまくいくのだろうか。薄田は俺を助けてくれると言った。俺が薄田と付き合えば、萩原と日夏はケンカをやめるだろうか。
―土産は、あれにしようか、熊。木彫りの熊。北海道だもんな
「いつの時代だよ」
―あれ、魔除けになるんじゃなかったか。熊は足も速いだろうしな
「もういいよ」
 俺が呆れた声を出すと、薄田は少しの間沈黙した。それから、こう言った。
―…三木ちゃん、今から俺んち来ない?
 俺はしばらく迷った後で「行かない」と答えた。薄田の顔を見たいという気持ちがあったから、行ってはダメだと思った。
「明日の飛行機、早いんだろ? 土産、ちゃんとしたの買って来いよ。熊じゃないヤツ」
 薄田は微かなため息をついて「わかった」と笑った。
―じゃあ、三木ちゃんにはキャラメルかチョコレートを買ってきてやるよ
「うるせ」
 俺の悪態にアハハと笑い声を残して、電話は切れた。
 まだ薄田の家には行けない。今、薄田に甘えてしまったら、俺は嘘をつくことになる。


 金子がアルバイト先のバーベキュー大会に誘ってきたのは、萩原と薄田が高校の同級生たちと北海道旅行に出発した後のことだった。河川敷でのバーベキュー大会は部外者の参加もOKで、形ばかりの参加費に反して豪華な食材が満載なのだと言う。
「知沙乃ちゃんたちも友だち連れて参加するって言うからさ、三木ちゃん、よろしく頼むよー」
「なっにが! おまえ、いつまでそんなこと言ってんの? おっせーんだよ」
「だから、この夏こそがんばるんだよー。協力してよ」
「金子は多分冬になっても同じこと言ってるよ」
 冷たくあしらう俺に、ヘラヘラ笑っていた金子は「あと日夏も誘うから」と付け加えた。
 精一杯さりげなく伝えようとしたんだろう金子に、俺はうまく返せなくて「うん」と頷くのがやっとだった。
 金子は金子で、俺と日夏が“友だち”になれるよう考えてくれているのだと感じた。
 バーベキューの当日は、よく晴れた暑い日だったけれど、会場の河川敷には川からの風がひっきりなしに吹いてくるので心地よく、参加者は皆楽しそうにしていた。
 金子のバイト先の人たちは誰もが料理に手慣れた様子を見せて、特に男性の若手社員たちが肉や野菜を焼き上げては配ってくれるので、俺はほとんど何もせず、ビールサーバーを操作する女性社員から手渡されたビールを飲みながら、食べる一方だった。
 隣には金子、そしてその向こうに、日夏がいた。
 白いTシャツに重ねた麻っぽい水色のパーカーが、日夏によく似合っていた。間の金子越しに盗み見た横顔。水面からの光が反射して、きれいな陰影に彩られていた。
 俺たちの向かいには、金子が片想いしている知沙乃ちゃんとその友だちのグループがいて、金子がせっせと話しかけていた。女子高生たちは、他愛のないことでケラケラとよく笑い、夏の陽射し以上に周りを明るくした。
 バーベキューの参加者の中には、恋人同士や夫婦らしき男女もいて、仲良く寄り添っていた。彼らは当たり前にセックスしてるんだろうな。まぶしいくらいに晴れた青空の下で、そんな下世話なことを考えている俺がいる。

 日夏に触れたかった。
 何も考えずに抱き合いたい。日夏の匂いをかぎたい。肌に触れたい。キスしたい。
 光の中の日夏はあまりにキレイで、触らないと存在を実感できない気がした。
 バカだ、俺は。


「三木ちゃん、日和ちゃんてコ、どう?」
 バーベキューが終わる頃、片づけの合間に金子が耳打ちしてきた。
「あのコ、彼氏ほしいって言ってたんだよ。なかなかカワイイでしょ?」
 俺が何も言わずに金子を見ると、金子は少し困ったような顔で笑った。
「とりあえず付き合うって感じでいいじゃん。そしたら三木ちゃん日夏のこと気にしなくてよくなるんじゃないかなあ」
「そういうの、相手に失礼だろ」
 俺は俯いて、ボソボソ呟いた。
「それに俺のことなんか気にしてんなよ。おまえ、知沙乃ちゃんのことがんばるって言ってただろ」
「そうだけど。でも、俺、三木ちゃんに幸せになってもらいたい」
 金子が妙に真剣な声で言うので、俺は困ってしまった。
「三木ちゃんが元気ないと落ち着かないんだよ。気になって、知沙乃ちゃんに集中できない」
「バッカやろ。んなこと言ってるヒマあるか」
 ただでさえ少しも進展させられてないくせに、俺なんか気にしてる場合か。
「夏は出会いの季節だろうが。金子がグズグズしてる間に知沙乃ちゃんに彼氏ができちゃったらどうするつもりだよ」
「そういう話じゃないじゃん」
 金子はうらめしげに俺を見た。
 …わかってるよ。金子が俺を本気で心配してくれてるってことは。ありがたいって、嬉しいって、ちゃんと感じてる。
 だけど俺は今すごく好きな奴がいて、他の子に目を向ける余裕なんかない。それは多分知沙乃ちゃんを見つけた金子と同じなんだ。
 そして金子は俺とちがって好きな子と付き合うのに何の問題もないんだ。
「ほら、行くぞ」
 俺は金子をうながして、知沙乃ちゃんのいる女子高生グループに近づいて声をかけた。
「よかったらこの後、一緒にカラオケ行かない?」
 知沙乃ちゃんが俺のほうを見たので、笑いかける。
「金子がブッチャーズ、得意なの」
 女子高生は6人で、こっちは金子と日夏と俺の3人だから、少々バランスは悪かったが、知沙乃ちゃんの友だちの1人は予定があるからと帰って、結局8人でカラオケに行くことになった。
 予定があって先に帰ったのが金子の言っていた日和ちゃんだったので、俺はなんとなくほっとしてしまった。女子高生のうち知沙乃ちゃんを含めて3人が金子と同じアルバイトだという。
 俺たちは河川敷からカラオケボックスのある駅前まで歩くことにした。バーベキュー会場まで金子のバイクに乗せて来てもらった俺は、カラオケボックスには知沙乃ちゃんを乗せて先に行けと金子をけしかけたが、金子にそんな根性があるはずはなく、バイクを転がして俺たちと一緒に歩いた。

「ヒロくん…?」
 国道沿いのバス停の脇を通りすぎる時、一人でバスを待っていた女性が、日夏を呼び止めた。社会人らしいベージュのスーツを着た、少し年上っぽい女性だった。
「センセイ…」
 驚いた様子で日夏が足を止める。
「やだ、どうしてここにいるの?」
 問いかけた女性はすぐに納得したらしく「そっか」と呟いた。
「ヒロくん、昔からK大志望だったものね。受かったんでしょ」
 日夏が頷くと女性は「おめでとう」と笑った。かなり小柄なせいか可愛らしい雰囲気の人だった。
「大学のお友だち?」
 俺たちに目を向けて女性の発した問いに日夏が頷いた時、バスがやって来た。降りる人もなくバスのドアが開き、女性はかすかに小首を傾げるようにして日夏を見上げ、「じゃあ」と手を振って、バスに乗り込んだ。
 日夏はバスの発車を待たずに「行こう」と俺たちをうながした。
「今の、昔の家庭教師の先生なんだ」
 歩きながら日夏は誰にともなく呟くように言った。
「日夏くん、家庭教師がついてたの?」
「きれいな人だったねー」
 女子高生たちが口々に言う。
 俺と金子はその女性について何もコメントできずにいた。彼女が日夏の例の相手なのだろうと推測できたから。日夏の初体験の相手。妖艶な美女と想像していたその人は、スーツ姿でなかったら、俺と同い年と言われても信じただろうほど可愛らしい雰囲気の人だった。
 日夏が好きだった人。
 俺とは何の共通点もない、きれいな女性。
 いつか日夏は彼女のような人と恋に落ちるのだろう。
 それがごく当たり前に想像できた。
 俺はちがうのだとはっきりわかった。
 傾きかけた陽射しの下で、女子高生たちを交えて他愛ないおしゃべりをしながら歩く。俺と日夏は、こんなふうに「友だち」でいるのが正しいのだと感じた。



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