すべての季節が過ぎ去っても ─28─|| 小日向「昨夜の話、オレ本気だよ」 ミサオの元へ向かう車の中、臼井が言い出した。 「ん?」 快晴の空の下、気分よく車を飛ばしていたオレは鼻歌混じりに聞き返した。このところ晴天続きで、春とはいえ日中は暑さを感じるほどになっていた。 「冗談とか気休めとかそんなつもりで言ったんじゃないから」 生真面目な硬い表情。 その横顔を確認して、オレは奥歯で幸せを噛みしめた。 「小日向、家のほうはどうなってる?」 思いつめたような表情で臼井が口にしたのは昨夜のこと。翌日会いに行くとミサオに電話をかけた後で、さりげなく言うつもりだったらしいが明らかに失敗した様子だった。 「何が?」 「勘当されたって言ってから、もうずいぶん経つじゃないか。全然許してもらえないんだろう?」 「うん、まあ。でもしょうがないかなって思ってるよ」 希夕が生まれてからはそっちにばかり意識がいっていたし、何度か電話をかけたけれど応答もなく切られてしまう状態だったから、そのままになっていた。こっそり朋美に連絡を取って訊いたところでは、家の中でオレの話題は一言も出てこないらしい。部屋に残してきたレコードや雑誌が捨てられなければいいけど。 たまに親の顔が頭をよぎらないでもなかったが、バンドの活動もそれなりに忙しくて、オレはオレでやっていくしかないって、なんとなく考え始めたところだ。 オレの言葉に臼井はじっとオレの顔を見た。 「オレ、一緒に行こうか?」 「は?」 とっさに意味が理解できなくて問い返したら、臼井は咳払いしてやたら真面目な声を出した。 「一緒に行って、おまえんちの親に謝る」 それって親にカミングアウトするってことか? 思わずまじまじと見つめ返せば、臼井の顔はあまりにも真剣で、悲壮な感じがいじらしくなって、オレは衝動的に抱きついていた。 「臼井って可愛いな」 「はあ?」 一緒に謝るなんて、臼井の口からそんな台詞が出てくるなんてまるで予測していなかった。オレが親に勘当された原因は生まれてくる子供に責任を取らないからだ。臼井が謝る理由なんかない。それなのに臼井はオレの勘当を自分のこととして考えてくれているんだ。 「すっげー好きだ」 抱きしめてキスの雨を降らせているうちに臼井の表情がこわばってきた。 「てめえ、人が真剣なのに。ふざけてる場合かよ?」 「ふざけてないよ。感激してんだよ。ありがとな、臼井。ありがとう」 オレのこと本気で考えてくれてると思えば嬉しいし、真面目で融通の利かない頑固さをやけに可愛らしく感じてしまった。 臼井が怒り出しそうな気配はバリバリ伝わってきたが、感激のあまりオレは笑いを止めることができない。高揚した気持ちのまま臼井の髪をくしゃくしゃとかき回し、目元や頬に唇を押しつける。 「バカにしてんなら、いい。もうおまえなんか知らねえ」 低い声で叫んで臼井はオレを突き飛ばした。かなり本気で腹を立てたらしく、謝るオレを無視してそのままフテ寝してしまった。 それでも今日になって再び言い出したってことが臼井の真剣さを物語っているんだろう。 こんなところでもオレと臼井の考え方はちがうんだなって感じる。オレにとって臼井への気持ちは、親に認めてもらうとかそんなレベルじゃない。親だけじゃなくて誰に対しても──もしかしたら自分自身にさえ──納得のいく説明なんかできないだろう。 例えばどうしても欲しい憧れのギター。そのギターが素晴らしい理由ならいくらでも言える。でもその素晴らしさはオレにしか意味がない。他人がオレのためにそのギターを買ってくれるなんて期待はしていない。そのギターを手に入れるためなら何でもする、どうしても無理なら強盗だってするって思ってしまうオレはすでに悪人で、他の奴にこの気持ちをわかってくれなんて言えない。 臼井への想いはただのエゴなんだ。周りの祝福を受けるようなものじゃない。ただオレの中に根を張った想いはもう引き抜くことなんかできないから。 「大丈夫だよ」とオレは臼井に言った。 臼井は心からオレを心配してくれている。そうしてオレのことを自分の問題と考えてくれている。その認識はオレをとても幸福にしてくれた。 「大丈夫なんだ。親だからさ、白黒はっきりつけなくていいんだってオレは勝手に思ってる。あの人たちがきっちり納得できるような説得はオレ、できないけど。でもオレの親だからさ、いつか諦めてくれると思うんだ」 正面切って説明や説得をしなくても、いつかきっと伝わるだろうと信じていた。それが親への甘えだという自覚はあった。 「諦めるって」 オレの言葉をオウム返しにして微妙な顔つきになった臼井の手を、オレはギア越しに手を伸ばしてギュッと握った。 「ん、諦めるってのは言葉が悪い? でも認めてくれるっつーような積極的なもんでもなくて。どうせオレはそんな大した奴にはなれないし。なるようにしかならないんだよ」 親の涙は見たくない。だけど今のオレはおそらく親が望むような行動は取れない。臼井相手にマットウな恋愛なんかできない。本気だから認めてくれって言うことはできる。だけどオレは本気だから、臼井を手放さないためにならどんな汚いことだってやるだろう。期待外れの息子でごめんって思う。親が自慢できるような立派な人間にはなれないけれど、好きな奴と一緒にいたいんだ。それだけなんだ。 ミサオのアパートに着くと、ミサオはちょうど希夕を眠らせたところらしかった。胸にぴったりと頬を貼りつけてスヤスヤと気持ちよさそうな寝息を立てている赤ん坊を腕に抱えたままドアを開けたミサオは、オレたちの顔を見てクスクスと笑った。 「すごいタイミング。うちの親が来てて今帰ったところだよ」 ミサオの父親は、希夕が生まれてからは少しずつ態度を軟化させてきているらしい。 「オレ、やっぱ挨拶したほうがよかったかな」 オレの呟きにミサオは「挨拶って」と大げさに噴き出した。 「なんて言うつもり? 『ごめんなさい』しか言えないでしょ。殴られたって知らないよ」 「うん。謝るだけって卑怯だよな」 ミサオの親にオレを許してくれなんて言えない。ミサオの親に認めてもらえるような誠実な対応をオレは取れない。オレは確かにまちがえた。そして償うことができないってわかってるから謝れない。申し訳ないって気持ちだけは本当だ。 ミサオは小首を傾げてオレを見た。 「卑怯って言うか……しょうがないじゃない? どうしても譲れないことはさ、しょうがないよね。でもそれを認めてくれって言っちゃったら甘えかなあって思うよ」 「ミサオって厳しいな」 自分でわかっているつもりのことでも他からあらためて口にされるとそれなりにショックだ。 希夕が生まれてからのミサオはますます強くなった気がする。希夕の名前も一人で決めて、本当に一人で育てていく覚悟をしてるんだなと思う。そうしてオレは、もう戻らない彼女との日々を少しだけ惜しんでいたりもする。オレはミサオに夢中だった。そこに嘘はない。真空パックされたみたいなあの日々をこれから何度でも思い出すだろう。 「厳しい?」とミサオは笑い、明るく乾いた声で「でも私はナオが好きだよ」と言った。 「そういうとこで誠実ぶったりしないから好きなの。ね、臼井くん?」 「え?」 ミサオに下から覗き込まれた臼井が瞬きする。 「誰もナオに誠実な対応なんか期待しないよね」 「期待しないというより想像つかないからな」 片方の眉を上げて呟く臼井に、ミサオは嬉しそうに相槌を打った。 「あー、そうかも。ナオってズルイもんね。鼻が利くっていうかさ、自分を受け入れてくれそうなとこばっか行って、ダメなとこには最初から近づかないの」 「なんでいきなりオレの吊るし上げになってんだよ?」 オレはふてくされて呟いた。臼井とミサオが顔を見合わせて笑う。 確かにオレは、最終的にはわかってくれる奴だけがわかってくれればいいと思ってる。オレを嫌いだっていう奴にまでオレを認めろなんて迫るような無駄なことはしたくない。しないつもりだった。けれど臼井。オレはおまえにわかってほしいよ。 臼井はオレの強引さに流されているだけかもしれないって、今でも時々考える。けれどオレはそんなことに傷つくのはやめたんだ。例えそうだとしてもオレは臼井を離さない。臼井の本当の気持ちなんて考えてやらない。あゆみやミサオや臼井を好きだという奴らと一列に並んで臼井に選ばれるのを待つような正々堂々の勝負なんかしない。フライングしてでもかっさらってやる。 これから希夕と一緒に昼寝をするのだと言うミサオに遠慮して、オレと臼井は散歩にでかけた。ミサオに教えられた近くの川を目指して歩く。 すぐに川沿いの土手に出たものの、そこを越えるための道が見当たらなかったので、オレたちは草に覆われた斜面に足を踏み出し登り始めた。登り切った土手の上はサイクリングロードになっていて、風が吹いていた。オレの頬を撫でていった風が、川面の反射を眩しそうに眺める臼井の髪を乱す。午後の光に縁取られたしかめ面を愛しいと思う。 そのまま臼井の手を取り、川に向かって土手を駆け下りようとしたら、オレの行動の唐突さに驚いたらしい臼井が「なんだよ?」と慌てたような叫び声を上げて足を踏ん張った。 「うっわ」 臼井の抵抗にバランスを崩したオレの足が滑った。引き止めるように臼井の手に力が込められたが間に合わなくて、あっというまにオレは土手の草の上に仰向けに倒れこんでいた。 「バカ小日向」 手を離さないまま栄養ドリンクのCMみたいな体勢で、上から臼井が笑っていた。 「ひでー」 呟いたオレは身体の力を抜いて草の匂いを吸い込んだ。 「いい匂い。臼井も寝れば?」 「やだよ、バカ。服が汚れるだろ」 オレは繋いだままの手を支点に身体を反転させてうつ伏せの状態になった。 「いいじゃん」 強引に手を引っ張れば臼井は「やめろ」と笑い声をあげながら素直に隣に寝転んできた。 「なんか草が温かくなってる。すげー匂う」 「な、気持ちいいだろ?」 草越し、近くなった瞳を見つめて、オレは臼井の手の甲に口付けた。 そこに運命なんかなかったかもしれない。 オレが運命だと信じた臼井と出会ったことも同じ大学に入ったことも、実際はただの偶然だったのかもしれない。そう、オレたちが一緒にいることは運命なんかじゃない。オレが選んだんだ。 永遠を誓ったりしない。十字架の前で誓いのキスも交わさない。 宣誓などいらない。何の誓いもなくても、オレは臼井に惹かれるから。理由はいらない。 臼井がそこにいる限り、それはオレにとって必然のことだ。何の気負いもなくオレは臼井を愛し続ける。心の向かう先に理屈はいらない。 誰の祝福がなくても。 例えば何気なく過ごしてきた時間、そしてこれから過ごしていく時間。その時間がお互いの枷になればいいって思う。そこに運命も必然もなくっていい。すべて偶然でいい。オレたちは一緒にいるんだ。 |
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