すべての季節が過ぎ去っても ─12─

|| 小日向

「オレ、臼井に会いたい」
 口にした途端プツッと音がして、耳の中がシンと静まった。続いてツーツーツーと始まった音を耳鳴りかと思った。
「あ…れ?」
 オレはのろのろと呟いた。口がおかしい。いきなり借り物に変わったように上顎と下顎が噛み合わなくなっていた。臼井に「会いたい」とすがった途端、オレの携帯は切られたのだった。すでに感覚は麻痺していて、その臼井の仕打ちをひどいとかそんなふうに感じたりはしなかった。
 オレは機械的に携帯を操り、今度は奥田にかけた。奥田がダメなら高見。滝口先輩。助けになりそうな奴を片っ端から頼るつもりだった。今ここで臼井に会えなければ死んでしまうと本気で感じていた。それならいっそ臼井に殺してほしいと願った。
 あいつの顔を一目見て、そして自殺しよう。臼井がオレのものでないなら、もうこの世界すべてに意味がない。意味がないってことに気づいてしまった。
 ロボットみたいな口調で「臼井に会いたい」と呟いたオレに、奥田はため息をついて「今どこにいるんだ?」と確認してきた。臼井のアパートだと告げると長い沈黙の後「今から行くからそこで待ってて」と奥田は言った。
 オレは再びアパートの外廊下にしゃがみこんだ。湿り気を帯びた夏の夜の匂い。あの頃臼井を待っていたこの場所は何も変わっていなかった。ここで睡眠薬でも飲んだとしたら、オレは臼井を待っているという錯覚のうちに死ねるだろうか。あの頃のようにやがて臼井がやって来るのだと信じたまま眠ってしまいたかった。帰って来た臼井が呆れ顔で「こんなところで寝てたら風邪を引くだろう、バカ」と乱暴にオレを揺り起こしてくれるまで、ここで眠っていたかった。
「小日向」
 やって来たのはもちろん臼井ではなかった。遠慮がちに肩を揺する手に顔をあげると奥田が困った顔で見下ろしていた。
「小日向、自分のしたこと、ちゃんとわかってる?」
 長身に引きずられるようにして連れて行かれ押し込まれた奥田の車の中。奥田に問われて、オレはゆるゆると首を振った。もう何も考えられなかった。
「臼井は今…あゆみちゃんのアパートにいるよ。あゆみちゃんと住んでるんだ」
 あゆみ。オレは不思議と平静な気持ちでその名前を受け止めた。そうか、臼井はあゆみのものなのか。どうでもよかった。オレのものでないなら、誰のものでも同じだ。
 心の中は不思議なほど静かなのに、意志に関係なく涙だけがダラダラと流れ落ちた。
「どうするの?」
 奥田が訊いてくる。
「…会いたい。オレは、臼井に会いたい」
 それしかなかった。会って臼井に好きだと言う。それで終わりだ。オレは間違えたんだ。
 奥田は黙って車の外に出て行った。携帯を使ってどこかに連絡を取っているようだった。オレは奥田に頼まなければ臼井に会ってもらうことさえできないのだ。どうでもいい。どうせ臼井がどんなふうに思っていようとオレはあいつから逃れられないのだから。


 奥田に教えられたドアの前に立ちチャイムを鳴らすまでは、最後にせめてかっこつけるつもりでいた。最後だから、ちゃんと臼井の顔を見つめて目を合わせて好きだと言う。臼井の顔をしっかり目に焼き付けておければそれでいいと考えていた。
 けれどチャイムを押して、ドアが開くまでが長すぎて待てなくなった。
「臼井」
 声を出してしまってから不安になった。臼井はオレにドアを開けてくれないんじゃないか。
「臼井。臼井。臼井」
 オレの前にドアは開かれないかもしれないという恐怖に耐え切れず、何度もその名を呼んだ。最後だから。オレは死んじゃうんだから、頼む、ドアを開けてくれよ、臼井。間違ってたって謝るくらいさせてくれ。
 カチリとロックの外れる音がした時には、オレはすっかり動顛しきっていた。内側から開きかけたドアを無理やりこじ開けて押し入った。肝心の臼井の顔なんかよく確認もせずいきなりしがみついていた。
「オレ、やっぱり臼井が好きだ。オレ、間違えたんだよ。オレは臼井が好きだ」
 嗚咽混じりに訴えた時、臼井が短く息を飲む音が聞こえた。臼井の腕が強くオレを抱き返した。顎をつかまれ、唇に触れてくるそれが何か理解できないまま、オレは臼井の腕の中で、保護された子どものように震えていた。
 臼井の匂い。コロンでもなくシャンプーでもない。確かな臼井の匂いに包まれて、その背に腕を回せばしっかりとした感触が伝わって、夢中で力を込めた。
 全部オレ次第なのかもしれない。ふと思った。どんなことをしても臼井はオレを受け入れてくれるんだろうか。それだけじゃ淋しくなった、物足りないと感じたオレが、ワガママなだけなのか。
 一瞬浮かんだその考えは、唇に触れているのが臼井の唇であることに気づいた時、そのキスに流されて行った。口の中に差し込まれたそれを臼井の舌と認識せずに吸いついた。
 何度もくり返したキスの後、臼井の腕に頭を抱え込まれて、オレは臼井の服に手をかけた。けれど臼井は遮るようにオレの手首をつかんだ。
「なんで?」
 とっさに唇を歪めて見返したオレに、臼井は軽く俯いた。
「ここはあゆみの部屋だから」
「殺したい」
 発作的に口をついた呟き。
「オレは臼井のことを殺したい。あゆみになんかやらない。オレのモノじゃないなら臼井を殺したいよ」
 考えてもいなかった科白がオレの口からこぼれ出していた。ちがう。臼井に振られて自殺するつもりにはなったけれど、臼井を殺そうなんて、オレはそんなふうには考えたりはしなかったのに。
 口にした物騒な科白に自分であせったが、臼井は「バカ」と苦笑してみせた。
「小日向、おまえ相変わらずアホな奴」
 額をつけて呆れたように囁く臼井の目は濡れて黒く光っていた。
「アホだよ! どうせオレは…オレのこと好きじゃない臼井を諦められないんだから。臼井がオレのこと好きじゃなくたって、オレは臼井が好きで……ちくしょう、そうだよ、一人でジタバタしてるだけのアホだから、オレはおまえのこと殺す!」
 自分の言葉に煽られて、半ば本気で臼井の首に手をかけたオレを、臼井は笑って引き寄せた。
「殺していいよ。オレは小日向のモノだから、おまえは何をしてもいいんだ」
 ポカンと見返したオレに頷いてみせる、臼井の顔。
 例えばこれが都合のよい夢で、目が覚めたらオレは自分の部屋に寝ていただけだとしても。オレは強く感じた。それでもいいと言い切ってやる。臼井がオレに頷く、その顔をこんなにはっきり見られたのだから、例えこれが夢だとしてもオレはもうそれで満足だ。
「好きだよ、臼井。好きだ好きだ好きだ」
 オレにはこの気持ちしかない。ここで世界が終わればいい。
 いつのまにこんなところまで来ていたんだろう。オレは今までずっと、もっと臼井にオレを好きになってもらいたいってことばかり考えていた。いつまで経っても臼井の気持ちは頼りない気がして、明日こそもっとオレを好きにさせてやる、いつかオレと同じ気持ちにさせてやるって。そんなふうに考えていたから疲れてしまったのかもしれない。オレが臼井を好きだという、そのことだけで十分だったのに。それはオレにはコントロールできない気持ちだから、諦めるしかなかったのに。
「外に出よう、小日向」
 臼井が言った。
「オレは小日向がいればいいよ。他には何もいらない」


 駅前のビジネスホテル。臼井がチェックインの用紙を書いている間、狭いロビーのソファで待っていたオレを、受付の男が胡散臭げにチラリと見た。
「すみません。ちょっと具合が悪くなって」
 気づいた臼井が言い訳すると、男はわずかに肩を竦めただけで、黙って臼井にキイを差し出した。
「おまえ、本当にひどい顔してるよ、小日向」
 部屋に入るなり、臼井が手を伸ばしてきて、オレの瞼を指でなぞった。
「ガキじゃないんだから、すぐ泣くの、悪い癖だと思う」
 オレの閉じた瞼を臼井の舌が舐めている。固くて狭いシングルベッドの上で、オレはようやく臼井の肌に触れることができた。肉の薄い、骨っぽい身体。どうしてオレはこんな身体に欲情するんだろう。
 臼井の唇は瞼から鼻筋を辿ってきて、やがてオレの唇に重なった。オレは臼井の耳の後ろに手を回し、薄く開いたその口に舌を差し込んだ。じっくりと味わいながら、臼井の口の中を存分に舌で侵し唾液を送り込み、角度を変えて唇を吸い上げる。
 ふと息をついて臼井は目を開き、オレの前髪をかきあげた。
「小日向はキスがうまいな」
 うっとりとしたような目で、今まで見せたこともない優しげな表情。ちがう。オレはこの顔が好きだった。オレだけが知ってるって、そうわかっていたのに。臼井がオレを好きだって、この顔だけで信じられた。臼井、おまえはオレを好きだよな。
「臼井」
 呼びかければ、ニコリと応えるその表情。
「オレを抱いてよ」
 ふと洩れたオレの科白に、臼井はクスリと笑ってオレの身体に腕を回しギュッと抱きしめてきた。それだけでまた泣きそうになりながら、オレは首を振った。
「ちがう。ヤって。オレのこと、抱いてほしい」
「小日向」
「臼井がオレのこと好きだって、ちゃんとそう感じたいんだ」
 臼井が半身を起こして、オレをじっと見つめてきた。オレは真直ぐにその目を見返した。
 臼井、おまえはオレを好きだよな。だから実感させてほしいんだ。おまえもオレを求めてくれると。
 臼井の手がオレの頬にそっと触れた。愛おしげに親指の先で目の下を撫ぜ、「ごめん」と臼井は少し涙の浮いた目で謝ってきた。
「ごめん。オレ、そんなに小日向を傷つけてるなんてわかってなかった。おまえのこと、何もわかってやれなくてごめん」
「ちがうよ。オレは臼井にわかってほしいんじゃない。おまえの気持ちを教えてって頼んでるんじゃないか」
 オレと同じだけ愛してくれなんて言わない。オレは臼井の気持ちを感じたいだけだった。受け止めてもらうだけじゃイヤだ。臼井からもオレを求めてくれなくちゃイヤだ。それがただのワガママでもこらえることができない。
 オレは臼井を仰向けに押さえつけて、その身体に跨った。
「ちょっ……小日向、待て」
 いきなり行動に出たオレにあせったらしく、オレを止めようと伸ばされた臼井の手をつかんだまま、もう片方の手で支えた臼井の熱の上に強引に腰を沈めた。
「クッ」
「んッ。…バカッ、いきなり、そんなの……」
 叱りつけてくる臼井の声を遮ってオレは叫んだ。
「ほしいんだッ!」
 臼井の与える痛みがほしい。余計な準備などなしにその熱に貫かれたかった。臼井を目一杯に感じたい。
「ううッ」
 無理やりにでも半ばまで入れてしまえば、諦めたのかオレを止めようとしていた臼井の手がオレの腰に回された。
「も、無茶すんなよ」
 オレの苦痛を和らげようというのだろう、臼井の両手がオレの尻を拡げるようにした。
「い…んだ。余計なことすんな、バカ」
 オレは臼井の腕をつかんで、腰を使い始めた。引き裂かれるような痛みがそのまま歓びだった。
 オレの中に臼井がいる。内側から満たされて、いっぱいいっぱいなのに、それでももっと引き込みたい。
「もっとだよ。臼井、もっと…もっと」
 それは確かに独占欲だった。
 全部だ。オレは臼井の全部がほしい。



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