すべての季節が過ぎ去っても ─27─

|| 臼井

 秋の終わり、冬物を取りに実家に帰っていた小日向は、顔に派手な傷を作って戻ってきた。驚いて「どうしたんだ?」と訊ねたオレに、「オレ勘当されちった」とおどけて見せる。
「子供が生まれるって報告だけはしといたほうがいいかなって思ったんだ。でも結婚はしないって言ったら殴られた。母親と父親二人がかりで」
 小日向は数日前に髪を短くしたばかりだから、顔の傷はひどく目立っていた。小日向はわざと作ったような拙い口調でしゃべった。
「子供ができたっつった時は二人ともポカーンとしちゃってさ。時間が止まるってのはああいうことなんだなって実感した。んで、ちゃんとしないなら勘当だって怒鳴られちった。もう近所中に響いたと思うね、あの声。みっともねー」
 頬骨の上あたりの一際大きな傷が痛々しくて、オレはそっと手を伸ばした。直接傷に触れるのをためらい、指先を刈り上げた髪のほうに移して軽く梳いた。
「どうすんだよ?」
「しょうがないから勘当されとく」
 小日向はオレの手に預けるように頭を傾けて呟いた。掌に受ける重み、肉の薄い頬の感触。
「しょうがないって……」
 言葉を見つけられないオレに、小日向は情けない笑みを見せた。
「だって、オレ」
 言葉を途切らせた小日向の茶色の目からポロッと涙がこぼれた。それが傷に沁みたらしく小日向はかすかに顔を歪めた。
「親に泣かれるのはなー、やっぱり痛いよな」
 言いながらオレの腕を引き寄せてしがみつくように抱きしめてくる小日向の背に、オレも手を回した。
「なんでオレってこうバカなんかな。本当どうしようもない」
 小日向の頬に触れている髪に奴の涙が伝うのを感じた。シャツの襟から湿った息が入り込んでくる。
「でもダメなんだよ。オレ臼井が好きだ。誰かを傷つけたいなんて思ってないんだよ。なんでこうなっちゃうんだよ。オレまちがえてばっかり……」
「まちがえてなんかないよ」
 オレは背中から回した手で小日向の肩をギュッと抱きしめた。
 小日向はまちがえない。その瞬間に大切なものが何かを小日向は知っている。人生なんて瞬間ごとの積み重ねなのかもしれない。昨日大切だったもの、明日大切になるかもしれないもの、それらを考えてしまえば今この瞬間の大切なものが見えなくなる。昨日に遠慮しているうちに、明日を夢見ているうちに、手の中にあるものはこぼれ落ちてゆき失われる。瞬間しか見ない小日向、過去にも未来にも惑わされない小日向こそが正しいとオレは信じている。小日向の正しさが人を傷つけるとしても、そうしていつかオレ自身が小日向の過去に変わる時がきても、オレは小日向が正しいと言ってやる。
 オレはわずかに上体をそらして小日向の顔に手をそえて、その額に唇をつけた。
「小日向。おまえはいつでも正しいんだ。オレが保証してやる。他の誰が否定しても、おまえは正しいってオレは知ってんだよ」
 オレの身体に回された小日向の手に力がこもる。すがるような口づけ。小日向の涙の味。
 小日向は否定されることに弱い。弱いくせに──いや弱いからこそ、小日向は周りに理解を求めたりはしなかった。自分を認めてくれる奴だけがわかってくれればいいと切り捨てる冷たさを持っている。だからこそ小日向がオレを求めてくれることが嬉しい。たとえそれがオレの気持ちにつけ込む子供のずるさでもかまわない。オレに「わかってくれ」と訴える小日向をただ愛しいと思う。結局オレは小日向のずるさが好きなのだ。


 小日向の子供が生まれたのは年の瀬もギリギリ押しつまった頃だった。
 勘当されてすっかりしょげているらしい小日向を放っておくわけにもいかず、オレは春に出す予定が立ったジラフの二枚目のアルバムを言い訳に、正月には帰省しないと実家に伝えてあった。
 夕食の後、くだらない年末番組を熱心に見ている小日向の横でオレがウトウトと眠りかけた時、小日向の携帯にメールの着信があった。ミサオちゃんからのメールはいきなり「生まれたよ」のタイトルで、確認した小日向が「なんだよー」と素っ頓狂な声を上げて、オレはその声に驚いて目を覚ました。
──昨夜生まれました。元気な女の子です。かなり大変だったのでちゃんと私をほめること。
 あっけらかんとした事後報告にオレたちは呆然と顔を見合わせた。
「え、え、何これ? もうあかんぼ出てきちゃったの?」
 混乱した表情で小日向がオレに確認してくる。
「もう少しちがう言い方しろよ」
 小日向をたしなめつつもオレも脱力していた。
 ミサオちゃんには、兆候があったら例えまちがいでもいいから必ず連絡をくれと伝えてあったのに。ミサオちゃんが帰省してから、オレと小日向は二度ほど彼女の地元を訪ねていた。二度目に訊ねた時には、小柄なミサオちゃんはすっかりお腹ばかりが目立って見えて、すぐにも生まれるのではないかと心配するオレたちに「まだまだだよ」と笑っていた。
 連絡があればオレたちはどんな夜中だろうと彼女の元に駆けつけるつもりでいたけれど、初産は遅れるのが普通と聞いたせいもあって年明けを予想していたので、ふいをつかれたかっこうだった。


 翌日の昼過ぎ、すっかり出遅れた間抜けな顔を揃えて産院を訪れたオレたちを、任を果たした後の神々しいような笑みで迎えたミサオちゃんは、口紅さえ塗っていないのにとてもキレイに見えた。部屋は個室で、カントリー調に統一された、ちょっとしたホテルのような雰囲気だった。
「わざわざ来てくれなくてもよかったのに。道、混んでたでしょう?」
「ん、でも帰省ラッシュってほどでもなかったよ」
 柔らかな眼差しでオレたちを気遣うミサオちゃんに、小日向が軽く答える。南側の広くとられた窓から冬の陽射しが差し込んで、ミサオちゃんの輪郭を金色に縁取っていた。ショートカットの小さな顔は、幼い少女のような造りと対照的に成熟した表情を浮かべていた。
「ミサオちゃん。連絡くれる約束だったのに、なんでくれなかったの?」
 オレの問いかけにミサオちゃんは自分の気持ちを確認するように「うん」と小さく頷いてから言った。
「ちゃんと覚悟決めようと思ったの」
 大きな目で真直ぐな声で。
「ナオに父親面されるのシャクだったし、臼井くんにすがっちゃうのも嫌だったから」
 そんなふうに言われて黙って見つめるしかないオレたちの前で、ミサオちゃんはいたずらっぽく笑ってみせた。
「二人に聞こえないからチャンスだと思っていっぱい悪口叫んじゃった」
 急激に大人びたミサオちゃんの様子に少し気後れを感じていたオレは、馴染みのある彼女らしい表情が見られて少しほっとして「悪口?」と促した。
「そう。もう『ナオのアホー、臼井くんのバカー、どうして私ばっかりこんな目に合うのよー』って感じ? 大変だったんだから」
 笑みを含んだ目でオレたちを交互に見たミサオちゃんは「ね、赤ちゃんを見に行こう」とベッドを降りた。慌てて手を差し出すオレに「大丈夫、平気よ」と笑ってみせる。
 ガラス張りの新生児室の前に三人で並び、ミサオちゃんが指差したのは小さな生命。白いシーツの中、かすかに手を動かしている。小日向の子供。理由もなく涙が滲みそうだった。
「なんだかよくわかんねー」
 言葉もなく見つめていたオレの隣で小日向が呟く。無責任な呟きにミサオちゃんは怒りもせずに「そうだね」と頷いた。
「もうなんかね、全部どうでもいいような気持ちになってるよ。この子がここにいるだけで、後はもうどうでもいいって感じ。すごいよね」
 赤ちゃんを見つめたまま呟くミサオちゃんの穏やかな口調に促されるようにして、ようやくオレは声を出すことができた。
「名前は考えてるの?」
「うん、もう決めた。キセキ」
 耳慣れない名前の音にオレたちが首を傾げると、ミサオちゃんはくり返した。
「ミラクルの奇跡。ホモのナオの子供だからぴったりでしょ」
「ミサオ」
 へばりついていたガラスから振り返った小日向の情けない表情にミサオちゃんは明るい笑い声を立てた。
「でも人間が一人誕生するなんて、本当に奇跡的だって実感したのよ」
 漢字は「希なる夕べ」と当てると言ったミサオちゃんは「きれいな名前でしょう」と得意げだった。



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