すべての季節が過ぎ去っても ─22─

|| 臼井

「わざわざ呼び立ててごめんね」と言って、ミサオちゃんはオレを部屋に招き入れた。部屋の隅、一人用のビーズソファの上で脚を抱え込んだ小日向が窺うような目で見上げてきた。すっかりこの部屋に馴染んでいる様子に、オレは少しむかついて視線をそらした。
「その人。臼井くんにちゃんと返したいの」
 ミサオちゃんは小日向を指差した後で、両手をお腹の上で重ね丁寧にお辞儀をしてオレを真直ぐに見た。
「お返しします。お引き取りください」
「ミサオちゃん」
 ミサオちゃんの台詞はオレにとって意外だった。ミサオちゃんは小日向の子供を産むつもりなんじゃないのか。それは小日向を愛しているからなんだろう。数時間前に読んだ雑誌のインタビューが頭に浮かぶ。
「もう放し飼いにしないでね。私みたいな被害者出さないようにちゃんと繋いでおいてよ」
 ニッコリと笑顔で言われて、混乱したままオレは口を開いた。
「被害者って、ミサオちゃん。だからミサオちゃんが……妊娠してるなら、小日向はその責任を取らなくちゃダメなんだ」
 シングルマザーになるなんて、雑誌で読むのと目の前の女の子が決意しているのとじゃ大きな差がある。華やかな笑顔を浮かべていたアップ写真のミサオちゃんは、小日向との間に確かな絆を確信している様子で、オレが嫉妬さえ覚えたほど強く見えた。
 けれど今、瞬きもせずにオレを見つめているミサオちゃんはずっと年下の小さな女の子みたいで、痛々しく感じられる。オレはこんなコを傷つけたくない。オレには傷つける権利なんかない。ミサオちゃんを傷つけてまで自分のエゴを通すことなどできない。
「ミサオちゃんみたいな被害者なんて、そうじゃなくって、現に今ミサオちゃんが妊娠してるんだろう。子供を産むつもりなんだろう。返すって、オレに返すなんて、そんなこと言われても無理だ。ミサオちゃんが一人で子供育てるなんてそんなのダメだよ。小日向が父親なんだから、二人は……結婚するべきだと思う」
 ようやくの思いで口にしたオレに、ミサオちゃんが即座に「バカなこと言わないでよ」と切り返してきた。
「そうよ、私、赤ちゃんがいるんだから。子供は一人で手一杯。ナオまで引き受ける余裕なんてないから」
「ミサオちゃん」
 オレは言葉を探した。小さくていじらしい女の子。背伸びするようにオレを見上げている。守ってあげなきゃいけない存在だと強く感じた。オレとはちがう。こんな華奢な女の子と張り合う気持ちになんかなれるわけがない。
「でも、小日向も父親になれば自覚するだろうし、ちゃんとさせるから」
「そんなの、ナオじゃないじゃん」
 ミサオちゃんは一蹴した。
「私はそんなナオはいらない。だからさ、もうダメなの、臼井くん。じゃあさ、臼井くんがお父さん役やってよ」
 ふざけたように言うミサオちゃんにオレは笑えなかった。
「ミサオちゃん」
 バカみたいに彼女の名をくり返すしかできないオレに、ミサオちゃんは頬を膨らませて、短い髪をクシャクシャとかき回した。
「もー、やんなっちゃうなぁ。そうやってナオを「ちゃんとさせる」なんて臼井くんが私に言うこと自体が、もうもうもう! いいよ、ナオと臼井くんがラブラブなら、私はベイビィちゃんとラブラブするもんね」
 早口に言葉を紡ぐミサオちゃんはどこか無理をしているように感じられて、オレは困って彼女を見ていた。ミサオちゃんの強がりに気づかないふりをして、その言葉に甘えてしまったら、オレは最低の人間になってしまう。
 耳の中、かつてオレを打ちのめしたミサオちゃんのアルバムの曲が鳴っていた。小日向の相手はオレじゃない。小日向とミサオちゃんの絆。誰の目にも明らかな確かな証が二人の間にはあって、それを押しのけるだけの理由などオレの元にはなかった。
 無言のオレに、ミサオちゃんは拗ねたように唇をとがらせ「とりあえず坐ってよ」とオレを促した。黙って見つめるオレから視線をそらし、再びオレを見たミサオちゃんは軽く唇を湿した後で言った。
「じゃあさ、私が……下ろしたらOKなの?」
「え?」
 一瞬言われたことが理解できなかった。オロシタラ──?
「赤ちゃんがいなくなって全部なかったことにしたら、それで臼井くんは納得するの?」
「何言ってんだよ!」
 頭に血が上って思わず怒鳴っていた。
「ミサオちゃん、何言ってんだ。オレそんなこと考えてないよ。オレが言ってんのは、これからのことだろ。そんな……赤ちゃん殺したりして、なかったことになんかなるわけないだろ。なかったことになんかならないんだよ。だから小日向は責任を取らなきゃいけないんだ」
 気遣う余裕もなく怒鳴りつけてしまったが、ミサオちゃんはひるまずにオレを見返した。
「そういうんじゃイヤなの」
 真直ぐな視線で、静かな声で。
「私は責任感なんかでナオにそばにいてほしくない」
 ミサオちゃんはきっぱりと言い切った。
「ナオは臼井くんを好きなのに、責任感で私のそばにいなくちゃならないのなんてイヤだよ」
 ミサオちゃんはもう一度「坐って」とオレを促して、自分も向かいに腰を下ろして「臼井くんは、運命とか神さまって信じる?」と訊いた。
「私は信じてるよ。臼井くんとナオは運命の二人かもしれないね。でも私とナオだってそうだもの」
「ここに」とミサオちゃんはお腹を押さえた。
「ナオの子どもがいるのは運命だよ。神さまが決めたことなの。そして選んだのは──産むって決めたのは私。本当はね、私がこの子を産んだら、臼井くんとナオには悪いかもしれないって少しだけ考えたりもした。だから、うまく言えないけど、この子のせいでナオと臼井くんが別れるのはイヤなの。臼井くんが私やこの子に責任を感じる必要なんか全然ない。ナオは感じるべきだけど、でも私は、そういう責任感で行動しないナオが好きだから、もう諦めるしかないでしょ」
 ミサオちゃんはニッコリと笑みを見せた。
 オレと小日向の間に運命なんてないかもしれない。オレは思った。本当はミサオちゃんと小日向こそが運命の二人で、オレはただの邪魔者にすぎないとしたら。それでもオレは小日向を諦めきれない。
 弱いオレをミサオちゃんがかばってくれているんだと思った。強がりを本物に変える力をミサオちゃんは持っている。オレには強がることすらできないのか。
 強いミサオちゃんはオレに親しみと決意とが混じった笑顔を向けて、言葉をつむぐ。
「今、ナオを渡されても困るの。私の好きなナオが上書きされて消えちゃうもの。私はあれを運命だって信じていたいし。ずっと他の人のこと考えてるような相手にそばにいられたら、ものすごく胎教に悪いってば」
 ミサオちゃんは「ほら、見てよ」と小日向を指差した。窺うようにオレたちを見比べていたらしい小日向はオレと目があった途端ヘラッと情けない笑みを見せた。
「すっげーむかつく」
 ポロッと漏らしたオレに、ミサオちゃんが声をあげて笑う。
「オレは臼井が好きだよ」
 バカの一つ覚え。小日向の言葉は安っぽい。顔をしかめたオレに、小日向はのそのそと近寄ってきた。
「ミサオも好きだよ。だけど臼井と離れたらオレは死んじゃうから」
 デカイ図体で小首を傾げられたってかわいくもなんともないはずなのに、茶色の瞳に引き込まれそうになる。オレはなんて弱いんだろう。ミサオちゃんを傷つけながらも小日向のそばにいられることに幸せを感じてしまう。オレは顎を上げて言い捨てた。
「死ねよ」
 オレたちの間には美しさの欠片もない。オレも小日向もミサオちゃんのように潔くなれず、引き際を知らない。グチャグチャに崩れた想いさえ手放せずにあがき続ける。
 小日向は唇をとがらせてわめき立てた。
「ひっでー。信じらんねー、面と向かって死ねなんて、フツーは言えないだろ」
「フツーじゃないのはてめえだ」
 オレが小日向の肩を押しのけると、ミサオちゃんが噴き出した。
「そういうとこ見てると二人が恋人同士なんて信じられないね」
「イジワル言うなよ」
 小日向の言葉がミサオちゃんに甘えているようにも聞こえた。
「イジワルくらい言ったっていいでしょ。私にはそのくらいの権利あるもん。ね、どっちがオンナノコ役なの?」
 いきなりとんでもない質問に、オレは目をむいたが、小日向はへろっと答えた。
「臼井。だって臼井はしてくんねーもん。サービス精神がないんだ」
「な、ななな何言って……」
「うっわー、臼井くんカワイー!」
 動揺するオレにミサオちゃんが大げさな声をあげてにじり寄ってきた。
「すごーい、真っ赤ー。へえ、私、ナオが下だと思ってたんだけど。臼井くんってかわいいんだー。新発見」
「でもオレんだよ」
 脇からバカな主張をする小日向に、ミサオちゃんはベーっと舌を出して顔をしかめた。
「やっだー。そうやって人のことモノ扱いするのサイテー」
「モノ扱いじゃねーよ」
 小日向が唇を尖らせる。
「モノじゃないけどー、臼井はオレのモノなの。な?」
 言葉の最後で同意を促されて、オレはうっかり頷いてしまった。
「ほんと?!」
 途端に小日向は勢いづいて確認してきた。
「ほんとに臼井はオレのモン? とうとう認めるんだ? なあ、もう一回ちゃんと言えよ。なあ、なあ」
 畳みかけられて、オレはおろおろと身体を引いた。そんなオレたちの様子を見てミサオちゃんは「何よ、もう」と腕を組んだ。
「何よ、もー。私の前でいちゃつかないでくれる? 無神経な人たちはさっさと帰ってよね。帰れ、帰れ」
 オレたちを追い立てたミサオちゃんは、ドアを閉める直前オレを見上げて「臼井くん、ありがとう」と囁いた。
「怒鳴られた時、ちょっと嬉しかった。臼井くんは優しいね」



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