すべての季節が過ぎ去っても ─19─

|| 小日向

 志賀さんが主宰するイベントに向けてジラフの練習を再開したオレたちだが、いまだに奥田の家のガレージを主な練習場にしていた。普段の練習や音合わせにスタジオを借りるほどの金銭的な余裕がないせいも多分にあった。オレは家を出て初めて、生活費というものが意外とバカにできないことを知った。買うつもりでいたギター代が臼井との新居の敷金、礼金に消えていた。オレはそのままオレ持ちでかまわないと考えていたが、頑固者の臼井は絶対に自分も半分出すと言って聞かない。臼井がアルバイトを増やしたせいで一緒にいる時間が減ってしまって、そんなの本末転倒だよとオレは文句をつけた。もっともギター代はミサオのアルバム関連の結果だからあまり大きなことは言えなかった。
 ジラフの練習には相変わらず週末の土曜をあてていた。オレの車で臼井と一緒に奥田の家に行くと、奥田は庭に出て待っていた。車を停めたオレがサイドブレーキを引く間もなく駆け寄ってくる。
「なんだよ、わざわざお出迎え?」
 窓を開けておどけてみせたオレの顔を見て、奥田は開きかけた口をそのままつぐみ、助手席から降りた臼井に視線を移した。
「何?」
 臼井の問いかけにも奥田は軽く逡巡を見せた後、首を振った。
「ちょっと出てくるから勝手に部屋に上がってて」
 顔を見合わせるオレたちを残して、奥田は自分の車に乗り込んだ。
 奥田の車が門を出て行くのを見送っていると入れ違いに高見がやって来たので、オレたちはとりあえず奥田の部屋に引き上げて待つことにした。


「そういえばオレ、ゼミ合宿と志賀さんのイベントがぶつかるかもしれないんだよな」
 理由も言わず出かけてしまった奥田がいつ戻ってくるのかもわからないので、オレたちは雑談で時間をつぶしていた。臼井の言葉を高見が聞き返す。
「ゼミ合宿? そんなのあるんだ」
「うん、先生の別荘に一週間くらい泊まってさ。合宿って言ってもこっちで準備してって向こうでは発表するだけで、まあ親睦会を兼ねてんだけど。イベントがちょうど合宿の中日に当たる感じなんだ。初日とか最後の日とかに当たるんだったら遅れていくか早く帰るかすればいいんだけど」
「そんな合宿なんか行かなきゃいいんだ」
 オレは脇から言ってやった。泊まりがけの親睦会なんて余計なものに参加する必要性は全然ないんだからな。オレたちは貧乏なんだし、旅行なんて無駄遣いの最たるものだ。
「小日向」
 軽く睨まれて、唇をとがらせる。
「臼井が勝手な予定ばっか立てるからだよ。泊まり込みのバイトなんか探しちゃってバカじゃないの」
 臼井の奴はこの夏休みにリゾート地に行って集中的にバイトをするつもりになっていたのだ。せっかく同棲を始めたばかりだというのに、むかつくったらない。シーズンのリゾート地なんてきついだけなんだよ。条件が合うバイトが見つからなくて本当よかった。
「しょうがないだろ。オレ、まだ小日向に敷金分とか返してないし」
 高見が「敷金てどのくらい?」と口を挟んだ。臼井が金額を口にすると高見はヒュッと短く口笛を吹いた。
「へー、こんな田舎でも結構するんだな。東京とそんな変わんないんじゃん」
「東京ってなんだよ、高見」
 わざわざ比較してきたのがひっかかってオレは訊いた。
「この間まで、オレも一人暮らししよっかなーとか考えてたんだよ。おまえらがもうジラフやる気ないんならオレは東京に出ちゃおうかなーなんて」
 オレと臼井は初めて聞く話に目をむいた。
 大学を卒業してから高見はフリーターをしつつ他のバンドのサポートなどをやっていたから、住むなら東京のほうが都合がいいんだろうけど、高見が東京に行ってしまったらジラフの活動には支障をきたす。
「えー。なんだよ、それ。高見ってば、オレたちを見捨てるつもりだったの?」
 バンド仲間が知らないうちに拠点移してたなんつーのはかなりショックな出来事になると思うぞ。
「バカか。もともと最初にジラフから離れようとしたのは小日向だろ。てめえはいつも自分のしたことは棚にあげてばっか」
「高見ってイジワルだよな」
 今さら言われても困ることを口にされて、オレは高見を上目遣いに睨んだ。オレだって好きでジラフをやめようとしたんじゃない。最初に休止を言い出したのは奥田で、その後は高見だってよそのサポートにばかり力を入れてたじゃんか。それにオレがまちがってたってことはイヤってほど思い知ったんだから、いつまでも話題にしてほしくない。よりによって臼井の前で蒸し返す高見は無神経だと思う。
 唇をとがらせたオレの額を、高見は平手でベチッと叩いた。
「小日向って本当にサル並みだな。少しは反省しろ」
「反省したじゃん。謝ったじゃん。いつまでもしつこく言わなくたっていいだろ」
 抗議したオレに高見は「うっわー、むかつく、この野郎」と大げさな声をあげた。
「臼井、このサルを甘やかすのもいい加減にしとけよ。周りに迷惑かかるからちゃんとしつけとけ」
「別にオレは」と臼井は困ったような笑顔を作った。その表情に胸がざわついて、オレは高見に文句をつけた。
「なんだよ、臼井に余計なこと言うな」
「余計なことっつーかさー……小日向おまえ、臼井にちゃんと謝った?」
 やや真面目な顔つきになってそんなことを訊いてくる高見にムッとしてオレは切り返した。
「謝ったよ。そんなの高見に言われることじゃないよ」
 オレと臼井の間には誰も入れたくない。
「なんかさーどうも小日向はわかってなさそうなんだもん」
「何が?」
 高見は口ごもりながらもおせっかいなことを言う。
「臼井は傷ついたと思うよ。小日向が…その…ミサオちゃんと浮気して」
「高見」と臼井が止める脇から、オレは開き直って叫んだ。
「まちがえたんだから、しょうがねーだろ。まちがえたっつって、オレはちゃんと謝ったよ!」
「まちがえたって……。なんつーか、そういうんじゃないんだよなー」
 高見はじれったそうにクシャクシャと髪をかき回した。
「どう言っていいかわかんないんだけどさ。オレも目の前で泣かれ……」
「高見!」
 臼井は真っ赤になって遮り、「頼むから」と高見の腕をつかんだ。
「本当にオレ、高見に迷惑かけて悪かった」
 高見の言葉を抑え込むようにして謝る臼井に、高見は「あああー、どうしておまえらってそうなの?」と頭を抱えた。
「オレの迷惑とかそういうのはいいんだよ。じゃなくって、おまえらの関係がなー……もうちょっとなんとかなんねーのかって……うー」
 ひとしきり低く唸った後で、高見はヤケになったように叫んだ。
「ああ、もう。どうせオレにはホモの気持ちなんか理解できねー」
「わかんないなら口出すな」
 ムッとして返した途端、臼井に「小日向!」と怒られた。こっちこそ高見が何言いたいのかわかんないね。ただ嫌味言ってるだけじゃん。さも自分だけが臼井の味方のようなフリして。


 おせっかいな高見のせいで険悪な雰囲気になりかけたところにようやく奥田が帰ってきた。オレたちの間に流れていた微妙な空気に気づく余裕もない様子で、奥田は買ってきたらしい雑誌をオレに差し出した。
「小日向。これ知ってた?」
 硬い表情で奥田が差し出したのは今日発売の音楽雑誌だった。隔週発行で、確かミサオと仲の良いライターがいるはずだった。それでミサオと付き合っていた頃にはオレもたまに読んでいた。
「何?」
 奥田はオレの目の前に開いたページをつきつけた。ミサオのバンド、ハニムーンの活動休止を告げる内容だった。その理由。息を呑んで文字を追うオレに奥田は静かに言った。
「小日向の子どもだよね」
「ええっ?!」
 高見が大声で叫び、力の抜けたオレの手から臼井がすっと雑誌を抜き取った。ハニムーンはミサオが妊娠したためにしばらく活動を休止すると発表していた。臼井が無言でページをめくりミサオの未婚の母宣言の載ったインタビュー記事を読む。
「朝、滝口さんから電話があって。こないだから小日向に確かめようとしてたけど連絡が取れなかったって」
 数日前からオレの携帯に何度も滝口さんからの着信があったのは事実で、オレが気づいてかけ直した時には今度は滝口さんのほうが出なかったので連絡がつかずにいた。
 インタビューの中で、ミサオは一人で子どもを育てるのだと宣言していた。楽園にいるような恋をしたのに、相手の男は玉手箱を開けてしまったのだと明るく言い切っていた。『幸せだった』と何度もくり返す、笑顔の写真。
「小日向」
 雑誌から顔を上げた臼井が真っ直ぐにオレを見た。表情の消えたその顔の中で瞳だけが黒々と光っていた。ひどくキレイで遠く見えた。
「イヤだ」
 反射的に首を振っていた。
「ヤダ。イヤダ」
 考えたくない。何も考えられない。
 ギュッと目をつぶり、首を振り続けるオレの腕を、立ち上がった臼井が強い力でつかんだ。そのまま引き上げられ無理に立たされる。無言の臼井に引きずられて部屋の外に出た。臼井はオレの腕をつかんだまま階段を下り、誰もいないガレージに入った。
 ガレージの壁にオレを押しつけて、臼井は口づけてきた。何度も何度も。そうして思い切るようにオレの身体を離した。
「小日向、おまえはミサオちゃんのところに行かなきゃダメだ」
 オレの顔を両手で挟んで、臼井が言い聞かせる。大好きなハスキーボイス。オレはただ震えていた。
「おまえには責任があるんだ」
 オレは臼井を失うのか。この腕を、この声を、この身体を。
「いやだ」
「小日向」
 涙さえ出なかった。目の前の愛しい存在だけがすべてで、他は知らない。
「いやだ。絶対にいやだ。オレは臼井といたい。一生臼井といる」
 バチンと頬が鳴った。
「おまえのしたことだ! 自分のしたことには責任を取れよ!」
 臼井の目から堰を切ったように涙が溢れ出した。
「小日向が悪いんだ。そうだろう? どうしようもないよ」
 語尾が震え臼井はふいに崩れ落ちた。力をなくし膝をつきかけた臼井をオレは必死で抱き止めた。
 オレの子ども。オレとミサオの子ども。オレは初めて未来を怖いと感じていた。いつでも自分のためだけに生きてきた。オレの行動が誰かに影響を与えるなど考えたこともなかった。いきなり降りかかってきた責任にオレはとまどうばかりだった。
「臼井、オレはおまえが好きだ。オレには臼井と離れるのなんか無理だよ」
「そんなわけにはいかない」
 言い募るオレに、臼井はオレの肩に顔を押しつけたまま幼い子どものイヤイヤのように首を振った。オレはその髪にそっと手を触れた。
「いつだって」
 臼井の唇からくぐもった声が漏れる。
「いつだって小日向は勝手だ。子どものフリして好きなように振舞って」
 か細い囁きに嗚咽が混じっていた。臼井はキッと顔を上げて濡れた目でオレを睨んだ。
「おまえがミサオちゃんを好きになったんだろう。それでオレがどれだけ傷ついたか、小日向は全然わかってないんだ。オレがどんな気持ちでいたか」
 突然の言葉にオレは目を見開いた。臼井の気持ち……?
 臼井の目はすぐに力をなくして新しい涙を溢れさせた。しがみつくようにオレを抱きしめてくる。
「小日向が戻った時オレは全部なくしてもいいって決めたよ。小日向がいればいいって……。だけどいつか小日向はオレを置いていくだろうってわかってた。ちゃんとわかってたさ。おまえはそういう奴だ。ちくしょう、おまえが悪いんだ」
 箍が外れたように臼井はオレを責め始めた。
 辛くてどうしようもなくて、でもそれは甘かった。臼井の口からオレをなじる言葉が出るたびに、弁解もできず身を竦めながらオレはなぜかうっとりしていた。オレにしがみつく臼井の指の強さ。シャツを濡らす涙。全部がオレのものだった。
 臼井と離れたこと、ミサオと付き合ったことは、オレの──オレだけのまちがいだと思っていた。オレは臼井にまちがいを許してくれって謝っただけだった。臼井が許してくれてそれで終わりのはずだった。オレの行動が臼井にダメージを与えたなんて信じられなかった。いつでもオレと臼井の間は全部オレ次第で、オレはそれに苛立っていた。臼井にもオレを求めてほしかった。
 そうか。オレは臼井を傷つけたかったのか。ずっとオレは、オレに臼井を傷つける力があると確かめたかったのだ。
「ごめん。臼井、ごめん」
 くり返す謝罪に充足感が滲んだ。臼井を傷つけているのはオレだ。
 だが甘い痛みはやがて重い痺れへと変わっていった。うっとりと聞き惚れていた臼井の嗚咽が次第に胸を締め上げてくる。
「もう遅いよ、小日向」
 頑なに首を振る臼井。
「おまえはミサオちゃんのとこに行くしかないんだ。おまえには責任がある」
 責任。オレは臼井にこそ責任を負いたかった。だから臼井を傷つけたかった。自分の行動が誰かに影響を与えるなど考えられなくて、けれど他の誰でもなく臼井に影響を与えたくて、オレはジタバタとあがいていたのだ。
 そしてオレは望み通り自分が臼井につけた傷を見た。それはとりかえしのつかない望みだった。オレは癒し方を知らなかった。隠されていた傷を暴いて、自分の力を確かめて、そうしてオレには何もできない。オレのつけた傷が血を流すのを呆然と眺めているだけで止めることができなかった。

 オレの遺伝子を受け継ぐ生命が誕生を待っていることを知ったその日、オレにとっては腕の中ですすり泣く存在だけがすべてだった。



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