すべての季節が過ぎ去っても ─2─

|| 小日向

 いつのまに夏は終わっていたんだろう。夜と昼の境目の肌寒さに胸の奥がうずく。日中はまだ暑いから半袖で過ごして、日が落ちかけるころ、腕の冷たさに我に返る。そんな時には臼井に会いたくてたまらなくなった。肩が寒いからあいつに抱きしめてほしい。腕の中が頼りなくて、あいつをしっかり抱きしめたい。
「いい加減にしろよ」
 麻痺するくらい何度も言われた台詞。今さら堪えるってわけじゃない。
 けれど夏が終わってからの臼井は「バカ」って笑ってくれない。本気で嫌そうな表情を作る。これからどんどん人恋しい季節になっていくのに、臼井はオレといたくないんだろうか。

 夏前からジラフは休止中で、オレはひまを持て余していた。初めのうちは高見と一緒によそのバンドに混ぜてもらったりして気を紛らせていたが、そのうち隣に臼井がいないことが物足りなくなってしまった。おまけに夏季休暇が終わり、後期が始まってからは、高見の奴が横から「小日向は講義の出席が足りなくなるからダメだ」と勝手に断りやがるので、オレには声がかからなくなった。

 バンドができなくても、せめて臼井と一緒にいたかった。別に何かしてほしいって望んでいるわけじゃない。ただ臼井のそばにいたいって、それがそんなにいけないのだろうか。恋人にキスしたいとか触れたいって思うのは当たり前じゃないか。イライラと振り払われて、どうしていいかわからなくてすがりつけば、ますますうっとうしいという顔をされる。なんで笑ってくれないんだ。
「卒業する気あるのかよ? 小日向」
 せっかく会いに行っても邪険に「学校に行け」と言われる。大学に行っても臼井に会えないからアパートを訪ねたのに。部屋の前で一晩明かしても臼井は帰って来ないことさえあった。臼井がいつどこにいるかが、全然把握できなくて、泣きたいようなあせりだけが募っていく。
「オレは今、忙しいんだよ」
 いつもいつも同じ台詞で遮られる。オレだって臼井の邪魔をするつもりじゃない。オレたちは恋人同士なのに一緒に眠ることさえできないっていうのか。


 臼井に会えなくて何日過ぎたかわからない。声も聞いていない。せめてものつもりで春に出したアルバムで臼井の曲をかけてみたら、あいつの声が流れ出した途端いきなり喉を締めつけられたみたいに息苦しくなって、呼吸の仕方がわからなくなりそうだったので、慌ててストップボタンを押した。
 臼井にとってはオレなんかどうでもいい存在だったと考えると苦しくて、息ができなくなる。こんなに会いたいって思っていても、あいつにとってはオレは邪魔なだけなんだ。
 どうせ臼井に会えないなら、外に出なくてもおんなじだから、オレは家にこもっていた。
 そのうち息苦しさが中毒になってきて、オレはアルバムやテープから臼井の曲だけを集めたテープを作った。布団のなか丸くなって、臼井の曲を聴きながらダラダラ涙を零していたら、どんどんそれが気持ちよくなってきた。壊れてしまった恋を歌う臼井の甘い甘い声がオレを包んで、このまま一生眠りにつけたら、それこそが幸せだって、そんなふうに考え始めた。


「おまえは何をやってるんだ?」
 呆れた顔で見下ろしているのは高見。
 先日「卒業はどうすんだ」などと言いながら押しかけてきたばかりなのに、懲りずにまた来たらしい。あの日も臼井に会えないって泣き言を言うオレに、説教だけして帰ったくせに。おまえの顔なんか見る必要ないんだよ。オレはふてくされてそっぽを向いていた。
 高見は今日、図書館で臼井と話したと言った。
「だから、臼井も今は忙しいんだよ」
 高見の奴、臼井に会ったって自慢しに来たみたいだ。オレはイライラして人差し指の爪を噛み始めた。
「ったくもー、小日向! おい! 聞けっつーの。臼井は真面目だからいろいろ大変なんだよ。卒研とか院試とか終わるまでの辛抱だろ」
 それでもって高見は臼井のことをわかってるふうな口をきく。ああ、なんだか吐きそうな気分だ。
「悪気があって小日向を無視してるわけじゃない。あいつも余裕ないんだ。わかってやれよ」
 高見は何を言ってるんだろう。オレと会うのは臼井にとってマイナスだって言いたいのかな。オレはぼんやりと考えた。臼井はオレに会っちゃダメなんだ。
 あんまり聴き過ぎたせいか、臼井の歌が頭から離れない。頭の中で響いている臼井の声に邪魔されて、高見が言ってることの半分も理解できない気がした。
「その鼻歌やめろよ、小日向」
 高見が遮った。
「そういう歌い方、おまえに合わないよ。気持ち悪いからマジやめてくんねえ?」
 オレはブツブツ文句をつけてくる高見を無視して、勝手に溢れてくるメロディーを歌い続けた。だってオレに他に何ができる? 臼井に会えないオレには何もないんだ。
 高見が手を伸ばしてきて、オレの口を押さえた。
「小日向ー、しっかりしろよ。おまえ、臼井のこと好きなんだろ? あいつが大変な時くらい支えてやれ」
 支えるってなんだよ。だってオレは臼井に会えない。会うことさえ拒否されて、どうやって支えたらいいって言うんだ。オレは臼井の邪魔だって、高見、おまえもそう考えてるんだろう。
 口の中閉じ込められた臼井の歌のせいで、鼻の奥がつんとしてボロボロと涙がこぼれ出した。
 それが指を濡らしたらしく高見はあせった様子で手を離した。
「小日向っ、泣くなよ。本当にアホか」
「ったくもー」と舌打ちした高見は、ごそごそとバッグを探りチケットを取り出した。この夏に久々の新しいアルバムが出て盛り上がった洋楽バンドの来日公演のチケットだった。アルバムが出た直後は、ジラフの四人で行こうって高見と二人で話していたのに、奥田も臼井もあのバンドのことなんか今は眼中にないらしいから、ライブのことはオレもいつのまにか忘れていた。
「本当はな、女の子を誘うつもりでいたんだぞ。卒業やばい小日向なんかライブどころじゃねーんだから。それに言っとくけどオゴリでもない。ちゃんと金は出せよ」
 要するに気分転換しろと言われているのだった。


「臼井は勉強が忙しいだけで、おまえは振られたわけじゃないんだからよ」
 高見の声が頭の上のほうを抜けていく。気分転換に連れ出してくれたんだろうに、結局高見は臼井の話を始めている。バカな奴だって少し笑えた。
 荷物と一緒に上着もロッカーに入れてしまったから、Tシャツで待っているのは少し寒くて、早くライブが始まればいいと思った。
「臼井はともかく、奥田は少し息抜きしねーと来年まで続かねーんじゃないかって気もすんだけどな。もっともあいつはなんだかんだ言ってしっかりしてるから、オレらが余計な心配するこたないか」
「んー」
 オレは高見の言葉を聞き流しながら、開演前の音楽に身を委ねていた。臼井の曲以外を久しぶりに耳に入れた。少し呼吸の仕方を思い出したような気分。

「小日向くん!」
 後ろからいきなり抱きつかれてオレは「ワッ」と声をあげた。オレの肩に手をかけて背伸びするような格好で覗き込んできたのはハニムーンのミサオちゃんだった。くるんと巻き上がったまつげの下でいたずらっぽい目が笑みを形作っていた。
「やっぱり来てたんだー」
「おー、ミサオちゃん」
 脇から高見が身をよじって振り向き、オレとの間にミサオちゃんを入れてあげた。どうやら彼女は一人らしい。
「二人とも背が高いから目立つねー、すぐわかった」
 ミサオちゃんの声がいつもより半オクターブくらい上がっていた。
「すっげーミサオちゃん、ゴキゲンじゃん」
「そうよー! 今回のアルバム、すっごいカッコよかった。生で聴けるなんてドキドキしちゃう」
 言うなり、ミサオちゃんは新曲のハミングを始めた。アルバムでオレの一番好きな曲。ドクンと心臓が活動を始めたのがわかった。血が身体に送られていく。そうだ、オレはこいつらの曲が本当に好きだったんだ。
 リズムを取るミサオちゃんの隣で、開演を待つ昂揚感が少しずつ伝染してきた。
 フッとフロアのライトが落ちた。写真でしか見たことのなかった奴らが悠々とステージに現れる。一瞬の静寂の後、ワァッという勢いの中にいた。

「やべー。マジでやべーって! かっこよすぎだよ、あれ」
 爆音の中にいたせいで、外に出ても耳鳴りがやまず、声量の調節ができないまま、オレたちは大声を出しながら駅までの道を歩いた。
「私、死んじゃうかと思ったー」
 ミサオちゃんの歩き方はまるで跳ねてるみたいだった。ライブで散々はしゃいでいたのに、まだ体力残ってるんだ。
「つか、短い! もーオールにしろー」
「あんね、オレね、ファーストの最初のヤツ、あれがすっげー好きなんだ」
「はーい、はいはいはい! 私も、私もそう! 小日向くん、歌ってー」
 調子に乗って歌い出したものの途中の歌詞がわからなくなってラララで誤魔化しながら歌い続けたオレにミサオちゃんが抱きついてきた。
「かーっこいい! サイコー!」
 ぎゅーっと抱きしめられて、その身体の柔らかさにドキッとした。コロンと混じりあったミサオちゃんの汗の匂いが甘く鼻腔をくすぐる。
 駅に着いても電車に乗っても興奮は冷めず、オレたちはバカみたいにしゃべり続けた。
 そしてミサオちゃんもオレたちと同じ駅で降りた。「車で送ってくれるよね?」と訊かれたオレは「もちろん」と頷いた。先に高見の家に寄って奴を降ろしたら、ミサオちゃんと二人きりになった。理由もなくクスクス笑い合って、お互い競うようにライブで演奏された曲を歌い続けた。
「小日向くん、寄ってってよ。一緒にアルバム聴き直そ」
 ミサオちゃんのアパートに着いた時にそう誘われて、オレは素直に車を停めた。

 CDをかけて踊りながらキスをした。何度も何度も。勢い余って床に倒れ込み、顔を見合わせて笑った。瞬きしたらバサバサと音を立てそうなまつげに縁取られたミサオちゃんの大きな目がキラキラと光っている。
「小日向くん、大好き!」
「オレも」
 反射的に答えていた。
「嬉しい」
 手放しの笑顔で抱きついてくる。
 ああ、そうだ。この感覚。お互いに好きだって言えるのが正しいんだ。抱きしめたら抱きしめ返してもらうんだ。考えることなんか何もなかった。視線がぶつかって、見つめ合って、ふっと目元の緩む瞬間。オレの中はミサオちゃんでいっぱいになっていた。ほかのことは考えられなかった。真っ直ぐな目で笑いかけてくれるミサオちゃんにめちゃくちゃ嬉しい気持ちになって、彼女がとにかく愛しいってそれだけだった。



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