すべての季節が過ぎ去っても ─4─

|| 小日向

 夕食の準備。ミサオの形作ったロールキャベツにタコ糸をかけようと悪戦苦闘中のオレに、ミサオは大喜びでクスクスと笑い転げていた。しまいに見かねたらしく「持っててあげる」と手を出してきたが、笑っているせいで揺れるのでかえってうまくいかない。
「揺らすなよ」
「だってー。そんなんでナオ、よくギターの弦が張れるね」
 からかわれ、つい唇を尖らせてミサオの顔を見ると、チュッとキスがきた。
「味付け、何にする? コンソメとトマトとホワイトソース、どれがいい?」
 歌うように訊かれて「全部」と答えた。
「ダ・メー。じゃあ二つにしようか。一つずつ選ぼ。私はトマト」
 オレがホワイトソースを選んだらミサオは「面倒だなあ」と文句をつけつつ、手早く小麦粉をバターで炒め出した。
「ミサオってー、意外と料理上手だね」
「意外ってどういう意味?」
 小麦粉とバターを混ぜていた木ベラをわざとらしく振り上げて軽く睨んでくる。
「なんかそういうの、やんなそうに見えた」
「やらないよー。本当は女王さまになりたいもん。ナオが全部作って食べさせてくれるのが一番いい」
 鼻先に木ベラをつきつけられて「それでもいいよ」と頷くとミサオはふふふと笑った。ミサオの笑い方は小さい子供みたいで本当に可愛い。思わず頭をナデナデすると「こら」と怒られた。
「料理してるとこで髪をいじんないの」
「ミサオが可愛いからだよ」
 抱え込んでキスをする。小柄だから後ろから腕を回して身を屈めても余裕で届けられた。
「ありがと。ナオも可愛いよ」
 ライブの日から、オレはミサオのアパートに入り浸りだった。部屋の合鍵を渡され「失くしちゃダメだよ」とチェーンも買ってもらったので、いつも首にぶら下げている。


「トマトはちょっと失敗」
 一口目で舌を出したミサオに、オレはスプーンをくわえたまま首を振った。
「そんなことないよ。おいしいよ」
「しょっぱいもん。ダメだよ、ナオ、こういう味に慣れると高血圧になっちゃうぞ」
「うわ、オバサンみてー」
 大げさに冷やかすと、ミサオはイーっと鼻の頭にしわを寄せた。
「オバサンだもーん。ナオより年上だもん」
「嘘だよ。ミサオは中学生だよ」
「じゃあナオは幼稚園児!」
 得意げな顔に思わず「バーカ」と口をついた。ミサオもすかさず「バーカ」と返してきて、お互いにバカと言い合っているうちに途中から笑いに変わった。
 そしてミサオはいきなりオレの歌を歌い出した。柔らかくて丸い声が甘くて、オレは鼻歌で伴奏を始めた。ミサオがフォークの底で軽くテーブルの縁を叩きながらリズムをとる。やがて即興で歌詞とメロディーを少しずつ変え始め、オレもそれに乗った。どんどん新しいフレーズが湧いてくる。ミサオの笑みが新しい曲を生み出す。この幸せを歌にせずにはいられないって、そんな気持ちになった。オレの声にミサオの声が絡んで、幸せが増幅していく。合間のキスと笑い声。キラキラと輝くこの想いたちを閉じ込めたい。


「ナオが前に付き合ってた人って誰?」
 狭いシングルベッドの中。オレの上に乗っかったままでミサオが訊いた。顔を引き上げてきて唇を合わせる。ミサオの右足の指先がオレの脛あたりに引っかかって、軽く走った痛みが甘酸っぱさを呼んだ。
「え?」
「昔、言ったことあるじゃん。結婚決めてるコがいるって私のこと振ったでしょ」
 伸ばし始めた髪を上からオレの頭を覆うように垂らして、いたずらっぽい笑みを浮かべていた。
「あれは」
 咽喉に絡まった言葉を無理に押し出す。
「あれはオレの思い込みだったよ」
 ミサオとはちがう。オレの一方通行の想い。あいつには負担にしかならなかった。
 哀しい気持ちに支配されそうになり、オレはミサオを腕で抱えたまま寝返りを打ち横向きになった。ミサオの顔にかかった髪を払って、頬を撫でる。かすかにそばかすの浮いた、色素の薄い小さな顔。黒目に映っているオレの顔。
 オレはミサオに全部を預けたくなった。少し息を吸い込む。
「オレ、オレは……臼井が好きだった」
 オレの告白にミサオはわずかに目を見開いたが、何も言わず真直ぐにオレを見ていた。
「片想いだったんだ、ずっと。ミサオに恋するまでわかんなかった。オレ、本当にミサオに会えて嬉しい。ミサオがオレのこと好きだって言ってくれて嬉しい」
 切なさを振り払うようにオレは言った。ミサオの手がオレの頭をその胸に引き寄せた。柔らかい肌に頬を埋める。
 オレにはミサオがいてくれる。それがどんなにすごいことか、自分でよくわかっている。「好きだ」と言えばミサオはにっこりと笑みで受け止めてくれる。「私もよ」と囁く。
 時折胸に浮かぶのは、そらされた視線。横顔のままぶっきらぼうに呟かれる「バカ」という言葉。
 比べたらダメだってわかってる。目の前の笑顔だけ見てればいいんだ。オレは、オレたちは幸せの真っ只中だ。何も考えない。感じるだけだ。
 つけた頬の下で、呼吸に合わせて上下する柔らかな胸。優しい手がオレの頭を何度も撫でていた。
「もうすぐRのクリスマスパーティーだね。今年はジラフはやんないの?」
「やんないの。オレ以外はみんな忙しいらしいよ」
 もしかしたらジラフはこのまま終わりかもしれない。それも仕方ないんだろうって諦めかけていた。ミサオがいてくれれば大丈夫、いろんなことを簡単に乗り越えられそうな気がした。
 ミサオの指がオレの髪をつまんでつんつんと引っ張った。
「じゃあナオは私と一緒にやろ」
「んー?」
「さっきの曲、ちゃんと作ってみない? 結構いけそうじゃない」
 地肌をマッサージするようにクシャクシャと髪をかき回されるのが気持ちよかった。
「共作?」
「共作。私たちの愛の印?」
 顔を上げて訊いたオレに頷いて、くるんとした目でいたずらっぽく笑う。ミサオの笑顔を見ているうちに、こいつと一緒ならどこまでも行けるという気持ちになった。ミサオはオレの気持ちを受け止めて、さらに遠くに投げ返してくる。果てのない幸福。もっと遠くまで行ける。今が最高だって胸を張って叫んでやる。


「でもさ、滝口さん。オレの話聞いたって、これ、ミサオのアルバムだよ?」
 散々言い散らかした後で確認したオレに、滝口さんは苦笑した。自分で言うのもナンだが、最後には曲の話だかノロケだかよくわからない話になっていた。
「ハニムーンのほうもちゃんと取材申し込んであるよ。まあこっちはこっちで、俺が興味があってさ」
 Rのクリスマスイベントで披露したミサオとの共作はずいぶん反応がよくて、その昂揚感からまたいくつか曲ができた。それがきっかけになったのか、ミサオのソロワークという形でアルバムを出す話になり、収録曲のほとんどにオレも関わることになった。ソロというより実質はユニットで、オレたちの愛の結晶だという自負もあった。
 軽音楽部の先輩だった滝口さんは、卒業後、音楽雑誌の編集部に就職していて、ミサオのアルバムについて一番最初に申し込まれた取材が彼だった。発売が決まると同時にミサオの取材はいくつか予定されたが、滝口さんからはオレに直接連絡がきた。気心の知れている相手だけに、喫茶店で顔を合わせた途端「いいでしょう?」という台詞がオレの口をついた。
「オレさ、自分の曲を他の奴に歌わせんの、初めてなんだよ」
「そうだな」
「あと他の奴と一緒に曲を作るのも初めて。ミサオって最高だと思わない?」
「思う。それでおまえも最高だよ、小日向」
 真面目な顔で頷かれて、オレは有頂天になった。
「だよねえ?! や、もう自分で言うのアレだけど、オレとミサオは最強だと思うよ。誰にも負ける気しないもん」
 オレは滝口さんを前にミサオがどんなに可愛いか、オレたちがどんなに幸せかを語り続けた。その幸福感をすべて音楽という形にできた自信があった。はばかることなく傑作だと自画自讃できる。
「なるほどね」
 二本目のテープをレコーダーにセットして、滝口さんは言った。
「小日向は幸せの絶頂にいるってわけだ?」
 確認されて、照れながらも「うん」と頷く。オレは一人じゃない。同じ想いを返してくれる相手がいる。
「正直、サンプルを初めて聴いた時に鳥肌が立ったくらいすごいと思ったよ。本当に怖いくらい。ジラフとはちがう感触があった。それはミサオちゃんの存在なんだ」
 滝口さんは自分の言葉に納得したように首を振った。そしてわずかにためらった様子で一度上げた目を再び落とし、指先でトントンとテーブルを叩いた。
「本音、言ってもいいよな?」
 伺うような言い方をされて、少し不安になった。
「何?」
「いや、そんな身構えられるような話でもない」
 滝口さんは苦笑いで、冷めたコーヒーを啜った。
「今回の小日向の曲を聴いて、オレはジラフについて改めて考えた。それで、やっぱりジラフはセンチメンタルなバンドだなって思ったんだ」
「それは…」
 オレはその名前を口にすることを一瞬ためらった。あいつにとってオレがどんな存在だったか、考えたくなかった。ミサオと付き合い始めてよくわかった。同じだけの気持ちで向き合うのが正しい。ミサオこそがオレの相手だった。切なさなんて必要じゃない。
「それは、臼井の曲があったからじゃ?」
 オレの言葉に滝口さんは首を振った。
「ちがうな。小日向の曲もそうだったよ。ハッピーな歌でも、どこかセンチメンタルな匂いがしてた。もしかしたらそれは臼井の影響だったのかもしれない。今度の曲にはそれがない。突き抜けちゃってる感じがするよ。こっちのほうが本当の小日向らしいのかもしれない。確かにすごい作品だと思う。でもな」
 滝口さんはレコーダーに手を置いて「これはオフレコだ」と囁いた。
「早くジラフの活動再開しろよ。この曲たちもすごくいいとは思うけど、オレはやっぱりジラフが好きだ」



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