すべての季節が過ぎ去っても ─16─

|| 臼井

 あゆみのアパートに近づいた時、奥田は「やっぱり今日は遠慮する」と言い出した。
「ぼくが一緒に行ったらあゆみちゃんが気を遣うかもしれない。ぼくは後であゆみちゃんに謝ろうと思う」
 本音を言えば奥田に一緒に来てほしかった。今オレがあゆみに言えることなんて何もなくて、奥田のフォローがほしかった。オレをかばってほしいんじゃない。奥田があゆみを助けてくれればと思った。オレが傷つけたあゆみを。
 自分の考えの醜さにこみ上げた胃液を飲み込んで、オレは奥田に頷いた。
 アパートに着いて奥田は車を停めた。
「この辺を車で流してるから終わったら携帯に連絡して。一時間経ったらこっちからも携帯入れるから」
「ありがとう」
 礼を言って車を降りる。ドアを閉める刹那、奥田が素早く「頑張れ」と囁いた。頷いて、気持ちが鈍る前に雨を理由にエントランスに駆け込んだ。息を整えるふりをして立ち止まったら、エレベーターのボタンを押すタイミングが計れなくなった。たいして濡れてもいない服の雫を払って時間稼ぎをする。
 オレの謝罪はあゆみにとって何の意味があるだろう。自分が楽になるためだけだ。徐々に重くなる気持ちを引きずってオレはあゆみの部屋の前に立った。
 鍵は持っていたが使わずに玄関のチャイムを押した。少ししてドアが静かに開き、あゆみの表情のない白い顔が覗いた。オレを認め、小さく頷いて部屋に招き入れる。
「何か飲む?」
 訊かれて首を振った。オレたちはキッチンのテーブルに坐って向かい合った。あゆみは黙ってオレを見つめた。
 最初の言葉がなかなか出てこなかった。「ごめん」以外に言うべき台詞はなかった。
「あゆみ」
 名前を呼ぶと瞬きもしない目が正面からオレの目を捉えた。
「オレ、オレさ」
 小日向と付き合い始めた頃、オレが軽い気持ちで電話した時にも、受話器の向こうであゆみはこんな表情をしていたんだろうか。あの時、きちんとあゆみに会っていたら、今こんなふうにはならなかったのかもしれない。
 四年前のちょうど同じ季節。訊ねて来た小日向を部屋に上げる前にオレはもっとよく考えるべきだった。
「ごめん、あゆみ。オレここを出てくよ」
 あゆみは一瞬目を閉じた。小さく「そう」と呟いて俯く。
「ごめん」
 あゆみは俯いたまま頭を振った。
「本当にごめん」
「…じゃない」
 俯いたままの言葉は聞き取れなかった。
「え?」
「臼井くんが謝ることじゃないよ」
 あゆみは顔を上げた。
「ここを出て行くんでしょ? わかった。荷物はどうするの? 今全部は持っていけないよね」
「待てよ、あゆみ。聞いてくれ」
「『ごめん』なんて言わなくていいよ。私、わかっててやったことだから。臼井くんが私なんかなんとも思ってないの、ちゃんと知ってたから」
「ちがう、ちがうよ」
 早口にたたみかけてくるあゆみを、オレは慌てて遮った。
「オレ、本気であゆみには感謝してるよ。なんとも思ってないなんてことない。あゆみがいてくれたおかげでオレは本当に助けられたんだ。さんざん甘えておいて結局あゆみを傷つけてごめん」
「謝らないでって言ってるでしょ。臼井くんが私を好きになれないのは、臼井くんのせいじゃない。ちゃんとわかってる」
「待てってば。オレがあゆみを好きじゃないとか言うなよ」
 オレの言葉にあゆみは泣き出すかに見えたが、寸前で堪えたようだった。
「あゆみは──オレにとってあゆみは、姉とか妹とかみたいな存在で、とにかく大切に想ってるのは本当なんだ」
 あゆみにとって残酷な言葉だとしても、オレの本気だから、きちんと伝えたかった。オレの気持ちをわかってもらいたいと考えること自体があゆみへの甘えなんだろう。
「小日向のことも」
 見慣れないあゆみの表情にあせって、オレは言わずもがなことまで口にしてしまった。
「小日向だって、オレには恋愛対象じゃないんじゃないかって、やっぱり思ってるよ。愛だの恋だのじゃなくって、あいつはガキだから守ってやんなきゃしょうがないって感じで……ごめん、オレ、あゆみに甘えてばかりいる」
 言葉の途中で自分の浅はかさに嫌気がさして続けられなくなり俯いた。オレはいつも不用意な台詞であゆみを傷つける。
「私は」
 あゆみは口を開いた。
「私は、臼井くんを兄弟なんて思えない」
 短く言って、あゆみはオレを見た。その顔は人形めいていて感情が読み取れなかった。
「ごめん」
 オレがあゆみに言えるのはそれだけのはずだった。けれどオレはあゆみにはすべて隠さず正直な気持ちを打ち明けておきたかった。
「じゃあ、家族にしてよ」
 わずかな沈黙の後、あゆみは挑むような口調で言った。
「え?」
「結婚して。臼井くんがずっと小日向くんを好きなら、戸籍を私にちょうだい」
「あゆみ」
 真直ぐに捉えられた視線を外すこともできない。
「そのくらいしてよ。臼井くんに思い知ってほしいの。私は本気で臼井くんが好きだよ。臼井くんはまだ迷ってるんでしょ。小日向くんへの気持ち。曖昧なまんまで、でも小日向くんを選ぶんでしょう。
 臼井くんはずるい。私にちゃんと失恋させてもくれない。小日向くんへの気持ちが恋愛じゃないなら、私をそばにおいてって考えちゃうじゃない。小日向くんが特別でも、私のいる余地もあるんじゃないか、なんてバカな期待しちゃうじゃない。
 もうやめるって決めたのに、将来もしかしたら小日向くん以外に臼井くんが迷いなく好きだって言える人ができるかもしれないって考えて不安になっちゃうよ。だから、契約書代わりに保証書代わりに、臼井くんの戸籍を私にちょうだい。臼井くんがいつか本気で好きな人ができてもその人と結婚するためには私と離婚しなくちゃダメなんだからね」
 涙も流さず乾いた声であゆみは一気に言い切った。
「私、いつまでも諦めきれないの。どうせなら形だけでも私のものになってよ」


 翌日、小日向は奴にしては珍しく午前中に奥田の家にやってきた。さすがに気になっていたのだろう。
「どうだった?」
 訊かれて曖昧に「ん」と頷き、笑みでごまかした。昨夜あゆみが言ったことをオレは迎えに来てくれた奥田にも相談してはいなかった。形だけの結婚は、同性の小日向を愛し続けると決意しているオレには何の枷にもならない。むしろあゆみを傷つけるだけの気がした。
「そっちは?」
「だいじょぶだった。バイバイって言ってたよ」
 あっけらかんと答えた小日向に奥田が呆れた顔で口を挟んだ。
「バイバイって…。小日向、本当に?」
 小日向が「うん」と頷く。
「奥田にはわかんなくても、オレとミサオにはわかるんだよ」
 あっさりと断言された言葉にオレは少しだけ傷つき、そして小日向の無神経さに苦笑してしまった。オレとよりもミサオちゃんと小日向のほうが近い位置にいることを、小日向は取り繕うすべさえ知らないのだ。奥田が困った顔で目配せをよこす。
 オレの内心になど気づく様子もなく小日向はニコニコと笑いかけてきた。
「臼井、新しいアパート探すんだろ? 付き合うよ」
 そしてオレたちは小日向の車で不動産屋巡りをすることになった。走り出してすぐ小日向が「臼井」と少しだけ緊張した声でオレの名を呼んだ。
「オレと一緒に住まない?」
 軽い調子でなされた提案に、オレも何気なさを装って応じる。
「小日向、家を出る気?」
 上空は風が強いらしくフロントガラスからはどんどん流されていく雲が見えていた。時折陽光が射し込み、すぐに陰になる。
「うん。オレもそろそろ独立しようかなって。だから、どうせなら臼井と一緒に住みたいんだけど」
 伺うような口調がおかしかった。
「そうだな。今日回ってみていいところがあれば考えてみようか」
「そだね」
 横顔で頷いた小日向の小鼻がぴくつくのが見えて、オレはクスッと笑ってしまった。
「何笑ってんだよ」
「いや。だって、なんか小日向、緊張してるだろ?」
 オレの指摘に小日向は一瞬黙り込んだ。雲間からの光が、小日向の茶髪を金色に縁取る。
「…緊張するよ」
 こちらが忘れかけたころにポツンとこぼした。
「ダメだって言われると思ったもん。言われてもしょうがないけど──言われたら傷ついたな」
 思いがけない小日向の弱音に今度はオレが黙り込む番だった。小日向は下唇を噛むようにして続けた。
「オレ、臼井のこと怖いんだよ」
「…何言ってんだよ」
 ようやく声をしぼり出す。小日向の台詞にオレまで緊張していた。小日向の心情は明け透けにすぎてオレを困惑させる。
「臼井が好きだから怖いんだ」



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