すべての季節が過ぎ去っても ─9─

|| 臼井

「読者に新しい良いバンドを紹介するってのが基本的なコンセプトだから。とにかく始まってみないとわからないけど、できればこの先定期的に開催していきたいと思ってるんだ」
 志賀さんは無名バンドのジョイントライブの主宰を考えているようで、しゃべっているうちに彼の口調にはだんだん熱がこもってきた。
「そのためにも第一回目はちゃんとインパクトをもたせたい。『これは』って見込ませてもらってるんで、ぜひジラフに協力してほしい」
 馴染みのメンバーで学食にいると、半年前に時間が戻ったような錯覚を覚えた。ここがオレの場所だと思った。高見も奥田も卒業してしまったけれど、バンドがあれば大丈夫だと感じられた。オレの場所はちゃんとここにある。
「他に考えているバンドとかあるんですか? 数もどのくらいになるとか」
「正直なところまだそこまで具体化していない。高見くんを捕まえたからとにかくジラフに約束してもらいたいと思ってるんだよ。だからジラフが核で、あとは君たちと交流のあるバンドにお願いしてもいいかなって。欲を言えば一回目の目玉としてハニムーンに出てほしいくらいなんだ。バンドが無理ならミサオちゃんだけでもなんとかなんないかなー、なんて。小日向くん、どうだろう?」
 志賀さんに話をふられた小日向は、驚いたように目を見開いた。瞬きして「あ」と途方に暮れたような声を出す。
「すみません」とオレは立ち上がった。
「そろそろ時間なので、オレは行きます。後の話はみんなから聞かせてもらいますので」
 オレがいることで小日向を混乱させたくなかった。小日向の様子を見て、今日一緒に飲む約束をしなかったのは正解だったと感じていた。その判断はオレ以上に小日向にとってよかったはずだ。オレは小日向が好きだから、少しずつ関係を修復していきたかった。恋人なんかじゃなくていい。ただ小日向のそばにいることを許されたかった。
「あ、あ、もう?」
 志賀さんがオレにつられたように立ち上がる。腰の軽さはライターの武器かもしれない。
「じゃ、あの、臼井くんも次は一緒に飲みましょう」
 咳き込むように言われて、思わず苦笑してしまった。
「そうですね。よろしくお願いします」
「や、マジで! ぼく、臼井くんと絶対飲んでみたいから。よろしく、よろしく!」
 両手でオレの手をつかんでブンブンと振り回した志賀さんに見送られて、学食を出ようとした時、後ろでガタンと何かの倒れる音がした。テーブルにぶつかりながら慌しく近づいてくる足音。何事かと振り返るより先にオレの腕が、強い力で引かれた。しがみつくようにオレの腕をつかんだのは小日向だった。
「臼井…ッ」
 悲鳴のような声を上げて、オレの腕をつかんだまま小日向は崩れ落ちた。
「小日向っ、おい?!」
 オレは慌てて小日向を支えた。ずるっと滑り落ちそうな身体を抱え上げる。うなだれた小日向の顔色は蒼白になっていて、オレの腕の中でその身体は小刻みに震えていた。
 色を失くした小日向の指がオレのシャツを握り締め「ぐ」と咽喉を鳴らして、いきなり小日向は吐瀉した。饐えた匂いのする液体がオレのシャツにかかり、やがてじんわりと生暖かさが伝わる。
「ごめ…」
 ガクガクと震えながら口を押さえようとする小日向を遮ってオレは「いいから」とその痩せた背をさすり始めた。腕が小日向の感触を覚えていて、自然抱きしめるような格好になった。
「吐けばラクになるから」
 気づいたみんなが駆け寄ってくる間に再び小日向の口からわずかな胃液だけがこぼれてオレのシャツを濡らした。


 騒ぎの後、数分だけオレは小日向と二人きりになった。小日向をロビーのソファに休ませて、病院に連れて行くために滝口さんたちが駐車場に車を取りに行き、奥田と高見が学食の後始末をしてくれている間のことだった。
「ごめん、臼井。オレ…」
 ロビーのソファに横たえる時、うわ言のように言いかけた小日向をオレは「しゃべるな」と遮った。
「いいよ。しゃべるんじゃない」
 両腕を上げて顔を隠していても、腕の隙間からわずかに覗いている小日向の頬を涙が伝うのが見えた。
 小日向の具合が悪くなった原因が精神的なものであることははっきりしていた。オレこそが小日向の混乱の原因だった。ミサオちゃんへの想いでいっぱいになっている小日向に、オレを受け入れる余裕などないのだ。小日向がオレを忘れているだろうことは、ミサオちゃんとの曲を聴いていてすでに感じていた。そんなオレが小日向の前に姿を現せば小日向が混乱するのは当然だった。オレに被害者ぶるつもりなどなくても、小日向は責任を感じているのだろう。
 バカ。そんなに自分を責めるな。
 こんなに小日向の近くにいるのに、触れることをためらい、ただその姿を見つめて心の中で語りかけることしか今のオレにはできなかった。自分の存在が好きな奴を苦しめると思いたくはなかった。
 小日向は悪くないよ。おまえに悪気がなかったことはよくわかってる。自分の気持ちに嘘をつけないのはおまえの長所だ。だからいいんだ。


 やがて学食の入り口に回って来た滝口さんの車に高見が同乗して小日向を病院に連れて行き、志賀さんは奥田が駅に送ることになった。
「臼井はどうする? そのままじゃ演習には行けないだろうから、一緒に乗って行って、いったん家に帰ったほうがいいよ」
 汚れたシャツは脱いで、奥田が貸してくれたパーカーを羽織っていたが、確かにこのまま研究所に行ける気分ではなかった。オレは研究室の先輩に欠席の連絡を入れ、奥田の車で送ってもらうことにした。
 奥田の車の後部座席で前の二人の会話を聞き流しながらオレは、早く時間が流れて、オレと小日向が普通のバンド仲間になれる日が来るようにと強く願っていた。こんなことは全部想い出話に変えたかった。オレがどんなに小日向を好きでも、小日向にはすべて忘れてほしかった。余計なことは考えずに笑っていてほしい。けれど願いが強すぎて、そんな日が来るのははるか遠い先の気がして切なかった。
 志賀さんを駅に送った後、あゆみのアパートの前でオレを降ろして、奥田は何も言わずに少し困ったような顔で笑いかけてきた。オレも言葉を見つけられずにただ「送ってくれてありがとう」と言って背を向けた。アパートの階段を上りかけたところで「臼井」と呼び止める奥田の声がした。振り返れば「今、高見から携帯がかかってきた」と奥田が走ってくるところだった。
「小日向は特にどこも悪くなさそうだって。風邪か疲労だって言われたらしい」
「やっぱり精神的なものかもな。オレに会ったせいだよ」
 オレの言葉に奥田は足元に視線を落として、小石をスニーカーの先でいじりながら呟いた。
「そんなふうに言うなよ」
「ごめん」
 謝ると奥田は「あんまり気にしちゃダメだよ」と軽くオレの腕を叩いて帰った。


 汚れたシャツを洗濯機に入れた後、シャワーを浴びようと服を脱ぐと、シャツの下に着ていたTシャツもわずかだが湿っていた。鼻に持っていけばそれこそが小日向の匂いの気がして、オレはTシャツを抱きしめた。
 シャワーをひねり、ぬるめのお湯が肌を打つ感触に、ほんの少し抱きしめただけの小日向の身体が思い返された。痩せた肩や腕が懐かしくて恋しくてたまらなくなる。もっと強くしっかり抱きしめたかった。あいつにキスできるなら例え吐いたばかりの唇でも平気だと思った。
 ちがう。オレは仰向けた顔にお湯を受けて両手で強くこすった。オレは小日向とは音楽で繋がっていればいいと決めたはずだ。こんな感情は捨てなければダメだ。
 考えてはいけない、抑えなければいけないと焦るほど欲望は強まるばかりで、オレはシャワーの温度を下げて冷たい水を頭からかぶった。


 その日、あゆみの帰宅はいつもより遅かった。小日向に会うことは告げてあったので気を回したのかもしれなかった。オレがいつまでも小日向にこだわっていることをあゆみはよく知っていた。
 帰って来たあゆみが「ただいま」と浮かべた笑みを目にした途端、感情が堰を切ってしまった。
「オレ、やっぱり小日向が好きだ」
 しがみついたオレをあゆみは何も言わず受け止めてくれた。柔らかな手が背に回される。小日向とはまるで違うあゆみの腕が、強く小日向の抱擁を思い起こさせた。あいつを求める気持ちは理性では制御できなかった。
「小日向が好き。すげー好き。大好き」
 くり返すオレにあゆみは何度も「うん」と頷きながらオレの背を撫で続けた。オレはあゆみを姉のように感じていた。本当の姉は子どもっぽい性格だったからオレは姉に甘えることなどなかったけれど、あゆみが年上の女性のように思えた。
「オレ、本当に小日向が好きなんだよ」
 あゆみの腕の中で駄々っ子のように言い募った。
「知ってる。大丈夫だよ、臼井くん、大丈夫」
 あゆみを傷つけていることはわかっていた。でも止まらなかった。口にしていなければ、この想いが身体に溜まっていく。身体中に充満して息もできなくなってしまう。
 小日向には言えない。誰にも言ってはいけないはずの想いを、あゆみは黙って受け止めてくれる。
 オレは小日向が好きだ。



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