すべての季節が過ぎ去っても ─13─

|| 臼井

「あ……ッ、あ…ああ」
 身体を貫く小日向の熱。もうオレたちの繋がりにはこの方法しかないんだろうか。
「臼井」
 耳に馴染んだハスキーボイスで、うっとりと紡がれるオレの名。
 オレと小日向は、オレたちの間にある感情をまともに考える前に、安易にこんなことを始めてしまったから、いまさら修整が効かないのかもしれない。
「あ……も…小日向、小日向!」
「まだだよ……臼井、ン…ッ、まだ」
 これは小日向とでしか得られない快楽なわけで。オレにこんな快楽を与える小日向を愛していると感じることができれば、それでいいはずなのに。
「い……ッ、も、もう……小日向ァ」
 勝手に漏れる甘ったるい声の裏側で、それでも完全には溺れ切れない自分がいる。オレに抱かれたいと言った小日向が愛しくて切なかった。けれど。小日向を抱くことにも小日向に抱かれることにも違和感が消えない。
 いっそこれが苦痛のままだったらよかったのかもしれない。小日向の求めに耐えるだけの苦行ならいいんだ。慣れた身体が快楽を紡ぐことがいとわしい。
 本当はオレたちには別の関係があったかもしれないのに。小日向を特別とするオレの気持ちは、こんな行為で表されるものなんだろうか。
「臼井、臼井」
 切なくくり返される声が、ここまできても違和感を拭い切れずにいるオレの罪悪感を誘う。オレはきつく目を閉じ、小日向の肩に回した手に力を込めた。
「もっと、小日向。もっと強く」
 迷いたくない。どんなカタチでもいい。オレには小日向を手放すことなどできない。
 やがて身体の中に注がれた小日向の欲望に、オレは深い息をついた。力を抜いた小日向がそのまま覆いかぶさってくる。
「オレの臼井への気持ちは、愛情じゃないかもしれない。ただの独占欲だって言われたら反論できない気がするよ」
 尖った顎をオレの肩に乗せて、小日向が呟く。身体を起こして、オレの視界の正面にきた小日向の顔は、少し悲しげに見えた。
「愛するってことが、オレにはわかってないのかもしんない。空気みたいに頼りなくて、もっとしっかりとした手応えがほしかった。臼井が好きだって言ってくれればって思ってた」
「オレは、小日向を好きだよ。何度も言ったはずだ」
 何度も迷いながら、その度にオレは小日向を好きだと確認させられる。
「そうかな」
 小首を傾げた小日向の様子が自信をなくした迷子みたいで、オレは強く言えなくなった。
「『もっと、もっと』って思うんだよ。そんなんじゃ全然足りなくってさ。いつもオレは臼井のこと信じきれない。臼井の気持ちはオレよりも少ないって思ってる」
 オレは黙って小日向の頬に右手を伸ばした。小日向の望む言葉や態度はオレには示せないものなんだろう。オレたちはお互いに何もわかり合えないのかもしれない。それでも小日向と一緒にいたいと願う。この気持ちだけが確かだった。
 小日向は伸ばしたオレの手に自分の手を重ね、頬を押し当てた。唇の端をわずかに吊り上げて見せてから、小さな声で続ける。
「それでもさ、オレは切実なんだよ。他の誰よりも臼井の特別でいたい。その特別っていうのはさ、一種類だけの特別じゃ嫌なんだ。例えばオレたちがそれぞれ普通に女の子の恋人作って、それでもその恋人とは別のところで、バンドとか音楽とかそういう繋がりがあるからお互いに特別な存在だ、なんていうんじゃ納得できないんだよ。全部──臼井にとって特別な存在の全部が、オレじゃないとヤダ」
 子どもみたいな我が儘を正面からぶつけられて、オレは苦笑した。苦笑しながら涙が滲んでしまった。オレは、小日向に何をしてやれるだろう。小日向の望むものを何一つ叶えてやれないオレを、小日向が求めてくれることが切なかった。
「小日向」
 オレは空いていた左手で小日向を引き寄せた。空回りする言葉なんかじゃなく。この気持ちはどうしたら小日向に届くのだろう。他の方法が思いつかないオレたちには、身体を繋げることが唯一の方法なのかもしれない。
「オレ、臼井がいれば他に何もいらない」
 涙に濡れた頬をこすりつけて小日向が呟く。
「嘘つけ」
 中で締めつけると小日向が「アッ」と呻いて大きくなった。
「バカ、いきなり。イッちゃうだろ。──嘘じゃないよ。オレ、本当に臼井だけでいい」
 嘘だよ。欲張りのくせに。小日向は全部ほしいんだ。ミサオちゃんのアルバムを聴いていたオレには、自分が小日向にとって特別なんかじゃないってよくわかっている。明日には小日向の気持ちはちがう誰かに向いているかもしれない。それでもいいとオレは決めた。
 小日向はその手につかんだものすべて放す気なんかないくせに簡単に「本当」などと口にする。気まぐれな子供の「本当」など欠片も信じられない。
 笑ったら、不満げな顔になった小日向を抱え込んで、耳の中に囁く。
「ちがうよ。小日向がいれば何もいらないのは、オレ」
 まるで信用のできない相手だとしてもオレは小日向が好きだ。小日向が今その手をオレに伸ばしてくれるならそれだけでいいと思った。この瞬間がすべてだ。


 翌日。小日向より先に起き出したオレは、廊下の端のコインランドリーにシーツを押し込んでから、フロントに行って延泊の手続きを済ませた。
 このまま世界が終わるなんてことはなかった。小日向がいればいいと言い切ったところで、抱き合うオレたちの外にも世界があることを知っていた。奥田や高見。そして──ミサオちゃんとあゆみ。いまさらどんな顔をして彼らの前に立てるだろう。できるなら小日向と二人だけの世界に溺れていたかった。
 宿泊を延長するために「連れの具合が悪いので」と言い訳を作ったら、実直そうなフロント係が医者の心配までしてくれて、オレは良心の呵責を覚えながら二日酔いにすぎないとごまかした。
 そのまま近くのコンビニまで足を延ばしておにぎりやサンドイッチを買い込んで部屋に戻った。ドアを開けたとたん小日向が留守番をさせられていた座敷犬さながら鼻を鳴らして近寄ってきたので、オレはクスクスと笑いながら小日向の手にコンビニの袋を渡した。
 じゃれ合いながら終日を過ごした。退屈な昼間のTV番組をぼんやり眺め、手持ち無沙汰の腕を互いの身体に回して、視線をからませては口づけ合った。
 この時が永遠に続けばいい。腕の中に誰よりも愛しい小日向がいて、その他のことは全部関係ないと切り捨てたかった。
 エゴイスティックな衝動にかられて、何度もオレは小日向に「遠くに行こう」と口にしそうになった。何もかも投げ捨てて、どこか遠く、誰も知る人のない世界へ。
 そうだ。オレは身勝手で卑怯な人間だ。ミサオちゃんやあゆみを傷つけていることを自覚しながら、その責任を取らずに逃げようとしている。小日向をミサオちゃんから遠く引き離したかった。オレが、小日向を気持ちのままに行動しても許される奴と規定しているのは、小日向をミサオちゃんから奪う自分の正当化に他ならない。
 あゆみ。彼女はオレを責めないだろう。確信があった。オレはあゆみをよく知っている。だからもう顔を合わせられないと思った。オレはあゆみに言い訳しかできない。オレはあゆみではなく小日向を好きなのだ。オレを好きでいてくれたあゆみを都合よく振り回し、その責任を取るよりも小日向を優先せずにいられない。
 もう何も考えたくなかった。小日向がいればいい。小日向がすべてだ。そこで思考を停止したい。


 二日目にはそれ以上の延泊を決めることもできず、チェックアウトの時間が近づくのをただ待っていた。小日向がシャワーを使っている間に、ずっと切っておいた携帯の電源を入れてメールをチェックすると高見からのメールが入っていた。時間を確認すればまだ送信されて間もなかった。
『緊急事態だ。連絡よこせ』
 高見からのメールはそれだけだった。オレは迷い、結局高見の携帯に連絡を入れた。
──奥田とケンカしたぞ
 こちらが名乗るより早く高見は言った。着信表示でオレからだとわかったのだろうけれど。
──おまえらのせいだ。責任持ってちゃんと取り持て
「オレたちのせい?」
──説明してやるから、さっさとウチに来いよ
 高見は言ってあっさり携帯を切ってしまった。普段と変わらない高見の口調に、勝手に追いつめられていたオレの気持ちがふっと緩んだ。高見はオレと小日向が一緒にいることを知っている。知っていながら軽く流すような口調だった。現金にも無性に高見に会いたくなった。あいつがいつも通りからかってくれたら、全部どうってことないんだと思えそうだった。
「高見からメールが来てた」
 シャワーを終えて出てきた小日向に告げると「何て?」と訊いてきた。
「奥田とケンカしたって」
 オレの言葉に小日向は目を丸くしてヒュッと短く口笛を吹いた。
「何それ。めっずらしー」
 言われれば珍しいどころか、オレは高見と奥田がケンカしているところなど見た覚えがなく、想像さえできないのだった。
「オレたちのせいだって」
「あ? なんでオレと臼井のせいで奥田と高見がケンカなんかすんの?」
 訊かれてもオレも事情を知らないのだった。
「とりあえずこれから高見のとこに行こう」
「えー。せっかく二人っきりなのに、なんで高見の顔なんか見なきゃなんねえんだよ」
 それはあまりに小日向らしい言い方だった。唇を尖らせた小日向は、オレが唖然として見返すと眉を下げて「冗談」と笑った。
「冗談ってゆーか──冗談でもないんだ」
 言いながら小日向はオレの肩に腕を回した。
「オレ、しばらく臼井と二人だけでいたい。他の奴らはいらねえ。臼井がオレ以外の奴を見ないように閉じ込めておきたいくらいだよ」
「バカ」
 他に言いようがなくてオレは小日向を強く抱き返した。



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