すべての季節が過ぎ去っても ─14─

|| 臼井

「奥田は全部自分のせいだ、みたいに言うからさ。『ぼくがもっとちゃんとしてれば』とか。『本当はあんなことすべきじゃなかったのかも』とか」
 連れ立って高見の家に行ったオレたちを、高見はいつも通りの気負いない様子で部屋に招き入れた。そして「アホが二人そろって雲隠れしたせいで、奥田がテンパリやがったのよ」と言った。オレたちと連絡が取れなくなったのを奥田がひどく心配してくれたらしい。朝早くに高見のところにやってきたという。
「奥田が、小日向と臼井を会わせたんだってな」
 高見の確認にオレが「え?」と訊き返した隣で、小日向は「うん」と頷いた。
「臼井のとこまで、奥田に連れて行ってもらった」
 確かに小日向があゆみの部屋を知っているはずはなかったのに、オレは今までそんなことさえ気づかずにいた。
「奥田は、あゆみちゃんがその場に居合わせないようにって先に彼女に連絡いれたらしいぞ。そんで小日向を送って行った時に、外に出てたあゆみちゃんと偶然行き合わせてお茶してて、彼女を部屋に送って行ったら臼井がいなくなってたって」
 オレは奥田がそこまで気を回してくれていたことに気づかずにいた自分が恥ずかしかった。高見は大げさに眉をはね上げてみせた。
「あゆみちゃんの部屋から臼井がいなくなったなんてそんなの、おまえらのヨリが戻ったってことだろ。なあ?」
 わざと軽く訊かれて、答える言葉もなかった。
「奥田はやたら深刻になっちゃっててさ。昨夜もまだ連絡がつかないって気にしてて、あゆみちゃんにもそう何度も確認できないしとかなんとかグズグズ言ってたんだよ。落ち着けよってオレがなだめても聞く耳持ちやしねえ。今朝も早くからやって来て、自分が余計なことをしたんじゃないかってしつこくってさ。つい『バカじゃねえのか?』って返したら、奥田の奴、切れて人につかみかかってきやがんの。あんにゃろ、人一倍図体デカイんだから、暴力振るうのは反則だろうがよ」
「ごめん」
 思わず高見を殴ってしまうほど奥田を心配させたのはオレだ。高見は肩を竦めてみせた。
「奥田の奴、臼井が失踪するとでも思ってたんだよ」
「ごめん」
 今すぐ奥田に謝りたかった。謝って「ありがとう」と伝えたかった。
「高見。オレ…いっぱい迷惑かけてごめん。連絡しなくてごめん。勝手ばかりして、おまえらに会わす顔がない気持ちになってた。本当はオレが奥田に殴られるべきなんだ」
 オレは奥田に甘えてばかりで何一つ返せていない。同い年なのに頼りきっていた。オレは奥田の試験のことも考えずにいた。
「奥田が臼井を殴るわけねーじゃん」
 高見がおどけた声を作った。
「なんだかんだ言ったってあいつは差別すんだよ。奥田が殴るのはオレとか小日向だろ」
「うん。オレも奥田に殴られた」
 脇から添えられた小日向の言葉にオレは驚いたが、高見はすかさず「当たり前だ」とバチンと小日向の頭を叩いた。
「小日向は殴られて当然だろ」


 高見の運転する車で、奥田の家に向かった。
「奥田ー、オレ。手土産持ってきたから手打ちにしようぜ」
 奥田の返事を待たずにドアを開けた高見は、芝居がかってオレたちを奥田の前に押し出した。目が合うと、奥田はかすかに口の端を曲げて、それから仕方なさそうに笑った。オレは奥田に何を言ったらいいんだろう。
「オレはこういうバカたちに付き合う趣味はあんまりないからな。奥田にやる」
「高見」
 取りようによっては、オレや小日向を見捨てたとも聞こえる高見の宣言に、奥田は困った表情を作った。高見はわざとらしくため息をついた。
「あーあ、オトナは大変だよ。ガキばっかり集まっててもしょうがねえから、オレが保護者になってやるっつの」
 反論できないオレたちは黙って顔を見合わせた。
「あと奥田をバカっつったオレは間違っていたらしいですよ。臼井は本当のバカらしい。奥田の心配がそんな的外れじゃなかったっつーんだから呆れる。オレたちに合わす顔がないとか、なーに言ってんだか」
 高見はオレの鼻先で人差し指を振った。
「おまえ『今さら』って言葉知ってる? オレはすでに臼井からはいろんな被害を受けてる気がすんだよ。だからこの先臼井が何したってオレらにとっては『今さら』の範囲内なんだからな。よく覚えとけ」
 オレは俯き、すでに何度目と数えられない「ごめん」を呟いた。高見とあゆみがうまくいかなかったのは、オレが半端な気持ちでいたせいもあるんだろう。それを黙って飲み込んだ高見にとっては、確かに全部が「今さら」なのかもしれない。
 小日向の手が指先に触れた。ひそめた声で囁く。
「高見は臼井を責めてるんじゃないよ」
「当たり前だ」
 耳ざとく聞きつけた高見がオレの方に伸ばされた小日向の手をべチンと叩いた。
「オレはホトケサマの境地なの。オトナはガキに敵わないんだって、とっくの昔に悟ってるよ。何年小日向とつき合ってると思ってんだ」
 高見に叩かれた小日向は「テッ」と叫び、その手を口元に持っていって恨みがましい上目遣いを作った。
「ついでに言わせてもらうけど、オレは小日向がミサオちゃんで、臼井があゆみちゃんでいいと思ってたんだよ。それが自然じゃん。だからオレは奥田は余計なことしたと思うよ。せっかくバンドも再開するって時に余計なことしやがってって確かに思った。だからオレと奥田のケンカは、おまえらのせいだけど、おまえらのせいじゃない」
 そう言ってオレを見た高見は、大げさに肩をそびやかした。
「ちくしょう、臼井って得だよな。誰もおまえに悪いって言えない気がするぞ。本当は臼井が全部悪いんだ」
「臼井は悪くないよ」
 奥田がオレをかばうように口を挟んだ。
「あゆみちゃんのことは臼井が悪いんじゃない。ぼくが余計な口出ししたんだ。あゆみちゃんにひどいことした。ひどいことしてるってわかってて、でもぼくにとっては小日向と臼井のほうが大事なんだ。それも結局は自分がバンドをやりたいだけなんじゃないかって気づいた。ジラフが壊れないようにってそれしか考えられなかった」
「奥田」
 本気で落ち込んでいる様子の奥田に胸が痛んだ。どんななぐさめも白々しく響きそうだった。奥田がオレたちのために一生懸命してくれたことはオレがよくわかっている。それで自己嫌悪に陥っている奥田にどう感謝の気持ちを伝えたらいいのか。
 一瞬の沈黙の後、高見がグシャグシャと髪をかき回して叫んだ。
「あーもう面倒くせえ! 悪いのは臼井と小日向だ。でもって、おまえらが謝るのはオレたちにじゃない。サッサとあゆみちゃんとミサオちゃんのとこ行って来い!」
 反射的に顔を見合わせたオレと小日向に向かって、高見は追い立てるように手を振った。
「男らしくサッサと行けよ。絶対許してもらえないとは思うけどな、せめてケジメだけはつけて来い」
「そしたら臼井、うちに帰っておいでよ」
 さりげなく添えられた奥田の言葉にとっさに答えられなかった。
「え」
「新しいとこ見つかるまで。荷物は預かっててもらうしかないだろうけど」
 あゆみの部屋に住んでいるオレを気遣ってくれた奥田に、黙って頷くしかできなかった。


 奥田の部屋を出ようとした時、小日向はオレの腕を掴んだ。
「忘れんなよ、臼井」
 しっかりとオレに言い聞かせるように。
「忘れんな。あゆみがどんなに臼井を好きでも、そんなのよりもっとずっとオレのほうが臼井を好きなんだよ。オレは臼井がいなかったら死んじゃうから」
「うわ、サイテーだな、小日向。おまえ、それ脅迫してんのか?」
 部屋の奥から投げかけられた高見の呆れ声に、小日向はオレから目をそらさずに返した。
「いいんだよ。脅迫だって何だってするんだ。オレは臼井がいなくちゃダメなんだ」
 茶色の目の真ん中にオレの顔を映してそう言い切った小日向に、オレは黙って笑みを浮かべた。素直で嘘つきな恋人。それが小日向の本心からの言葉だとしても、オレは、小日向にはオレがいなくちゃダメだなんて信じない。オレがいなければ小日向は他の誰かに同じことを言うんだろう。まして、あゆみと小日向とどちらがより多くオレを愛してくれるかなんて関係なかった。オレが小日向を好きなのだ。


「臼井」
 階段を降りたオレたちの後を奥田が追ってきた。
「車で送ってくよ」
「奥田ー、甘やかすのもいい加減にしろ」
 続いて降りてきた高見に止められた奥田は「ちがう」と首を振った。
「ぼくもあゆみちゃんに謝りたいんだ」
「奥田に謝られたって困るだろうよ」
「うん。自己満足だよ」
 スニーカーの足元に視線を落として奥田は呟いた。短髪の襟足、突き出た骨が頼りなかった。高見が軽く曲げた人差し指で鼻の先をこすった。
「じゃあ小日向はオレが駅まで送ってやるよ」
 そう言って高見は小日向の肩を促すように軽く押しやった。
 朝からぐずついていた空から、いつのまにか雨が音も立てずに降り出していた。梅雨入りは宣言されたのだろうか。夕刻にも関わらず辺りはすでに薄暗くなっていた。先に出発した高見の車は混雑し始めた国道に紛れてすぐに見えなくなった。
「さっき高見が小日向とミサオちゃん、臼井とあゆみちゃんでいいだろって言ったじゃん」
 規則正しいワイパーの合間を縫うように奥田が口を開いた。
「あれ、本当はぼくも同じだった。小日向は本気でミサオちゃんが好きになったんだと思って、だからあゆみちゃんを巻き込むような真似したんだ。小日向の気持ちが変わってしまったんなら、臼井が早く小日向を諦められるようにって思った」
 ヘッドライトに浮かび上がるひっきりなしの雨。徐々に曇ってきた窓ガラスに、奥田はエアコンのスイッチを入れた。
「ぼくは何もわかってなかったんだな。小日向が臼井を好きだってこと疑ってた」
「ごめん」と囁くように謝った奥田に、オレは「オレは今でもそうだよ」と告白した。
「オレは、小日向がオレを好きだなんて信用してないよ。これから先も信用しないと思う。いつか他に好きな奴ができたって告白されても『やっぱり』って感じるんじゃないかな」
 奥田が驚いた表情でこちらを見た。赤信号にかかり、車が止まる。
「小日向がミサオちゃんのこと本気だったってオレも思う。ミサオちゃんのアルバム聴いただろ? あれは絶対本気だった」
 目を見開くようにしてこちらを見つめる女の子めいた顔の奥田に、オレは唇の端を引いて笑いかけた。
「小日向は目の前にあるものしか見えないんだ、きっと」
「それで…臼井はそれでいいの?」
 信号が変わって車を発信させた奥田は、横顔のまま確認してきた。
「いいっていうか、しかたないじゃん。オレは結局あいつの素直なとこに惹かれてんだと思う。裏表ないっていうか、バカっていうか。それってイイコトばっかじゃないんだけど、まあしょうがない」
「諦め?」
 奥田がからかうように訊いてきて、オレは頷いた。
「そう、諦めた。オレさ、恋愛の理想として対等な関係でいたいってのがあったんだよな。オレと小日向は全然対等じゃないと思うよ。だから理想の恋愛は諦めた。本当のところ小日向相手の感情は恋愛かどうかもわかんないし、なんかもういろいろごちゃごちゃになっちゃったし、とりあえず諦めたんだ」
 おどけて言い切ったら奥田が声を上げて笑ってくれたので、オレも一緒になって笑った。笑いながら少しだけ涙が滲んだ。小日向だけいればいいなんてかっこつけたところで、オレは奥田や高見に助けられている。二人が「バカ」って笑ってくれることにオレはどれだけ救われているだろう。



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