すべての季節が過ぎ去っても ─6─

|| 臼井

──ハニムーンの新しいアルバムを聴いたんだ
 携帯にかかってきた佐竹からの電話を受けたのは、あゆみの部屋でだった。再びあゆみと付き合い始めたオレは奥田の家からあゆみのアパートに移り、自分の部屋にはほとんど帰っていなかった。
 佐竹からの電話は、もうすぐ発売になるはずのミサオちゃんのソロアルバムについてだった。佐竹は知り合いからサンプルを借りて聴いたという。
──あれは、小日向の曲だよな?
 佐竹の口調には最初から苛立ちが混じっていた。とっさに答えられないオレに畳み掛けてくる。
──ボーカルのソロって名目だけど、実質は彼氏との共同ワークだって噂がたってて、それで小日向とのデュエットまで入ってる。一体どういうことなんだよ?
 オレは息を吸い込み、どうにか声を絞り出した。
「オレは知らない。ハニムーンの新譜の話なんて何も聞いてないし、多分佐竹のほうが情報持ってるよ」
 それはごまかしようのない事実だった。小日向の現状をオレは知らない。佐竹は低く唸った。
──…どういうことなんだ?
「どういうことって、オレが訊きたいよ。そんな話はオレは全然知らない」
 自棄になって、オレは佐竹に言葉を投げつけた。
──臼井?
「オレに訊かれたって困るんだ、本当に。オレは……何も知らない」
──俺には話せないって言うのか
 オレの苛立ちを感じたらしく佐竹は声のトーンを変えた。
「ちがう。本当にオレが話すようなことなんか何もないんだよ」
 佐竹には見えない携帯のこちら側で唇を噛んで黙り込むと、佐竹は諦めたようにため息をついた。
──わかった。明日、そっちに行くから
「だからオレ何も話せることないって。別に来てもらう必要なんかな……」
 砂を噛むような気持ちでオレが言いかけたのを佐竹は遮った。
──俺が、臼井に会う必要があるんだよ!
「佐竹」
 いきなり怒鳴られて息を飲んだ。ややあって佐竹は気を取り直したように笑い声を聴かせた。
──…バァッカ、ヒマだから会おうってだけだよ。今、東京のほうにいるから、すぐ行ける
「また彼女のとこにいるんだ?」
 佐竹の口調が変わったことにほっとしたオレは、同じく調子を合わせた。佐竹は今、以前のモデル仲間と付き合っていて、東京で仕事がある時にはたいていその人のところに泊まっているらしかった。
──まあな。もっとも本人はタイに行ってるけど。普通、彼氏が来てる時に旅行なんか行くか? おかげでオレはヒマを持て余してんだよ
 時折「ドライな関係なんだ」と愚痴をこぼしてみせる佐竹に、今のガールフレンドと気の置けない付き合いをしているらしいと想像がついていた。



 翌日、佐竹が来るというのでオレは久しぶりに自分のアパートに戻った。カーテンを閉ざした薄暗い部屋に足を踏み入れて、涙が滲みそうになった。小日向の匂いが残っている気がした。あいつに合鍵さえ渡していなかったのに、ここは二人の部屋だったと今になって思い知らされる。
──臼井
 幻聴さえ耳に入った。小日向を好きだと強く感じた。あゆみへの気持ちとはちがう。自分すらごまかしようもなくオレは小日向に惹かれる。この想いはどうしようもなかった。それが恋愛感情じゃないとしてもあいつは特別なんだ。


 やがて外の通りを重い爆音が近づいて来て、下で止まった。中型免許を取ってバイクを買った佐竹は、時折わざと小日向の前でオレをツーリングに誘い、あいつを怒らせては遊んでいた。それはひどく遠い日に思えた。
 チャイムの音にドアを開けたオレに、佐竹は無言のままわずかに笑みを見せた。玄関を上がって、抱えていたヘルメットとグローブをオレに手渡し、玄関とつながったキッチンのシンクで手を洗い出した。
「臼井、タオル貸して。やっぱ顔も洗いてーわ」
「なら洗面所使えよ」
 佐竹に洗面所を指差し、オレは部屋に戻って佐竹のヘルメットとグローブをテーブルに置いた。
 しばらくぶりに会った佐竹は、髪を短くして複雑な色に染めていた。その髪型は佐竹の端整な顔立ちによく似合っているように思えた。
 高校の頃オレは佐竹といつも一緒につるんでいて、女の子たちにアヤシイなんて言われて笑っていた。それは単なる冗談だったから。小日向とそういう関係になって、佐竹との間も少し変わってしまった気がする。
 高校一年のときに同じクラスになった佐竹は、ハンサムだけどスカしたところがないから、女の子にもてただけではなく、変な意味じゃなくて男にも人気があった。どちらかと言えば地味なオレがなぜ佐竹と仲良くなったのか、よく覚えてはいない。佐竹には七歳も上の兄貴がいて、その影響でバンドを組むことになった。もともとは佐竹と同じ中学だった平山との間で、高校に入ったらバンドをやろうという約束になっていたらしかった。放課後、二人が話しているときに、そばにいたオレを佐竹が誘ってくれたのがきっかけで、オレはベースを始めた。
 二年生になってオレは理系、佐竹は文系でクラスは分かれたけれど、バンドがあったからいつも一緒にいた。バンドのメンバーの中で、オレだけがクラスがちがってしまったから、佐竹は逆に気にかけてくれたのかもしれない。休み時間などにしょっちゅうオレのクラスに来ていた。オレたちは周りからも親友と認められていて、女の子に佐竹宛てのラブレターを預けられたことも一度や二度ではなかった。
 進路を決める頃、バンドはやめると言っていたのに、佐竹は東京に出て音楽を続けようなんてオレだけを誘ったから、他のメンバーとの関係が微妙にぎくしゃくしたりした。そして小日向と付き合い出した頃に佐竹の誘いをプロポーズみたいだったなんて思い返したりしたオレが、自分で嫌だった。


「小日向は、あのコと付き合ってるんだな」
 部屋に入ってくるなり、佐竹は口火を切った。
「悪いと思ったけど、奥田に確認とった。奥田は臼井のことすごく心配してたよ。自分に何もできないってあせってるみたいだ」
 奥田に心配をかけていることは、佐竹に指摘されるまでもなかった。逆に奥田が佐竹にそんな話をしたことにわずかだがショックを受けた。そして自分の動揺にオレの居場所はジラフなのだと改めて感じた。奥田や高見に対しては高校の時のバンド仲間以上に、気をおいていなかった。甘えているのは、家族的な絆があると無意識に信じていたからだ。小日向がミサオちゃんと活動を始めた今、ジラフは終わりという可能性が高かった。大切なものはいつも失くしかけて気づく。
「大丈夫だよ」とオレは言った。
「もう奥田に負担はかけないよ。オレ、…オレは、今あゆみと付き合ってるから」
 早口に紡いだ台詞に佐竹はわずかに目を見開いて、オレの顔を凝視した。その視線を避けるように俯く。
「やっぱりオレたち──オレも小日向も、もともとゲイじゃなかったし。男同士で付き合うってすごい不自然だったんだよ。自分で言うのもナンだけど、うまい具合に収まったってとこかな」
「それで? うまく収まったのに、なんで臼井はそんなやつれた顔してんだ?」
 皮肉を含んだ佐竹の言葉にオレは唇を噛んで顔を上げた。
「だからッ、…だからそのうち平気になるよ。あゆみがいてくれれば大丈夫になる」
 オレは自分に言い聞かせるように頷いた。今はまだ小日向を諦めきれない。でもあゆみがそばにいてくれるから、いつか気持ちは変わるだろう。たとえ完全には忘れられないとしても痛みは少しずつ薄れていくはずだ。
「あゆみはさ、ずっとオレのこと好きでいてくれたんだよ。笑っちゃうだろ。オレ、あゆみに本当にヒドイことしたのに。だからあゆみの気持ちに応えてやろうって思うよ」
「……俺は?」
 組んだ指先を見つめるようにしてオレの言葉を聞いていた佐竹はふいに顔を上げて、くっきりとした二重の目で真っ直ぐにオレを射た。
「何?」
「俺も臼井を好きだって言ったらどうする?」
 強い視線に気圧されて、オレは目を伏せた。佐竹はオレの弱さを見抜いている。ずっとオレを想っていてくれたあゆみをいじらしいと感じるのは本当だ。けれど、それ以上にオレは──。
「…あゆみの気持ちに応えたいなんて、言い訳だよ」
 奥歯を噛んで、呟く。
「ごまかしてあゆみに逃げ込んでるだけだ。わかってる。…だけど、他にどうしようもないだろう」
「俺にしろよ」
 意味を理解する間もなく引き寄せられていた。耳の後ろで、聞き慣れていたはずの声が聞き慣れない台詞を囁く。
「それなら、あゆみじゃなく俺にしろ」
「佐竹」
「俺が小日向の代わりしてやるよ。臼井がそんな姿してんの見たくない。あゆみじゃダメなんだよ。おまえにはあゆみじゃダメだ」
 断言されて、腹の中に重い塊のようなものが生まれた。あゆみじゃダメだなんて、佐竹に言われたくない。オレはあゆみと付き合っていながら、何度も彼女に小日向が好きだとくり返していた。そのたびにあゆみは「わかっている」と頷く。「それでいいよ」と抱きしめてくれる。オレがどれだけあゆみを傷つけているか、そしてどれだけあゆみにすがっているか、佐竹は知らないのだ。
「彼女が怒るよ、佐竹」
 オレは静かに佐竹の腕を自分の身体から引き離した。
「佐竹はオレに同情してんだろ。小日向に捨てられて可哀そうって思うんだろ。オレはそういうふうに思われるの、ダメなんだよ」
 佐竹に対して意地を張ってしまう部分がオレの中にあるのは認めざるをえない。それは長い付き合いのせいかもしれない。佐竹への友情には単純な好意だけでなくライバル心のようなものがどこかにあった。佐竹と対等でいたいという気持ちは他の誰に対してよりも強い気がした。佐竹はオレを睨みつけた。
「俺の気持ちまで、勝手に決めつけるな。俺は臼井に同情してるわけじゃねーよ」
 声を荒げた佐竹が無理に意地を張っているように感じられて、オレはなだめるように言葉を継いだ。
「同情だよ。オレなんかより、佐竹こそゲイじゃないんだからさ。佐竹は──男としたことなんかないだろう? できないよ、多分。オレたちそういうんじゃないじゃん」
 言い切った瞬間、パンと耳の中で音がした。いきなり頬を張られて、呆然と見上げる隙もなく顎をつかまれていた。
「さた……」
 押し付けられた唇。強引に押し入ってくる舌。口の中を蹂躙して、唾液を含まされる。
 オレは佐竹を突き飛ばした。そのまま洗面所に走り、佐竹のと自分のが混じった唾液をシンクに吐き出した。蛇口をひねって水をすくい何度も口をすすぐ。口の中にある佐竹の感触が消えるまで、何度も。
「…残酷だな」
 いつの間にか近づいてきた佐竹が、背中越しポツンと呟いた。
「こんなの、ちがうだろ」
 シンクの縁に手をつき排水口に吸われる水を見ながら、オレは返した。
「オレはやっぱりゲイじゃないんだ、多分。小日向の代わりに佐竹、なんて考えられないよ」
 オレに対して佐竹が女性相手と同じようにふるまうのは耐えられなかった。吐き気がこみ上げてきたのは、佐竹個人への嫌悪感ではなく、オレと佐竹がそんな関係になる不自然さが理由だった。
「佐竹はかっこよすぎるんだよ」
 唇をぬぐってオレは振り向いた。間近にあった、誰もが見惚れるくらい端整な顔を見上げる。
「オレ、佐竹のこと可哀そうとか、そういうふうに思えないし。なんかうまく言えないけど、オレはやっぱ、守ってやりたいって気持ちがないとダメみたいなんだ。佐竹、オレに同情してんだろ? そういうのさ、ダメなんだよ、オレ」
「俺は、おまえのこと好きだって言ったよな?」
 なじるような口調で佐竹が言う。いくらハンサムでもそんな顔つきをされたらどう頑張っても恋の告白とは取れそうにない。少しだけ笑えた。やっぱりオレたちはそんなんじゃないって確信が持てる気がした。
「同情なんかじゃない。俺の気持ちまでおまえが決めつけるなっつってんだろ」
 言い募る佐竹が意地っ張りの子どもに見えた。思わず苦笑してしまったオレに佐竹が唇を歪ませて吐き捨てた。
「…じゃあ、臼井の前で泣いてみせればおまえはオレのものになるのか?」
「佐竹」
「みっともない恰好見せれば、それでおまえが手に入るのかよ」
 言っても無駄だってわかっていて佐竹は言うんだ。佐竹自身、オレを好きだなんて本当は確信が持てないくせに。少し悲しい気持ちになった。オレが小日向と付き合ったりしなければ、佐竹もこんなこと考えずに済んだのに。
 言葉を失くしてしばらく見つめ合っていた。やがて佐竹はふっと息を吐き天を仰いで「わかった」と呟いた。
「わかった。──そうだ、俺にはできない。臼井の前で泣いてみせたり、そういうのは無理だ」
 先に折れた時に軽くふてくされた態度を取るのは、高校時代に何度も目にしてきた親友の姿だ。だからオレはあの頃と同じに笑ってみせた。
「オレだって同じだよ、佐竹。オレ、佐竹の前では、どっかでかっこつけていたいって思ってるんだ、きっと。みっともないとこ見られたくない。なんでだろう、自分でもわかんないけど」
 佐竹。いつも輪の中心にいた。高校に入学したばかりの頃、あまりのかっこよさに世界のちがう奴だって思っていた。バンドに誘われた時はびっくりして、後からその偶然に感謝するようなことが何度もあった。
「佐竹が──佐竹だけじゃなくって、オレもだけど──こんなふうに思うのって、小日向のせいだろ? あいつがいたから、勘違いしたんだ。でも本当は」
 オレには同性相手の恋愛感情なんて、本当にはわかっていないんだ。
「小日向のことも、勘違いだったのかもしれないし」
 セックスしていつも一緒にいて、ただその気になっていただけかもしれない。佐竹にというより、自分に言い聞かせるようにオレはしゃべった。
「最初っから、オレは……。オレ、あゆみと付き合ってて、それで小日向とのことは別だって考えてた。だから、あいつのこと、そういうふうに思ってたんじゃなくて……よくわかんないけど、ちがったんだよ、多分」
 今になって思えば、小日向への気持ちにうまい形が見つけられなくて、いつのまにか恋愛にすり替えていたような気がする。小日向がオレを好きだって言ったから。だけど、その「好き」の種類がよくわからないんだ、本当は。
 小日向と付き合ったのは失敗だったと思う。そんな関係にならなければ、オレたちはずっと一緒にいられたんじゃないか。オレにあゆみがいて、小日向がミサオちゃんを好きになって、それでもオレと小日向は一緒にいられた。なんで男同士で付き合うなんてバカなことしたんだ。あいつを好きだって気持ちは、別に恋愛じゃなかったかもしれないのに。
 佐竹は何度か口を開きかけ、思い直したように首を振った。オレはそれに気づかないふりをした。
「本当は小日向とだってそういうんじゃなかったんだ。オレはあいつの音楽が好きだから、それで勘違いしたんだ。そう思いたい。思いたいんだよ。あゆみといたら大丈夫な気がする。小日向のことは勘違いだったっていつか心から思えると思う」



 院への進学が決まり、アパートの契約が切れたオレは更新手続きをせず、あゆみの部屋に一緒に住み始めた。軽音楽部の追い出しコンパには参加しなかったし、形ばかりの卒業式は、学部の謝恩会に出席して終わりだった。小日向の名前は卒業生の中になかったが、これで奥田や高見と大学で顔を合わせることはなくなる。休止中のバンドについて具体的な予定は何もなかった。こうして少しずつ疎遠になっていくのかもしれなかった。やがていつの日か懐かしく思い返すことになるのだろうか。


 春浅い日にミサオちゃんのソロアルバムは発売され、オレがそのアルバムを手に取ったのは、発売から数日が過ぎた頃だった。
 CDショップの推薦コーナー。「傑作!」と書かれた手書きのポップが目に入った。もともと何枚用意されていたのかわからないが、今その棚には二枚だけがジャケット面を見せて置かれていた。手に取ることを逡巡しているところに、横から手が伸びて制服姿の高校生が一枚を買って行った。残された一枚に促されるように、オレはそれを手にした。
 ミサオちゃんのソロワークという形で出されたアルバムは、実質的には小日向とミサオちゃんのユニットだった。ほとんどの曲に小日向の名があり、デュエットも何曲か入っていた。

 あゆみの部屋に帰って封を切った。聴き始めた時には、鳴り出したギターに「小日向らしい」と笑う余裕もあった。音が進むにつれ、少しずつ身体を締め付けられるような感覚がオレを襲った。
 傑作。それは確かに傑作だった。幸福感に満ち溢れたアルバム。世界はこんなに素晴らしいって伝えてくれる。
──オレじゃ、なかった。小日向の相手はオレじゃない。
 ギリギリと絞られる痛みの中で、オレは確認した。
 あいつの気持ちがミサオちゃんに移ったとしても、オレは小日向にとって特別なのだとどこかでそう信じていた。ゲイじゃないはずの小日向が同性のオレを好きだと言っていたこと自体が特別の証に思えた。オレはそれにすがっていたかった。けれど届けられたアルバムは、小日向とミサオちゃんこそが運命の恋人だと高らかに宣言していた。オレはそれに打ちのめされた。

 春休みには帰省しなかった。あゆみの部屋でオレはずっとミサオちゃんのアルバムを聴き続けた。
 そのアルバムを聴いて初めて、ジラフで演っていた小日向の曲のシニカルな視点に気づいた。それが小日向の弱さだったのだと、消えた今になってわかる。そうしたことすべてを脱ぎ捨てて、小日向はミサオちゃんと歌う。二人でいれば完璧だと。



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