すべての季節が過ぎ去っても ─15─

|| 小日向

 駅前のビジネスホテルで二晩を過ごした後、オレたちを呼び出した高見と奥田に促されて、オレと臼井はそれぞれミサオとあゆみに会いに行くことになった。奥田の車であゆみのアパートに向かった臼井と別れて、オレは高見に駅まで送ってもらい電車に乗った。
 日が落ちたばかりの時間帯のせいか制服の中高生が多かった。雨で湿っぽくなった車内には「かしましい」という形容がぴったりな声たちが充満して沸騰している。オレは出入り口のドアにもたれて、目の前のガラスを流れ落ちていく水滴を眺めていた。水滴のいくつかは流れ落ちずに風にはがされて飛んでいった。
 臼井と別れて一時間も経っていないのにすでに不安な気持ちが湧いていた。オレはどうしてあいつを閉じ込めておけないんだろう。臼井がオレ以外を見ないでくれればいいと願った。
 ミサオのアパートに一番近い駅で降りて、改札を抜ける前にミサオの携帯に連絡をいれた。
──はい
 その声は明るくいくぶんテンションが高めに聴こえた。ざわめきが流れ込む。ミサオは家にいるのではないようだった。
──オレ
──うん。何?
──オレ、ミサオに謝んなきゃならないんだ
 オレの言葉にミサオは「ふーん」と呟いた。そして少しの沈黙の後、あるカフェバーの名前をあげ、友人たちと飲んでいるところだからそこまで来るようにと言った。オレは再び電車に乗り、ミサオの指定したカフェバーに向かった。傘を買おうか迷ったが小降りの雨と高をくくってそのまま歩いていったら、店に着くころには結構濡れてしまった。
 何度かミサオと一緒に来たことがある、たいして広くもないその店に入って見渡すと、すぐに奥の席でヒラヒラと手を振るミサオに気づいた。彼女の周りにはオレの知っている顔も何人かあったが、ミサオは身軽に立ち上がり、そのグループとは離れたところにある二人がけのテーブルにオレを坐らせた。
「で?」
 オーダーを取りにきたスタッフに「この人すぐ帰るから、ちょっと話だけさせて」と断ったミサオは、スタッフが去ると頬杖をついたまま軽く顎をあげて、オレを促した。オレは揃えた膝に手を置いて勢いよく頭を下げた。
「ごめん!」
 頭を下げたまま上目遣いにチラッと伺うと、ミサオは小さな子どものように唇を尖らせていた。目が合ったら困ったようにミサオの口の端がかすかに上がった。おどけたような甘い笑顔。ミサオは少し酔っているように見えた。潤んだような大きな瞳。
 ふいに涙が溢れてきた。もう戻らない。キラキラと輝いていた時間。本当に好きだった。ミサオ。オレを遠くに連れて行ってくれた。
 オレは膝に目を落とし俯いたままでグスンと鼻をすすり上げた。
 でもダメなんだ。オレはもう臼井に持ってかれてるから。持ってかれてるってことを気づいてしまったから。あいつがオレのことなんか見てくれなくても、オレは臼井から目をそらせない。
「バカ」
 ミサオの呟きが聞こえて、オレは顔を上げた。
「オレ、ミサオのこと本当に好きだった」
「勝手に過去形にしないでよ、バカ」
「ごめん」
 謝って親指のつけ根で涙をぬぐうオレに、ミサオは「あーあ」とふてくされたため息をついた。
「久しぶりに臼井くんに会ったから混乱してるんだと思いたかったのに」
 イーッと鼻の頭に皺を寄せてみせる。
「でも、ちがうんでしょ。わかっちゃったんでしょ。私じゃダメなんだ、ナオには」
 パッと立ち上がったミサオにつられて、オレも腰を浮かせた。小柄なミサオが反り返るようにしてオレを見る。
「私ももう冷めた。私のこと見ない人なんかいらない。バイバイ」
 にっこり笑って、ミサオは子どものように広げた手を振った。家路を帰る友だちを見送るように。その仕種を可愛いなと思った。ミサオは可愛い。オレはミサオに会えてよかった。こんなに可愛い女の子と一緒の時間を過ごせて幸せだった。いつでも真っ直ぐな目で笑いかけてくれた。最後まで笑ってくれたミサオ。オレはミサオの笑顔が大好きだった。


 切ないけれどどこか幸福な気分を抱えて家に帰り着くと、居間のソファに朋美がいて、オレを見るなり「あ! ホートームスコ発見!」と大声で指差してきた。ピョンと音を立てそうな仕種でソファから立ち上がりオレのそばに寄ってくる。
「家でナオちゃんを見られるなんて、ツチノコ並みの珍しさだね」
 おどけた表情でオレの周りをグルグルと回り始めた妹をオレはその頭を軽く押さえて止めた。
「なんだよ、朋美こそこんなしょっちゅう帰ってくんなよ。交通費がもったいないだろ」
 この春から大学生になった朋美はアパートを借りて一人暮らしをしていたがそんなに遠い場所ではないせいか週末にはたいてい帰省してきた。
「何言ってんの。誰かさんが家に寄りつかないから、パパとママに淋しい想いさせないように気を遣ってんのよ」
 頭を押さえたオレの手を外してソファに坐り直した朋美はいばって胸をそらした。
「つか朋美、ますますけばくなってないか? ヤバイよ、それ。塗りすぎ。ヌリカベみてえ」
 化粧の濃さをからかうオレを鼻にもかけず、朋美は少し真面目な顔つきになった。
「ナオちゃん、本当にそろそろしっかりしたほうがいいよ。お母さんたち結構心配してたからね。あたし帰って来た時、ナオちゃんはビョーキなのにどっか行っちゃったって怒ってたもん。そんでユキちゃんは就職活動やめたんだって。聞いた?」
 オレは「聞いてない」と首を振った。一歳違いの弟の行彦は学部の四年生になったばかりだったが、三年のうちから就職活動で忙しいからと正月にも帰省してこなかった。
「就職はやめて院に行くんだって。もう仕送りしなくていいって電話してきたらしいよ」
 就職はせずに大学院に進学すると心を固めたらしい行彦は、アルバイトを増やして自活を宣言したという。
「ナオちゃんさー、長男じゃん。ナオちゃんこそ就職活動もしないで将来どうするつもりなの」
「ナマイキ言うなよ」
 口調が母親そっくりに聞こえて、オレは朋美の鼻をつまんだ。
「イッターイ。だってさ、CDだって一枚出したっきりだしジラフやめちゃったの?って言ってるコいるよ」
 小首を傾げるようにしてオレの顔を覗きこんでくる朋美のクリクリと動く目が座敷犬みたいだった。生意気にアイラインなんぞ引いてやがる。
「オレ、家を出ようかな」
 ポロッと呟くと朋美は大仰な叫び声をあげた。
「えー! ナオちゃん、ミサオちゃんと結婚するの?!」
「なんでそうなるんだよ?」
 勝手に決めつけられてオレは少しあせって言い返した。
「だってそうじゃん。家を出てミサオちゃんと暮らすんでしょ」
「ミサオとは別れた」
「うっそー! いつ?」
 末っ子の朋美は典型的な内弁慶で、親戚やオレの友だちの前なんかではおとなしいフリをしているくせに、家の中では本当にうるさい。いくら兄妹だってプライバシーには配慮してほしいものだ。
「うるさいよ。今日だよ、今日!」
 言い捨てたオレは、「なんで?」としつこくくい下がってくる朋美を残して自室に引き上げた。
 臼井はどうしているだろうと思った。あゆみの部屋に住んでいた臼井は、新しいアパートを探すまでしばらく奥田の家に泊めてもらうことになっていた。
 カーテンを閉める前に確認すると雨は上がったようだった。わずかに靄が出ていた。確実に近づいている夏の匂い。
 あゆみに会った臼井の気持ちが揺らがなければいいけど、と心配だった。どこまでいっても臼井の気持ちは不安定に思えて、オレには知りようがないあゆみとの時間が気にかかった。例え半日でも臼井と離れているのはつらいと感じていた。一緒に暮らしたかった。特別じゃない日常の時間を共有して過ごしたい。今ここで臼井の髪に口づけたい。
 オレは臼井と二人きりでいたかった。他人の目のあるところでは振り払われる手も二人だけの時にはちゃんと握り返してもらえる。見つめるオレの視線に気づいて返ってくる柔らかな笑顔。他の誰にも触れさせたくなかった。
 オレも家を出ようと決心した。
 かつて頑ななまでにオレに合鍵を渡すのを拒んでいた臼井が、一緒に暮らしてくれるとは期待できなかった。それでもオレはこの家から独立しようと決めた。一緒に暮らせなくても、ごく稀にでもいい、臼井を迎えるための自分の城がほしくなった。今夜だって臼井を奥田の家になんか泊めたくはなかったんだ。好きな相手を他の奴になんか任せたくない。他の誰でもなくオレこそが臼井を守る唯一の人間になりたかった。



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