すべての季節が過ぎ去っても ─3─

|| 臼井

 年の瀬、実家に帰省しているところにあゆみからの電話があった。
──初日の出を見に行かない?
 あゆみが来年の就職活動のために車を買う話は以前聞いていたが、それがすでに届いていると言う。ようやく運転にも慣れてきたから海までドライブしようという誘いだった。


 高見がしばらく前から時々あゆみを誘っているのは知っていた。月に一、二度連れ出す程度で、快活さが売りの高見にしてはじれったいような行動だったが、気にはなってもオレがけしかけるのもおかしな話だから静観していた。高見もあゆみもオレの大事な友だちだから、うまくいけばいいと願っていた。オレがあゆみにしたことを考えれば、それは勝手なエゴだという気もして、二人のために何もできずにいた。


 元旦の夜更けに、新しい車で家まで迎えに来たあゆみの微妙な笑顔を見て、オレはあゆみが小日向とミサオちゃんのことを知っているのだと根拠もなく確信した。二人が派手にはしゃいでいると言っていた奥田たちの言葉を思い出した。
 オレは何も言わず笑みを返し、助手席に乗り込んだ。オレは結局小日向とのことをあゆみにはっきり告げていなかったのだと今さら思い返す。あゆみが悟っているらしいのをいいことに曖昧にしたままだった。あゆみに懺悔する機会もないまま、小日向とのことは終わってしまったのだろうか。
 海へと向かう国道に出ると早くも渋滞が始まっていた。


 オレは小日向に連絡を取ることなく帰省していた。あいつに何を言うべきか、自分でわからなかった。小日向からもオレには何の連絡もこなかった。
 小日向がミサオちゃんと付き合っていると聞かされても、まるで実感が湧かなかった。高見や奥田の深刻そうな顔が、大げさにしか感じられなかった。
 違う。オレは確かめることを避けた。曖昧にしたまま逃げ出したんだ。新しい年が明けてから、何も知らないふりで会えば、何もなかったことになるんじゃないか。そんな有り得ない期待さえ時折浮かんでくる。
 第一、小日向がミサオちゃんと浮気したからといって、オレが責める必要などあるのだろうか。あいつとオレの関係はそういうんじゃない。今でも時折そんなふうに思う。身体を繋げていたって、どこかで同性同士だという違和感は拭えなかった。小日向を好きだという気持ちが、100%恋愛感情だと言い切る自信は、いつまでたっても持てなかった。そんなオレに小日向の浮気を責める資格などないのは明白だった。
 浮気。そう、そしてそれは──浮気なんだろうか。伝えにきた高見と奥田ははっきりとは口にしなかったが、浮気などではないと考えているのが二人の態度の端々に見えていた。幼馴染みのあいつらから見て、ミサオちゃんのことは小日向の浮気じゃなく本気だってことだ。小日向の気持ちはミサオちゃんに移ったということなのか。
 もともと小日向はゲイではなかった。オレ以前に付き合ってきたのは、みんな女の子だと聞いている。オレが入る前のジラフの曲の中にはセンチメンタルなラブソングの一群があって、その相手が昔のガールフレンドらしいことも知っていた。小日向がオレに好きだなんだと言っていたのは特殊な状況だっただけで、あいつがそこから醒めて、ミサオちゃんを好きになったのは自然な流れなのかもしれない。


「臼井くん」
 あゆみがオレを呼んだ。渋滞の長い列。点けっ放しのカーラジオからは、年明けを意識しているらしい、普段とテンションのちがうDJの声が流れていた。
「うん?」
「臼井くん、好きな人いる?」
 横顔のまま静かに発せられた問いに、オレは一瞬声が出なかった。あゆみがなぜそんなことを訊くのか考える余裕もなく、ただ自分の中の感情を確認するはめになった。好きな人。そう、オレにとって特別な奴はいる。そいつの気持ちがオレになくっても、オレの想いが純粋な恋愛感情と言い切れなくても、やっぱりそいつはオレの特別だった。
 あゆみから目をそらし、ため息と一緒に答えた。
「いるよ」
「それって、…それって小日向くん?」
 静かな声であゆみが呟くように駄目押しをする。
「そう。小日向」
 オレは窓の外に視線をそらしたままで頷いた。暗闇の奥、誰かが興じているらしい花火がかすかに瞬いていた。


 年明けにアパートに戻った頃には、小日向とミサオちゃんが付き合っていることは公然の事実となっていた。音楽雑誌のスナップ写真コーナーに二人の2ショットが掲載され、Rのクリスマスイベントで披露されたという合作曲についてのコメントがついていた。ハニムーンの知名度が上がり始めていた時期だったが、記事は二人を好意的に捉えていて、多分それはミサオちゃんのファンにあっても大方の見方なのだろう。新しいカップルは祝福をもって迎えられていた。
 本当に小日向の気持ちはミサオちゃんにあるのだと悟らされ、ピンボケ気味の写真のおどけた表情がオレの知らない奴のように感じた。小日向からは直接何の連絡もなく、新しい恋に夢中らしいあいつの中から、オレはキレイに消えてしまったのだと思った。
 つらいと感じるのはオレのエゴだ。
 こんな時でさえ、小日向への気持ちが自分ではっきりわからない。
 小日向がミサオちゃんと付き合い始めたんなら、それはそれでいい。なぜオレに連絡が来ない。あいつの口からミサオちゃんを好きになったと告げてもらいたかった。笑って言ってくれればいいんだ。そうしたら、オレたちの関係とミサオちゃんとは別物だって思える。「しょうがない奴」って笑ってやる。オレたちの絆はそんなとこにないって、オレが考えるだけじゃなく小日向に言ってほしい。
 自分の考えの醜さに吐き気がした。


「戻ってきてるんなら、連絡くらいくれればいいのに」
 アパートにやってきた奥田はそう言って、気遣うようなかすかな笑みを見せた。軽音楽部の仲間からオレを大学で見かけたと聞いたので来たと言った。
「やつれ過ぎだって心配してたよ」
 コーヒーを淹れている背中越し、ためらうようにかけられた奥田の声に、オレは笑いを混ぜて答えた。
「てゆーかあいつは思いっきり笑いやがったけどな」
 時期が時期なので、幽霊みたいな姿でキャンパスをふらついているのはオレだけではないらしく、そいつも軽くオレを「ヤバそうだぞ」とからかってきたのだが、それが奥田に伝わると複雑だった。体重が減ったとか目の下に隈ができているとか、外見的なものはごまかしようもないだけに、自分の弱さに苛立つ。研究室に資料を返しに行った時に助手にも気遣われたくらいだから、否定の言葉は白々しいだけだろう。
「研究室の助手も言ってた。毎年何人かにおんなじことを口にするはめになるってさ。この先やってくつもりなら、このくらいで体調崩すようなやり方じゃダメだって」
 オレはコーヒーを奥田に渡し、コタツに腰を下ろして自分から「小日向のことも」と口火を切った。
「あいつのことも、多少は気にかかってるけど、でもそればっかりじゃなくって、勉強の方がいろいろたいへんでさ。なんつーか、まあ相乗効果?」
 冗談めかしてみたもののうまく笑える自信がなくて、俯いたままの早口になってしまった。
「臼井」
 困惑している奥田の声を遮って言葉を続ける。
「いや、オレ、小日向に関しては…そんな別に傷ついてるとかじゃなくってさ」
 勝手に口が言葉を紡ぎ始めていた。奥田の顔を見て無意識の甘えが出たんだろう。何を言いたいのかわからないまま、言葉だけが堰を切ってしまった。
「小日向がミサオちゃんと付き合ってても別にどうでもいいんだ。強がってるとかじゃなくて、本気で、あいつらが付き合ってること自体は平気なんだ。やっぱりオレは小日向のこと、そういうふうに好きなんじゃないかもって気がしてる」
 ちらっと伺った奥田の視線はカップに落とされたままで、目のやりどころをなくしたオレもまた俯いた。
「だけど…でも、そうだな、自分が小日向を好きだってことは思い知った。あいつに会えないってのが堪えてんだと思う。それはあいつがミサオちゃんを好きになったことが嫌なんじゃなくって、なんか、うまく言えないんだけど、そういうんじゃなくて…なんだろな、そういうことじゃなくて…ごめん、頭の中が混乱してる。ただ、オレは自分で、別にあいつとミサオちゃんのことで悩んでるってわけでもない気がするんだ」
 自分で口にしていることが理解できない。オレは奥田に何を言いたいんだ? オレは何に悩んでいるんだ。つきつめていけば、小日向がオレを好きだと言ってくれなくなったことがオレを傷つけているような気がした。それはずいぶん勝手な傷つき方だと感じた。オレ自身の気持ちを明確にしないまま、あいつに好きだって言わせて楽をしていたしっぺ返しを食らっただけだ。
「臼井、ごめん」
 しばしの沈黙の後で、奥田に謝られて、オレはのろのろと顔を上げた。
「ぼくは臼井に何もしてやれない。どうしていいかわからないんだ」
 奥田が泣き出しそうに見えて、奥田のそんな表情を初めて見たことに気づいて少し笑った。いつも冷静な奥田がそんな表情をすると可愛い女の子みたいに見える。
 なのに笑みはオレの頬を中途半端にこわばらせて消えた。
「オレも…オレもどうしていいか、わかんないよ。奥田」
 すがったら悪いってわかっていた。力になれないと謝ってくれた相手を、さらに頼ろうなんて正気じゃない。
 けれど奥田はいつもオレを助けてくれた。オレ自身よくわからない気持ちを、奥田はわかってくれると感じていた。奥田にどうにかしてほしいって泣きつきたかった。けれどオレは何をどうしてほしいんだ? 問題はオレの中にある。
 ここでオレがちゃんと小日向を好きだって断言できたら。あいつにミサオちゃんと別れろと迫れるくらい、小日向を好きだと言い切れる想いがオレにあったら。自分の気持ちを曖昧にしたまま、ただ相手の気持ちが欲しいなんて、オレは自分の理不尽さを持て余しているだけだった。
 奥田の手が腕に触れた。励ますようにオレの腕から肩を二度ほどさすった後で、奥田は言った。
「臼井、荷物を作って」
「え?」
「一人でいちゃダメだ。ぼくんちに行こう。ぼくには何もできないけど今、臼井を一人で置いとけないって、それだけはわかる」



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