すべての季節が過ぎ去っても ─20─

|| 臼井

 何も求めず、ただ自分があいつを好きだからそれでいいと思っている相手を、必要とする人が他に存在していると知らされた時、オレのすべきことがわからなくなった。
 ミサオちゃんが小日向の子を産む。
 その知らせはオレを打ちのめした。心のどこかで、すべてはオレと小日向の問題だと考えていた。オレと小日向の関係は、二人だけの問題で、どんなに周りの人間を振り回しそして傷つけたとしても、誰もオレたちの間には入れないのだと、傲慢な気持ちを持っていた。
 小日向がミサオちゃんに心を移したことも、オレが許せばそれでいいのだとおかしな思い込みをしていた。そんなオレの傲慢さを砕くように、ミサオちゃんと小日向の間にもオレの入れない問題があるのだと、ミサオちゃんの妊娠が突きつけられた。
「やだ」と小日向は言った。その言葉にちっぽけな矜持が崩れ、オレは衝動的に叫んでいた。
「おまえのしたことだろう!」
 裏切り者。
 自分勝手で気分次第、好きなようにふるまって。
「責任を取れよ!」
 一旦口をついた罵りの言葉は、呆気ないくらい簡単にオレの自制を吹き飛ばした。小日向は子供だから仕方ない、何をしても許すなんて、出来もしない背伸びをしていた足元をいきなり掬われたのだ。
 責任を取れ。全部小日向のしたことだ。
 オレを好きだと言ったくせに簡単にミサオちゃんに心を移した。挙句にミサオちゃんを妊娠させた。どうにもならないことを仕出かした。もうオレたちは終わりだ。小日向が壊した。
 うずくまるオレを小日向が抱きしめた。馴染みの匂いがオレを包む。なのにこの腕はもうオレのものじゃない。悔しくて悔しくて涙が溢れ出した。
 わずかな刺激に弾け飛んでしまった後で、いつのまにか破裂ギリギリまで張り詰めていたことに気づかされた風船のような気分を味わっていた。
「臼井、オレはおまえが好きだ」
 この期に及んでの勝手な言い種にオレは激しく首を振った。
 最初からそうだ。
 最初から小日向がオレに好きだなんて言わなければ、オレは迷わずにいられたのに。小日向の作る曲が好きで、歌う声が好きで、子供みたいな言動に笑って、隣で演奏するのが楽しくて。あのままいられたら何も迷うことなんかなかった。こんなわけのわからない感情を知らずに済んだ。自分の気持ちを持て余して悩むことなんかなかった。悪いのは小日向だ。
 同性相手の感情を納得しきれないままのオレを残して、オレを混乱させた張本人はさっさと異性のミサオちゃんを好きになった。
 ミサオちゃんを妊娠させたのは小日向だ。オレをこんな気持ちにさせたのは小日向だ。
 責任を取れよ。オレの気持ちを弄んだ。おまえが悪いんだ。
 オレは堰を切った感情のまま小日向を責めた。全部小日向が悪い。オレの気持ちを踏みにじった。
 オレの髪を撫でながら「ごめん」とくり返すだけの小日向。
「オレは臼井が好きだ」
 バカ。小日向のシャツをつかんだ拳で奴の肩を叩いた。悔しさ、苛立たしさに支配されて、涙は後から後から溢れ続けた。
 小日向がそんな簡単に好きだなんて口にするから。そうやって奪った相手の心を気分次第で勝手に放り出すくせに。
 自分の気持ちだけで生きている小日向がひたすら妬ましかった。周りを窺い迷ってばかりのオレがバカみたいだと思わされた。オレが傷ついた分だけ小日向にも傷ついてほしかった。だけど小日向は傷つかない。いつでも小日向は自分の答えを持っている。それが悔しい。
 そして小日向の答えは現実の前に無力だ。妊娠したミサオちゃんを放っておけるわけがない。迷わない小日向はただ子供なだけだ。
 オレはなんでこんな奴を好きになってしまったんだろう。それが悔しい。


「臼井」
 しばらくして奥田と高見がガレージに下りてきたが、気を遣ったのか、すぐには中に入らず入口で声をかけてきた。オレは小日向の腕から自分の身体を引き剥がし、小日向の肩を押しやった。
「ミサオちゃんのところに行けよ」
「臼井」
「早く行けったら!」
 オレは体育坐りの形で膝を抱え、腕に顔を押しつけた。奥田と高見が近づいてくる気配がした。奥田がオレのそばに膝をつき、オレの肩に触れた。そのまま小日向を見上げて言う。
「小日向。とにかく一度ミサオちゃんと話したほうがいい」
 小日向の返事は聞こえなかった。
「小日向」
 重ねてかけられた高見の声に小日向は「やだ」と返した。オレの肩から奥田の手が外され、小日向の腕がオレを抱えた。
「臼井」
 耳元ですがるように囁く小日向にオレは「行けよ」と首を振った。声は掠れ、喉に絡んだ。高見が小日向の肱をつかみ、言い聞かせる。
「まずミサオちゃんと直接話し合うべきだと思うよ。ここでオレたちが勝手に憶測してても、本人の意見を聞かなきゃどうにもならないだろ」
 それはオレへの言葉でもあるような気がした。小日向とミサオちゃんの間の問題には、オレは入れない。


 奥田と高見の説得を受けて、ようやくミサオちゃんの元へ向かった小日向を見送って、「オレも今日は帰る」と言ったオレを奥田が「ダメだよ」と引き止めた。
「アシもないのにどうやって帰るの? その顔でバスに乗るつもり?」
 オレは、ミサオちゃんのところに行ってしまった小日向の車に同乗して奥田の家に来たのだった。
 小日向が何をしてもオレは諦めてるなんてかっこつけて奥田に言ったのは、ついこの間のことで、そうして今、オレはこんな醜態を晒している。
 小日向が子供だから、オレは大人になるしかないと思った。大人のふりしていれば、保護者のふりをしていれば、それが小日向のそばにいる理由になる気がした。
 しっぺ返しを食らったんだ。
 オレは無意識に、小日向を子供扱いすることで優位に立とうとしていたのかもしれない。あいつの言動を仕方ないって許すことが、オレ自身の言い訳にもなっていた。あゆみを傷つけたことも、ミサオちゃんのことも、オレが悪いんじゃない。小日向が子供だから、あいつを守るためだって言い訳を作っていたんだ。ただの欺瞞にすぎない。オレが小日向から離れたくなかっただけだ。どんな理由をつけてでも小日向を離したくなかっただけなんだ。
 奥田はオレを洗面所に連れて行った。
「ちゃんと顔洗って。ついでにシャワーも使いなよ」
 言葉に甘えて、熱いお湯を浴びているうちに少しずつ気持ちが落ち着いてきた。泣き腫らした顔に何度もお湯を当てる。濡れて歪んだ鏡に映る自分を滑稽だと思った。滑稽でみっともない。小日向を子供だなんて言って、その子供に振り回されるオレはもっと情けない奴だった。
 小日向の真直ぐさに惹かれながら、あいつと同じようには割り切れない自分を持て余しているつもりでいた。だがそれはオレのずるさだった。同性だからとか、恋愛じゃないかもしれないとか、素直に小日向を好きだと言い切らずにいたのは、例えば恋人としての関係が終わったとしても友人にシフトすることで小日向から離れずにいるための保険だったんだろう。何があっても小日向から離れたくないオレのエゴこそが恋なのかもしれない。

 シャワーから出ると、ガレージから音楽が聴こえていた。奥田のドラムと高見のキーボード。ベースギターを抱えてガレージに向かうと、奥田たちは演奏を止めてオレに軽く合図を寄越した。
 オレがベースを用意するのを待って、高見が「『地図にない道』?」と提案し、頷いた奥田のカウントでオレたちは昔の曲を演奏し始めた。それはオレがジラフに入った後で、小日向が作った曲だった。すべてを振り切るような力強さの中に滲むセンティメンタルな匂い。小日向の曲を知らなかったら、オレはあいつを好きにはならなかったんだろうか。
 ベースラインをなぞりながら、オレたちは小日向のメロディーを待っていた。小日向の声が、ギターが必要だった。サビの高音で少し掠れかける危ういハスキーヴォイス。強引に絡んでは、気紛れにさっと引いてしまうギター。仕組んだイタズラの成果に喜ぶ子供みたいな笑み。
 オレは小日向が欲しい。


 オレの携帯の着信に気づいたのは高見だった。脇の棚に置いてあった携帯がシグナルを発していると教えられて、手に取るとディスプレイには小日向の名前が表示されていた。そして聞こえてきたのは女の子の声。
──臼井くん?
 小さな硬い声で、今までとの印象の違いにオレは、彼女と言葉を交わすのが小日向がミサオちゃんと付き合って以来初めてであることに思い至った。
──私、ミサオです
 短く「はい」と返すと、少し沈黙ができた。オレにはミサオちゃんにかける言葉が浮かばなかった。ミサオちゃんはかすかに咳払いをして、
──あの、私、臼井くんと話したいんだけど。会ってほしいの
 と言った。



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