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トライアングル -2-



 家ではぼくのいないところで、今日子の結婚話が着実に進んで行った。
 正月に帰省した時には、すでに式の日取りまで決まっていた。相手が再婚だから式はしないと言っていたのが、母がぜひにと主張したらしい。五月の初めにという話になった。
 元旦早々、彼ら親子はやってきた。増田敏明。子持ちの四十男を兄と呼べというのか。娘の詩香子にいたっては、今日子やぼくと二歳しか違わないというのだ。そして、その席で「初めまして」と挨拶されたのは、ぼくだけだった。ぼくはふてくされて苦手なおせち料理をつついていた。
「もうすぐセンター試験ね。大丈夫?」
 母が詩香子に話しかける。どうやら彼女は受験生らしい。娘が受験という時に結婚なんて、何を考えているのやら、ぼくには見当もつかない。
「う〜ん、どうでしょうね? あんまり自信はないけど。でも、ほら、立派な先生がいるから」
 詩香子は笑顔で、如才なく答えた。母は、すっかり詩香子を気に入っているようだった。
「がんばってよ。結婚式の日に心置きなくお祝いできるように」
「できれば、結婚式は発表の前にしてほしかったくらいですよ」
「それじゃ落ち着かないじゃないの」
 にこにこと詩香子を眺めていた母は、こちらに目を向けた。
「詩香子ちゃんは、明日太の大学が第一志望なんですって」
「入学したら、アパート借りて一人暮しだから、明日太、面倒見てあげてよ」
 今日子に言われて、ぼくは肩を竦めた。
「合格したら、ね。でも合格したって入学するとは限らないよね。急に短大に行く気になったりして。それでもって、卒業する頃には結婚なんて言い出すんだ」
「明日太ったら」
 母が呆れたように首を振った。増田さんは微苦笑していた。大人の余裕ってやつか。ぼくは不機嫌な顔のままビールのグラスに口をつけた。ふと見ると詩香子がきつい目をしてこちらを睨んでいた。生意気な女だなと思った。
 一月も半ば近くまで、ぼくはアパートに戻る気になれず、実家でだらだらと過ごしていた。ある朝起きて行くと、居間には詩香子が一人で、アルバムを眺めていた。
「何してんだよ? 母さんや今日子は?」
 ぼくは寝起きで不機嫌なまま声をかけた。
「とっくに出かけたわよ。式場と打ち合わせだって、聞いてなかったの?」
「それでなんできみがここにいるわけ?」
「お邪魔してて、ごめんなさい。夕食のお誘いを受けてたから、家で待ってるよりはと思って、朝、父と一緒にこちらに伺ったの」
 言葉だけは殊勝だが、その口ぶりは生意気そのものだった。
「ねえ。これ、明日太でしょ?」
 いきなりの呼び捨てにギョッとして見ると、詩香子はアルバムの写真を指差していた。高校の頃、遊園地にでかけた時のものだった。当時のガールフレンドとぼく、そして今日子が写っていた。
「何、勝手に他人の写真見てんだよ」
「残念でした。今日子さんのアルバムよ。おばさんが見せてくれたの。披露宴でスライド上映やるんで出してきたんだって」
 ぼくの不機嫌さにおかまいなくアルバムをめくっていた詩香子は途中で手を止めた。
「これって、どういう写真なの? なんで三人なの?」
「高校の時のガールフレンドだよ。今日子の友だちだったんだ」
 ぼくが答えると詩香子はにやっと嫌な笑い方をした。
「明日太って、シスターコンプレックスでしょ」
「なんだよ、それ?」
 ぼくはむっとして言った。
「言っとくけどね、中学で付き合ってたのは一緒の部活のコだからね。今日子とは関係ないよ」
 半分は嘘だった。そのコは今日子のクラスメイトで、双子が珍しくてぼくに興味を持ったのだ。だけどそんなことを詩香子に教えるつもりはなかった。
「明日太って、中学の時ガールフレンドいたんだ」
「それがどうかした?」
「私、まだ男の子と付き合ったことないんだ」
 詩香子はちょっと肩を竦めるようにして言った。
 ぼくは気のおけない友だちを手にいれたということなのかもしれない。それからも今日子の結婚準備でぼくと詩香子はなんとなく取り残されることが多く、自然とぼくらは馴染んでいった。時にはぼくのことを訊くこともあったが―そしてそんなときはたいてい意地の悪い顔つきに見えた―、話題は殆んど詩香子自身のことだったから、詮索されることの嫌いなぼくは、いつのまにか詩香子を受け入れることができた。ただぼくに対してまるで遠慮ということを知らず、かなり辛辣な口調でずけずけと言いたいことを言ってくれるので、時折その攻撃性に鼻白むこともあった。ぼく自身、詩香子には他の女の子へよりも冷たい態度をとってしまうことがある。
 それは二人のつながりに原因があるとも思えるし、お互いの性格によるものかもしれなかった。



 柚里の留学に対して、結局ぼくたちは三人での壮行会をしなかった。二月のサークルの追い出しコンパがそれを兼ねた形になった。
 新城さんは都内の企業に就職が決まっているらしい。
「あー、ぼくは心配だ。東京なんかで暮らしていけるだろうか」
 おおげさに嘆いて周囲を笑わせていた。ビールの瓶を手にテーブルを回ってくると、ぼくと多貴の間に坐った。
「何より淋しいのは、かわいい妹尾に会えなくなることだ」
 そう言って調子づいた新城さんは、傍らの多貴を抱きしめた。多貴のほうが新城さんよりはるかにでかいので、そのアンバランスさがまた笑いを誘った。
「沢井さん、留学するんだって?」
 新城さんは、向かいに坐っている柚里に声をかけた。
「佐古くんが淋しがってるよ」
 柚里はにっこりと微笑んだ。
「嘘。淋しがったりしませんよ」
「どうして?」
 柚里は笑って答えない。新城さんは少し真面目な顔になった。
「ぼくは三人のこと、けっこう気にしてるんだよ。余計なお世話かもしれないけど」
 ぼくは何を言えばいいのか、ちょっとわからなかった。多貴のほうを見ると、新城さんの肩越しにそっぽを向いた横顔を見せていて、柚里は困ったように曖昧な笑みを浮かべたままだった。新城さんの顔に目を戻して、ふいに涙が出そうになってぼくは慌てた。
「余計なこと言ってごめん」
 新城さんはすぐに話題を変えた。
「沢井さん、イギリスのどこに行くの? 今日は沢井さんの壮行会でもあるよね」
 そのあとはお開きになるまで、日本でも人気のあるロックバンドのことなど当たり障りのない話題に終始した。



 詩香子は無事合格した。
 入学式が済むと、詩香子の父親と今日子はすぐに帰った。くれぐれも頼むとぼくに言い置いて。
 ぼくは仕方なく翌日のオリエンテーションにも付き合った。午前中のガイダンスが済み、午後のサークル紹介までの空き時間に昼食を取ることにして、詩香子がトイレに行っているのを講堂の入り口で待っていると、騒々しい集団につかまってしまった。
「佐古ッ!」
「つかまえたぞ、このヤロー」
 ワンダーフォーゲルの連中だった。多貴もいる。
「入学式の後は部員勧誘だろ。さぼってんじゃねえよ」
「多貴ちゃんも怒ってるぞー。見ろ、このフキゲンな面」
 後ろのほうでそっぽを向いていた多貴が引き出された。ぼくは顔を合わせづらくて他の奴に目を向けた。
「悪いんだけどさ、親戚の子が入学したんで面倒見なきゃなんないんだよ。だから今日は…」
 口の中でもごもごと言い訳をした。実を言えば、二月の追い出しコンパ以来、部室に顔を出していない負い目もあった。
「それじゃ仕方ないかもしんないけどさ」
 サークルの連中はあきれたような困ったような目を見交わした。
「でもちょっと妹尾と話してけよ。おまえらしばらく口利いてないって、聞いた」
「なんか多貴ちゃんが落ち込んでんの可哀想っつーか、似合わないっつーか」
「オレたち先に行ってるからさ」
 そう言って彼らは多貴を残して行ってしまった。
「なんかあいつら、変なこと言ってるな」
 ぼくはとりあえずそう言ってみた。
「でもオレたちがずっと会ってなかったのは事実だ」
 多貴が真っ直ぐな目で見るので、ぼくは困ってしまった。
「柚里はイギリスに慣れたかな? 新城さんも卒業しちゃったし、なんだか置いてきぼりの気分になるよ」
 口にすると自分でも冗談なのか本気なのかわからなくなった。
 ようやく詩香子がトイレから出てくるのが見えた。けれど、ぼくが多貴と一緒なのに気づいて、こちらにはやってこないで、ロビーの掲示板を眺め出した。それを手招きして、ぼくは多貴と引き合わせた。
「ぼくの姪の詩香子。姉が結婚した人の娘なんだ。詩香子、こっちは、ぼくのサークルの友だちの妹尾」
 詩香子はちょっと笑って多貴に「こんにちは」と言っただけで「私、掲示板を見てるね」と行ってしまった。
「もう新入部員入った?」
「何人かは入ったよ」
「新城さんがいないから、部員勧誘も苦戦するかな?」
「そうかもしれないな」
 自然にしようと意識しすぎて会話がぎこちなくなった。なぜ多貴と向かい合うことにこんなに緊張するのだろう。ぼくは息苦しくなって逃げ出した。
「ごめん、詩香子の面倒見るように頼まれてるから」
 ぼくはそう言って、多貴と別れた。詩香子の元に行くと彼女が言った。
「かっこいい人だね」
 詩香子の口からそんな台詞が出たのが意外で、ぼくはちょっと驚いた。
「そうだな。愛想ないのが玉に瑕なんだ」
 多貴はまだこちらを見ていた。遠目のせいか、睨んでいるようにさえ見える。




 昼休みの混雑ぶりは幻覚かと思えるくらい、午後一時過ぎの学食は閑散としている。三限の講義は、チャイムと同時に現れ、十秒の遅刻さえ認めないことで有名な教授だったから、チャイムの音を校門で聞いた時点で、ぼくの受講資格は失われていた。潔く諦めたぼくは、遅めの朝食兼昼食を取ろうと学食にやってきた。
 B定食を手にして、どこに坐ろうかと軽く学食内を見渡した時、お愛想程度に置かれた観葉植物の影から、一人の女の子が伸び上がって手を振るのが目の端にひっかかった。詩香子だ。ぼくはさりげなく目をそらし、気づかなかったフリを装った。もちろんそんなのは無駄なあがきだ。
「明日太ッ」
 詩香子のよく通る声がぼくを呼びつける。ぼくは小さくタメ息をつき、しぶしぶ振り返ると、愛想笑いを浮かべながら詩香子のテーブルに近づいた。彼女はイタリア語の予習をしていたらしい。引きかけの辞書を片手で押さえたまま、上目使いにぼくをにらんでみせる。
「どうして逃げるの?」
「…気づかなかったんだ」
 ぼくの言葉を詩香子は鼻で嗤った。
「嘘つき」
 ぼくは少しムッときて、
「食事くらいイヤな気分を味わわずに済ませたいと思ったからだよ」
 と言い返した。
 詩香子は急に気弱な目になって謝った。
「ごめん」
 下手に出られるとぼくは弱い。だから気まぐれな詩香子に振り回されるのだとわかっていながら、うろたえて口ごもった。
「いや、いいよ。こっちこそ悪い」
 実際この頃妙に苛ついていて、些細なことが気に触ってしょうがないのだ。いつもなら受け流す詩香子の憎まれ口に過剰に反応してしまったのもそのせいだろう。柚里に会えない禁断症状が出始めたか。
「明日太、私、一昨日合コンに行ったわ」
 やや皮肉っぽい笑顔で詩香子が言った。
「だから予習が間に合わなかったのか」
 ぼくが訊いたのを詩香子は無視した。
「昨夜二人から電話があったの」
 ぼくは黙って油っぽい空揚げを箸でつついていた。詩香子が入学してからこのテの話は何度聞かされたかわからないくらいだ。だいたい一年生の女の子というのはモテるものだが、おしゃべりな詩香子は、合コンの席などでは結構人気があるらしい。
「二人とも割とかっこいいほうよ。デートの約束しちゃった」
「どうせあとで『いい人だけど友だちなの』とか言うんだろ」
 ぼくが言うと詩香子は肩を竦めた。
「今だって友だちのつもりよ。別に何も言われてないもの。断れないじゃない」
「そうだろうよ」
 ぼくはやれやれという気分で相槌を打ってみせた。
「無神経だって言いたいの? だって男の子だってずるいじゃない。どうせ今断われば『ただ遊ぼうって誘ったのに自意識過剰だ』とでも言うんだから」
「……」
 詩香子の考えはある意味では正しいのかもしれないが、彼女の意見を聞いていると、恋愛のロマンティックさをことごとく否定されるようで、なんというか、がっくりさせられてしまう。
「大人になるとね、自分が傷つかずに済むやり方を身につけていくのよ。『好き』って言わなくても付き合えるし」
 詩香子はそう言うと、ジュースを買いに立ち上がった。
「せめて幼稚園の時に誰かに告白しとくべきだったわ」と小さく呟いて。
 紙コップを二つ持って戻ってきた詩香子は、一つをぼくに手渡して言った。
「そういえばこの頃、妹尾さんはどうしてるの? あんまり学校来てないんじゃない?」
 触れてほしくない話題だったから、ぼくは曖昧に頷いた。
「さあ、ぼくも最近会ってないから、よくわからない」
 会ってないどころか、ぼくは多貴を避けているのだ。詩香子と話したくなかったのも、どうせ多貴の話題になるだろうと踏んだからだった。案の定、だ。
「いつだったかな、ちょっと前に図書館で見かけたけど、眉間に縦ジワ刻んじゃって怖い顔してたわよ。なんか鬼気迫る雰囲気出てきたみたい。そこがまたカッコイイんだけど」
 無責任に言う詩香子にぼくはため息をついた。ぼくと多貴と柚里は三人でバランスが取れてうまくいっていたのだ。なのに柚里が抜けて、ぼくと多貴の間までがおかしくなった。もともとどこかエキセントリックなところのある多貴を、ぼく一人では持て余し気味なのだ。
「妹尾さんみたいな人が私の理想なのよ。周りを見ていないようなとこがいいわ。私、自分が他人を気にしすぎる性格だから、Going my wayな人に憧れるの」
「仲介してやろうか。あいつどうせフリーだから」
「あら、そんなつもりないわよ。あの人の恋人役になんかなったら大変そうだもの。無視してもらったほうがいいわ。こっちが勝手に『いいな』って見てるだけ」
 詩香子の男を見る目の鋭さには、いつも感心させられる。
「明日太も大変よね」
 妙に含みのある口調だった。気にはなったが、追求すれば藪蛇なのは想像がつくので、ぼくは黙っていた。詩香子はそんなぼくの様子にうっすらと笑みを浮かべた。
「なんだか元気ないじゃない。もう夏バテ?」
「まだ六月だろ」
 そう返したものの、確かにこの数日暑さが続いて、それだけでぼくがへばりかけているのは事実だ。
「今日子さんが昔言ってたわよ。明日太はほんとに夏が苦手で休暇に入れば一日中寝てるって」
「しょうがないだろ。体質だよ」
「根性がないのよ」
 詩香子はそう評すると、腕時計を見て慌てて立ち上がった。
「大変。三限終わっちゃうじゃない。結局予習間に合わないわ」
 そんな言葉を残して、そそくさと四限のイタリア語に行ってしまった。ぼくはヒラヒラと手を振ってその後ろ姿を見送った。一年の詩香子と違って、三年ともなれば、履修しなければならない科目は少ないから、出席しそびれた三限だけが今日唯一の講義だったのだ。詩香子のお蔭で半分も進んでいない定食をつついていると、ふいに頭の上から声が降ってきた。
「いつまで昼メシを喰ってるんだ?」
 ぼくは飲みかけのみそ汁を喉に詰まらせてしまった。
「げほっげほっげほっ」
 派手にむせ返るぼくを多貴は不機嫌な顔で見下ろしていた。
「…坐ったら?」
 ようやく咳を治めたぼくが勧めると、多貴は「ふん」と顔を歪めて先刻まで詩香子が坐っていた席に腰を下ろした。ぼくは多貴の視線を感じながらも、黙々と定食を食べ続けた。多貴は明らかに苛立っているようだった。それが何への苛立ちなのかははっきりとはわからなかったけれど、ぼくは内心怯えずにはいられなかった。食事を終え、ぼくは詩香子が奢ってくれたアイスコーヒーを口にした。もうアイスコーヒーとは名ばかりで、氷も溶け、すっかり温くなってしまっていた。一口飲んでからぼくはしぶしぶ口を開いた。
「なんで怒ってるんだ?」
「別に。怒ってなんかない」
「最近、学校来てないんだって?」
 幾分おもねるように訊いたぼくを多貴はじろりと睨んだ。
「そう言う佐古はどうなんだよ? ずいぶん長く見かけなかったな」
「ぼくはちゃんと学校来てたよ。ただ三年になって一般教養の講義もなくなったから、顔を合わせる機会が減っただけだろ。ちょっと忙しくてサークルにも顔出してないけど……」
 言い訳でしかない台詞に多貴はふいっと横を向き、ぼくは困って俯いた。
「佐古は俺が嫌いなのか?」
 ふいに多貴は真直ぐにぼくを見つめた。
「そうじゃない。そういうわけじゃないんだ」
 否定しながらもぼくは多貴の瞳の強さに、たじろぎと息苦しさを感じて、目を伏せてしまった。ガタンッと音を立てて立ち上がると、多貴は大股に学食を出て行った。
「そういうわけじゃないんだ」
 聞こえるはずもない背中にぼくは小さく呟いた。ぼくは結局あの瞳に一人で向かい合う自信がないだけなのだ。



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